敵地ベルナベウでスタンディングオベーション、ロナウジーニョが伝説となった圧巻ゴール【インクレディブル・ゴールズ】
2020.06.04 13:30 Thu
サッカーファンなら誰もが一度は見たことがあるであろう歴史に残るスーパーゴール。今回の企画『Incredible Goals』(信じられないゴール)では、これまでに生まれた驚愕のゴールを紹介していく。今回は元ブラジル代表FWロナウジーニョ氏が決めたゴールだ。
グレミオの下部組織に入団したロナウジーニョ氏は、2001年にパリ・サンジェルマン(PSG)に移籍して欧州での物語をスタート。2003-04シーズンにバルセロナに移籍すると、初年度の前半こそ負傷に悩まされたものの、2004-05シーズンにはFIFA最優秀選手賞を受賞。続く2005-06シーズンにはあらゆる個人賞を総なめにした。
ロナウジーニョ氏を語る上で欠かせないゴールが、2005-06シーズンの11月に行われた、レアル・マドリーとの“エル・クラシコ”でのゴールだ。
前半14分にバルセロナがFWリオネル・メッシのゴールで先制すると、その後もバルサが試合を支配する。
そして迎えた後半14分、左サイドのハーフラインからドリブルを開始したロナウジーニョは、簡単に相手DFセルヒオ・ラモスをかわして、そのままペナルティエリアに入り込む。この時、立ちはだかったのはDFイバン・エルゲラ。しかし、ロナウジーニョは全くスピードを落とすことなく、何事もなかったようにエルゲラをかわしてシュート。ロベルト・カルロスが必死にブロックするも、間に合わずにゴール。いとも簡単に得点を決めてみせた。
場所はレアル・マドリーのホーム、サンティアゴ・ベルナベウ。勝ち点1差で迎えたエル・クラシコということを考えると、このスタンディングオベーションは本当に異様な光景であり、ロナウジーニョとバルセロナのプレーがいかに美しいものであったのかを表していた。
グレミオの下部組織に入団したロナウジーニョ氏は、2001年にパリ・サンジェルマン(PSG)に移籍して欧州での物語をスタート。2003-04シーズンにバルセロナに移籍すると、初年度の前半こそ負傷に悩まされたものの、2004-05シーズンにはFIFA最優秀選手賞を受賞。続く2005-06シーズンにはあらゆる個人賞を総なめにした。
ロナウジーニョ氏を語る上で欠かせないゴールが、2005-06シーズンの11月に行われた、レアル・マドリーとの“エル・クラシコ”でのゴールだ。
そして迎えた後半14分、左サイドのハーフラインからドリブルを開始したロナウジーニョは、簡単に相手DFセルヒオ・ラモスをかわして、そのままペナルティエリアに入り込む。この時、立ちはだかったのはDFイバン・エルゲラ。しかし、ロナウジーニョは全くスピードを落とすことなく、何事もなかったようにエルゲラをかわしてシュート。ロベルト・カルロスが必死にブロックするも、間に合わずにゴール。いとも簡単に得点を決めてみせた。
さらに、後半32分にもロナウジーニョがゴールを決めると、サンティアゴ・ベルナベウに詰め掛けた8万7000人もの観客は、スタンディングオベーションでそのパフォーマンスを称えた。
場所はレアル・マドリーのホーム、サンティアゴ・ベルナベウ。勝ち点1差で迎えたエル・クラシコということを考えると、このスタンディングオベーションは本当に異様な光景であり、ロナウジーニョとバルセロナのプレーがいかに美しいものであったのかを表していた。
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“笑顔”が似合う稀代の天才、記録以上に記憶に残るロナウジーニョ
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史上最高“究極”のオールラウンダー、フランク・ランパード
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バルセロナのオランダ代表FWメンフィス・デパイがチームメイトの元スペイン代表DFジェラール・ピケの赤面ショットを晒してしまった。イギリス『サン』が伝えている。 バルセロナは13日、ラ・リーガ第28節でオサスナとカンプ・ノウで対戦。4-0で圧勝しリーグ4連勝を飾った。 この試合に途中出場し勝利に貢献したデパイは試合後、自身のインスタグラムのストーリーズを更新。試合直後のロッカールームで、ブラジル代表DFダニエウ・アウベスとともにシャワーを浴び終え、私服姿に着替えた瞬間の動画を投稿した。 デパイはD・アウベスとバシッと決めた私服を約1400万人のフォロワーがいるアカウントで公開したが、背後まで気を遣えなかった。 バッチリ決めた2人とは真逆、2人の後ろにはシャワーを浴び終え、生まれたままの姿のピケが。何も隠していない全裸を、ピケは思わぬ形で1400万人に対して晒すこととなってしまった。 オサスナ戦でバルセロナでの通算600試合出場を達成したピケだが、思わぬアクシデントに巻き込まれることとなった。 <span class="paragraph-title">【モザイク有】1400万人に流出してしまったピケの全裸</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Memphis Depay accidentally posts video of Gerard Pique NAKED in dressing room <a href="https://t.co/TsHDvTnFbx">https://t.co/TsHDvTnFbx</a></p>— Irish Sun Sport (@IrishSunSport) <a href="https://twitter.com/IrishSunSport/status/1503736557274120202?ref_src=twsrc%5Etfw">March 15, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ5R1JsNVF4cSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2022.03.16 20:25 Wed3
21世紀の出場試合数ランキング発表! 首位は1145試合のC・ロナウド、トップ10に日本人選手がランクイン
IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)が、21世紀で最もプレーした選手のランキングを発表。トップ10には日本人選手もランクインした。 様々な統計を行うIFFHS。2022年までのデータを集計し、21世紀に入ってからのプレーした試合数をもとにランキングを作成した。 対象となるのは、各国のリーグ戦やカップ戦、国際カップ戦、代表チームの試合も含まれ、全ての公式戦が対象になっている。 今回の統計では1000試合以上プレーした選手が3人に増加。首位は昨年と変わらず、サウジアラビアへ活躍の場を移したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)となり、1145試合を記録した。 2022年に1000試合を突破したのは、ブラジル代表DFダニエウ・アウベス(UNAMプーマス)とアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(パリ・サンジェルマン)。アウベスは1033試合、メッシは1003試合となった。メッシはカタール・ワールドカップ(W杯)での試合で1000試合を超えたことになる。 そんな中、8位には日本人がランクイン。941試合に出場したMF遠藤保仁(ジュビロ磐田)だ。遠藤はガンバ大阪と磐田、そして日本代表での試合が21世紀に含まれている。なお、アジア人でも唯一となり、900試合以上を達成しているのも12名となっている。 ◆21世紀の出場試合数ランキング 合計(国内リーグ/国内カップ/国際カップ/代表) 1位:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル) 1145試合(651/93/205/196) 2位:ダニエウ・アウベス(ブラジル) 1033試合(620/115/172/126) 3位:リオネル・メッシ(アルゼンチン) 1003試合(559/102/170/172) 4位:イケル・カシージャス(スペイン) 974試合(585/57/171/161) 5位:ジョアン・モウティーニョ(ポルトガル) 958試合(563/107/142/146) 6位:ズラタン・イブラヒモビッチ(スウェーデン) 948試合(603/72/152/121) 7位:ルカ・モドリッチ(クロアチア) 947試合(569/69/146/162) 8位:遠藤保仁(日本) 941試合(606/117/66/152) 9位:チャビ・エルナンデス(スペイン) 937試合(536/95/174/132) 10位:セルヒオ・ラモス(スペイン) 935試合(534/70/151/180) 11位:アンドレス・イニエスタ(スペイン) 933試合(552/98/152/131) 12位:ロジェリオ・セニ(ブラジル) 904試合(675/71/149/9) 2023.01.12 12:45 Thu4