レジェンドの死から1年…ナポリがマラドーナ氏をデザインした特別ユニフォームを発表!

2021.11.06 22:33 Sat
【写真】死後1年、ナポリが前面にマラドーナの顔をデザインした特別ユニフォームを着用

PR


PR
1 2

ディエゴ・マラドーナの関連記事

早いもので、西ドイツが生んだ偉大なフットボーラーであるフランツ・ベッケンバウアー氏が亡くなってから一年が経とうとしている(24年1月8日に逝去。78歳)。現役時代は「皇帝」のニックネームで尊敬を集め、守備だけでなく攻撃にも自由に参加する「リベロ」という概念を確立した。 W杯は66年イングランド大会で準優勝、70年 2025.01.04 11:00 Sat
サッカージャーナリストの草分け的存在で、フリーランスの記者の大先達である賀川浩さんが12月5日、神戸市内の病院で逝去された。99歳の高齢で、老衰とみられている。今月29日が誕生日で、百寿を迎えられる前に天寿をまっとうされた。 昔からのサッカーファンなら誰もがその名をサッカー専門誌などで耳にしたことがあるはずだ。サ 2024.12.10 11:00 Tue
インテル・マイアミに経営参画するフロリダ州の建設会社「マステック」が、リオネル・メッシのためにニューウェルズ・オールドボーイズを買収か。スペイン『Relevo』が報じた。 説明不要の男、リオネル・メッシ。長らく世界最高のフットボーラーとして名を馳せてきたメッシも37歳となっており、選手キャリアは長くて、あと4〜5 2024.07.17 19:05 Wed
ナポリは5月31日、今季限りでの退団を希望しているイタリア代表DFジョバンニ・ディ・ロレンツォ(30)に対する声明を発表した。 24歳までアマチュアリーグのセリエDにてプレーしていた苦労人のディ・ロレンツォは、2017年のエンポリ移籍をきっかけに日の目を浴びると、2019年に加入したナポリでは加入当初から主力とし 2024.06.01 07:30 Sat
イタリア代表DFジョバンニ・ディ・ロレンツォ(30)のナポリ退団希望を代理人が認めた。イタリア『カルチョメルカート』が伝える。 叩き上げの男、ディ・ロレンツォ。20代半ばまでアマチュアリーグのセリエDでプレーしていたなか、ナポリ主将として故ディエゴ・マラドーナさん以来にスクデットのトロフィーを掲げるまでに登り詰め 2024.05.27 19:55 Mon

ナポリの関連記事

ナポリのアントニオ・コンテ監督が現チームについてを語った。 今季から指揮を執るコンテ監督のもと、セリエA首位で折り返しに成功し、その座をキープするナポリ。そんなチームの中心を張る選手の1人がジョージア代表MFクヴィチャ・クワラツヘリアだったが、この冬のタイミングで以前から紐づいたパリ・サンジェルマン(PSG)行き 2025.01.18 18:45 Sat
パリ・サンジェルマン(PSG)は17日、ナポリからジョージア代表FWクヴィチャ・クワラツヘリア(23)を完全移籍で獲得したことを発表した。契約期間は2029年6月30日までで、背番号は「7」を着用する。 なお、移籍金については明かされていないが、フランス『レキップ』は、7000万ユーロ(約112億8000万円)+ 2025.01.18 07:30 Sat
後半戦スタートとなった前節、ナポリがヴェローナに快勝し、首位を堅守。ウディネーゼに引き分けたアタランタをかわし、インテルが2位に浮上した。そしてミッドウィークに行われた第19節延期分ではインテルがボローニャに引き分け、アタランタはユベントスに引き分け、ナポリに迫りきれなかった。 迎える第21節、3位アタランタ(勝 2025.01.17 18:00 Fri
マンチェスター・ユナイテッドが、アルゼンチン代表FWアレハンドロ・ガルナチョ(20)を狙うナポリからのオファーを跳ね除けたようだ。イギリス『ミラー』が報じた。 ルベン・アモリム監督の下、ユナイテッドでのレギュラー争いに身を投じているガルナチョ。そんな中、ジョージア代表FWクヴィチャ・クワラツヘリア(23)の移籍が 2025.01.17 16:14 Fri
パリ・サンジェルマン(PSG)への移籍が迫るナポリのジョージア代表FWクヴィチャ・クワラツヘリア(23)が16日、自身のインスタグラムで別れのメッセージを投稿した。 既に退団希望をナポリに伝え、移籍金6500万ユーロ(約104億8000万円)から7000万ユーロ(約112億8000万円)の間での合意が迫る中、クワ 2025.01.17 11:30 Fri

セリエAの関連記事

ローマ節目の300試合目でチームを勝利に導いた元イタリア代表FWステファン・エル・シャーラウィが、改めてクラブへの愛情を語った。 ローマは17日、スタディオ・オリンピコで行われたセリエA第21節でジェノアと対戦し、3-1で快勝した。 勝ち点1差の中位対決に臨んだローマは前半から主導権を握り、FWアルテム・ド 2025.01.18 19:30 Sat
ナポリのアントニオ・コンテ監督が現チームについてを語った。 今季から指揮を執るコンテ監督のもと、セリエA首位で折り返しに成功し、その座をキープするナポリ。そんなチームの中心を張る選手の1人がジョージア代表MFクヴィチャ・クワラツヘリアだったが、この冬のタイミングで以前から紐づいたパリ・サンジェルマン(PSG)行き 2025.01.18 18:45 Sat
ミランのセルジオ・コンセイソン監督が大一番や補強についてコメントした。イタリア『TUTTOmercatoWEB』が伝えた。 コンセイソン監督就任後は後半で巻き返す逆転劇が続き、ここまで公式戦3勝1分けのミラン。18日に行われるセリエA第21節では、新体制初陣のスーペル・コッパ準決勝で対戦したユベントスと再び相まみ 2025.01.18 16:43 Sat
ユベントスのチアゴ・モッタ監督がチームの補強について語った。イタリア『TUTTOmercatoWEB』が伝えた。 セリエA無敗でシーズンを折り返したものの、勝ちきれない試合が多く5位につけているユベントス。1月の移籍市場ではすでにヴィトーリア・ギマランイスからポルトガル人DFアルベルト・コスタ(21)を獲得し、パ 2025.01.18 16:02 Sat
チェルシーのポルトガル代表FWジョアン・フェリックス(25)を巡り、ミランの動きだ。 今季就任のパウロ・フォンセカ前監督を切り、セルジオ・コンセイソン新監督のもとで再出発のミラン。今冬の補強も巻き返しの一手として取り沙汰され、マンチェスター・ユナイテッドのイングランド代表FWマーカス・ラッシュフォードや、マンチェ 2025.01.18 14:45 Sat

ディエゴ・マラドーナの人気記事ランキング

1

皇帝の逝去から一年。スーパーカップの冠名に決定/六川亨の日本サッカー見聞録

早いもので、西ドイツが生んだ偉大なフットボーラーであるフランツ・ベッケンバウアー氏が亡くなってから一年が経とうとしている(24年1月8日に逝去。78歳)。現役時代は「皇帝」のニックネームで尊敬を集め、守備だけでなく攻撃にも自由に参加する「リベロ」という概念を確立した。 W杯は66年イングランド大会で準優勝、70年メキシコ大会は3位、そして自国開催となった74年西ドイツ大会では母国に2度目となるトロフィーをもたらした。監督(肩書きはチームシェフ)として86年メキシコ大会こそディエゴ・マラドーナ率いるアルゼンチンに敗れて準優勝に甘んじたが、90年イタリア大会ではアルゼンチンに雪辱を果たし、選手と監督でW杯を制した2人目という偉業を達成した。 同じく選手と監督でW杯に優勝したブラジルの名将マリオ・ザガロ氏も24年1月5日にこの世を去り(享年92歳)、選手・監督でW杯に優勝したのはディディエ・デシャン1人になった。 さらに昨年10月6日には、西ドイツW杯決勝でベッケンバウアー氏と好勝負を演じたオランダのヨハン・ニースケン氏も逝去した(73歳)。西ドイツとの決勝戦での先制点、ゴール中央に強シュートを突き刺した衝撃は今でも忘れられない。彼のシュートは、それまで左右のスミを狙うのが常識だったPKに、新たな発想をもたらしたのではなだろうか(パネンカのチップキックによるPKも伝説だ)。 すでに2016年3月24日には、もう一人の“ヨハン”であるクライフ氏も亡くなっている。「トータルフットボール」の具現者として世界に衝撃を与えただけでなく、指導者としてバルセロナでは超攻撃的なスタイルを確立。現在のバルサの礎を築いたと言っても過言ではないだろう。彼の出現で背番号「14」は特別な番号になったはずだ。 そんなレジェンドの1人である「皇帝」の功績を称え、昨年12月20日、ドイツサッカーリーグ機構(DFL)は25~26シーズンからDFLスーパーカップの名称にフランツ・ベッケンバウアー氏の名前を冠することを発表した。 すでにバイエルン・ミュンヘンはベッケンバウアー氏の現役時代の背番号「5」を永久欠番にすると発表していた。それに続き、シーズン開幕前にブンデスリーガ優勝クラブとDFBポカール優勝クラブが激突する大会の名称が「フランツ・ベッケンバウアー・スーパーカップ」に変更されることになった。 かつてW杯のトロフィーは、ブラジルが70年メキシコ大会で3度目の優勝を果たし、永久保持するまでは、W杯の提唱者であるフランス人の「ジュール・リメ杯」と呼ばれていた(74年以降は特別な名称はない)。同じくEUROのトロフィーも提唱者であるフランス人の名前をとって「アンリ・ドロネー杯」と呼ばれていた。 しかし公式戦の名前に選手個人の名前が冠されるのは今回が初めてではないだろうか。近年の大会名にはネーミングライツ権を売ることで、企業の名前が冠されることが一般的になりつつある。そんななかで、今回のDFLの英断に拍手を送ると同時に、今年8月16日の大会では古巣バイエルンの復活にも期待したい。 文・六川亨 2025.01.04 11:00 Sat
2

【伝説のチーム】マラドーナ全盛期のナポリはどんなチーム?後に柏でプレーするFWカレカにゾラの名も

フットボール界のレジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏(60)が25日に急逝した。 10月30日に60歳の誕生日を迎えたばかりのマラドーナ氏だったが、その後に硬膜下血腫が見つかり緊急手術。無事に手術は成功していたが、この度心不全で帰らぬ人となった。 そのマラドーナ氏が全盛期を過ごし、チームに黄金期をもたらせたのがナポリだった。 現在はイタリア屈指の強豪として認知されているナポリだが、初めて歓喜の渦に包まれたのは1980年代後半だった。1984-1985シーズンにバルセロナからやってきたディエゴ・マラドーナによって、チームは数々のタイトルを獲得した。 マラドーナが中心のチームは、1986-87シーズンにセリエAとコッパ・イタリアの2冠に輝き、その後も優勝を争いながら、1988-89シーズンにはUEFAカップ(現EL)を獲得。そして、迎えた1989-90シーズンにクラブ史上2度目となるスクデットを手に入れることとなる。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/1989-90napoli.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;"><</div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:アルベルト・ビゴン(52) 獲得タイトル:セリエA 攻撃力9:★★★★★★★★★☆ 守備力8:★★★★★★★★☆☆ タレント7:★★★★★★☆☆☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層7:★★★★★★★☆☆☆</p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆マラドーナのチーム</div> 開幕から順調に勝ち点を積み重ねたナポリは、このシーズンにチャンピオンズリーグ2連覇を達成したミランやインテルと優勝争いを繰り広げた。後半戦ではそのミランとインテルとの直接対決に敗れたが、粘りを見せて最後の5試合で5連勝を達成。ミランを追い抜いて見事に優勝を決めた。 フットボールの世界では、絶大なる個の力を有する選手がそのチームの戦術となることがしばしばある。そして、この頃のナポリは、まさにマラドーナのチームだった。 そのマラドーナを支えるため、チロ・フェラーラを中心とした守備陣とフェルナンド・デ・ナポリなどの中盤の選手は守備に奔走した。ナポリは、当時のイタリア代表メンバーを中心にマラドーナを支える土台を固めていた。 攻撃は前線のトライアングルで形成した。自由を与えられたマラドーナは攻撃の全権を掌握。また、後に柏でプレーするブラジル代表FWカレカとイタリア代表FWアンドレア・カルネバーレの2トップがゴールを重ね、当時23歳のジャンフランコ・ゾラも存在感を示した。 “ナポリの王様”と評されたマラドーナは、イタリア随一の陽気な街に2度のスクデットをもたらした。数々の魅力的なプレーで観客を魅了し、自身が付けた10番が永久欠番になるほどサポーターから愛された。ただ、かねてからコカイン使用が疑われるなど、イタリアマフィアの巣窟であるナポリで麻薬に染まり、プロ選手としてのキャリアが終焉に向かっていった。 <div id="cws_ad">◆全盛期のマラドーナがナポリで見せたスーパーゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJRQkZwNEVQayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 2020.11.26 17:30 Thu
3

【マラドーナの思い出②】全盛期に来日したマラドーナ

ディエゴ・マラドーナは、「死んでもマラドーナだった」と言うべきだろうか。 現役時代はスーパープレーでファンを魅了しただけでなく、数々のスキャンダルも巻き起こした。そして埋葬される際にはファンを自称する葬儀屋のアルバイトが、親指を立てたツーショット写真を撮影してSNSにアップするという、とんでもない問題を引き起こした。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJRQkZwNEVQayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> さらには主治医が職務怠慢で死亡させたのではないかとの疑いから、捜査の対象になっているという。 CLを始めヨーロッパや南米のリーグでは試合前に黙祷を捧げてマラドーナの死を悼む一方、次から次にスキャンダラスな出来事が報じられる。これではマラドーナも落ち着いて永遠の眠りにつくことはできないだろう。と同時に、やはりマラドーナらしいと思わずにはいられなかった。 そんなマラドーナの全盛時代をアルゼンチン国民や南米のファンは見守り続けてきただろうが、彼らに次いでマラドーナの凄さを目の当たりにしたのが日本のファンと言っていいだろう。 1979年、日本で初めてワールドユース(現U-20W杯)が開催された。尾崎、水沼、風間、柱谷(兄)らを擁した日本は旧国立競技場でグループリーグ3試合を戦ったが、マラドーナ率いるアルゼンチンもグループリーグを大宮サッカー場(現NACK5スタジアム)で戦ったため、首都圏のファンは全試合を見ることが可能だった(ロメロ率いるパラグアイは神戸中央球技場=現ノエビアスタジアム、ルベン・パスのウルグアイは三ツ沢球技場=現ニッパツ三ツ沢)。 18歳当時のマラドーナを毎日新聞運動部の記者は「まるでゴムまりのようだ」と表現した。「しなやかでいて軽やか」に、そして弾むようにマーカーを次々と抜き去っていくプレーはまさに「ゴムまり」だった。 後年、マラドーナの自伝ビデオで10歳前後のプレーを見たが、自陣ペナルティーエリアからドリブルを始め、1人で10人を抜き、最後はGKも抜いてゴールを決めた。ボールを持ったら相手を抜くことを苦にしない少年時代だったようだ。 初めての国際大会で初優勝を飾ったマラドーナはうれしそうにトロフィーを掲げた。得点王はチームメイトのラモン・ディアス。Jリーグ元年に横浜Mでプレーし、初代得点王に輝いたFWだ。そして160センチと小柄な右ウイングのオズバルド・エスクデロは、91-92年に三菱(現浦和)でプレーし、甥のエスクデロ競飛王(せるひお)は浦和で活躍するなど日本国籍を取得し、現在は栃木SCでプレーしている。 話をマラドーナに戻すと、ゼロックス・スーパー・サッカーで3度の来日を果たしている。いまでこそFUJI XEROX SUPER CUPはJ1リーグ王者と天皇杯覇者が激突する大会として1994年にスタートして定着したが、前身となるゼロックス・スーパー・サッカーは1979年に始まり、日本代表と世界の有名クラブとの対戦が目玉だった。 第1回大会(79年)はフランツ・ベッケンバウアーやヨハン・ニースケンスらを擁したニューヨーク・コスモスで、翌80年はワシントン・ディプロマッツと北米リーグのチームが2年連続して来日したが、ディプロマッツではヨハン・クライフが初来日して日本ファンの前でプレーした。そして82年1月がボカ・ジュニアーズだった。 スペインW杯が開催される5ヶ月前であり初来日から3年後、まさに全盛期での来日だった。6月にはバルセロナへと移籍したため、この試合を見られた日本ファンはまさに僥倖と言えただろう。試合は国立競技場で2試合(1-1、1-0)、神戸中央で1試合(3-2)の計3試合を戦い、マラドーナは3ゴールを決めた。 神戸では、右からのグラウンダーのクロスに対し、ニアサイドに走り込みながらラボーナでゴールを決めた。 マークしていた都並さんによると、敵がドリブルしてきたら、いつもなら間合いを詰めつつ等間隔、同じスピードで下がりながら、味方がカバーに入る時間を稼ぐようにしていた。いわゆる「ディレイ」というプレーだ。しかしマラドーナのドリブルは通常の選手と違ってかなりのハイスピードだったため、ディレイそのものが間に合わなかったそうだ。 さらに都並さんは1対1で守る際はドリブラーの保持するボールではなく、相手の目を見て次のプレー、ドリブルのコースを予測していた。しかし「マラドーナは目線でもフェイントをかけてきた」ため逆を取られたと述懐していた。 その後マラドーナはメキシコW杯後の87年1月には南米選抜のキャプテンとして来日し(監督はビラルド)、JSL(日本リーグ)選抜と対戦。JSL選抜は西ドイツから帰国した奥寺や、まだブラジル国籍だったラモス瑠偉らがいたため日本代表よりも豪華な顔ぶれだった。 そして4度目の来日となったのが88年8月のゼロックス・スーパー・サッカーだった。ナポリでセリエA初優勝(86-87年)と得点王(87―88年)を獲得するなど、まさに絶頂期での来日だった。 チームメイトにはチロ・フェラーラ、デ・ナポリ、アレモン、カレッカなど代表クラスが揃う豪華メンバーで、日本代表とのたった1試合だけの“真夏の夜の夢"でもあった(2-0でナポリの勝利)。 マラドーナといえば、履いているサッカーシューズはワールドユース時代からプーマ一筋。そしてヒモの結び方も独特だった。足の甲で交差するヒモがシューズより表に出ないよう工夫されていた。これも微妙なボールタッチを優先するためだったのだろうか。機会があったらシューズにも注目して欲しい。 【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.12.01 19:55 Tue
4

「僕はサッカー界のマヌと言われるべき」メッシが殿堂入りした母国のNBAスター・ジノビリを祝福し驚き広がる

パリ・サンジェルマン(PSG)のアルゼンチン代表FWリオネル・メッシの発言が大きな話題となっている。 アルゼンチン人の元プロバスケットボール選手であるマヌ・ジノビリ(45)は、2022年9月10日にバスケットボール殿堂入りを果たした。 誰もが知るマイケル・ジョーダンや不慮の事故で他界したコービー・ブライアントら、歴代の一流選手が名を連ねるバスケットボール殿堂。10日に2022年の殿堂入り選手が発表されていた。 ジノビリはイタリアのセリエAでキャリアをスタート。ボローニャではユーロリーグを制し、MVPを受賞し、2008年にはユーロリーグ史上の偉大な50人の貢献者の1人に撰ばれていた。 2002-03シーズンにNBAのサンアントニオ・スパーズに移籍しデビュー。そこから16年間プレーし、2018年に現役を引退。現在はスペシャルアドバイザーを務めている。 フランチャイズ・プレイヤーとして活躍したジノビリは、NBAファイナルで4度の優勝を経験。また、アルゼンチン代表として2004年のアテネ・オリンピックで金メダルを獲得しMVPに選ばれると、2008年の北京オリンピックでは銅メダルを獲得。ユーロリーグ、NBAファイナル、オリンピック金メダルを経験した2人目の選手となっていた。 そのジノビリだが、優れたボディバランスで繰り広げるドリブルが得意で、その動きはメッシに例えられることがしばしばあった。 すると、今回の殿堂入りを知ったメッシが祝福のメッセージを送り、驚きを与えることとなった。 「ジャーナリストが『マヌはバスケットボール界のメッシだ』という言葉を聞くと、とても誇らしくなる」 「むしろ、僕はサッカー界のマヌと言われるべきだろう」 アルゼンチンを代表する世界的なアスリートの2人。レジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏もジノビリを高く評価しており、「サッカー界におけるメッシやロナウドのような“フェノーメノ(超常現象)”だ」と評価。アルゼンチン史上最高のアスリートかという質問にも「そうだと思う。もう1人、10番でプレーしていた選手が、彼の後を追っている」と、メッシが背中を追いかけているとしていた。 <span class="paragraph-title">【動画】メッシのように狭いコースを抜いていくドリブルも!ジノビリのプレー集!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr"><a href="https://twitter.com/hashtag/TBT?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#TBT</a> to <a href="https://twitter.com/manuginobili?ref_src=twsrc%5Etfw">@manuginobili</a> still delivering some magic at 40-years-old in his final season with the Silver &amp; Black<a href="https://twitter.com/hashtag/ManuHOF?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#ManuHOF</a> Enshrinement Ceremony - Sept 10 at 6pm CT on <a href="https://twitter.com/NBATV?ref_src=twsrc%5Etfw">@NBATV</a><a href="https://twitter.com/HEB?ref_src=twsrc%5Etfw">@HEB</a> | <a href="https://twitter.com/hashtag/22HoopClass?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#22HoopClass</a> <a href="https://t.co/dGcp6nGhxk">pic.twitter.com/dGcp6nGhxk</a></p>&mdash; San Antonio Spurs (@spurs) <a href="https://twitter.com/spurs/status/1567977449459179520?ref_src=twsrc%5Etfw">September 8, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.09.12 12:33 Mon

ナポリの人気記事ランキング

1

ナポリが中盤バックアッパー確保! プレミアから大型ボックス・トゥ・ボックスMF加入へ

ナポリがボーンマスの元デンマーク代表MFフィリップ・ビリング(28)の獲得を決定的なモノにしたようだ。 移籍市場に精通するジャーナリストのファブリツィオ・ロマーノ氏によれば、両クラブは900~1000万ユーロ(約14億6000~16億3000万円)の買い取りオプション付きの半年間レンタルで合意。この間の給与全額をセリエAクラブが支払うことになるという。 2013年にエスビャウの下部組織からハダースフィールドに加入したビリングは、2014年4月にハダースフィールドでプロデビュー。その後、クラブのチャンピオンシップ降格に伴い、2019年にボーンマスへ完全移籍した。 190cm超えの推進力が売りのボックス・トゥ・ボックスは、加入から4シーズンはチェリーズの絶対的な主力に君臨。しかし、アンドニ・イラオラ監督の就任後は中盤のバックアッパーに序列が低下。今シーズンはプレミアリーグで10試合に出場も、先発出場はわずか1試合のみとなっている。 一方、ナポリではイタリア代表MFマイケル・フォロルンショ(26)の今冬放出が濃厚となっており、中盤のバックアッパーを探していた。そんななか、スコットランド代表MFスコット・マクトミネイに似たプロフィールを持つ元デンマーク代表Mの獲得にこぎ着けたようだ。 2025.01.10 16:30 Fri
2

ナポリで構想外の伊代表MFがフィオレンティーナ移籍! 買取OP付レンタルに

フィオレンティーナは11日、ナポリからイタリア代表MFマイケル・フォロルンショ(26)を買い取りオプション付きの今シーズン終了までのレンタル移籍で獲得したことを発表した。背番号は「90」に決定している。 ローマで生まれたフォロルンショは、ラツィオの下部組織出身。2017年7月にフランカヴィッラへ移籍すると、2019年7月にナポリへと完全移籍で加入した。 ナポリ加入後はバーリやレッジーナ、ポルデノーネといった国内下部カテゴリーへの武者修行を繰り返しており、2023-24シーズンはヴェローナへレンタル移籍。自身初のセリエAとなったヴェローナでは、攻撃的MFを主戦場にセントラルMFや守備的MFでもプレーすると、セリエAで34試合に出場し5ゴール1アシストを記録。 また、2024年3月にイタリア代表に初招集されると、6月9日のボルニア・ヘルツェゴビナ戦でデビュー。今夏に行われたユーロ2024にもイタリア代表として参加し、グループステージ1試合に出場していた。 そういった活躍もあり、昨夏には2029年までの新契約にサイン。しかし、アントニオ・コンテ新監督の下では信頼を得られず。ここまでセリエA6試合に出場していたが、いずれも後半終盤の短いプレータイムとなっていた。 なお、ナポリはフォロルンショに代わる中盤のバックアッパーとして、ボーンマスのデンマーク代表MFフィリップ・ビリング(28)の獲得を決定的なモノにしている。 2025.01.11 22:05 Sat
3

PSGやリバプールから関心のクワラツヘリア、コンテ監督に退団の意思を明言

パリ・サンジェルマン(PSG)やリバプールが獲得に迫っているナポリのジョージア代表FWクヴィチャ・クワラツヘリア(23)が、アントニオ・コンテ監督に退団の意思を伝えた。 12日に行われるセリエA第20節ヴェローナ戦前日会見に臨んだコンテ監督は、残留を願いながらも退団する決意を固めたクワラツヘリアに失望している。 「彼は言葉を濁さず、クラブに自分を売却をするよう要請したと私に伝えてきた。個人的に非常に残念だ。なぜならこの6カ月、クヴィチャにはプロジェクトの中心に居ると感じてもらうよう努め、彼と協力して何か素晴らしいことを成し遂げられることを示し、クラブと契約更新に向けて努力してきたからだ」 「私にとっては大きな失望だ。今日、私は一歩後退しなければならない。移籍を望む選手を縛り付けておくことはできない。私は夏以降、解決策を見つけるために全ての関係者を説得するために6カ月動いていた。このニュースが突然の出来事だったことは承知しているが、今は一歩引いてクラブと彼の代理人が状況を解決するのを待ちたい。クヴィチャはヴェローナ戦でプレーしない。重要な選手を失うことになるが、今はヴェローナ戦に集中しよう」 移籍市場に精通するジャーナリストのファブリツィオ・ロマーノ氏ら複数メディアによると、PSGとナポリは8000万ユーロ(約130億円)前後の金額での交渉を行っており、選手サイドとはナポリで受け取る現行給与の4倍近くの好条件を掲示されているようだ。 2025.01.12 10:20 Sun
4

トルコで士気ゼロ&構想外の31歳ツィエク、クヴァラ売却へ向かうナポリの視界に入ったか ガルナチョらと後釜候補に

モロッコ代表MFハキム・ツィエク(31)がナポリの視界に入ったようだ。複数のイタリア紙が伝える。 アヤックスで名を上げてチェルシーへ移籍、22年W杯ではモロッコの4強入りに貢献したツィエク。チェルシー時代は評価が安定せずも、間違いなく当代有数の左利きアタッカーである。 23-24シーズンにチェルシーからガラタサライへレンタル移籍すると、今季は完全移籍に移行。しかし、監督との関係悪化などからモチベーションが極端に低下し、昨年12月2日を最後に出場がない。事実上の構想外だ。 そんななか、ナポリはジョージア代表FWクヴィチャ・クワラツヘリアのパリ・サンジェルマン(PSG)移籍が限りなく濃厚となり、ここ1〜2日で複数の後釜候補をリストアップ。 アレハンドロ・ガルナチョ(マンチェスター・U)、フェデリコ・キエーザ(リバプール)、ガレーノ(ポルト)、エドン・シェグロヴァ(リール)と並んでツィエクも視界に入れたそうだ。 ツィエクは昨秋、ガラタサライのオカン・バラク監督について「あんなに下手なコーチを見たことがない」と言い放ち、「もう何も求めない。僕は自分がやりたいことをする」とも。 チームがトルコ1部首位と好調で、ツィエクの居場所などすでにないが、今後の動向やいかに。 2025.01.14 19:20 Tue
5

クワラツヘリアのPSG移籍が今週半ばにも決定か、移籍金は100億円超えの模様

パリ・サンジェルマン(PSG)が今週半ばにもナポリのジョージア代表FWクヴィチャ・クワラツヘリア(23)を獲得する可能性が高まっているようだ。フランス『レキップ』が報じている。 11日にナポリを率いるアントニオ・コンテ監督がクワラツヘリアの退団希望を明かしていた中、12日に行われたセリエA第20節ヴェローナ戦では招集外となったクワラツヘリア。 『レキップ』によると今週半ばにも移籍金6500万ユーロ(約104億8000万円)から7000万ユーロ(約112億8000万円)の間でPSGとナポリが合意に達すると報じている。 無名の存在だった中、2022年夏にディナモ・バトゥミからナポリに加入したクワラツヘリアは公式戦107試合30ゴール29アシストを記録。移籍初年度の2022-23シーズンにはナポリを33季ぶりのスクデットに導いていた。今季もここまでセリエA17試合5ゴール3アシストを記録し、首位に立つナポリを牽引していた。 一方、PSGではフランス代表FWランダル・コロ・ムアニ(26)がユベントス、ドルトムントへの移籍が報じられている。 2025.01.13 12:00 Mon