イタリア

結果
開催日時 ホーム スコア アウェイ
2020.11.18
28:45
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ1
第6節
ボスニア・ヘルツェゴビナ 0 - 2 イタリア
2020.11.15
28:45
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ1
第5節
イタリア 2 - 0 ポーランド
2020.10.14
27:45
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ1
第4節
イタリア 1 - 1 オランダ
2020.10.11
27:45
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ1
第3節
ポーランド 0 - 0 イタリア
2020.09.07
27:45
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ1
第2節
オランダ 0 - 1 イタリア
基本データ

正式名称:イタリア代表

原語表記:Italy

ホームタウン:ローマ

チームカラー:青

関連ニュース
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マンチーニ監督、2022年カタールW杯後の退任を明言

イタリア代表を率いるロベルト・マンチーニ監督が2日、2022年カタール・ワールドカップ(W杯)終了後に代表監督の座を退くと明言した。イタリア『tiki taka』に語っている。 2018年5月にイタリア代表指揮官に就任したマンチーニ監督は、ユーロ2020の予選では10戦全勝で本戦への出場権を獲得した。また、UEFAネーションズリーグ2020-21ではオランダ代表やポーランド代表が同居した中、グループ首位で準決勝まで勝ち上がっている。 2018年ロシア・ワールドカップ出場を逃す失態を犯したイタリアを立て直したマンチーニ監督はカタールW杯後、クラブチームの指導者に戻ることを希望しているとのことだ。 なお、後任候補としてマンチーニ監督はマッシミリアーノ・アッレグリ氏(元ユベントス)、カルロ・アンチェロッティ氏(現エバートン)、ジャン・ピエロ・ガスペリーニ氏(現ジェノア)の3名を予想に挙げていた。 2021.02.03 00:00 Wed
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マラドーナに続きロッシまで/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグは16日にJ1とJ2の最終節(19日と20日)前の試合を開催し、記録の更新も含めてACL出場チームやJ1昇格チームが決まった。 記録では、川崎F対浦和戦で興梠がPKから浦和の先制点を決めた。これで興梠はJ1記録を更新する9年連続2桁得点をマーク。J1歴代最多得点でも中山雅史と並ぶ157の3位で、2位・佐藤寿人の161も視野に入ってきた。 試合はリーグ優勝を決めている川崎Fが後半の3ゴールであっさり逆転。2点目を決めた三笘は通算13得点で、大卒ルーキーの最多得点記録を持つ渡邊千真(当時は横浜FM)と武藤嘉紀(同FC東京)に並び、最終戦で記録の更新に挑む。 そして2位のG大阪が横浜FCに2-0と勝ち、4位のC大阪が鳥栖に1-2で敗れたため、1試合を残してG大阪の2位が確定した。G大阪は27日から始まる天皇杯準決勝と来シーズンのACLの出場権を獲得した。 J1リーグの上位3チームに与えられるACLの出場権は、3位の名古屋、4位のC大阪、5位の鹿島の3チームによる争いに絞られた。しかしながら天皇杯の出場チームがJ1の1位と2位のため、ACLの出場権は天皇杯ではなくリーグ戦の4位まで枠は広がるはずだ。このため最終戦でのC大阪(勝点59)対鹿島(同58)の直接対決は痺れる試合になるだろう。3位の名古屋は勝点60のため、鹿島は勝つしかACLの道は開けない。 Jリーグの詳しい総括については別の機会に譲るとして、年末は悲報が相次いだ。マラドーナの訃報に続き、12月9日には元イタリア代表FWのロッシが肺がんのため64歳でこの世を去った。 パオロ・ロッシがW杯にデビューしたのは1978年のアルゼンチン大会だった。同大会ではブラジルのジーコ、フランスのプラティニらがデビューしたものの、その後ロッシの名前が日本のサッカー雑誌に載ることはほとんどなかった。 それというのもペルージャ在籍時代の80年に、八百長に連座したとの疑いから3年間の出場停止処分を受けたからだ。 幸か不幸かロッシの出場停止処分は2年に軽減され、82年の4月にはスペインW杯の最終メンバーにエンツォ・ベアルゾット監督はロッシを加えた。まず日本では、八百長事件に連座した選手を代表に加えることは100%ないだろう。さらに2年間の出場停止ということで、実戦からも遠ざかっている。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ4VnRoaUF2SCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 当然イタリア国内でもベアルゾット監督に対する批判は凄まじいものがあった。ただ、エースはあくまでもベテランのロベルト・ベッテガであり、ロッシはサブという扱いだったこと。そして、イタリア国民の大多数が母国の活躍をほとんど期待していなかったことが幸いしたのではないだろうか。 優勝候補の筆頭はブラジルだった。なにしろ前年5月に行った長期にわたるヨーロッパ遠征では敵地にもかかわらずイングランド、西ドイツ、フランスを撃破。偶然にもテレビ中継していたイングランド対ブラジル戦を見たが、前後半ともブラジルのワンサイドゲーム。というか、ほとんどイングランド陣内でのハーフコートマッチだった。いくらテストマッチとはいえ、ここまでヨーロッパの強豪を圧倒するチームを見たのは初めてだった。 変幻自在の中盤、「クワトロ・ジ・オーロ(黄金の4人)」と言われたジーコやファルカンらが織りなすゲームメイクはまさに圧巻ものだった。 そんなブラジルの対抗馬は前回優勝国で、新たにマラドーナやディアスらを加えたアルゼンチン。そしてヨーロッパ勢では西ドイツと、キャプテンになったプラティニとジレス、ティガナら中盤のタレントから「4銃士」と呼ばれたフランスだった。 イタリアは……34年と38年に優勝したが、それははるか大昔のこと。70年メキシコ大会こそ決勝に勝ち進んだが、その前後の66年イングランド大会と74年西ドイツ大会は1次リーグで敗退と、蓋をあけてみないとわからないのがイタリアだった。 案の定イタリアはスペイン大会の1次リーグを過去の実績からシードされながら3引き分けのスタート。総得点でカメルーンをかわして2次リーグに進んだ。ところが2次リーグでは、ブラジルとアルゼンチンと同居したため「草刈場になる」という大方の予想を大きく裏切る活躍を見せた。 アルゼンチンに2-1の勝利を収めると、ブラジル戦ではロッシがハットトリックの爆発で3-2と競り勝ちブラジルに引導を渡したのだ。この試合は両チームともほとんどミスのない、いまで言うアクチュアル・プレーイングタイムの長い、W杯史に残る好ゲームと言える。 南米2強を倒して勢いに乗ったイタリアは、準決勝のポーランド戦でもロッシの2ゴールで勝ち上がると、決勝の西ドイツ戦でもロッシの先制点から3-1の勝利を収め、実に44年ぶりとなる3度目のW杯制覇を果たしたのだった。 このときの教訓から、W杯でのイタリアは1次リーグでは「死んだふり」をするとか、1次リーグのイタリアは「当てにならない」とも言われるようになった。 そしてロッシは得点王とMVPを獲得し、「バンビーノ・デル・オロ(黄金の子供)」と称えられた。同年にはバロンドールも受賞してピークを迎えたロッシだったが、代表でのキャリアで輝いたのはこのスペインW杯だけだった。 このロッシと、90年イタリア大会で得点王を獲得したスキラッチは「ごっつぁんゴール」を得意とする選手の代名詞と思われがちだが、けしてこぼれ球だけを得意とする選手ではなかった。ブラジル戦での1点目、攻撃的左SBカブリーニからのクロスをファーサイドで、ヘッドで決めたゴールはポジショニングの巧みさ、後にディエゴ・フォルランも得意とした「アザーサイドへ流れる」動きからのゴールである。 2点目はトニーニョ・セレーゾの横パスをカットして、自らドリブルで持ち込むと豪快なミドルで決めた。そして3点目は右CKのクリアから味方のミドルシュートをゴール前で反応してコースを変えたように、違ったパターンからハットトリックを達成している。 この3ゴールからわかることは、ロッシはストライカーとして多彩な得点パターンを持っているということだ。82年の夏に「一瞬の輝き」を残したロッシは、イタリアに3回目のW杯優勝という偉業をもたらして64歳の生涯を閉じた。 記録に残る選手ではないが、同時代を過ごしたファン・サポーターにとっては記憶に残る選手であることに間違いはない。 余談だが、今回の原稿を書く際に参考資料として当時のダイジェストの増刊号を見返した。するとユーゴスラビアの選手紹介ページで、昨夏ナントへ移籍したパワフルなCFとして若き日のハリルホジッチが写真付きで掲載されていた。なかなか甘いマスクのハンサムな選手だった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/roku201219_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div> <div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.12.19 14:30 Sat
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デル・ピエロやデ・ロッシ、ヴィエリらがコーチングライセンス取得へ

イタリア代表やセリエAで活躍した錚々たる面々が、指導者ライセンス取得に動いているようだ。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』が報じた。 新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大の影響を受け、指導者ライセンスの取得に関してもオンラインでの授業が取り入れられている状況。UEFAのAライセンス取得に向けて、多くの元選手たちがオンラインのコースに参加した。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJnd1NQOWVSciIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 今回の受講者には、ユベントスのレジェンドであるアレッサンドロ・デル・ピエロ氏やローマのレジェンドであるダニエレ・デ・ロッシ氏、さらにはイタリア代表でも活躍したクリスティアン・ヴィエリ氏ら錚々たるメンバーが参加したとのことだ。 その他にも、近年引退したばかりのイグナツィオ・アバーテ氏やフェデリコ・バルザレッティ氏、リッカルド・モントリーボ氏なども参加。また、アレッサンドロ・マトリ氏やジャンパオロ・パッツィーニ氏、ダビド・ピサーロ氏なども出席していたようだ。 このUEFA Aライセンスは合計で210時間の授業を受ける必要があるとのこと。最終的には試験を受けて合格しなければならない。 なお、ライセンスが取得できた場合は、セリエCまでの全てのユースチームや女子チーム、男子チームで監督が務められるとのこと。また、セリエA、セリエBではアシスタントコーチとしては登録が可能になるようだ。 最近までピッチでプレーしていた元選手たち。指導者としてピッチサイドに立つ姿を見る日は、そう遠くなさそうだ。 ◆UEFA Aライセンス受講者 イグナツィオ・アバーテ フェデリコ・バルザレッティ ジャンルカ・クルチ アレッサンドロ・デル・ピエロ ダニエレ・デ・ロッシ ダニエレ・ガスタルデッロ マッシモ・マッカローネ アレッサンドロ・マトリ リッカルド・モントリーボ マルセロ・オテロ ジャンパオロ・パッツィーニ ダビド・ピサーロ ステファノ・トリージ クリスティアン・ヴィエリ 2020.12.18 23:20 Fri
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パオロ・ロッシ氏の葬儀中に強盗被害、自宅に戻った妻が発見

10日に64歳で他界したイタリアサッカー界のレジェンドであるパオロ・ロッシ氏だが、葬儀中に強盗被害に遭っていたことがわかった。イタリア『ANSA』が報じた。 ロッシ氏は、セリエAで214試合に出場し82ゴールを記録。ユベントス時代には、セリエAを2度、コッパ・イタリアを1度、ヨーロピアンカップ(現在のチャンピオンズリーグ)を1度制し、イタリア代表としては1982年のスペイン・ワールドカップに出場し、自身は6ゴールで得点王。イタリア代表を優勝に導く活躍を見せ、バロンドールも受賞していた。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ4VnRoaUF2SCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> そのロッシ氏の葬儀が12日にイタリア北東部ののヴィチェンツァでとり行われ、関係者は最後のお別れを行なった。 しかし、その葬儀の最中にロッシ氏の自宅に強盗が入っていたとのこと。妻のフェデリカ・カッペレッティさんが帰宅後に被害を確認したようだ。 盗まれた者には、ロッシ氏の時計などがあったとのことで、警察による捜査が行われているとのこと。犯人はまだ捕まっていない。 2020.12.13 16:30 Sun
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新型コロナが死因とされたパオロ・ロッシ氏、兄弟が報道を否定「彼は前日まで笑っていました」

10日に64歳で他界したパオロ・ロッシ氏だが、死因は新型コロナウイルス(COVID-19)ではなかったようだ。 現役時代はイタリア代表やユベントスなどで活躍し、セリエAで214試合に出場し82ゴールを記録したロッシ氏。ユベントス時代には、セリエAを2度、コッパ・イタリアを1度、ヨーロピアンカップ(現在のチャンピオンズリーグ)を1度制していた。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ4VnRoaUF2SCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> また、イタリア代表として1982年のスペイン・ワールドカップで優勝。2次リーグのブラジル代表戦ではトリプレッタ(イタリア語でハットトリック)の活躍を見せると、準決勝のポーランド代表戦で2ゴールを記録。決勝の西ドイツ代表戦でも1ゴールを記録し、大会得点王に輝くとともに、同年のバロンドールを受賞していた。 ロッシ氏の死因が当初明らかにされていなかったなか、一部では新型コロナウイルスで亡くなったと報道が出ていた中、兄弟であるロサーノ氏がそのことを否定。闘病していたものの、それを表に出さないようにしていたと苦労を明かした。 「彼は医者を信頼し、最大限の信頼を寄せていました。病気を克服するために、医者に対しても全力を尽くしていました。彼は家族の愛情をもって、私たちを助けてくれました」 「彼は今日にように、多くの人々がCOVID-19の時代で行なっているように、自宅のPCから『La Domenica Sportiva』に参加していました。短いインタビューを続ける上で、彼を保つには注射が必要でした。医者は、少し前にそのことを試しました」 「昨日、病院で最後に彼に会いました。彼は昏睡状態に陥っており、私を認識はしていませんでした。話す力を失ったにも関わらず、彼は前日まで笑っていました。彼は春から肺の病気でした」 「家族に守られて、自分の病気と向き合うため喧騒をものともせずに、周囲に知られないようにしていました。元の病気から発症した他の病気は骨にも至り、衰弱によって誘発され、日々彼をより弱らせて行きました」 「彼は数カ月で手術を受け、副作用のある治療を続けました。勇気を持ってそれを行い、土曜日まで治療を受けていました」 2020.12.11 18:25 Fri
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