名波浩

Hiroshi NANAMI
ポジション 監督
国籍 日本
生年月日 1972年11月28日(52歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

名波浩のニュース一覧

明治安田生命J1リーグ開幕から14試合終了時点で3勝4分け7敗のジュビロ磐田とガンバ大阪。J2降格の危険水域に瀕する両雄が負ければ最下位転落の可能性も孕む代表ウィーク明けの初戦で勝ち点3を巡り、ぶつかり合う。 ◆いかにして先制点を奪うか〜ジュビロ磐田〜 ここ2試合1分け1敗の磐田。前節の神戸戦は劇的展開で勝ち点 2019.06.14 17:00 Fri
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▽前節から中3日のミッドウィーク開催となる明治安田生命J1リーグ第19節。ジュビロ磐田(11位/勝ち点24)がヤマハスタジアムにガンバ大阪(16位/同16)を迎え撃つ。 ◆どう得点を取っていくか〜ジュビロ磐田〜 ▽磐田は前節、FWフェルナンド・トーレスやFW金崎夢生の加入に沸くサガン鳥栖のホームに乗り込み、ゴー 2018.07.31 18:30 Tue
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▽熱戦が続いたロシア・ワールドカップも閉幕。約2カ月にわたる中断期間が明け、明治安田生命J1リーグが再開する。第16節では、8位に位置するジュビロ磐田と11位に位置する鹿島アントラーズが対戦する。 ◆かつてのナショナルダービー ▽2連敗で中断期間に入った磐田は、川崎フロンターレからFW大久保嘉人を獲得。今節は出 2018.07.18 07:30 Wed
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▽アディダス ジャパン株式会社(本社:東京都港区、代表取締役:ポール・ハーディスティ)は20日、ロシア・ワールドカップ(W杯)を目前に控え、「ADIDAS WORLD CUP DAY 2018」を東京都内で開催した。 ▽イベント内のコーナー「SPRINT CHAT」には、現役選手がゲストとして登場。ジュビロ磐田の 2018.05.21 15:00 Mon
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▽2日に行われた明治安田生命J2リーグ第12節の横浜F・マリノスvsジュビロ磐田で起こった行為が海外でも話題となっている。ブラジル『グローボ』が報じた。 ▽試合は3-1で磐田が勝利したものの、80分に事件は起こった。イエローカードを1枚受けていた磐田DFギレルメだったが、2度目の警告を受けて退場処分。その直後に事 2018.05.03 17:25 Thu
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日本代表のニュース一覧

日本代表MF鎌田大地が勝利や自身のゴールを振り返った。 20日、2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選第7節でバーレーン代表と対戦した日本。苦戦するも途中出場の鎌田が66分に先制点を奪い、終盤のMF久保建英のゴールで2-0の勝利を収めた。 史上最速のW杯出場を決めた一戦で決勝ゴールを挙げた鎌田 2025.03.21 06:15 Fri
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日本代表MF久保建英が勝利や自身の活躍を振り返った。 日本は20日、2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選第7節でバーレーン代表と対戦。MF鎌田大地と久保のゴールで勝利し、8大会連続8度目のW杯出場を決めた。 1ゴール1アシストで勝利の立役者となり、プレイヤー・オブ・ザ・マッチに輝いた久保。試 2025.03.21 06:00 Fri
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日本代表の森保一監督が、史上最速でのワールドカップ出場を決めた戦いを振り返った。 20日、日本代表は、2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選でバーレーン代表と対戦した。 ここまでの6試合で5勝1分けと圧倒的な強さを見せてきた日本は、この試合に勝利すれば8大会連続8度目のW杯出場が決定。また、3 2025.03.21 05:30 Fri
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国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ会長が、日本代表が2026年北中米ワールドカップ(W杯)の出場権を獲得したことにお祝いのメッセージを送った。 20日、日本代表は2026年北中米W杯アジア最終予選の第7節でバーレーン代表とホームで対戦。前半こそゴールレスで終わったが、後半に鎌田大地、久保建 2025.03.21 01:30 Fri
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20日、2026北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選C組第7節の日本代表vsバーレーン代表が行われ、2-0で勝利した森保ジャパンの本大会出場が決定した。 超ワールドサッカーの選手採点と寸評は以下の通り。 ▽日本代表採点[3-4-2-1] ©︎超ワールドサッカー ※採点は10点満点。及第点は「5.5 2025.03.20 22:05 Thu
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日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ

遡る事22年前──1998年の6月は日本サッカーが初めて世界を知った1カ月だった。 “ジョホールバル”の歓喜で初めてワールドカップの出場権を獲得した日本代表。プロリーグがスタートしてから初めて実感した世界のサッカーは、次元の違うものだった。 当時から攻撃力に秀でていた南米の雄・アルゼンチン代表がワールドカップ初戦の相手。日本はディフェンシブな布陣で臨んだが、一瞬の隙を突かれてやられた。 前半28分、クリアミスを拾われるとパスを繋がれる。現在はアトレティコ・マドリーで指揮を執るディエゴ・シメオネからの縦パスが入ったところで当時の10番・名波浩がアリエル・オルテガのスルーしたボールに対応できないと、これが絶妙なパスとなってしまい、そのままゴールを許してしまった。 日本代表のワールドカップの歴史に最初に名を刻んだ男。それが、アルゼンチン代表のエース、ガブリエル・バティストゥータだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本を沈めた“バティゴール” </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> フィオレンティーナでキャリアの全盛期を過ごしていたバティストゥータは、エースとして日本戦に先発出場。FWクラウディオ・ロペス、FWアリエル・オルテガとともに日本ゴールを脅かしていた。 そして日本に少し疲れが見え始めた28分にゴールを奪う。 名波が対応をミスしたボールを受けたバティストゥータは、飛び出してきたGK川口能活の上を通す冷静沈着なチップキックでゴールを決めた。 ゴール前でのこの落ち着きは、今の日本にも必要な要素。意図しないこぼれ球であったが、しっかりと胸トラップでコントロールし、名波のプレッシャー、川口の飛び出しにも冷静に対処した。まさに、ストライカーらしいゴールだった。 <div id="cws_ad">◆日本を沈めた“バティゴール” も!バティストゥータのゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJzTmlYUDBZeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201028_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆フィレンツェの英雄</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1988年に母国のニューウェルズ・オールドボーイズにてプロデビューを果たしたバティストゥータは、リーベル・プレートを経て加入したボカ・ジュニアーズで才能を一気に開花させる。 ここでの活躍からセリエAの強豪チームの1つであったフィオレンティーナへ加入。ロベルト・バッジョ氏の後釜としての加入だった彼に不信感を抱く者もいたが、デビュー戦となった1991年9月1日のユベントス戦でいきなりゴールを記録。その後も得点を量産し、フィオレンティーナの旗手としてチームを牽引し続けた。 1992-93シーズンにフィオレンティーナがまさかのセリエBに降格した際には、誰もがチームを離れる事を予想したが、バティストゥータはチームに残留。1年でのセリエA復帰に貢献するだけでなく、1994-95シーズンには26ゴールを挙げて得点王も獲得している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ローマで日本代表戦士と共に悲願のスクデット</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、フィオレンティーナでは本人の夢であるスクデット獲得には至らず、その夢を果たすため2000-01シーズンにローマへ電撃移籍。シーズン途中にケガでの離脱がありながら20得点を挙げる活躍を見せ、移籍1年目、そしてイタリア10年目にして祈願のスクデットを獲得した。 このシーズンは、前年の途中にペルージャから加入していた元日本代表MF中田英寿もローマに所属。フランチェスコ・トッティとのポジション争いもある中で、中田もスクデット獲得に貢献。1998年のフランスW杯で敵として黒星をつけた男と、2年後にはチームメイトになっていたのだから、中田の凄さも計り知れないところだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ストライカーから認められる “ストライカー”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もローマでプレーしたバティストゥータだが、2002-03シーズン途中、ローマにて出場機会を失いつつあった彼はインテルへレンタル移籍。母国の後輩であり、ケガで離脱していたFWエルナン・クレスポの穴埋めと期待されたが、12試合で2ゴールと期待された結果を残せず。翌シーズンにはカタールのアル・アラビへと完全移籍。2005年3月に現役を退いた。 アルゼンチンに収まらず、1990年代最高のストライカーの1人であったバティストゥータだが、その姿は現代で活躍するストライカーたちの目にも焼き付いている。 ウルグアイが誇る現代屈指のストライカーであるFWルイス・スアレス(アトレティコ・マドリー)は、バティストゥータの同胞フアン・パブロ・ソリンとのインタビューでその強烈な憧れを明かしている。 「子供の頃からアイドルだったということを伝えたい。あなたは私が今まで見たサッカー選手の中で最も偉大な存在だった。子供の頃から真似してみたけど、だからこそ憧れてしまう。あなたは私にとってアイドルです」 さらには、ウルグアイ代表でスアレスの相棒であるFWエディンソン・カバーニ(マンチェスター・ユナイテッド)もバティストゥータに憧れを抱いた1人だ。 「昔から憧れているストライカーを1人選ばなければならないのなら、バティストゥータを選ぶよ。フィオレンティーナの9番を背負った彼は最強だった。9番は特別な数字で得点を挙げる人間を表す。よく似合っていた」 破壊的な右足とヘディングに高い決定力を備え、どこからでもゴールを貪欲に狙う姿勢。最もゴールにこだわり、ゴールを決めてきたバティストゥータこそ、"9番”の象徴であり、“ストライカー”の神髄と呼べる存在だった。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>日本代表を沈める“バティゴール”を決めた1990年代最高のストライカーの一人であるバティストゥータが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />さらに日本戦にもフル出場していたMFファン・セバスティアン・ベロンとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“バティゴール”を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.10.30 15:30 Fri
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横浜FMの山根陸が「ニューヒーロー賞」を受賞!クラブ史上3人目の受賞者に「大変光栄に思うと同時に驚きも」

Jリーグは25日、2024Jリーグ YBCルヴァンカップ「ニューヒーロー賞」に横浜F・マリノスのMF山根陸(21)が受賞したことを発表した。 横浜FMはプライムラウンドの準決勝で名古屋グランパスに敗れて敗退したものの、山根は3試合に出場。ニューヒーロー賞世代では唯一スターティングメンバーとしてプレーし、準々決勝ではフル出場でチームのベスト4入りに貢献していた。 横浜F・マリノスの選手がニューヒーロー賞を受賞するのは、2013年の齋藤学、2018年の遠藤渓太に次いで3人目となる。 なお、山根には賞金50万円と、クリスタルオーナメント、ヤマザキビスケット社製品1年分が贈呈される。 山根は今回の受賞に際しコメントしている。 「ルヴァンカップ ニューヒーロー賞に選出していただき、大変光栄に思うと同時に驚きもあります。常日頃からともにプレーしているチームメイトをはじめ、監督、コーチングスタッフ、ファン・サポーター、そして横浜F・マリノスに関わるすべての方々の支えに感謝しています。ここから先もレベルや価値をもっと高められるよう日々、上を目指してやっていきたいと思います」 <h3>◆歴代ニューヒーロー賞受賞者</h3> 1996年 名波浩(23/ジュビロ磐田)、斉藤俊秀(23/清水エスパルス) 1997年:三浦淳宏(22/横浜フリューゲルス) 1998年:高原直泰(18/ジュビロ磐田) 1999年:佐藤由紀彦(22/FC東京) 2000年:鈴木隆行(23/鹿島アントラーズ) 2001年:曽ケ端準(21/鹿島アントラーズ) 2002年:坪井慶介(22/浦和レッズ) 2003年:田中達也(20/浦和レッズ) 2004年:長谷部誠(20/浦和レッズ) 2005年:阿部勇樹(23/ジェフユナイテッド千葉) 2006年:谷口博之(20/川崎フロンターレ) 2007年:安田理大(19/ガンバ大阪) 2008年:金崎夢生(19/大分トリニータ) 2009年:米本拓司(18/FC東京) 2010年:高萩洋次郎(23/サンフレッチェ広島) 2011年:原口元気(20/浦和レッズ) 2012年:石毛秀樹(17/清水エスパルス) 2013年:齋藤学(22/横浜F・マリノス) 2014年:宇佐美貴史(21/ガンバ大阪) 2015年:赤﨑秀平(23_鹿島アントラーズ) 2016年:井手口陽介(19/ガンバ大阪) 2017年:西村拓真(20/ベガルタ仙台) 2018年:遠藤渓太(20/横浜F・マリノス) 2019年:中村敬斗(18/ガンバ大阪) 2020年:瀬古歩夢(20/セレッソ大阪) 2021年:鈴木彩艶(19/浦和レッズ) 2022年:北野颯太(18/セレッソ大阪) 2023年:早川隼平(17/浦和レッズ) 2024年:山根陸(21/横浜F・マリノス) 2024.10.25 13:05 Fri
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J3で再出発の松本がFW榎本樹、MF稲福卓、GK神田渉馬の若手3選手と契約更新

松本山雅FCは22日、FW榎本樹(21)、MF稲福卓(19)、GK神田渉馬(19)との契約更新を発表した。 榎本は前橋育英高校から松本へ2019年に入団。ザスパクサツ群馬への期限付き移籍も経験している。 今シーズンは全く出番がなかった中、名波浩監督就任後の第30節でリーグ戦初出場。その後は全試合に出場し、明治安田生命J2リーグで13試合に出場。その第30節ツエーゲン金沢戦ではプロ初ゴールを記録し、合計3得点を記録した。 稲福は松本の下部組織から今季昇格。明治安田J2で1試合に出場。最終節のV・ファーレン長崎戦でデビューを果たしていた。 神田も松本の下部組織から今季昇格。出番はなかった。 2021.12.22 11:59 Wed
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日本代表のコーチに名波浩、前田遼一が就任で合意…共に日本代表でも実績

日本サッカー協会(JFA)は17日、日本代表のコーチに名波浩氏(50)、前田遼一氏(41)が就任することで合意したことを発表した。 カタール・ワールドカップ(W杯)では、“新しい景色”としてベスト8を目指して戦ったものの、結果はベスト16。ただ、グループステージではドイツ代表、スペイン代表に逆転勝利を収めるなど、世界を驚かせた。 その結果を受け、森保一監督は日本代表史上初となるW杯後も指揮を執ることが決定。2026年のW杯を目指して行くこととなった。 ただ、横内昭展コーチがジュビロ磐田、上野優作コーチがFC岐阜の監督に就任。コーチ陣の再編が必要となっていた。 名波氏は現役時代にジュビロ磐田やセレッソ大阪、東京ヴェルディでプレー。セリエAのヴェネツィアでもプレー経験があり、日本代表では背番号10を背負い、1998年のフランスW杯にも出場していた。 J1通算314試合34得点、セリエAで24試合1得点を記録。日本代表としても67試合で9得点を記録していた。 引退後は、磐田と松本山雅FCで監督も務めていた。 前田氏は現役時代に磐田、FC東京、岐阜でプレー。日本代表としても活躍した。J1通算429試合154得点を記録し、2度得点王も受賞。日本代表でも33試合10得点を記録した。 なお、引退後は磐田のU-18コーチ、そして2022年はU-18で監督を務めていた。 2023.01.17 14:20 Tue
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「ナガトモ、ナカタ…」来日インテルの選手がセリエAでプレーした日本人選手を回答!思い出せずに嘆いた選手は誰?

インテルのアルバニア代表MFクリスティアン・アスラニとフランス代表FWマルクス・テュラムが日本に関するクイズに挑戦した。 今夏にジャパンツアーを行ったインテル。1日にはパリ・サンジェルマン(PSG)相手に2-1と逆転勝利を収めた。 ジャパンツアーを通じて積極的な姿勢を見せたアスラニと随所で持ち前のフィジカルを発揮していたテュラムだが、クラブの企画で日本に関するクイズで対決。その中でセリエAでプレーした日本人選手を3人あげるという問題が出題された。 すると、テュラムが「ナガトモ…ナカタ」と8年インテルでプレーした長友佑都とペルージャ、ローマ、パルマなど複数のイタリアクラブでプレーした中田英寿氏の名を早々にあげた。 しかし、3人目がなかなか出てこず。アスラニは全く分からない様子だ。結局、「分からない」とあきらめた2人だったが、出題者から「ホンダ。覚えていないですか?」とMF本田圭佑の名前を聞くと、「ああ」と納得。「ミランでプレーしてたね」と名前を聞いて思い出した様子だった。 2022-23シーズンからは日本人選手がいないセリエA。これまでには長友、中田氏、本田のほか、三浦知良、名波浩氏、中村俊輔氏、柳沢敦氏、小笠原満男氏、大黒将志氏、森本貴幸、冨安健洋、吉田麻也と12人の日本人選手がプレーしている。 <span class="paragraph-title">【動画】アスラニとテュラムが思い出せなかった日本人選手は…他にも日本クイズに挑戦!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="Js3fALCzvrA";var video_start = 52;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.08.02 19:10 Wed

名波浩の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2009年1月1日 磐田 引退 -
2007年12月31日 東京V 磐田 レンタル移籍終了
2007年1月1日 磐田 東京V レンタル移籍
2006年12月1日 C大阪 磐田 レンタル移籍終了
2006年8月1日 磐田 C大阪 レンタル移籍
1999年12月31日 AC Venezia 1907 磐田 レンタル移籍終了
1998年7月1日 磐田 AC Venezia 1907 レンタル移籍
1995年1月1日 磐田 完全移籍

名波浩の監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年2月1日 日本 コーチ
2021年6月21日 2023年1月31日 松本 監督
2014年9月25日 2019年6月30日 磐田 監督

名波浩の今季成績

北中米W杯アジア最終予選 0 0 0 0 0 0
国際親善試合 0 0 0 0 0 0
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選 0 0 0 0 0 0
アジアカップ2023 決勝トーナメント 0 0 0 0 0 0
アジアカップ2023 グループD 0 0 0 0 0 0
合計 0 0 0 0 0 0

名波浩の出場試合

北中米W杯アジア最終予選
第1節 2024-09-05 vs 中国代表 ベンチ外
7 - 0
第2節 2024-09-10 vs バーレーン代表 ベンチ外
0 - 5
第3節 2024-10-10 vs サウジアラビア代表 ベンチ外
0 - 2
第4節 2024-10-15 vs オーストラリア代表 ベンチ外
1 - 1
第5節 2024-11-15 vs インドネシア代表 ベンチ外
0 - 4
第6節 2024-11-19 vs 中国代表 ベンチ外
1 - 3
第7節 2025-03-20 vs バーレーン代表 ベンチ外
2 - 0
第8節 2025-03-25 vs サウジアラビア代表 ベンチ外
0 - 0
国際親善試合
2024-01-01 vs タイ代表 ベンチ外
5 - 0
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選
第1節 2023-11-16 vs ミャンマー代表 ベンチ外
5 - 0
第2節 2023-11-21 vs シリア代表 ベンチ外
0 - 5
第3節 2024-03-21 vs 北朝鮮代表 ベンチ外
1 - 0
第4節 2024-03-26 vs 北朝鮮代表 ベンチ外
0 - 3
第5節 2024-06-06 vs ミャンマー代表 ベンチ外
0 - 5
第6節 2024-06-11 vs シリア代表 ベンチ外
5 - 0
アジアカップ2023 決勝トーナメント
ラウンド16 2024-01-31 vs バーレーン ベンチ外
1 - 3
準々決勝 2024-02-03 vs イラン ベンチ外
2 - 1
アジアカップ2023 グループD
第1節 2024-01-14 vs ベトナム ベンチ外
4 - 2
第2節 2024-01-19 vs イラク ベンチ外
2 - 1
第3節 2024-01-24 vs インドネシア ベンチ外
3 - 1