ルディ・ガルシア
Rudi GARCIA
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
フランス
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| 生年月日 | 1964年02月20日(61歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | 監督データ |
ルディ・ガルシアのニュース一覧
ベルギー代表のニュース一覧
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「思い出すのはサッリ」 ナポリの象徴ハムシク、母国で歩み始めた指導者人生を語る 「400人の子どもたちに…」
元スロバキア代表MFマレク・ハムシク氏が歩み出したばかりの指導者キャリアについて語った。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 6月に現役を退いたハムシク氏。今やセリエA王者となったナポリで通算520試合出場および121ゴール103アシストという数字を積み上げた36歳は現在、RSCハムシク・アカデミーという自身の名を冠した母国スロバキアの3部リーグクラブでオーナー兼育成コーチとして新たな人生を歩み出している。 そんなハムシク氏の選手キャリアにおけるピークはもちろんナポリ時代。11年半の在籍期間中に6人の指揮官と共闘した元キャプテンだが、イタリア『コリエレ・デッロ・スポルト』のインタビューでは、やはりマウリツィオ・サッリ監督の印象が今も色濃く残っていると語った。 「私はサッリの副官のようだった。チャレンジングなフットボールを志向する彼は、私たち選手にどんなことでも時間を割いて説明してくれた。誰しも時折、『なぜこれが必要なんだ?』と考えることがあるだろう? 私はコーチとして選手にコンセプトを上手く伝えたい…思い出すのはサッリだ」 ハムシク氏は19歳以下の選手への指導が認められるUEFAライセンスを保有しているものの、指導者キャリアは始まったばかり。「私の元に400人の子どもたちがいるんだ。その全員に私の経験を提供したい。けど、与えるには受け取る柔軟性が必要だ。私自身が学びを続けているよ」 スロバキアの子どもたちへの指導について語った一方、同胞の後輩MFスタニスラブ・ロボツカがチームの要に君臨する古巣ナポリの話にも花を咲かせた。 「インテルがとても良いスタートを切ったね。さすがはチャンピオンズリーグ(CL)のファイナリストだ。安定感が光る彼らはナポリからスクデットを取り戻そうとしているだろう。ミランとユベントスのことも忘れてはならない」 「だが、ルディ・ガルシア(監督)とクヴィチャ・クワラツヘリアは10年先を行く資質の持ち主だ。他の選手たちも高い能力を兼ね備えている。ロボツカも、彼がフットボーラーとして、人として、どれほどの価値がある存在か私は知っていた。私の推薦は間違っていなかっただろう?(笑)」 2023.09.05 17:32 Tue2
リヨン監督辞任のルディ・ガルシアがジュニーニョSDとの軋轢を告白
先日にリヨンの監督を退任したルディ・ガルシア氏が、スポーツ・ディレクター(SD)のジュニーニョ氏と不和が生じていたことを明らかにした。 2019年10月に就任し、同シーズンにチャンピオンズリーグ、クープ・ドゥ・フランス、クープ・ドゥ・ラ・リーグの3つのコンペティションでいずれも準決勝まで進むなどの実績を残したルディ・ガルシア氏。今季も終盤まで優勝戦線に絡んでいたが、最終節の敗戦により、チャンピオンズリーグ出場圏外の4位フィニッシュ。フランス人指揮官も去り際に「無念」の言葉を残していた。 そんな中、フランス『レキップ』のインタビューを受けたルディ・ガルシア氏は、辞任の理由についてCL出場権を逃したことは一つとしながらも、ジュニーニョSDとの関係悪化も影響したとして、その経緯を赤裸々に告白した。 「最初はうまくいっていた。しかし、気付かぬ間におかしな方向へ進んでしまっていたのだ。11月に2、3回勝利した後、スポーツ・ディレクターはもはや私を祝福などしてくれなかった。彼はブラジルの選手がプレーしていないと不満だったようだ」 「彼は自分が連れてきた選手で勝ちたかったのだ。多くの投資を行い、それも資質ではあるかもしれないが、勝手に選手たちに先発を約束していたのだろう」 「それから我々は話し合い、彼は私に押し付けることはしないと約束した。それでも、(マクサンス・)カクレの様な若手の台頭を遅らせることになった。ジュニの意見ではジャン・ルーカスの方が良いというものだった。問題はそこから始まったのだろう」 「冬のブレイクに入って私はヴァンサン・ポンソ(ジェネラル・ディレクター)に会いに行き、『どうなってるんだ?ジュニは何をしようとしている!? このままではダメだ。もし彼が望むなら、私は鍵を置いていく』と言った」 「辞めなければならないとしたら辞めていただろう。だが、このクラブは私に最適なクラブだった。その質問をしたところ、ヴァンサンは『ノー』と答えた。だが、すでに難しい状況になってしまっていた。12月にはタイトルレースをしていたのに…」 「しかし、彼(ジュニーニョ)はもはや誰に対しても怒りをぶつけていて、ブルーノ・シェイル(採用責任者)のことは敵とみなしていたのかもしれない。9月にはヴァンサン・ポンソにもね。私が仲裁に入ったりなんかもしたよ。何とか怒りを抑えようとね」 コメントのように、ジュニーニョSDとは選手の起用法を巡って食い違いもあったようだ。ルディ・ガルシア氏は「彼には客観性と平等性が欠けている」と、批判を強めた。 「第16節の頃、ジュニはジャン・ルーカスが年内にブラジルで2試合行うことを決めた。彼は『ジャン・ルーカスは十分にプレーできていない。カクレが代わりにプレーしている』などと言ってきたよ」 「しかし、その時は中盤の選手が不足していて、ジャン・ルーカスを起用しないことを望んだわけではなかった。ジャン=ミシェル・オラス会長が取り持ってくれたが、ジュニは私に何も言わずに彼をブラジルに送った」 「私はそんな事態に直面していた。彼は私に隠れて何かをしたり、選手と勝手に話したり、ジャン・ルーカスのような特定の選手が監督を批判することを許してしまっている。彼には客観性と平等な扱いが欠けているのだ」 それでも同氏はジュニーニョSDの今後の成功を祈っているようだ。 「ジュニはクラブのアイドルで、素晴らしい選手だった。そして素晴らしいディレクターになってほしいと思っている。私はジュニを追い出すような男になるつもりは無かった。これらは私のスポーツ的決断だった。すべてが正しかったとは言わない」 2021.05.26 17:24 Wed3
「ナポリが優勝するのを見るため去る必要があった」、クリバリが8年過ごした古巣への思い語る
セネガル代表DFカリドゥ・クリバリが、昨シーズンまで8年間を過ごしたナポリへの思いを語った。『フットボール・イタリア』が伝えている。 昨夏に8年間在籍したナポリを離れ、チェルシーへと移籍したクリバリ。加入時はセリエA最高峰のセンターバックとして大きな期待を集めたが、初挑戦のプレミアリーグへの適応の難しさ、2度に渡る指揮官交代の影響もあって、期待されていたほどの存在感を発揮することができず。25日には、サウジアラビアのアル・ヒラル移籍が公式に発表された。 2シーズン連続での移籍という大きな決断を下したクリバリは、現在夏季休暇を過ごすためにナポリに帰還。そして、イタリア『コリエレ・デッロ・スポルト』のロングインタビューで、今季33年ぶりのスクデット獲得を果たした古巣への思いを語った。 「(ナポリの)スクデット獲得は本当に嬉しい。僕は優勝するために何年も戦ってきたし、もし僕がナポリに残っていたら優勝を経験することができただろうとみんなが言ってくる。だけど、僕は運命を信じている。こうなることはあらかじめ決まっていて、僕はナポリが優勝するのを見るために去らなければならなかったんだ」 「ナポリには、イタリアとチャンピオンズリーグで偉大な未来を築く資格がある。ナポリの選手たちは歴史を作ったし、もし再びタイトルを獲得すれば、それは完全な偉業となる」 「誰にでもそれぞれの歴史や人生があるけど、彼らはナポリで歴史を作ったのだから、このまま去るわけにはいかない。僕は彼らが残ること、少なくとも全員が去らないことを願うよ」 ナポリの後輩たちの残留を願うクリバリだが、バイエルン移籍が有力視されている韓国代表DFキム・ミンジェや、移籍の噂が絶えないナイジェリア代表FWビクター・オシムヘンについては、ステップアップもやむなしと考えているようだ。 昨夏、自身の後釜としてフェネルバフチェから加入し、奇しくも自身が昨夏まで住んでいた家に移り住んだ韓国代表について質問を受けると、「あの壁(自宅があった海岸線)には素晴らしいディフェンダー(自身とキム)がいたね」と、まずはジョークで返答。 一方で、「最近のサッカー界は展開が速く、オファーやチャンスも多い。昔とは違うんだ。僕は8年間ナポリにいた。キムは1年で歴史を作ったし、彼が去るのは残念だけど、これがサッカーだ。何が起こるかは誰にもわからない」と、1年での退団に理解を示した。 一方、2年間共闘し、今でも連絡を取るオシムヘンに関しては、求められれば先輩として助言を行う準備はあるものの、あくまで自分の意見を貫くべきだと語っている。 「僕らは時々話をしている。そして、彼が必要なら連絡してくるんじゃないかな」 「ビクターは世界最高峰の選手であり、重要な選手だ。(元ナポリ指揮官の)ジェンナーロ・ガットゥーゾは彼を助け、(ここ2年のナポリ指揮官)ルチアーノ・スパレッティとの出会いは彼にとっての転機となった。そして今は誰も必要としていない。彼は誰の言うことも聞かず、自由に選択しなければならない。それが後悔しない唯一の方法だ」 最後に、クリバリはルチアーノ・スパレッティ監督の退任に伴い、かつてローマを率いたルディ・ガルシア新監督を招へいした新生パルテノペイへエールを送った。 「ナポリは大差でセリエAのタイトルを獲得したし、間違いなく優勝候補だ。だけど、すべての対戦相手が彼らを警戒し、誰もが新戦力との契約を結ぶ」 「セリエAは進歩しているし、ヨーロッパのファイナリスト3クラブ(インテル、ローマ、フィオレンティーナ)はそれを示した」 「監督交代は時間を必要とするけど、ルディ・ガルシアはイタリアリーグをよく知っている。これは彼にとって大きな挑戦であり、たとえすべてが市場次第だったとしても、彼は素晴らしいことを成し遂げることができるはずさ」 2023.06.27 22:41 Tue4
ナポリが監督交代!今夏就任のガルシア監督を解任しマッツァーリ氏を新監督に招へい!
ナポリは14日、ルディ・ガルシア監督(59)の解任及びワルテル・マッツァーリ氏(62)の新監督招へいを発表した。契約期間は2024年6月30日までとなる。 なお、契約延長オプションは付随しておらず、今季の成績に応じてシーズン終了後に契約更新の可能性を検討する権利を保持しているという。 ルチアーノ・スパレッティ監督(現:イタリア代表)が率いてスクデットに輝いた昨シーズンが別格だったナポリ。契約を巡ってデ・ラウレンティス会長に不信感を募らせた同監督が退任し、今季からルディ・ガルシア監督を招へいした。 しかし、今季は開幕から調子が上がらず、セリエA第12節を終え、かろうじてチャンピオンズリーグ(CL)圏内の4位につけるが、首位インテルとは勝ち点「10」差。12日には降格圏のエンポリにホームでまさかの敗戦を喫しており、解任は時間の問題とされていた。 後任監督に選ばれたマッツァーリ氏は、これまでレッジーナ、サンプドリア、インテル、ワトフォードなどの指揮官を歴任。[3-4-3]や[3-5-2]をメインシステムに多くのクラブで確かな実績を残してきたイタリア屈指の経験豊富な指導者で直近は2021年9月から2022年5月までカリアリの指揮官を務めていた。 また、同氏は2009年10月から2013年5月までナポリの監督を歴任した経験をもっており、復帰が決まれば約10年ぶりの帰還となる。 2023.11.15 01:02 Wed5
「なんでも首を突っ込んでくる」ナポリの曲者会長に元指揮官が嫌悪感…解任に今なお納得せず「ベターだったのは私だ」
ベルギー代表のルディ・ガルシア新監督が、古巣ナポリの曲者会長に対して嫌悪感を示す。 1月にベルギー代表指揮官への就任が発表されたルディ・ガルシア氏。氏は23-24シーズン前半にナポリを率いて以来の現場復帰である。 ナポリ時代は前年度スクデットのチームを掌握しきれず、サッカー面ではDFキム・ミンジェ(現バイエルン)の抜けた穴が埋まらず失点増。就任から5カ月で解任の憂き目に遭うことに。 どうやらベルギー代表指揮官となったことで、ナポリとの間で残っていた自身の肖像権諸々が終了。フランス『レキップ』に語ったところによると「守秘義務がなくなった」という。 それを契機に、ナポリのアウレリオ・デ・ラウレンティス会長を非難した。 「結局、私はナポリを(解任時点で)セリエA4位にとどめていたじゃないか。それが最終的には、私の後任となった2人を経て10位だ。私の全てが正しかったとは言わないが、ベターだったのは私だ。あの会長のミスを表している」 「私はナポリの全てが好きだった。街、スタジアム、ファン、チーム…なんでも首を突っ込んでくるあの会長以外全てが本当に好きだった」 2025.02.28 17:08 Friルディ・ガルシアの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2025年1月24日 |
ベルギー |
監督 |
| 2023年7月1日 | 2023年11月14日 |
ナポリ |
監督 |
| 2022年7月1日 | 2023年4月12日 |
アル・ナスル |
監督 |
| 2019年10月14日 | 2021年5月24日 |
リヨン |
監督 |
| 2016年10月20日 | 2019年6月30日 |
マルセイユ |
監督 |
| 2013年7月1日 | 2016年1月13日 |
ローマ |
監督 |
| 2008年7月1日 | 2013年6月30日 |
リール |
監督 |
| 2007年7月1日 | 2008年6月30日 |
Le Mans UC 72 |
監督 |
| 2002年7月1日 | 2007年6月30日 |
ディジョン |
監督 |
| 2001年1月5日 | 2001年6月30日 |
サンテチェンヌ |
監督 |
| 1999年7月1日 | 2001年1月4日 |
サンテチェンヌ |
アシスタントコーチ |
| 1998年7月1日 | 1999年6月30日 |
サンテチェンヌ |
コーチ |
| 1996年7月1日 | 1998年6月30日 |
AS Corbeil-Essonnes |
監督 |
| 1994年7月1日 | 1996年6月30日 |
AS Corbeil-Essonnes |
ユースコーチ |

フランス
ナポリ
アル・ナスル
リヨン
マルセイユ
ローマ
リール
Le Mans UC 72
ディジョン
サンテチェンヌ