トマシュ・ロシツキ Tomas ROSICKY

ポジション MF
国籍 チェコ
生年月日 1980年10月04日(43歳)
利き足
身長 175cm
体重 67kg
ニュース クラブ 監督データ
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熱きノースロンドン・ダービー、最強のベストイレブンは!?【アーセナル編】

6日、今シーズン最初の”ノースロンドン・ダービー”が行われる。トッテナム・ホットスパースタジアムで行われるプレミアリーグ第11節は、結果が出ずに14位に沈むアーセナルが首位のトッテナムの本拠地に乗り込むという構図だ。 過去にはアーセナルをトッテナムが上回ることができない時代が長らく続き、ノースロンドンの覇権は完全にアーセナルが握っていたものの、徐々にトッテナムが成績でも追いつき、近年では完全にトッテナムが上回る構図に変わった。 <div id="cws_ad">◆2019-20 ノースロンドン・ダービー<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJTeDZPVFpEUyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> そこで、今回は歴代の“ノースロンドン・ダービー”におけるベストイレブンを選出。トッテナム、アーセナルに分けた歴代のベストイレブン(プレミアリーグ開幕後の1992年以降の選手が対象)と寸評を併せて激闘の歴史を振り返る。 通算成績では77勝51分け59敗とアーセナルが大きく勝ち越している一方で、直近10試合の戦績は2勝5分け3敗と負け越しており、ここ4年のプレミアリーグではトッテナムよりも下位でフィニッシュするなど、立場が変わってきている。 その分、1999年11月から2008年1月まではダービーでトッテナムに勝利を許さないなど、クラブの黄金期にはライバルを圧倒。当時の主力らが名を連ねてた。 ◆アーセナルベストイレブン GK イェンス・レーマン(ドイツ/2003-2008,2011) ダービー成績:8試合出場 通算8試合のノースロンドン・ダービーに出場し4勝4分けの無敗。チャンピオンズリーグ853分無失点の記録も持つ守護神。 DF バカリ・サニャ(フランス/2007-2014) ダービー成績:13試合出場1ゴール3アシスト アーセン・ヴェンゲル監督からの信頼も厚かったサニャ。2011年10月のダービーではトッテナムDFブノワ・アスー=エコト氏のチャージを受け右足の腓骨を骨折している。 トニー・アダムス(イングランド/1983-2002) ダービー成績:14試合出場1ゴール 元コートジポワール代表DFのコロ・トゥーレ氏の存在も捨てきれなかったが、「ミスター・アーセナル」とまで呼ばれたアダムス氏を選出。ダービー通算14試合で1ゴールを記録。FAカップでも3試合に出場しいずれも準決勝で対戦。1992-93シーズンでは決勝ゴールを記録していた。 ソル・キャンベル(イングランド/2001-2006,2010) ダービー成績:8試合出場 2001年にトッテナムからフリーでアーセナルへと加入。スパーズサポーターからの大きな反感を買い。2003-04シーズンにアーセナルが当時のトッテナムの本拠地ホワイト・ハート・レーンで優勝を決めた時には、優勝セレモニーには参加しなかった。 アシュリー・コール(イングランド/1999-2006) ダービー成績:8試合出場 当時は世界最高の左サイドバックとの呼び声も高かったコール氏。アーセナルとチェルシーの左サイドバックとして長年トッテナムを苦しめ、両チーム通算で対スパーズ戦12勝11分け2敗。アーセナルでは6勝3分け無敗。 MF セオ・ウォルコット(イングランド/2006-2018) ダービー成績:13試合出場4ゴール4アシスト 2000年代後半からアーセナルの右サイドを担った快速アタッカー。2014年1月のダービーでは、負傷してストレッチャーで運ばれる際に、スタンドに向かって当時のスコア「2-0(でアーセナルの勝ち)」のジェスチャーを行い、トッテナムサポーターの怒りを買った。 パトリック・ヴィエラ(フランス/1996-2005) ダービー成績:16試合出場4ゴール4アシスト 2003-04シーズン無敗優勝立役者の一人。アーセナル時代にはカップ戦を含みトッテナムと17回対戦し5ゴール4アシストをマーク。ピレス氏同様に、トッテナムはキャリアを通して最もゴールを決めた相手だ。 トマシュ・ロシツキ(チェコ/2006-2016) ダービー成績:11試合出場2ゴール チェコが生んだ天才司令塔。ケガによる欠場も多かったものの、自身が先発出場したトッテナム戦ではわずか1敗。通算でも3ゴール1アシストとゴールにつながる結果を残している。 ロベール・ピレス(フランス/2000-2006) ダービー成績:11試合出場8ゴール1アシスト MFながらプレミアリーグにおけるノースロンドン・ダービー史上3位の通算8ゴールをマーク。トッテナムはピレスがキャリアを通して最もゴールを決めた相手だ。 FW ティエリ・アンリ(フランス/1999-2007,2012) ダービー成績:10試合5ゴール1アシスト 言わずもがなアーセナルの大エース。アンリ氏がアーセナルに在籍したのが1999年から2007年。アーセナルがトッテナム相手に全く負けなかったのが1999年11月から2008年1月なのは偶然ではないはずだ。 ロビン・ファン・ペルシ(オランダ/2004-2012) ダービー成績:14試合5ゴール4アシスト 元イングランド代表FWイアン・ライト氏との二択だったが、ファン・ペルシ氏を選出。5ゴール4アシストと多くのゴールに絡んだ活躍を評価しての選出となった。 2020.12.06 22:15 Sun

歴代最も優れた選手は? ウィルシャーがトップ5を発表!

元イングランド代表MFジャック・ウィルシャーが、歴代のチームメイトの中で個人的に最も優れていた5名の名手たちを挙げている。 先日、所属先のウェストハムとの契約解消が発表され、現在フリーのウィルシャー。注目の新天地に関して「違うことにチャレンジしたい」と、国外への移籍も示唆している。 そんな中、これまでアーセナルやイングランド代表でプレーしてきた同選手が、イギリス『talkSPORT』のインタビューで、共闘した選手の中で印象的だった5名を発表。往年の名プレイヤーの名前が上げられている。 1、セスク・ファブレガス 「ナンバーワンを選ぶのは簡単だね。僕がチーム(アーセナル)に加わる前から、ドレッシングルームに踏み入れる前から、彼は輝いて見えた。全てのアカデミー選手のお手本のような存在だった」 「彼がまだ16歳だった頃にすでにファーストチームでプレーしていた。チャンピオンズリーグの準決勝もだね。誰もが彼のようになりたいと思っていたよ」 「ドレッシングルームに入ると、彼はキャプテンバンドを巻いていて、それが僕には素晴らしく思えたんだ」 「最終的に僕はチームに加わり、彼の隣でプレーすることができた。彼がゲームをコントロールし、毎試合で10回から12回のチャンスを作っているのを間近で見てたんだ」 「速くも強くもなかったけど、彼は頭を使ってプレーしていた。見ていて信じられなかったよ」 2、ウェイン・ルーニー 「彼はあらゆるものを持っていた。元々ルーニーのユニフォームを持っていて、僕がイングランド代表のチームに参加した時、彼もメンバーの一人だった」 「彼はいつも周りに冗談を言っていた。何試合か一緒にこなすと仲も深まって、お互いに冗談を言い合ってたよ」 「9番タイプから守備的な中盤をこなせる選手はそう多くはいないね」 3、スティーブン・ジェラード 「一緒にプレーした時、彼は少し落ち込んでいた。その時はビデオで見たようなボックス・トゥ・ボックスの選手ではなかった」 「彼は4番を着けてたんだけど、あれほど全くミスなくボールを扱う選手は見たことないよ。試合では毎回完璧だった。僕もそんな彼を見て育ったんだ。特別な選手だよ。今でもあまり見ないね」 4、サンティ・カソルラ 「彼の印象は背が低くて面白い男だった。本当に摂生しないやつで、食べたいものを食べ、したいことをしたいた」 「彼がピッチに立つと、まるで子供のように笑ってプレーするんだ。セットプレーの時はよく監督が『インスイングはダメだ』と言うんだけど、そうすると彼は左足で蹴っていた。すごいよね」 「彼はポジションにとらわれず、左足でも右足でもボールを蹴っていた。見ていて楽しかったよ」 5、トマシュ・ロシツキ 「彼はケガを抱えていたから大変だったと思う。特に素早い選手ではなかったけど、彼がボールを持った時、周りの選手のスイッチも入る。みんな攻撃に意識を向けるんだ」 「僕たちの攻撃の始まりは全て彼からだった。彼のパスの重さと選択は完璧だった」 2020.10.10 22:04 Sat

来季は背番号7、アーセナルのFWサカが代表チームの選択を語る「難しい選択」

アーセナルのU-19イングランド代表FWブカヨ・サカが、自身の代表チーム選択について語った。 サカは、アーセナルの下部組織で育ち、今シーズンから正式にファーストチームに昇格。シーズン当初はウイングとして、シーズン途中からはウイングバックとしてプレー。プレミアリーグで26試合に出場し1ゴール5アシスト、公式戦でも39試合に出場し4ゴール11アシストを記録していた。 サカは両親がナイジェリア出身であり、イングランドとの二重国籍であるが、代表チームの選択は難しいと語った。 「難しい選択だね。僕はイングランドの世代別代表でプレーしたことを嬉しく思っているけど、両親の出身であるナイジェリアについても誇りに思っている」 「僕はどの代表チームにも選ばれていないから、謙虚さを保って、その時が来たら決定を下すよ」 また、2020-21シーズンからは現在の「77」から「7」に変更されることが発表されていた。サカはクラブのレジェンドである元フランス代表MFロベール・ピレスや元チェコ代表MFトマシュ・ロシツキらが着用したことに触れ、自身も歴史の一部になりたいと意気込みを語った。 「僕はそれを手にして、とても興奮した。夢見ていたものであったし、それをつけていたレジェンドたちをとても名誉に思う」 「僕は背番号が小さくなるのが好きだった。世界で最も優れた選手の何人かが付けていたからね」 「僕にどれだけ自信を持っているのか。そして、僕は彼らが信じてくれたことに報いたいと思っている。うまくいけば、僕の歴史をそのユニフォームで描けるだろう」 2020.07.25 21:15 Sat

ローマのチェコ代表FWシック、過去にドルトムントからオファーがあったと明かす

ローマのチェコ代表FWパトリック・シックが、過去にドルトムントへ移籍する可能性があったことを明かした。<br><br>シックは母国チェコメディア『Hattrick』のインタビューで、次のように語っている。<br><br>「2017年の夏はユベントスに移籍する直前だった。だけどメディカルチェックに問題が浮上し、他の話も進展して、結局ローマへと移籍することになったんだ」<br><br>「そのときにドルトムントからもオファーをもらっていた。そのときにもらった複数の打診について、とても感謝している。だけど、その時はイタリアから出たくないと思っていたから、実現しなかったんだ」<br><br>1996年生まれ、現在22歳のシックはスパルタ・プラハ育ちで、ボヘミアンズを経て16-17シーズンはサンプドリアでプレー。2017年夏にはクラブ幹部でもある同胞の先輩パヴェル・ネドヴェド氏の推薦もあり、ユベントスへの移籍合意間近となっていたが実現せず、結果的にローマへ移籍。17-18シーズンはリーグ戦2ゴールの成績に終わり、その後も本領を発揮しているとは言い難い状況だ。<br><br>ドルトムントはここ2年間でFWの入れ替わりが激しく、17-18シーズンには冬の移籍市場でピエール・エメリク・オーバメヤンを手放した。代案としてミヒー・バチュアイをレンタルで獲得したものの、完全移籍での買い取りができず。今季はスペインからやってきたパコ・アルカセルがリーグ戦3試合6ゴールと爆発力を見せ、ドルトムントは早速期限付き移籍から完全移籍でのオプション行使に向けて動いているとされる。<br><br>ここまでローマでは結果を残すことができていないFWシック。ドルトムントへの移籍話は実現しなかったが、チェコの英雄トマシュ・ロシツキがプレーしていたクラブということもあり、チェコのサッカーファンの間では「もしシックがドルトムントでプレーしていたら、成功していたかもしれない」と話題になっている。<br><br> <br>提供:goal.com 2018.10.19 19:02 Fri

今日の誕生日は誰だ! 10月4日は、チェコが生んだ天才司令塔“リトル・モーツァルト”のバースデー

◆トマシュ・ロシツキ 【Profile】 国籍:チェコ 誕生日:1980年10月4日 現役時代所属クラブ:スパルタ・プラハ、ドルトムント、アーセナル ポジション:MF 身長:178㎝ 体重:65kg ▽『今日の誕生日は誰だ!』 10月4日は、元チェコ代表MFトマシュ・ロシツキ氏だ。 ▽1999年に地元のスパルタ・プラハでプロキャリアをスタートさせたロシツキ氏は、2000-01シーズンのチャンピオンズリーグでの活躍をきっかけに2001年1月にドルトムント入り。1年目から10番を託されると、2001-02シーズンにはブンデスリーガ優勝の立役者に。その後もチームをけん引し続けたが、クラブの財政難から2006年5月にアーセナルへと移籍した。 ▽持ち前の闘争心と優雅なプレー姿から“リトル・モーツァルト”と称されたロシツキ氏は、ガナーズで10年間プレーした。負傷癖もあり、なかなかコンスタントにプレーできなかったが、高い技術でファンを魅了。同クラブで長期政権を築いたアーセン・ヴェンゲル監督からは「特別な才能」を持っているとも評された。アーセナルでは2度のFAカップ優勝を経験し、2016年に8月にスパルタ・プラハ復帰。2017年12月に現役を退いた。 ▽なお、2000年2月にデビューを飾ったチェコ代表では、105試合23得点を記録。2006年のドイツ・ワールドカップでは、グループリーグ敗退に終わったものの、初戦のアメリカ代表戦では2ゴールを決めるなど印象的な活躍も残した。その後、2006年8月からは代表を引退したMFパベル・ネドベド氏からキャプテンを引き継いだ。ユーロでは2000年大会でチェコ代表史上最年少の19歳で出場し、2016年大会では最年長の35歳で出場した記録も持っている。 ※誕生日が同じ主な著名人 マウロ・カモラネージ(元サッカー選手) 清水範久(元サッカー選手) 藤田俊哉(元サッカー選手) 田中亜土夢(サッカー選手/セレッソ大阪) 渡辺泰広(サッカー選手/VONDS市原) 北野貴之(ガイナーレ鳥取) クリスティアーノ・ルカレッリ(サッカー指導者) 北島三郎(歌手) 村川絵梨(女優) 八田亜矢子(タレント) 上田竜也(アイドル/KAT-TUN) 2018.10.04 07:00 Thu
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移籍履歴
移籍日 移籍元 移籍先 種類
2017年12月20日 スパルタ・プラハ 引退 -
2016年8月30日 アーセナル スパルタ・プラハ 完全移籍
2006年7月1日 ドルトムント アーセナル 完全移籍
2001年1月1日 スパルタ・プラハ ドルトムント 完全移籍
1999年7月1日 Sparta Prag U19 スパルタ・プラハ 完全移籍
1997年7月1日 Sparta Prag U19 完全移籍
監督履歴
就任日 退任日 チーム 種類
2018年12月17日 スパルタ・プラハ スポーツ・ディレクター
今季の成績
UEFAヨーロッパリーグ 決勝トーナメント 0 0 0 0 0 0
UEFAヨーロッパリーグ グループC 0 0 0 0 0 0
合計 0 0 0 0 0 0
出場試合
UEFAヨーロッパリーグ 決勝トーナメント
プレーオフ第1戦 2024-02-15 vs ガラタサライ ベンチ外
3 - 2
プレーオフ第2戦 2024-02-22 vs ガラタサライ ベンチ外
4 - 1
ラウンド16・1stレグ 2024-03-07 vs リバプール ベンチ外
1 - 5
ラウンド16・2ndレグ 2024-03-14 vs リバプール ベンチ外
6 - 1
UEFAヨーロッパリーグ グループC
第1節 2023-09-21 vs アリス・リマソール ベンチ外
3 - 2
第2節 2023-10-05 vs レアル・ベティス ベンチ外
2 - 1
第3節 2023-10-26 vs レンジャーズ ベンチ外
0 - 0
第4節 2023-11-09 vs レンジャーズ ベンチ外
2 - 1
第5節 2023-11-30 vs レアル・ベティス ベンチ外
1 - 0
第6節 2023-12-14 vs アリス・リマソール ベンチ外
1 - 3