マイケル・オーウェン
Michael OWEN
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ポジション | FW |
国籍 | イングランド |
生年月日 | 1979年12月14日(45歳) |
利き足 | |
身長 | 173cm |
体重 | 70kg |
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元祖“ワンダーボーイ”でリバプール唯一のバロンドーラー、マイケル・オーウェン
近年のサッカー界では、過去には考えられなかったほど若手の選手が活躍を見せ、それは世界各国のリーグで見て取れる。 例を挙げればキリがないが、ドルトムントで活躍するノルウェー代表FWアーリング・ハーランドは20歳。同僚には、17歳のイングランド代表MFジュード・ベリンガムや16歳のFWユスファ・ムココも居る。 スペインに目を移せば、バルセロナには18歳のU-21スペイン代表MFぺドリや18歳のスペイン代表FWアンス・ファティがおり、イングランドではマンチェスター・シティには20歳のイングランド代表MFフィル・フォーデンがいる。 若手が多く活躍できる状況も整っている現代サッカーだが、以前はやはり珍しい存在。まして10代にしてトップレベルで活躍できる選手などは数える程であり、一瞬の輝きで終わることも少なくなかった。 その中でも『元祖ワンダーボーイ』とも言われ、17歳でトップデビューを果たした逸材が、マイケル・オーウェンだ。 <span class="paragraph-title">◆鮮烈なデビューで世界の注目を集める</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_3_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 父親もサッカー選手だったオーウェンは、少年時代からリバプールの下部組織でプレー。1997年5月に17歳でファーストチームでデビューを果たした。 1997-98シーズンは本格的にファーストチームでプレーすると、18歳でなんと18ゴールを記録。プレミアリーグの得点王に輝き、勢いそのままにシーズン終了後に行われた1998年のフランス・ワールドカップにイングランド代表の一員として出場を果たした。 ワールドカップ前の1998年2月にイングランド代表としてデビューを果たしたオーウェンは、18歳と59日。当時のイングランド代表最年少デビューとなり、モロッコ代表との親善試合では初ゴールを記録。これはウェイン・ルーニーが2003年に更新するまで、イングランド代表の最年少ゴール記録だった。 当時のオーウェンは国民的な人気を誇り、特に持ち味であるスピード溢れるプレーは見るものを魅了した。そして迎えた1998年のフランスW杯。グレン・ホドル監督によって招集されると、第2戦でのルーマニア代表戦ではW杯初ゴールを記録する。 グループステージを勝ち抜いたイングランドは、決勝トーナメント1回戦でアルゼンチン代表と対戦。同僚であったデイビッド・ベッカムの報復行為による退場が多くの方の記憶にある試合だが、この試合でオーウェンは歴戦の名DFだったロベルト・アジャラとホセ・チャモを一気にかわしゴールを決めるなど活躍していた。ちなみにパスを出したのは、その後退場するベッカムだった。 <span class="paragraph-title">◆リバプールの選手として初の栄誉</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_2_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 鮮烈なデビューを見せたオーウェンには『ワンダーボーイ』と名がつけられ、W杯後の1998-99シーズンは23ゴールを記録。しかし、この頃にハムストリングを負傷すると、その後のキャリアでも長く付きまとうケガとなってしまった。 2000-01シーズンにはリバプールがFAカップ、リーグカップ、UEFAカップの“カップ・トレブル(三冠)”を達成。さらに、オーウェンはリバプールの選手として初めてバロンドールを受賞することとなった。なお、後にも先にも、オーウェン以外にはリバプールの選手としてバロンドールを受賞した者はいない。 爆発的なスピードを武器とし、シュートの技術も高かったオーウェンは、国際舞台でもくすぶり続けていたイングランド代表の救世主という期待もあったが、キャリアの転機が訪れてしまった。それがレアル・マドリーへの移籍だ。 リバプール時代は、デビューした1998-99シーズンから毎シーズン、クラブの最多得点者だったオーウェン。マドリーへ移籍すると13ゴールを記録したが、たった1シーズンでプレミアリーグへ舞い戻る事となった。 当時のマドリーは“銀河系軍団”と呼ばれており、イングランド代表の同僚であるベッカムも在籍。もちろん移籍の全てが失敗だったとは言えず、バルセロナ戦ではそのベッカムからの絶妙なアシストからオーウェンがゴールを決める、1998年のフランスW杯のアルゼンチン戦の再現にも見えた。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJOdnF3WXNhcSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 1年でマドリーを退団することとなったオーウェンには古巣のリバプールも復帰を願ったが、高額な移籍金に難色を示し、ニューカッスルに加入する。 すると、そこからはケガとの戦いが続く日々となり、4シーズン在籍したニューカッスルでは通算26ゴール、その後に加入したマンチェスター・ユナイテッドでは3シーズンで3ゴール。『ワンダーボーイ』はストーク・シティでのプレーを最後に、2013年に現役を引退した。 <span class="paragraph-title">◆キャリアの選択は重要</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_4_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 人生は一度きり、その時の選択でその先の人生が変わることはプロサッカー選手に限らず、誰にでもあることだ。そして、その決断が正しかったかどうかは、その時にはなかなか分かるものではない。 オーウェンもその1人。リバプールで放っていた存在感は異次元のものであり、チームの好不調は当然ありながらも、後に象徴となるスティーブン・ジェラードとの共演はもっと見たかったと言われている。 たらればではあるが、2019-20シーズンに30年ぶりにリーグタイトルを獲得したリバプールだが、オーウェンがそのままリバプールにいれば、もっと早くその瞬間は訪れたかもしれない。もちろん、どっちが良かったかなどは言及できないが。 ただ、少なくともキャリアを振り返ればオーウェンにとって最も幸せだったのはリバプール在籍時代。レアル・マドリーへの移籍が失敗とは言えないが、そのシーズンにリバプールがチャンピオンズリーグを制していることだけを取り上げても、やはりリバプールというクラブへの想いは強いだろう。 ケガなどの不運も続き、リバプールを去った後は活躍ができなくなったオーウェン。現代サッカーでは若き才能が溢れている中で、いずれキャリアを選択する時期がそれぞれの選手に来るだろう。そこで選んだ道が正しかったかどうかは誰にもわからない。ただ、正しいと言われるだけの結果を残せるかどうか。才能ある選手には、プレー面に集中してもらいたいものだ。 <div id="cws_ad"><hr>『ワンダーボーイ』として世界中で注目を集めたマイケル・オーウェンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>イングランドで、そしてリバプールでもチームメイトだったスティーブン・ジェラードも同時に登場している。『サカつくRTW』でワンダーボーイのゴールを観たい方は是非一度チェックしよう。</div> 2021.02.27 21:45 Sat2
ケガに泣いた“ワンダーボーイ”、オーウェンが理由を語る「答えは分からない。でも、私見では遺伝」
元イングランド代表FWマイケル・オーウェンがキャリアで長らく悩まされたケガについて語った。 わずか17歳でのデビュー以来、10代とは思えない圧巻のパフォーマンスを見せ、“ワンダー・ボーイ”の愛称で人気を博したオーウェン。初めてフルシーズンを戦った1997-1998シーズンには、いきなりリーグ戦36試合に出場し18ゴールをマーク。さらにシーズン終了後に、すぐさまフランス・ワールドカップにイングランド代表として出場していた。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; " id="cws_ad"><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJPQllRSzBzWCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> その後も、10代からクラブと代表で多くの試合に出場していたオーウェンだったが、2003-2004シーズンからは、度重なるケガに苦しむように。その後、オーウェンはレアル・マドリー、ニューカッスル、マンチェスター・ユナイテッド、ストーク・シティでプレーしたが、ハムストリングやじん帯のケガに泣かされ、10代の頃の輝きを取り戻すことができずにキャリアを終えている。 キャリア後半での度重なるケガは、10代だったリバプール時代に身体を酷使し過ぎたためという見方が一般的であり、特に2009年からオーウェンが所属したユナイテッドの指揮官だったサー・アレックス・ファーガソン氏は、この説を強く訴えていた。 しかし、オーウェン本人は、ケガの原因は若い頃の身体の酷使ではないとイギリス『BBC』のラジオ番組で語った。 「これは興味深い質問で、これに対する答えはずっと分からないと思う」 「ファーガソン監督は私が身体を酷使し過ぎたと確信しているようだ。それ自体は問題ないし、私は彼の意見を尊重している」 「これに対して私が言えることとしては、私の父もプロのサッカー選手だったし、家族全員足がとても速かった。父は若い頃から試合で使われ過ぎていたわけではなかったが、キャリアの終盤、ハムストリングや太腿、股関節のケガに苦しんだ」 「考えられることとしては、私はとても足が速かったし、遺伝的にそういう身体のつくりだったんだと思う。そしてどれだけの試合に出ていようが、出ていまいが、私は常に筋肉系のケガに弱かった。なぜなら、それが僕の家族に常に起こってきたことだったからね。私たち家族はみんな足がとても速く、ケガがちだったのはその代償のようなものだった」 「だから私が100試合に出ていても、10試合しか出なくても、筋肉系のケガに苦しむことになったと思っている。ファーガソン監督の意見も一理あると思うが、私個人の意見としては私がケガに苦しんだのは、単に私がそういう身体のつくりだったからだと思っている」 また、10代だったにも関わらず試合に出過ぎたとされるリバプール時代についても回顧。リバプールとユナイテッドの選手層を比較して、クラブは自分が必要だったと擁護した。 「リバプールは私を必要としていたんだろう。そして当時ユナイテッドが特定の選手を必要としていた度合いより、リバプールが私を必要としていた度合いが大きかったんだと思う。当時のユナナイテッドは素晴らしいチームを持っていたからね。彼らは(ライアン・)ギグスや他の選手をターンオーバーで使うこともできた」 「一方で、我々は彼らに追いつこうとしていた。彼らのような大きなスカッドもターンオーバーをする余裕も持ち合わせていたなかったんだ」 2020.05.14 19:50 Thu3
前線の選手が多い?リバプールとチェルシー、両方でプレーした選手たち
例年より約1ヵ月遅れで開幕を迎えたプレミアリーグ。週末に行われる第2節では、いきなりチェルシーvsリバプールというビッグマッチが控えている。 今シーズンも優勝を争うであろう両チームだが、リバプールのエースであるエジプト代表FWモハメド・サラーは2014年冬にバーゼルからチェルシーに加入。チェルシーでは出場機会が限られ、フィオレンティーナ、ローマでの活躍を経てリバプールへと移籍した経緯を持つ。 また、チェルシーに所属するナイジェリア代表MFヴィクター・モーゼスも2013-14シーズンにレンタルでリバプールでプレーした経験を持っている。 他にも、サガン鳥栖にも在籍した元スペイン代表FWフェルナンド・トーレス氏を筆頭に、多くの名選手たちが二つのクラブでプレーしており、イギリス『DUGOUT』がそんな経歴を持つ選手10人を動画で特集している。 また、紹介されている選手以外にも、元イングランド代表FWダニエル・スタリッジらも両クラブでのプレー経験を持ち、全体的に見ると、前線の選手の割合が高いようだ。 <div id="cws_ad">◆リバプールとチェルシーでプレーした選手を映像でチェック<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiI2WVJaQXNYVSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> ◆リバプールとチェルシーでプレーした選手たち FWモハメド・サラー チェルシー(2014-2015)公式戦19試合2ゴール リバプール(2017-)公式戦154試合97ゴール 2012年夏に加入したバーゼルにおいて、チャンピオンズリーグでチェルシーから4試合で4得点を決めると、その後の2014年冬にチェルシーに引き抜かれた。チェルシーでは本領発揮とはいかなかったものの、イタリアでの活躍を経て、2017年にリバプールに加入すると、FWサディオ・マネ、FWロベルト・フィルミノと共に強力な3トップを形成。プレミアリーグ王者リバプールのエースとしてハイペースでゴールを量産している。 MFヴィクター・モーゼス リバプール(2013-2014)公式戦22試合2ゴール チェルシー(2012-)公式戦128試合18ゴール モーゼスは、2010年から所属したウィガンでブレイクし、2012年にチェルシーへステップアップ。しかし、選手層の厚いチェルシーでは充分な出場機会が得られずに、リバプールやストークなど多くのレンタル移籍を経験した。今季は昨季のレンタル先であるインテルからチェルシーに復帰しているが、その去就は不透明だ。 DFグレン・ジョンソン チェルシー(2003-2006)公式戦66試合4ゴール リバプール(2009-2015)公式戦200試合9ゴール ウェストハムの下部組織で育ったグレン・ジョンソンは、2003年にチェルシーへと移籍。しかし、チェルシーではパフォーマンスが安定せず、当時のジョゼ・モウリーニョ監督が連れてきた、DFパウロ・フェレイラにポジションを奪われた。2009年にリバプールへと完全移籍。DFアルバロ・アルベロアがレアル・マドリーへと移籍したために、右サイドのレギュラーポジションを確保していた。 FWフェルナンド・トーレス リバプール(2007-2011)公式戦142試合81ゴール チェルシー(2011-2014)公式戦172試合45ゴール 2007年にアトレティコ・マドリーからリバプールへ移籍。加入初シーズンから得点を量産し、一気にリバプールサポーターの心を掴み、爆発的な人気を誇った。しかし、2011年1月、ライバルクラブのチェルシーへ移籍すると、移籍後初ゴールまで実に903分を要するなど中々結果を残せなかった。それでも、2012年のチャンピオンズリーグ(CL)優勝を経験するなど、多くのタイトルを獲得した。 FWニコラ・アネルカ リバプール(2001-2002)公式戦22試合5ゴール チェルシー(2008-2012)公式戦184試合59ゴール チェルシーでFWディディエ・ドログバと共に一時代を築いたアネルカは、パリ・サンジェルマン在籍時の2001-02シーズンにローンでリバプールに加入。FWマイケル・オーウェンやFWエミール・ヘスキーらと共にプレーした。 MFラウール・メイレレス リバプール(2010-2011)公式戦44試合5ゴール チェルシー(2011-2012)公式戦48試合6ゴール 2010年夏にポルトからリバプールに加入したメイレレスは、シーズン途中でケニー・ダルグリッシュ監督が就任して以降はチームのキーマンに。ファンが選ぶ年間最優秀選手にも選ばれたが、シーズン終了後に同胞のアンドレ・ビラス=ボアス監督が率いていたチェルシーに加入、FAカップとチャンピオンズリーグの2冠に貢献している。 MFジョー・コール チェルシー(2003-2010)公式戦274試合38ゴール リバプール(2010-2011)公式戦42試合5ゴール 2003年にロマン・アブラモヴィッチ体制1年目のチェルシーに完全移籍を果たすと、その翌年に指揮官に就任したジョゼ・モウリーニョ監督の下、右ウイングの主力としてチームのプレミアリーグ2連覇に貢献。伝統的に強さや速さが重視されるイギリスでは珍しい、ファンタジスタタイプの選手として人気を博した。その後、チェルシーでの契約を満了すると、2010年にリバプールに移籍。ここでも10番を背負ったが、ロイ・ホジソン監督の戦術に馴染めず、期待されたような活躍は出来なかった。そのため、2011年夏にレンタル移籍でリール入りし、リバプールに戻ることはなく2013年夏にウェストハムに復帰している。 MFヨッシ・ベナユン リバプール(2007-2010)公式戦134試合29ゴール チェルシー(2010-2011)公式戦24試合1ゴール 攻撃的MFや左右のウイングを主戦場に卓越したテクニックとパスセンス、高いシュートセンスを武器とする、イスラエル史上最高のアタッカーは、ウェストハム、リバプール、チェルシー、アーセナル、クインズ・パーク・レンジャーズ(QPR)とプレミアリーグクラブを渡り歩いた。なお、リバプール時代にはプレミアリーグ、チャンピオンズリーグ、FAカップの3つのコンペティションでハットトリックを記録しており、これはマンチェスター・シティFWセルヒオ・アグエロ、トッテナムFWハリー・ケインの2人しか達成していない偉大な記録だ。 MFボーデヴィン・ゼンデン チェルシー(2001-2003)公式戦59試合4ゴール リバプール(2005-2007)公式戦47試合2ゴール 母国オランダのPSV出身のゼンデン氏は、バルセロナを経て2001年にチェルシーへと加入。スピードのあるサイドアタッカーとして活躍を見せた。その後はミドルズブラを経てリバプールに加入するなど、キャリアの多くをイングランドで過ごした。 MFナイジェル・スパックマン チェルシー(1983-1987、1992-96)公式戦208試合12ゴール リバプール(1987-1989)公式戦63試合0ゴール ボーンマスでプロデビューを飾ったスパックマン氏は、1983年にチェルシーへ移籍。豊富な運動量を武器に、主力として活躍した。1987年にリバプールに移籍した後、QPR、レンジャーズを経て、1992年にチェルシーに復帰。プレミアリーグでも活躍を見せた。 DFジョーイ・ジョーンズ リバプール(1975-1978)公式戦100試合3ゴール チェルシー(1982-1985)公式戦78試合2ゴール ウェールズのレクサムでデビューを飾ったジョーンズ氏は、1975年にリバプールに移籍。左サイドバックとして、1977年のチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)制覇など、クラブの黄金期を支えた。その後、レクサム復帰を経て加入したチェルシーでも活躍を見せた。 2020.09.19 17:00 Sat4
相手が恐れる右手…ストライカーの完成形と呼ばれた男、アラン・シアラー
サッカーの試合で最もボルテージが上がる瞬間と言っても良いのがゴールシーン。どのカテゴリーの試合でも、間違いなく観る者、そしてプレーする選手のテンションを上げる場面だ。 そのゴールシーンでは、各選手が特徴的なゴールパフォーマンスを見せ、ゴールを多く決める選手ほど、その代名詞とも言えるパフォーマンスを持っている。 現代サッカー界で最も広く知られているのは、マンチェスター・ユナイテッドのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドが見せるポーズだろうか。ゴールを決めた勢いのまま走り出すと、コーナーフラッグでジャンプし反転。「Siiiii!(イエース!)」と絶叫し、両手を広げながら着地する仁王立ちパフォーマンスは知られたものだろう。観客もパフォーマンスに合わせて「Siiiii!」というものだ。 その他にもゴールパフォーマンスを見せる選手は多く、バク宙をする選手や勢いをつけてヒザで滑るもの、ハートを手で作ったり、古くは指輪にキスをするなど様々。世のサッカー少年は、好きな選手のパフォーマンスを真似するのに必死なはずだ。 そのゴールパフォーマンスだが、右手を高く掲げるゴールパフォーマンスを見たことはあるだろうか。シンプルなパフォーマンスだが、対戦相手にとっては悪夢とも言えるこのポーズは、かつてイングランド代表のエースであったアラン・シアラーのものだ。 <span class="paragraph-title">◆商標登録されるパフォーマンス</span> 特段目立つパフォーマンスでもなく、むしろ地味でシンプルなものだが、ことシアラーの右手を掲げるパフォーマンスは誇り高きパフォーマンスとして愛されている。 このパフォーマンスは商標登録されるほど。もちろん、パフォーマンスをすることが他の選手に禁じられているわけではなく、シアラーが右手を高く掲げるこのパフォーマンスの写真等を使用した商品は、10%がチャリティに寄付されるというものだ。 それだけこのパフォーマンスの価値が高いということを示しており、イングランドにとって重要なパフォーマンスであることが知れるところ。プレミアリーグにおける最多得点記録保持者ということでも、どれほど多くの回数右手が掲げられたかがわかるだろう。 ニューカッスル出身のシアラーは、サウサンプトンの下部組織で育ち、1988年にアーセナル戦でプロデビューを果たす。 そのデビュー戦では、まさかのハットトリック達成。2点ビハインドから3点を奪い、チームに勝利をもたらせたことで一気に注目を集めることに。シアラーが17歳で成し遂げたことだった。 当時はプレミアリーグ発足前、ファーストディビジョンとして行われたリーグだが、1992-93シーズンに開幕したプレミアリーグで、一気にシアラーの得点力が花開くことに。スコアラーとしての地位を確立していくこととなる。 <span class="paragraph-title">◆大舞台で輝くストライカー</span> そのシアラーがイングランド代表としてデビューを果たしたのは1992年2月。フランス代表とのフレンドリーマッチだった。 フランスはエリック・カントナやジャン=ピエール・パパン、ディディエ・デシャンなど、往年のスター選手が出場していた中、シアラーは2トップで先発出場。43分に先制ゴールを記録し、こちらもデビュー戦ゴール。プロデビューに続いて、デビュー戦でいきなりゴールを決めるという勝負強さを見せる。 当時のエースは、後に名古屋グランパスに加入し、Jリーグでもプレーするギャリー・リネカー氏が務めていたが、新たなエース誕生という期待がシアラー氏にかけられていく。しかし、所属クラブとは裏腹に、イングランド代表ではシアラー氏は思うようにゴールを決められない。 シアラー氏がイングランド代表として最も輝いたのは、1996年に行われたユーロ。初戦のスイス代表戦でゴールを決めると、スコットランド代表戦で1ゴール、オランダ代表戦で2ゴールと3試合連続ゴールを記録。準決勝のドイツ代表戦でも1ゴールを決め、大会通算5ゴールで得点王に。チームはベスト4で終わったが、初めてイングランド代表でもその得点力を披露することとなった。 なお、ユーロ初戦でゴールを決めるまで、20試合ゴールを決めていないことも大きな話題となったが、大舞台での活躍で信頼を取り戻す。 その後も、日本代表が初めて出場した1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)に向けた欧州予選ではゴールを量産。無事に出場権を獲得すると、本大会でも2ゴールを記録した。 シアラーは2000年のユーロにも出場し、2ゴールを記録。ユーロ予選も含めてゴールを決めた一方で、フレンドリーマッチではほとんどゴールを決めないという不思議な現象もあり、代表通算63試合で30ゴールという成績に。歴代8位という意外な数字で終わっているが、決めなければいけない試合でのゴールをしっかり決める勝負強さを発揮した。 <span class="paragraph-title">◆ストライカーの完成形</span> イングランド代表としては大きな輝きを放てなかったシアラーだが、クラブレベルでの活躍は素晴しいものだった。 プレミアリーグが発足した1992-93シーズンにブラックバーンへと移籍したシアラーは、21試合で16ゴール4アシストを記録。ケガなどもあり満足いく数字を残せなかったが、1993-94シーズンは40試合で31ゴール4アシストと得点を倍増させる。 さらに1994-95シーズンは42試合で34ゴール13アシストとアシスト数も増加。元イングランド代表FWクリス・サットンとのSASコンビでプレミアリーグ得点王に輝くと、チームを優勝に導くことに。ビッグ6と呼ばれるクラブ以外では、“奇跡の優勝”と言われた2015-16シーズンのレスター・シティと共にチャンピオンとして名を残している状況だ。 なお1995-96シーズンは35試合で31ゴール、ニューカッスルへと移籍した1996-97シーズンは31試合で25ゴールを記録し3年連続得点王に輝いていた。 当然その得点力にはビッグクラブが目をつけており、マンチェスター・ユナイテッドやバルセロナなどが獲得に動いたが、自身が愛する地元のクラブであるニューカッスルから離れることはなく、キャリアの終了までプレーした。 シアラーの特徴は、183cmと際立って大柄ではないものの、空中戦にめっぽう強く、ヘディングの技術は卓越したものがあり、多くのゴールにつなげた。 さらにシュートレンジも広く、様々なゴールパターンを持っていることからも、完成されたストライカーの1人として認識され、キャリアの晩年になってもゴールを決め続け、積み上げたプレミアリーグでのゴールは「260」。2位のウェイン・ルーニーが「208」と遠く及んでない。 そのシアラーの記録を抜く可能性を持っているのが、現在のイングランド代表のエースであるトッテナムのハリー・ケインと言われている。現時点で「167」ゴールを記録しており、記録までおよそ100ゴール。28歳のケインがプレミアリーグでプレーを続ければ間違いなく達成されるだろうが、イングランド人FWにとっての目指すべき姿として、今なお愛され続けている。 <div id="cws_ad"><hr>イングランド代表でも活躍し、ニューカッスルのレジェンドとしてプレミアリーグ歴代最多ゴール数を誇るシアラーが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>イングランド代表としてプレーしたDFソル・キャンベル、FWマイケル・オーウェンと共に現役時代に魅せたゴールが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD?pid=worldsoccer2110&c=worldsoccer2110&is_retargeting=true&af_inactivity_window=3d&af_dp=ryan.app%3A%2F%2F&af_web_dp=http%3A%2F%2Fsakatsuku-rtw.sega.com%2F" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20211027.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> <span class="paragraph-title">【動画】伝説のストライカー、シアラーのイングランド代表での技ありゴール集!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">A huge congratulations to former <a href="https://twitter.com/hashtag/ThreeLions?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ThreeLions</a> man <a href="https://twitter.com/alanshearer?ref_src=twsrc%5Etfw">@alanshearer</a> on becoming one of the first inductees into the <a href="https://twitter.com/premierleague?ref_src=twsrc%5Etfw">@premierleague</a> Hall of Fame! <a href="https://t.co/FpxSU7B2cK">pic.twitter.com/FpxSU7B2cK</a></p>— England (@England) <a href="https://twitter.com/England/status/1386592090247860224?ref_src=twsrc%5Etfw">April 26, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJzUmR6VnJiMiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.10.27 20:00 Wed5
オーウェンがユナイテッドに必要だと思う選手は“ネクスト・ルーニー”
イングランド代表のレジェンドであるマイケル・オーウェン氏が、マンチェスター・ユナイテッドの補強指針にアドバイスをした。 古豪復活を目指し、大型補強を繰り返しているユナイテッド。今シーズンも夏にレスター・シティからイングランド代表DFハリー・マグワイアを巨額の移籍金で獲得した他、冬にはスポルティング・リスボンからポルトガル代表MFブルーノ・フェルナンデスを獲得した。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJPOFZhNFhrbCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> これらの獲得選手は軒並み期待に応える獲得を見せていることに加え、スコットランド代表MFスコット・マクトミネイやイングランド代表FWマーカス・ラッシュフォードなどアカデミー出身の生え抜き選手が台頭するなど、チーム力は確実に向上している。 しかし、リバプールやユナイテッドで活躍したオーウェン氏は、プレミアリーグのインタビューの中で、古巣に欠けている選手について語った。 「不可能かも知れないとは分かっているが、マンチェスター・ユナイテッドは“ネクスト・ルーニー”を見つけるべきだ。19歳から21歳くらいの選手で、今後10年はクラブに留まるであろう選手をね」 「彼らは(ズラタン・)イブラヒモビッチや(オディオン・)イガロでその場しのぎをしてきたと思う」 「こういった選手は素晴らしい選手だが、キャリアの終盤に差し掛かっている選手だ。彼らは、キャリアをスタートさせたばかりの若手で今後クラブを引っ張っていけるような、ルーニーのような選手を見つける必要がある」 また、オーウェン氏はかつてのチームメイトであるウェイン・ルーニー(現ダービー・カウンティ)が必要とコメントしたが、“ネクスト・ルーニー”候補をクラブは既に見つけているかも知れないと語った。 「その選手にメイソン・グリーンウッドがなれるのか。彼らはベテラン選手を使いながら、若手を成長させているのかも知れない」 「今ユナイテッドで起こっていることは不思議だし、本当に興味深いパズルのようだ。だが、彼らが正しい方向に進んでいるとは思う」 2020.06.10 20:15 Wedマイケル・オーウェンの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2013年7月1日 | ストーク | 引退 | - |
2012年9月4日 | 無所属 | ストーク | 完全移籍 |
2012年7月1日 | マンチェスター・U | 無所属 | - |
2009年7月3日 | ニューカッスル・ジェッツ | マンチェスター・U | 完全移籍 |
2005年8月31日 | レアル・マドリー | ニューカッスル・ジェッツ | 完全移籍 |
2004年8月13日 | リバプール | レアル・マドリー | 完全移籍 |
1997年7月1日 | リバプール | 完全移籍 |
マイケル・オーウェンの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2016年4月21日 | リバプール | - |
マイケル・オーウェンの今季成績
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勝
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分
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負
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プレミアリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
カラバオカップ(EFLカップ) | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
UEFAチャンピオンズリーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
FAカップ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
マイケル・オーウェンの出場試合
プレミアリーグ |
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第1節 | 2024-08-17 | vs | イプスウィッチ・タウン | ベンチ外 | ||
A
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第2節 | 2024-08-25 | vs | ブレントフォード | ベンチ外 | ||
H
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第3節 | 2024-09-01 | vs | マンチェスター・ユナイテッド | ベンチ外 | ||
A
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第4節 | 2024-09-14 | vs | ノッティンガム・フォレスト | ベンチ外 | ||
H
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第5節 | 2024-09-21 | vs | ボーンマス | ベンチ外 | ||
H
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第6節 | 2024-09-28 | vs | ウォルバーハンプトン | ベンチ外 | ||
A
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第7節 | 2024-10-05 | vs | クリスタル・パレス | ベンチ外 | ||
A
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第8節 | 2024-10-20 | vs | チェルシー | ベンチ外 | ||
H
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第9節 | 2024-10-27 | vs | アーセナル | ベンチ外 | ||
A
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第10節 | 2024-11-02 | vs | ブライトン&ホーヴ・アルビオン | ベンチ外 | ||
H
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第11節 | 2024-11-09 | vs | アストン・ビラ | ベンチ外 | ||
H
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第12節 | 2024-11-24 | vs | サウサンプトン | ベンチ外 | ||
A
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第13節 | 2024-12-01 | vs | マンチェスター・シティ | ベンチ外 | ||
H
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第14節 | 2024-12-04 | vs | ニューカッスル | ベンチ外 | ||
A
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第16節 | 2024-12-14 | vs | フルアム | ベンチ外 | ||
H
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第17節 | 2024-12-22 | vs | トッテナム | ベンチ外 | ||
A
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第18節 | 2024-12-26 | vs | レスター・シティ | ベンチ外 | ||
H
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第19節 | 2024-12-29 | vs | ウェストハム | ベンチ外 | ||
A
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第20節 | 2025-01-05 | vs | マンチェスター・ユナイテッド | ベンチ外 | ||
H
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第21節 | 2025-01-14 | vs | ノッティンガム・フォレスト | ベンチ外 | ||
A
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第22節 | 2025-01-18 | vs | ブレントフォード | ベンチ外 | ||
A
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第23節 | 2025-01-25 | vs | イプスウィッチ・タウン | ベンチ外 | ||
H
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第24節 | 2025-02-01 | vs | ボーンマス | ベンチ外 | ||
A
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第15節 | 2025-02-12 | vs | エバートン | ベンチ外 | ||
A
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第25節 | 2025-02-16 | vs | ウォルバーハンプトン | ベンチ外 | ||
H
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第29節 | 2025-02-19 | vs | アストン・ビラ | ベンチ外 | ||
A
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第26節 | 2025-02-23 | vs | マンチェスター・シティ | ベンチ外 | ||
A
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第27節 | 2025-02-26 | vs | ニューカッスル | ベンチ外 | ||
H
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第28節 | 2025-03-08 | vs | サウサンプトン | ベンチ外 | ||
H
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第30節 | 2025-04-02 | vs | エバートン | ベンチ外 | ||
H
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第31節 | 2025-04-06 | vs | フルアム | ベンチ外 | ||
A
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第32節 | 2025-04-13 | vs | ウェストハム | ベンチ外 | ||
H
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第33節 | 2025-04-20 | vs | レスター・シティ | ベンチ外 | ||
A
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第34節 | 2025-04-27 | vs | トッテナム | ベンチ外 | ||
H
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カラバオカップ(EFLカップ) |
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3回戦 | 2024-09-25 | vs | ウェストハム | ベンチ外 | ||
H
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4回戦 | 2024-10-30 | vs | ブライトン&ホーヴ・アルビオン | ベンチ外 | ||
A
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準々決勝 | 2024-12-18 | vs | サウサンプトン | ベンチ外 | ||
A
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準決勝1stレグ 準決勝1stレグ | 2025-01-08 | vs | トッテナム | ベンチ外 | ||
A
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準決勝2ndレグ 準決勝2ndレグ | 2025-02-06 | vs | トッテナム | ベンチ外 | ||
H
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決勝 | 2025-03-16 | vs | ニューカッスル | ベンチ外 | ||
H
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UEFAチャンピオンズリーグ |
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リーグフェーズ第1節 | 2024-09-17 | vs | ミラン | ベンチ外 | ||
A
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リーグフェーズ第2節 | 2024-10-02 | vs | ボローニャ | ベンチ外 | ||
H
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リーグフェーズ第3節 | 2024-10-23 | vs | RBライプツィヒ | ベンチ外 | ||
A
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リーグフェーズ第4節 | 2024-11-05 | vs | レバークーゼン | ベンチ外 | ||
H
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リーグフェーズ第5節 | 2024-11-27 | vs | レアル・マドリー | ベンチ外 | ||
H
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リーグフェーズ第6節 | 2024-12-10 | vs | ジローナ | ベンチ外 | ||
A
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リーグフェーズ第7節 | 2025-01-21 | vs | リール | ベンチ外 | ||
H
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リーグフェーズ第8節 | 2025-01-29 | vs | PSV | ベンチ外 | ||
A
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ラウンド16・1stレグ | 2025-03-05 | vs | パリ・サンジェルマン | ベンチ外 | ||
A
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ラウンド16・2ndレグ | 2025-03-11 | vs | パリ・サンジェルマン | ベンチ外 | ||
H
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FAカップ |
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3回戦 | 2025-01-11 | vs | アクリントン・スタンリー | ベンチ外 | ||
H
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4回戦 | 2025-02-09 | vs | プリマス | ベンチ外 | ||
A
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マイケル・オーウェンの代表履歴
デビュー日 | 引退日 | チーム |
1998年2月11日 | 2008年3月26日 | イングランド代表 |