ボスニア・ヘルツェゴビナ

Bosnia and Herzegovina
国名 ボスニアヘルツェゴビナ
ホームタウン サラエボ

今季の成績

UEFAネーションズリーグ リーグA グループ3 勝点 勝数 引分数 負数 得点 失点 得失差 試合数
3 ハンガリー代表 6 1 3 2 4 11 -7 6
4 ボスニア・ヘルツェゴビナ 2 0 2 4 4 17 -13 6
ニュース 人気記事 選手一覧 試合日程

ボスニア・ヘルツェゴビナのニュース一覧

UEFAネーションズリーグ(UNL)リーグA・グループ3最終節の2試合が19日に欧州国内で行われた。 前節のボルニア・ヘルツェゴビナ代表戦を7-0と圧勝しグループ首位通過を決めたドイツ代表は、アウェイでハンガリー代表と対戦し1-1の引き分けに終わった。 昇降格プレーオフ行きの決まった3位ハンガリーに対し、ド 2024.11.20 07:15 Wed
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オランダ代表は7日、UEFAネーションズリーグ(UNL)・リーグA・グループ3第1節でボスニア・ヘルツェゴビナ代表と対戦し5-2で勝利した。 今夏に行われたユーロ2024をベスト4で終えたオランダは、2大会連続の決勝ラウンド進出を狙う今大会の初戦に向けて、ガクポやシャビ・シモンズ、ファン・ダイク、デ・リフトら主力 2024.09.08 05:50 Sun
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UAEのシャールジャFCに所属するMFミラレム・ピャニッチ(34)が、ボスニア・ヘルツェゴビナ代表引退を発表した。 2008年8月のブルガリア代表戦でボスニア・ヘルツェゴビナ代表デビューを飾ったピャニッチは、フェネルバフチェFWエディン・ジェコ(134試合)に次ぐ、歴代2位の115試合に出場し17得点を記録してい 2024.05.06 08:00 Mon
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ユーロ2024予選プレーオフ準決勝が21日に欧州各地で行われた。 ユーロ2024予選の各グループにて2位以下となったチームの中から、UEFAネーションズリーグ(UNL)2022-23の結果によって選定された12カ国が参加するプレーオフ。 パスAからCまでの3グループに分かれてミニトーナメントを実施し、各パス 2024.03.22 07:20 Fri
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UEFA女子ネーションズリーグ(UWNL)の昇格・降格プレーオフの2ndレグが27日から29日にかけて各地で行われ、スウェーデン女子代表はボスニア・ヘルツェゴビナ女子代表と対戦。2戦合計スコア10-0で、リーグA残留を決めた。 スウェーデンはUWNLのグループステージでグループA4に属したが、スペイン女子代表、イ 2024.02.29 20:45 Thu
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元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が80歳で急逝…1日の朝にオーストリアで息を引き取る

かつて日本代表の監督も務めたイビチャ・オシム氏が、1日に急逝した。80歳だった。ボスニア・ヘルツェゴビナ『klix』など、複数メディアが伝えている。 現在のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで生まれたオシム氏は、現役時代はユーゴスラビアやフランスでプレー。ユーゴスラビア代表としても活躍した。 引退後は指導者の道を歩み、古巣のジェリェズニチャルでコーチとして指導者の道をスタート。その後は、ファーストチームの監督や、ユーゴスラビア代表監督にも就任した。 1990年のイタリア・ワールドカップ(W杯)ではユーゴスラビア代表を率いてベスト8に進出。ドラガン・ストイコビッチやデヤン・サビチェビッチら有望な選手を抱えていた。 しかし、その後にユーゴスラビアが分裂。ギリシャのパナシナイコスやオーストリアのシュトゥルム・グラーツの監督などを務める。 すると2003年、ジェフユナイテッド市原の監督に就任。Jリーグで指揮を執とると、2005年にはナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)で優勝。2006年に日本代表監督に就任した。 2010年の南アフリカW杯を目指すチームを率いたが、2007年11月に自宅にて脳梗塞で倒れ入院。危篤状態となったが、一命を取り留めるも、岡田武史氏にバトンを引き継ぎ、監督業はその後は行わなくなった。 報道によれば、オシム氏は1日の午前10時ごろにオーストリアのグラーツで息を引き取ったという。 2022.05.01 23:01 Sun
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今日の誕生日は誰だ! 9月17日は、ブンデス得点王に輝いた元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表FWのバースデー

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ボスニア・H代表のプロシネツキ監督が敗戦後に辞任を発表《ユーロ2020予選》

ボスニア・ヘルツェゴビナ代表で指揮を執るロベルト・プロシネツキ監督が、辞任を発表した。フランス『レキップ』など複数のメディアが報じた。 ボスニア・ヘルツェゴビナは8日、ユーロ2020予選でアルメニアと対戦。しかし、ヘンリク・ムヒタリアンのが2ゴールの活躍を見せるなど、4-2でアルメニアが勝利していた。 この結果、イタリア代表やフィンランド代表などが同居するグループJでは勝ち点差(2勝1分け3敗)の4位にボスニア・ヘルツェゴビナは位置。ユーロ2020出場へ厳しい状況となり、プロシネツキ監督は辞任を発表した。 「私は成功していない。辞任し、他の誰かにチャンスを与えたい」 プロシネツキ監督は、現役時代にディナモ・ザグレブやツルヴェナ・ズヴェズダ、レアル・マドリー、バルセロナ、セビージャなどでプレー。クロアチア代表としても1998年のフランス・ワールドカップで日本代表とも対戦し、3位躍進に貢献するなど、輝かしい実績を残していた。 2004年7月に現役を引退した後は、古巣のツルヴェナ・ズヴェズダやカイセリシュポル(トルコ)、アゼルバイジャン代表の監督を務め、2018年1月にボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任していた。 2019.09.09 11:40 Mon
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ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会(FSBiH)は27日、ロベルト・プロシネツキ監督(50)との契約を双方合意の下で解消したことを発表した。 プロシネツキ監督は2018年1月にボスニア・Hの監督に就任。UEFAネーションズリーグ2018-19・リーグB・グループ3では3勝1分けの成績を残して首位となり、リーグA昇格を決めていたが、ユーロ2020予選ではイタリア代表やフィンランド代表、ギリシャ代表が同居したグループJを4勝1分け5敗の4位に終わっていた。 ただ、UNLでボスニア・Hは首位になっていたことから、来年3月に行われるユーロ予選のプレーオフに回っており、ここで2勝すれば本選出場の可能性が残されている状況だ。 プロシネツキ氏は現役時代、レアル・マドリーやバルセロナでプレー。クロアチア代表としてはフランス・ワールドカップで3位躍進に貢献するなど、輝かしい実績を残した。現役引退後はレッドスターやカイセリスポル、アゼルバイジャン代表を率いていた。 2019.11.28 03:30 Thu
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5日後には誕生日…古巣の会長がオシム氏の死を悼む「最も偉大な人物の1人」「サッカーをはるかに超えた影響力を持つ」

1日に急逝した元日本代表監督のイビチャ・オシム氏。かつて指揮を執ったシュトゥルム・グラーツが急逝を伝えた。 現在のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで生まれたオシム氏は、現役時代はユーゴスラビアやフランスでプレー。ユーゴスラビア代表としても活躍した。 引退後は指導者の道を歩み、古巣のジェリェズニチャルでコーチとして指導者の道をスタート。その後は、ファーストチームの監督や、ユーゴスラビア代表監督にも就任した。 1990年のイタリア・ワールドカップ(W杯)ではユーゴスラビア代表を率いてベスト8に進出。ドラガン・ストイコビッチやデヤン・サビチェビッチら有望な選手を抱えていた。 しかし、その後にユーゴスラビアが分裂。ギリシャのパナシナイコスやオーストリアのシュトゥルム・グラーツの監督を務めると、その後はジェフユナイテッド市原の監督に就任。その後、日本代表を指揮したものの、脳梗塞で倒れ、その後は指揮を執っていなかった。 オシム氏は5月6日に81歳の誕生日を迎えるところ。クラブも今年のお祝いを考えていたところ、急逝が伝えられたという。 シュトゥルム・グラーツのクリスティアン・ヤウク会長が、オシム氏の死を偲んだ。 「世紀の監督が、ちょうどクラブの創設日に亡くなった。イビチャ・オシムは偉大な監督であるだけでなく、私が出会うことができた最も偉大な人物の1人である」 「彼は我々のクラブの最大のアイコンであり、一緒に過ごした多くの時間を決して忘れることはないだろう」 「彼はサッカーをはるかに超えた影響力を持ち、その言葉は永遠に我々の心に響くことでしょう」 「シュトゥルムのファミリーは、我々の中に生きていた最も重要な人物の1人を失いました」 「奥様、お子様、ご家族の皆様に、深くお悔やみ申し上げます。安らかにお眠りください」 2022.05.02 05:28 Mon

ボスニア・ヘルツェゴビナの選手一覧

1 GK ニコラ・ヴァシリ
1995年12月02日(29歳) 194cm 5 0
12 GK オスマン・ハジキッチ
1996年03月12日(29歳) 186cm 0 0
22 GK マルティン・ズロミスリッチ
1998年08月16日(27歳) 0 0
2 DF ニダル・チェリク
2006年07月17日(19歳) 192cm 0 0
3 DF エルミン・ビカクチッチ
1990年01月24日(35歳) 185cm 3 0
7 DF アマル・デディッチ
2002年08月18日(23歳) 180cm 2 0
16 DF アドリアン・レオン・バリシッチ
2001年07月19日(24歳) 193cm 4 0
18 DF タリク・ムハレモビッチ
2003年02月28日(22歳) 1 0
19 DF ナイル・オメロビッチ
2002年10月20日(22歳) 2 0
DF セアド・コラシナツ
1993年06月20日(32歳) 183cm 85kg 2 0
DF ニハド・ムヤキッチ
1998年04月15日(27歳) 189cm 1 0
DF ニコラ・カティッチ
1996年10月10日(29歳) 194cm 80kg 4 0
DF ユスフ・ガジベゴビッチ
2000年03月11日(25歳) 174cm 67kg 4 0
DF スティエパン・ラデリッチ
1997年09月05日(28歳) 200cm 0 0
5 MF イバン・シュニッチ
1996年10月09日(29歳) 183cm 79kg 1 0
6 MF ベンジャミン・タヒロビッチ
2003年03月03日(22歳) 191cm 5 0
8 MF デニス・フセインバシッチ
2001年07月03日(24歳) 186cm 5 0
13 MF イバン・バシッチ
2002年04月30日(23歳) 4 0
14 MF イフェト・ジャコバツ
1997年12月05日(27歳) 180cm 0 0
15 MF アルミン・ギゴビッチ
2002年04月06日(23歳) 187cm 5 0
17 MF ジェニス・ブルニッチ
1998年05月22日(27歳) 185cm 5 0
20 MF ハリス・ハイラディノビッチ
1994年02月18日(31歳) 178cm 69kg 2 0
23 MF エスミル・バイラクタレビッチ
2005年03月10日(20歳) 175cm 5 0
9 FW ルカ・クレノビッチ
1999年09月29日(26歳) 190cm 85kg 1 0
10 FW エルメディン・デミロビッチ
1998年03月25日(27歳) 184cm 4 1
11 FW エディン・ジェコ
1986年03月17日(39歳) 193cm 84kg 4 2
21 FW サメド・バズダル
2004年01月31日(21歳) 186cm 1 0
FW ハリス・タバコビッチ
1994年06月20日(31歳) 194cm 90kg 3 0
監督 セルゲイ・バルバレズ
1971年09月17日(54歳) 188cm 83kg

ボスニア・ヘルツェゴビナの試合日程

国際親善試合
2024年6月3日 3 - 0 vs イングランド代表
2024年6月9日 1 - 0 vs イタリア代表
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ3
第1節 2024年9月7日 5 - 2 vs オランダ代表
第2節 2024年9月10日 0 - 0 vs ハンガリー代表
第3節 2024年10月11日 1 - 2 vs ドイツ代表
第4節 2024年10月14日 0 - 2 vs ハンガリー代表
第5節 2024年11月16日 7 - 0 vs ドイツ代表
第6節 2024年11月19日 1 - 1 vs オランダ代表