
ボスニア・ヘルツェゴビナ
Bosnia and Herzegovina国名 |
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ホームタウン | サラエボ |
今季の成績
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ3 | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
3 |
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ハンガリー代表 | 6 | 1 | 3 | 2 | 4 | 11 | -7 | 6 |
4 |
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ボスニア・ヘルツェゴビナ | 2 | 0 | 2 | 4 | 4 | 17 | -13 | 6 |
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ボスニア・ヘルツェゴビナのニュース一覧
ボスニア・ヘルツェゴビナの人気記事ランキング
1
元日本代表監督のイビチャ・オシム氏が80歳で急逝…1日の朝にオーストリアで息を引き取る
かつて日本代表の監督も務めたイビチャ・オシム氏が、1日に急逝した。80歳だった。ボスニア・ヘルツェゴビナ『klix』など、複数メディアが伝えている。 現在のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで生まれたオシム氏は、現役時代はユーゴスラビアやフランスでプレー。ユーゴスラビア代表としても活躍した。 引退後は指導者の道を歩み、古巣のジェリェズニチャルでコーチとして指導者の道をスタート。その後は、ファーストチームの監督や、ユーゴスラビア代表監督にも就任した。 1990年のイタリア・ワールドカップ(W杯)ではユーゴスラビア代表を率いてベスト8に進出。ドラガン・ストイコビッチやデヤン・サビチェビッチら有望な選手を抱えていた。 しかし、その後にユーゴスラビアが分裂。ギリシャのパナシナイコスやオーストリアのシュトゥルム・グラーツの監督などを務める。 すると2003年、ジェフユナイテッド市原の監督に就任。Jリーグで指揮を執とると、2005年にはナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)で優勝。2006年に日本代表監督に就任した。 2010年の南アフリカW杯を目指すチームを率いたが、2007年11月に自宅にて脳梗塞で倒れ入院。危篤状態となったが、一命を取り留めるも、岡田武史氏にバトンを引き継ぎ、監督業はその後は行わなくなった。 報道によれば、オシム氏は1日の午前10時ごろにオーストリアのグラーツで息を引き取ったという。 2022.05.01 23:01 Sun2
今日の誕生日は誰だ! 9月17日は、ブンデス得点王に輝いた元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表FWのバースデー
◆セルゲイ・バルバレス 【Profile】 国籍:ボスニア・ヘルツェゴビナ 誕生日:1971年9月17日 現役時所属クラブ:ドルトムント、ハンブルガーなど ポジション:FW 身長:188㎝ ▽『今日の誕生日は誰だ!』 9月17日は、元ボスニア・ヘルツェゴビナ代表のセルゲイ・バルバレス氏だ。 ▽母国のベレス・モスタルというクラブの下部組織で育ったバルバレス氏は、1992-93シーズンにハノーファーでプロデビュー。その後、ウニオン・ベルリン、ハンザ・ロシュトク、ドルトムント、ハンブルガー、レバークーゼンとドイツのクラブのみを渡り歩いて現役生活を終えた。主将も務めたハンブルガー所属当時の2000-01シーズンには、31試合22得点を記録しブンデスリーガ得点王にも輝いている。 ▽大柄な体格でゴール前に君臨しつつも、視野の広さや秀でたテクニックでアシストも多く記録したバルバレス氏。同氏は多くの警告を受けていたことでも有名だ。ブンデスリーガ通算ではレッドカード計4枚、イエローカード計75枚を受け取っており、これは問題児として知られたシュテファン・エッフェンベルク氏に次ぐ数字だという。 ※誕生日が同じ主な著名人 バカリ・コネ(元サッカー選手) ビスマルク(元サッカー選手/ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズなど) 舞行龍ジェームズ(サッカー選手/川崎フロンターレ) オリヴィエ・ブマル(サッカー選手/横浜F・マリノス) ベルンハルト・リーマン(数学者) 蝶野正洋(プロレスラー) 石川遼(ゴルファー) 宇佐美蘭(タレント) 中村アン(タレント) 北山宏光(アイドル/Kis-My-Ft2) なかやまきんに君(お笑い芸人) 2018.09.17 07:00 Mon3
ボスニア・H代表のプロシネツキ監督が敗戦後に辞任を発表《ユーロ2020予選》
ボスニア・ヘルツェゴビナ代表で指揮を執るロベルト・プロシネツキ監督が、辞任を発表した。フランス『レキップ』など複数のメディアが報じた。 ボスニア・ヘルツェゴビナは8日、ユーロ2020予選でアルメニアと対戦。しかし、ヘンリク・ムヒタリアンのが2ゴールの活躍を見せるなど、4-2でアルメニアが勝利していた。 この結果、イタリア代表やフィンランド代表などが同居するグループJでは勝ち点差(2勝1分け3敗)の4位にボスニア・ヘルツェゴビナは位置。ユーロ2020出場へ厳しい状況となり、プロシネツキ監督は辞任を発表した。 「私は成功していない。辞任し、他の誰かにチャンスを与えたい」 プロシネツキ監督は、現役時代にディナモ・ザグレブやツルヴェナ・ズヴェズダ、レアル・マドリー、バルセロナ、セビージャなどでプレー。クロアチア代表としても1998年のフランス・ワールドカップで日本代表とも対戦し、3位躍進に貢献するなど、輝かしい実績を残していた。 2004年7月に現役を引退した後は、古巣のツルヴェナ・ズヴェズダやカイセリシュポル(トルコ)、アゼルバイジャン代表の監督を務め、2018年1月にボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督に就任していた。 2019.09.09 11:40 Mon4
ボスニア・H、プロシネツキ監督との契約を解消
ボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会(FSBiH)は27日、ロベルト・プロシネツキ監督(50)との契約を双方合意の下で解消したことを発表した。 プロシネツキ監督は2018年1月にボスニア・Hの監督に就任。UEFAネーションズリーグ2018-19・リーグB・グループ3では3勝1分けの成績を残して首位となり、リーグA昇格を決めていたが、ユーロ2020予選ではイタリア代表やフィンランド代表、ギリシャ代表が同居したグループJを4勝1分け5敗の4位に終わっていた。 ただ、UNLでボスニア・Hは首位になっていたことから、来年3月に行われるユーロ予選のプレーオフに回っており、ここで2勝すれば本選出場の可能性が残されている状況だ。 プロシネツキ氏は現役時代、レアル・マドリーやバルセロナでプレー。クロアチア代表としてはフランス・ワールドカップで3位躍進に貢献するなど、輝かしい実績を残した。現役引退後はレッドスターやカイセリスポル、アゼルバイジャン代表を率いていた。 2019.11.28 03:30 Thu5
5日後には誕生日…古巣の会長がオシム氏の死を悼む「最も偉大な人物の1人」「サッカーをはるかに超えた影響力を持つ」
1日に急逝した元日本代表監督のイビチャ・オシム氏。かつて指揮を執ったシュトゥルム・グラーツが急逝を伝えた。 現在のボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボで生まれたオシム氏は、現役時代はユーゴスラビアやフランスでプレー。ユーゴスラビア代表としても活躍した。 引退後は指導者の道を歩み、古巣のジェリェズニチャルでコーチとして指導者の道をスタート。その後は、ファーストチームの監督や、ユーゴスラビア代表監督にも就任した。 1990年のイタリア・ワールドカップ(W杯)ではユーゴスラビア代表を率いてベスト8に進出。ドラガン・ストイコビッチやデヤン・サビチェビッチら有望な選手を抱えていた。 しかし、その後にユーゴスラビアが分裂。ギリシャのパナシナイコスやオーストリアのシュトゥルム・グラーツの監督を務めると、その後はジェフユナイテッド市原の監督に就任。その後、日本代表を指揮したものの、脳梗塞で倒れ、その後は指揮を執っていなかった。 オシム氏は5月6日に81歳の誕生日を迎えるところ。クラブも今年のお祝いを考えていたところ、急逝が伝えられたという。 シュトゥルム・グラーツのクリスティアン・ヤウク会長が、オシム氏の死を偲んだ。 「世紀の監督が、ちょうどクラブの創設日に亡くなった。イビチャ・オシムは偉大な監督であるだけでなく、私が出会うことができた最も偉大な人物の1人である」 「彼は我々のクラブの最大のアイコンであり、一緒に過ごした多くの時間を決して忘れることはないだろう」 「彼はサッカーをはるかに超えた影響力を持ち、その言葉は永遠に我々の心に響くことでしょう」 「シュトゥルムのファミリーは、我々の中に生きていた最も重要な人物の1人を失いました」 「奥様、お子様、ご家族の皆様に、深くお悔やみ申し上げます。安らかにお眠りください」 2022.05.02 05:28 Monボスニア・ヘルツェゴビナの選手一覧
1 | GK |
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ニコラ・ヴァシリ | |||||||
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1995年12月02日(29歳) | 194cm |
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5 |
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0 |
12 | GK |
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オスマン・ハジキッチ | |||||||
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1996年03月12日(29歳) | 186cm |
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0 |
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0 |
22 | GK |
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マルティン・ズロミスリッチ | |||||||
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1998年08月16日(27歳) |
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0 |
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0 |
2 | DF |
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ニダル・チェリク | |||||||
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2006年07月17日(19歳) | 192cm |
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0 |
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0 |
3 | DF |
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エルミン・ビカクチッチ | |||||||
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1990年01月24日(35歳) | 185cm |
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3 |
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0 |
7 | DF |
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アマル・デディッチ | |||||||
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2002年08月18日(23歳) | 180cm |
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2 |
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0 |
16 | DF |
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アドリアン・レオン・バリシッチ | |||||||
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2001年07月19日(24歳) | 193cm |
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4 |
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0 |
18 | DF |
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タリク・ムハレモビッチ | |||||||
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2003年02月28日(22歳) |
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1 |
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0 |
19 | DF |
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ナイル・オメロビッチ | |||||||
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2002年10月20日(22歳) |
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2 |
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0 |
DF |
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セアド・コラシナツ | ||||||||
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1993年06月20日(32歳) | 183cm | 85kg |
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2 |
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0 |
DF |
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ニハド・ムヤキッチ | ||||||||
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1998年04月15日(27歳) | 189cm |
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1 |
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0 |
DF |
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ニコラ・カティッチ | ||||||||
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1996年10月10日(29歳) | 194cm | 80kg |
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4 |
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0 |
DF |
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ユスフ・ガジベゴビッチ | ||||||||
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2000年03月11日(25歳) | 174cm | 67kg |
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4 |
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0 |
DF |
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スティエパン・ラデリッチ | ||||||||
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1997年09月05日(28歳) | 200cm |
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0 |
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0 |
5 | MF |
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イバン・シュニッチ | |||||||
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1996年10月09日(29歳) | 183cm | 79kg |
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1 |
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0 |
6 | MF |
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ベンジャミン・タヒロビッチ | |||||||
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2003年03月03日(22歳) | 191cm |
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5 |
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0 |
8 | MF |
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デニス・フセインバシッチ | |||||||
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2001年07月03日(24歳) | 186cm |
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5 |
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0 |
13 | MF |
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イバン・バシッチ | |||||||
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2002年04月30日(23歳) |
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4 |
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0 |
14 | MF |
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イフェト・ジャコバツ | |||||||
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1997年12月05日(27歳) | 180cm |
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0 |
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0 |
15 | MF |
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アルミン・ギゴビッチ | |||||||
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2002年04月06日(23歳) | 187cm |
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5 |
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0 |
17 | MF |
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ジェニス・ブルニッチ | |||||||
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1998年05月22日(27歳) | 185cm |
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5 |
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0 |
20 | MF |
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ハリス・ハイラディノビッチ | |||||||
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1994年02月18日(31歳) | 178cm | 69kg |
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2 |
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0 |
23 | MF |
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エスミル・バイラクタレビッチ | |||||||
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2005年03月10日(20歳) | 175cm |
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5 |
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0 |
9 | FW |
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ルカ・クレノビッチ | |||||||
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1999年09月29日(26歳) | 190cm | 85kg |
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1 |
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0 |
10 | FW |
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エルメディン・デミロビッチ | |||||||
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1998年03月25日(27歳) | 184cm |
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4 |
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1 |
11 | FW |
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エディン・ジェコ | |||||||
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1986年03月17日(39歳) | 193cm | 84kg |
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4 |
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2 |
21 | FW |
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サメド・バズダル | |||||||
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2004年01月31日(21歳) | 186cm |
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1 |
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0 |
FW |
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ハリス・タバコビッチ | ||||||||
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1994年06月20日(31歳) | 194cm | 90kg |
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3 |
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0 |
監督 |
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セルゲイ・バルバレズ | ||||||||
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1971年09月17日(54歳) | 188cm | 83kg |
ボスニア・ヘルツェゴビナの試合日程
国際親善試合
2024年6月3日 | A |
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3 | - | 0 | vs |
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イングランド代表 |
2024年6月9日 | A |
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1 | - | 0 | vs |
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イタリア代表 |
UEFAネーションズリーグ リーグA グループ3
第1節 | 2024年9月7日 | A |
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5 | - | 2 | vs |
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オランダ代表 |
第2節 | 2024年9月10日 | A |
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0 | - | 0 | vs |
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ハンガリー代表 |
第3節 | 2024年10月11日 | H |
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1 | - | 2 | vs |
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ドイツ代表 |
第4節 | 2024年10月14日 | H |
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0 | - | 2 | vs |
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ハンガリー代表 |
第5節 | 2024年11月16日 | A |
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7 | - | 0 | vs |
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ドイツ代表 |
第6節 | 2024年11月19日 | H |
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1 | - | 1 | vs |
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オランダ代表 |