アシュリー・コール

Ashley COLE
ポジション DF
国籍 イングランド
生年月日 1980年12月20日(44歳)
利き足
身長 173cm
体重 67kg
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

アシュリー・コールのニュース一覧

ミランにレンタル移籍中のイングランド代表DFカイル・ウォーカーが、マンチェスター・シティから離れた際の辛さを明かした。 シェフィールド・ユナイテッドでキャリアをスタートさせたウォーカーは、トッテナムでその名を轟かせることに。2017年7月にシティへと完全移籍した。 右サイドバックをメインに時にはセンターバッ 2025.04.05 13:00 Sat
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1日、ルナー・ニューイヤー・カップの世界選抜vs香港選抜が香港スタジアムで行われ、3-3で90分が終了。世界選抜がPK戦を6-5で制した。 旧正月を祝う香港で恒例の大会。今回は世界と香港のレジェンド選手が対峙し、世界選抜には元日本代表MF本田圭佑も参加。元日本代表MF中田英寿氏がベンチに座り、本田と言葉を交わす場 2025.02.01 23:12 Sat
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チェルシーのイングランド代表MFコール・パーマーが、2023-24シーズンのイングランド男子年間最優秀選手賞を受賞した。 2003年に創設された同賞は、イングランドサッカー協会(FA)がイングランド代表チームの最も優れた選手を称える年間表彰。イングランド代表ファンによるオンライン投票で選出される。 昨年11 2024.10.09 06:45 Wed
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イングランドサッカー協会(FA)は14日、アシュリー・コール氏(43)が常勤コーチ就任と発表した。 現役時代にアーセナルやチェルシーなどで左サイドバックとして活躍し、プレミアリーグでは通算384試合の出場数を誇ったA・コール氏。代表では2001年3月のデビューから107キャップを刻み、ワールドカップ(W杯)にも3 2024.09.15 16:25 Sun
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イングランド代表としての100キャップを目前に控えているバイエルンのFWハリー・ケインが、偉大な記録への想いを語った。イギリス『BBC』が伝えた。 10日、UEFAネーションズリーグ(UNL)2024-25のリーグB・グループ2第2節でイングランドはフィンランド代表をホームに迎える。 アイルランド代表との初 2024.09.10 17:45 Tue
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バーミンガム・シティのニュース一覧

チームメイトの信頼を得ている証左だろう。バーミンガム所属の日本代表FW古橋亨梧が、デビュー戦2試合目で今シーズン初ゴール。プレスに連動した結果、プレゼントパスを押し込む形となったゴールに、ファンも歓喜している。 現地時間8月13日、バーミンガムはリーグカップ1回戦でシェフィールド・ユナイテッドと対戦。古橋は岩田智 2025.08.14 12:00 Thu
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ファン・サポーターの心を鷲掴みにする、公式戦デビューとなった。今夏バーミンガムに加入した日本代表FW古橋亨梧は、チャンピオンシップ(イングランド2部)の開幕戦に先発出場。77分間のプレーでは、幻のゴールと先制点を生み出す絶妙なシュートを見せるなど圧巻のパフォーマンスだった。 レンヌ(フランス1部)から加入 2025.08.09 19:00 Sat
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EFLリーグ1ですでに優勝を決めているバーミンガム・シティだが、イングリッシュ・フットボールリーグ(EFL)の最多勝ち点記録を更新した。 4月30日、EFLリーグ1の第42節が行われ、バーミンガムはアウェイでブラックプールと対戦した。 リーグ優勝を決めている中で迎えた戦い。リーグの年間ベストイレブンにも選ば 2025.05.01 14:05 Thu
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27日、イングリッシュ・フットボールリーグ(EFL)は2024-25シーズンのアウォーズを開催。各賞の受賞者が発表された中、日本人2人も見事に受賞した。 チャンピオンシップ(イングランド2部)とEFLリーグ1(イングランド3部)、EFLリーグ2(イングランド4部)を対象として行われた今回のアウォーズ。チャンピオン 2025.04.28 15:10 Mon
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ブレーメンは23日、スコットランド代表FWオリヴァー・バーク(28)が今シーズン限りで退団することを発表した。 2022年夏にシェフィールド・ユナイテッドを退団したバークは、フリートランスファーでブレーメンに加入。しかし、移籍初年度はなかなか出場機会を得られずに、2023年1月に古巣のミルウォールへレンタル移籍。 2025.04.24 11:00 Thu
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改めて偉業だったアーセナルのプレミア無敗優勝、“インビンシブルズ”の強みとは

圧倒的な強さを誇りプレミアリーグで首位を独走するリバプール。しかし、2月29日の第28節でワトフォードに3-0と完敗。無敗記録は「44」でストップした。 当然のことながら、ここまでの記録は賞賛されるべきもの。2019年1月3日のマンチェスター・シティ戦で敗れて以降、無敗を継続。ついに、初のプレミアリーグタイトル獲得にも迫っている。 そんなリバプールをもってしても達成できなかった無敗優勝を成し遂げているアーセナルの偉業は、16年の時を経て、再び脚光を浴びるべき事案だろう。 <span class="paragraph-title">◆ユナイテッドとアーセナルの2強時代</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20200302_48_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> ここ数年、特にチェルシーやシティが圧倒的な資金力を武器にチームを強化し、プレミアリーグの覇権争いに加わった頃からプレミアリーグを観るようになった人にとっては、アーセナルの無敗優勝など遥か昔のことに思えるのかもしれない。 また、ここ数年のアーセナルしか知らない方にとっては不思議なことであり、いつまで過去の栄光にしがみついているのだと思う方もいるかもしれない。 しかし、2003-04シーズンのアーセナルが達成した無敗優勝は、当時115年ぶりの快挙。そして、今回リバプールが達成できなかったことで、いかに難しいことなのかがクローズアップされるだろう。 当時のプレミアリーグは、サー・アレックス・ファーガソン監督率いるマンチェスター・ユナイテッドとアーセン・ヴェンゲル監督率いるアーセナルの2強時代だった。 <span class="paragraph-title">◆ヴェンゲルが作り上げた“インビンシブルズ”</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20200302_48_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> アーセナルの成績は26勝12分け。今のリバプールほど圧倒的な勝利数は残していない。勝ち点にして90。昨シーズンであれば3位、ここ3シーズンでも優勝はできていない数字だ。 システムは[4-4-2]。このシーズンに獲得したGKイェンス・レーマンが守護神となり、ソル・キャンベルとコロ・トゥーレのセンターバックコンビ、右サイドバックにローレン、左サイドバックにアシュリー・コールが並ぶ。中盤はボランチにパトリック・ヴィエラとジウべウト・シウバ。右サイドに現在はアシスタントコーチのフレドリック・ユングベリ、左サイドはアカデミーで指揮を執るロベール・ピレス。2トップはティエリ・アンリ、デニス・ベルカンプというのが基本布陣だ。 特徴はアンリとピレスのコンビによる左サイドからの攻撃。ピレスがカットインすればアンリがサイドに流れてチャンスメイクをするという、流動性もチームの魅力であり、特徴の1つだった。 <div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJrUFR1dUxlbSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> 左サイドが圧倒的な破壊力を持つ一方で、油断した相手には右のユングベリとローレンが一気に攻め上がる。ユングベリはオフ・ザ・ボールの動きに長け、飛び出す能力は抜群。ベルカンプはアンリを含めた攻撃陣をサポート。巧みなポストプレーや繊細なボールタッチでのチャンスメイクはチームを支えた。 ヴィエラとジウべウト・シウバのコンビは中盤を安定させ、攻守にわたって抜群のバランス感覚を見せた。センターバックの2人も常にソリッドな守備を見せ、サイドバックも隙なし。レーマンの予想外のプレーは不安を覚えさせたが、どのポジションを見ても、非常に質の高い選手が揃っていた。 加えて、クオリティの高いパス回しと、当時のプレミアリーグでは革新的だったアタッキングフットボールは多くの者を魅了。流れるような攻撃を常に見せ、いつでもゴールを奪える雰囲気すらあった。 <span class="paragraph-title">◆死闘“バトル・オブ・オールド・トラフォード”</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20200302_48_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> このシーズン、アーセナルが最も窮地に立たされたのは、宿敵マンチェスター・ユナイテッドとの試合だった。 2003年9月21日。シーズン序盤のゲームは、波乱に満ちた試合だった。ライバル関係にあった両チームは、試合前からヒートアップ。熱のこもった試合展開となると、ゴールレスで迎えた80分に中盤の要であるヴィエラが退場処分に。アーセナルは数的不利となる。 このままゴールレスドローに終わるかと思われた後半アディショナルタイムには、先発出場していたマーティン・キーオンが後にセレッソ大阪でもプレーするディエゴ・フォルランを押し倒しPKを与えてしまう。 絶体絶命のピンチに陥ったアーセナルだったが、キッカーのルート・ファン・ニステルローイのシュートはクロスバーを直撃。PKを与えた張本人のキーオンはファン・ニステルローイに近寄って歓喜に沸くと、そのまま乱闘騒ぎに。結局0-0の引き分けに終わったが、両者の関係を色濃く表した伝説の一戦となった。 この試合の引き分けがなければ、アーセナルの無敗優勝は達成されておらず、シーズン序盤ながらも大きなターニングポイントとなった試合だった。 <span class="paragraph-title">◆強みは攻守のバランスと多様性</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/image/get20200302_48_tw5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> このシーズン、アーセナルが無敗優勝を達成できたのは、攻守のバランスが取れていたことが大きい。 前述の通り、各ポジションのメンバーの能力が高い上に、ほとんどが8割以上の試合に出場している。バランスのとれたメンバーが、バランスよく試合に出場していることは強みだ。 また、攻撃パターンの多様性も強みの1つだった。エースのアンリは30ゴールを記録して得点王に輝いたが、次に得点を記録したのはピレスで14ゴール。その次はベルカンプとユングベリの4ゴールだ。いかに2人の得点、特にアンリへの依存度は高かった。 しかし、キャリア絶頂期に突入しつつあったアンリはどのチームも止められない。30ゴールを挙げた上に9アシストを記録。一方で、ピレスは11アシスト、ユングベリは6アシスト、ベルカンプも8アシストを記録と、フィニッシュはアンリに依存していたものの、お膳立てのパターンは多彩だった。 今シーズンのリバプールは、トレント・アレクサンダー=アーノルド、アンドリュー・ロバートソンという超強力な両サイドバックが大きな武器。前線のロベルト・フィルミノ、モハメド・サラー、サディオ・マネはバランスよく得点を奪っているが、攻撃のパターンは多くはない。 また、中盤も要のジョーダン・ヘンダーソンがケガで離脱していたという不運もあるが、要が抜けたときの脆さはある。最終ラインもジョー・ゴメスではなく、デヤン・ロブレンが昨年12月7日以来、約3カ月ぶりの先発となったことで、トロイ・ディーニーに狙い撃ちされてしまった。 そして、ブレイク明けのリーグ戦3試合では、いずれもその得意の両サイドバックが前半は機能不全に。後半盛り返してなんとか勝利を収めてきたが、ワトフォード戦は後半も機能させられなかった。多様性という点で、当時のアーセナルとの差はあったと言えるだろう。 もちろん、当時よりはその他のチーム力も上がっており、無敗優勝がより難しいものになったことは否定できない。その中で、ここまで無敗を続け、しかも白星を積み上げたことは称賛以外の何物でもない。 ただ、改めてその難しさがわかった無敗優勝。アーセナルは率直にリバプールの敗戦に胸を撫で下ろし、アーセナルファンも再び“インビンシブルズ”を誇らしく思える日々がまだ続く。あとは、ヴェンゲルの教えを受けたミケル・アルテタ監督が、当時の様な強さと美しさを取り戻させてくれることを願うばかりではないだろうか。 <div id="cws_ad">《超ワールドサッカー編集部・菅野剛史》</div> 2020.03.02 22:45 Mon
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A・コールが禁断の移籍を振り返る「給料のことは最後まで考えなかった」

元イングランド代表DFアシュリー・コール氏がチェルシー移籍時を回想した。イギリス『メトロ』が伝えている。 アーセナル下部組織出身のA・コール氏は、1999年にプロデビューを飾り、2003-04シーズンのプレミアリーグ無敗優勝にも貢献した。 レギュラーとしてアーセナルの左サイドバックに定着していたA・コールだったが、2006年にチェルシーへ禁断の移籍。この移籍にアーセナル・サポーターからは多くの批判が生まれたものの、チェルシーではプレミアリーグやFAカップ、さらに2011-12シーズンにはチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げるなど、10個の主要タイトルを手にしている。 A・コール氏は、高給目当てとも揶揄された禁断の移籍当時のことをイギリス『BBC』に語った。 「私がアーセナルでプレーし始めたとき、私たちにはキーオン、シーマン、ヴィエラ、アンリ、アダムスという核があり、異なるグループ、環境、選手がいるという点で変化することは簡単だった」 「彼らが去り始めたとき、私はそれが成功をもたらした文化に穴ができていると感じた。チームが少しバラバラになっているのを感じた。または、ギャップが生まれ、それらは埋められなかった」 「それから、異なる文化に身を置くという観点と、勝ちたいという意欲を持ってチェルシーに行き、それを手に入れた」 また、当時の移籍に際し、移籍前の2005年にA・コール氏と当時のチェルシーのジョゼ・モウリーニョ監督や幹部が密会している様子が報じられていた。 契約中に別のプレミアリーグのクラブと交渉したことで、A・コール氏は10万ポンド(約1310万円の罰金処分を受け、チェルシーとモウリーニョ監督も罰せられていた。 「100%、私のせいではないし、彼らのせいでもない。当時の私は少し頑固すぎて、辛かった。正直に言って赤ん坊のようだったが、後悔はないし、その状況で決断を変えることはないだろう」 「起こったことが事実だ。恐らくそれは意図されたものだった。だが、お金について、人々が考えるようなことはなかったので、不当だと感じていた。お金は私の心の中では最後に考えていた」 昨シーズン限りで現役を引退したA・コール氏は、今シーズンからチェルシーのU-15チームのコーチを務めている。 2020.05.25 12:05 Mon
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レヴァンドフスキらを顧客に持つ敏腕代理人・ザハビ氏が詐欺やマネーロンダリングの疑いで起訴

敏腕代理人として知られるピニ・ザハビ氏が、ベルギーの検察局によって起訴されたようだ。ドイツ『Sport1』が報じた。 ザハビ氏は、バイエルンのポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキの代理人を務め、レアル・マドリーのオーストリア代表DFダビド・アラバやパリ・サンジェルマン(PSG)のブラジル代表FWネイマールの移籍にも関与していた。 そのザハビ氏だが、偽造、詐欺、マネーロンダリングの嫌疑がかけられているとのこと。ベルギー『Dernière Heure/ Les Sports』などが報じている。 特に問題視されているのは、ベルギー2部のムスクロン。2015年にザハビ氏が買収したものの、その後に売却。これがマネーロンダリングに関与しているとして捜査が進んでいる。 この買収と売却の件に関しては、マルタのファンドの助けを借りてクラブを買収。1年後に、甥っ子が経営する会社へと売却したものの、支配権はザハビ氏が保有していたというものだ。 また、バイエルンの前会長であるウリ・ヘーネス氏は、アラバのマドリー移籍の件でザハビ氏を「貪欲なピラニアのような代理人」と酷評。金銭面での汚さを指摘していた。 その特徴は移籍に関して裏で動いて操作するというものであり、かつてはアーセナルからチェルシーへと移籍した元イングランド代表DFアシュリー・コール氏に関しても、アーセナルとの長期契約がある中で、違反して移籍の話を進めたとされている。 その他にも、バルセロナからPSGへとネイマールが移籍した際には、ファイナンシャル・フェア・プレー(FFP)に引っかからないように、巧妙な手口で避けたという話もある。 何れにしても、今回はこれまでのツケが回ってきた形に。捜査の結果がどうなるのか注目だ。 2021.10.03 21:35 Sun
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昨年代表デビューのパーマ―がイングランド男子年間最優秀選手賞を初受賞! チェルシー勢として3人目の受賞

チェルシーのイングランド代表MFコール・パーマーが、2023-24シーズンのイングランド男子年間最優秀選手賞を受賞した。 2003年に創設された同賞は、イングランドサッカー協会(FA)がイングランド代表チームの最も優れた選手を称える年間表彰。イングランド代表ファンによるオンライン投票で選出される。 昨年11月に行われたマルタ代表とのユーロ予選でスリーライオンズデビューを飾ったパーマ―。これまで通算9試合の内5試合は、今夏に行われたユーロ2024での出場で、スペイン代表に敗れた決勝戦でも一矢報いるゴールを記録していた。 そして、2位のMFジュード・ベリンガム(レアル・マドリー)、3位のFWブカヨ・サカを抑えて22歳での初受賞に。また、チェルシーの選手として同賞を受賞したのは、2004、2005年のフランク・ランパード、2010年のアシュリー・コール以来3人目となった。 2024.10.09 06:45 Wed
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「泣きたかった」1月にミランへレンタルのウォーカーがシティ退団への思いを明かす「どれだけ自分が幸運だったか」

ミランにレンタル移籍中のイングランド代表DFカイル・ウォーカーが、マンチェスター・シティから離れた際の辛さを明かした。 シェフィールド・ユナイテッドでキャリアをスタートさせたウォーカーは、トッテナムでその名を轟かせることに。2017年7月にシティへと完全移籍した。 右サイドバックをメインに時にはセンターバックでもプレーしたウォーカーは、公式戦319試合で6ゴール23アシストを記録。ただ、今シーズンは公式戦18試合の出場に留まり出番が減少。1月にミランへとレンタル移籍していた。 イギリス『BBC』の「The Kyle Walker Podcast」に出演したウォーカーは、シティを去る際のことを振り返り、悲しい別れだったとした。 「カウンターの向こうで、食べ物や飲み物を出してくれるエマという女性を見ただけでも泣きたかった」 「毎日、彼女に『おはよう』と挨拶して抱き締めていたのに、突然もう彼女に会えなくなってしまった。移籍の手続き中はそんなことは考えないけど、別れを告げるとなると辛かった」 その中でもミランへの移籍を決断したウォーカー。チームへの恨みは全くなく、シティへの感謝を述べながらも自身のために移籍を決めたとした。 「シティについて悪いことは何も言えない。ピッチ内外で、このクラブが僕にしてくれたことは信じられないほどだ」 「このチームから抜け出ると、どれだけ自分が幸運だったかを考える。これは僕がこれまでプレーした他のどのクラブに対しても失礼な言い方ではないけど、僕たちがそこで過ごした7年間は、サッカーの世界でで再び起こるとは思えない」 また、イングランド代表として100キャップ(現在95キャップ)を目指すためにも移籍が必要だったとコメントした。 「100キャップを獲得した他の唯一の黒人選手はアシュリー・コールだ。もし僕が100キャップに到達する2人目の黒人選手になれたら、とても名誉なことだ」 「トゥヘル監督から電話をもらって話をした時は、本当にホッとした。ミランへの移籍についても彼と話し、母国を代表したいのであればヨーロッパに残れと伝えられた」 ミランではここまで11試合に出場。イングランド代表としても3月の2026年北中米ワールドカップ欧州予選でも2試合でプレーしている。 2025.04.05 13:00 Sat

アシュリー・コールの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2019年8月18日 ダービー 引退 -
2019年1月21日 LAギャラクシー ダービー 完全移籍
2016年1月27日 ローマ LAギャラクシー 完全移籍
2014年7月7日 チェルシー ローマ 完全移籍
2006年8月31日 アーセナル チェルシー 完全移籍
2000年5月8日 クリスタル・パレス アーセナル レンタル移籍終了
2000年2月25日 アーセナル クリスタル・パレス レンタル移籍
1999年7月1日 アーセナル 完全移籍

アシュリー・コールの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年10月11日 バーミンガム コーチ
2023年4月6日 2023年6月30日 チェルシー コーチ
2022年2月3日 2023年1月23日 エバートン コーチ
2021年7月27日 イングランド U21 コーチ
2019年9月1日 2022年2月2日 チェルシーユース 監督