フランツ・ベッケンバウアー
Franz BECKENBAUERポジション | |
国籍 | ドイツ |
生年月日 | 2024年01月07日(0歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 |
フランツ・ベッケンバウアーのニュース一覧
フランツ・ベッケンバウアーの人気記事ランキング
1
バイエルンが背番号「5」を永久欠番に 故ベッケンバウアーの功績を称え
バイエルンは8日、背番号「5」を永久欠番とすると発表した。 これは今年1月に78歳で逝去したクラブきってのレジェンドOB、フランツ・ベッケンバウアー氏に敬意を示すもので、バイエルンの会長を務めるヘルベルト・ハイナー氏が年次総会にて明らかにした。 ベッケンバウアー氏の婦人であるハイジさん、息子のジョエルさんを招き、この発表をしたハイナー氏は総会後、ドイツ『ビルト』で経緯を説明する。 「今も我々の誰もがフランツの死にショックを受けている。スピーチでは何度も彼がいなくなるのかどれだけ寂しいか、そして何よりも彼がこのクラブをどれほど形作ってきたかを述べてきた」 「彼は選手であっただけでなく、監督であり、会長でもあったんだ。まさに偉大な人物だった。ベッケンバウアーという存在なしに今日のバイエルンも存在しなかったことだろう」 「そこでこの総会でベッケンバウアーを偲び、敬意を示すべく、このイベントを開催すると決めた」 なお、今季のバイエルンでは背番号「5」を背負う選手は不在。直近では現インテルのフランス代表DFバンジャマン・パヴァールがつけていた。 2024.12.09 12:46 Mon2
皇帝の訃報に思うこと/六川亨の日本サッカーの歩み
今回のコラムは昨日行われた第102回全国高校サッカー選手権の決勝、青森山田高対近江高の試合で書く予定でいた。しかし8日、「皇帝」と言われた西ドイツ(当時)のDFフランツ・ベッケンバウアー氏(78歳)の訃報が届いたので彼のエピソードを紹介したい。 それにしても訃報が続く。1月5日にはブラジル人のマリオ・ザガロ氏が92歳で逝去した。選手として、そして監督としても初めてW杯を制したザガロ氏。彼には、かつて東京ガスの招きでサッカークリニックに来日した際にインタビューしたことがあった。若気の至りで「74年のW杯ではクライフのオランダに完敗しましたね」と聞いてしまったが、通訳の方が気を利かして質問をスルーしてくれたので助かった思い出がある。 昨年10月にはボビー・チャールトン氏(86歳)も他界した。中学・高校時代に憧れた選手が次々といなくなるのは寂しいものだ。 ベッケンバウアー氏のプレーを初めてテレビで見たのは、三菱ダイヤモンドサッカーが放映した70年メキシコW杯だった。衝撃的だったのが準決勝のイタリア戦だ。 開始8分にFWロベルト・ポニンセーニャのゴールでイタリアが先制。試合中には接触プレーで倒されたMFベッケンバウアーが、右肩を脱臼しながらも包帯で腕を吊ってプレーを続行した。そして90分、DFカール=ハインツ・シュネリンガーのスライディングシュートで西ドイツが土壇場でタイスコアに追いついた。 ここから両チームは壮絶な点の取り合いを演じた。まず94分、FWゲルト・ミュラーが西ドイツの逆転ゴールを決めると、98分にはDFタルチシオ・ブルニチが同点ゴールをゲット。そして108分にイタリアはFWルイジ・リーバが勝ち越しに成功したが、110分に再びミュラーがゴールを決めて3-3のイーブンに戻す。しかし111分、MFジャンニ・リベラの決勝点でイタリアがファイナルへの出場権を獲得したのだった。 西ドイツにとって不運だったのは、準々決勝のイングランド戦に続いての延長戦だったこと。前回イングランドW杯決勝と同じ顔合わせとなった試合は、イングランドがMFアラン・マレリーとMFマーチン・ピータースのゴールで2点を先行した。 しかし西ドイツは68分にベッケンバウアーが1点を返すと、76分にFWウーベ・ゼーラー、108分にミュラーが決勝点を奪って前回大会の雪辱を果たしたのだった。「ゲルマン魂」という言葉を初めて聞いたのも、70年メキシコW杯だったと記憶している。 ザガロ氏に続いて、選手としても監督としてもW杯を制したベッケンバウアー氏(3人目はディディエ・デシャン)。選手としてバイエルン・ミュンヘンで頂点を極め、西ドイツ代表として72年のEUROと74年のW杯で王者となり、監督としてもバイエルンやオリンピック・マルセイユ、そしてドイツ代表を率いてチームを優勝へ導いた。バロンドールなどの個人タイトルも数え切れないほど受賞している。 そんなベッケンバウアー氏を、同じドイツ人ジャーナリストのマーティン・ヘーゲレ氏は「ミスター・パーフェクト。何をやっても成功する強運の持ち主だ」と感嘆していた。 「皇帝」の安らかな眠りを祈りたい。 2024.01.10 15:00 Wed3
サッカー界のレジェンド、“皇帝”ベッケンバウアー氏が78歳で死去
フランツ・ベッケンバウアー氏が7日、78歳で死去していた。ベッケンバウアー氏の家族がドイツ通信社DPAに明かした。 声明にて「深い悲しみとともに、夫であり、父であるフランツ・ベッケンバウアーが昨日の日曜日(7日)、家族に見守られながら安らかに息を引き取ったことを発表します。静かに別れの時間を過ごすことをお許し頂き、いかなる取材も遠慮して頂くことをお願い致します」と綴られた。 “皇帝”の愛称で知られるベッケンバウアー氏は現役時代、リベロとして西ドイツ代表では1972年のユーロを制覇、1974年ワールドカップ(W杯)を制覇。バイエルンではブンデスリーガを4度、チャンピオンズリーグ(当時はチャンピオンズカップ)を3度制覇。バロンドールには2度輝き、サッカー界を席巻した。 引退後、指揮官としても1990年W杯を制覇、バイエルンでブンデスリーガを1度制覇と、数々の栄光を築いた。 監督業を退いた後はバイエルンで会長職に就任。さらにドイツサッカー協会の副会長を務めるなど、サッカー界で多岐に渡って活躍した、正にレジェンドだった。 2024.01.09 06:00 Tue4
「夢と希望を与えてくれてありがとう」本田圭佑が他界した“皇帝”ベッケンバウアー氏を追悼
本田圭佑が、8日に他界した元ドイツ代表DFのフランツ・ベッケンバウアー氏を追悼した。 8日、“皇帝”の愛称で親しまれたベッケンバウアー氏が亡くなっていたことが家族により発表された。 病を患っていた中で、7日に息を引き取ったとのこと。レジェンドの死にはサッカー界の多くの人から追悼メッセージが寄せられている。 そんな中、本田も自身のX(旧ツイッター)を更新。幼少期に知った存在であるとし、「希望をもらった」と哀悼のメッセージを送った。 「私が子供の頃に父があなたのビデオを見せてくれて以来、選手と監督としてワールドカップで2度優勝したことを、この歳になっても覚えています」 「私に夢と希望を与えてくれてありがとう。R.I.P. フランツ」 <span class="paragraph-title">【写真】本田圭佑が他界したベッケンバウアー氏を追悼</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Even at my age, I remember that you got World Cup twice as a player and manager since my father showed me your videos when I was a kid. Thank you for giving me a dream and a hope. R.I.P. Franz. <a href="https://t.co/lmLyw5Q7sh">pic.twitter.com/lmLyw5Q7sh</a></p>— Keisuke Honda (@kskgroup2017) <a href="https://twitter.com/kskgroup2017/status/1744492696528625826?ref_src=twsrc%5Etfw">January 8, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.09 11:25 Tue5