野津田岳人
Gakuto NOTSUDA
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ポジション | MF |
国籍 |
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生年月日 | 1994年06月06日(31歳) |
利き足 | 左 |
身長 | 177cm |
体重 | 72kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ |
野津田岳人のニュース一覧
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「気持ち悪さが残る」誤審の当事者、札幌GK菅野孝憲が見解綴る「今後このようなミスが起きる事が無いようにと願うばかり」
北海道コンサドーレ札幌のGK菅野孝憲が、一連の騒動について言及した。 事の発端は18日に行われた2023シーズンの明治安田生命J1リーグ開幕節のサンフレッチェ広島戦。0-0で迎えた74分、。広島が左CKを獲得すると、野津田岳人のクロスを佐々木翔が頭でフリック。繋いだボールをファーサイドの川村拓夢がヘディングシュートで押し込んだ。 これを菅野が素晴らしい反応で左足を出しセーブ。 肉眼ではボールはラインを越えているようにも見え、当然VARによるゴールチェックの対象にもなったが、確認の結果はノーゴールだった。 しかし、この判定が大きな話題となると、日本サッカー協会(JFA)の審判委員会の扇谷健司委員長が22日にブリーフィングを実施。「我々審判委員会ではゴールインにすべき事象であったと結論付けました」と誤審であることを認める事態となった。 広島と札幌に対しては報告と謝罪を行ったとする中、当事者である菅野が自身のインスタグラムを更新。スーパーセーブとされたものから一転、誤審という結果になったことについて言及した。 「本日2/22日本サッカー協会(JFA)発表の誤審に関して、私のプレーが直接関係していますので、私の言葉で発信させていただきます」 「この試合後の誤審発表には私自身も気持ち悪さが残りますし、逆の立場であれば消化しきれない気持ちになる事は痛いほど理解できます」 「サンフレッチェ広島に関わる全ての方々、スタッフ、選手、北海道コンサドーレ札幌に関わる全て方々、スタッフ、選手は人生を懸けて全力で闘い合った事は事実です」 「今後このようなミスが起きる事が無いようにと願うばかりです。そして今後この件に関しましては一切の発言、発信はいたしません。この発信内容がすべてです」 自身の立場もありながら、相手の立場も考えての発言。ファンは「発信ありがとう!」、「かっこいいです」、「切り替えて頑張ってください!」、「次も期待しています!」とエールを送った。 <span class="paragraph-title">【動画】スーパーセーブから一転、誤審が認められた広島vs札幌の問題のゴールシーン</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="O9d7Up6HODs";var video_start = 248;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.02.23 12:25 Thu2
広島MF野津田岳人がタイのBGパトゥムへ完全移籍、手倉森誠監督が指揮「選手である以上試合に出てプレーをしたい」
サンフレッチェ広島は20日、MF野津田岳人(30)がタイ・リーグ1のBGパトゥム・ユナイテッドへ完全移籍することを発表した。 野津田は広島県出身で、ジュニアユースから広島でプレー。ユース、トップチームと昇格した。 2012年から広島でプレーし、2016年途中にはアルビレックス新潟、2017年には清水エスパルス、ベガルタ仙台へ期限付き移籍。2018年も仙台へ期限付き移籍すると、広島に戻ったものの出番が増えず、2021年にはヴァンフォーレ甲府へと期限付き移籍していた。 甲府では明治安田生命J2リーグで41試合に出場し2得点を記録。2022年に広島に戻ると、ミヒャエル・スキッベ監督の下で出番を増やしていたが、今シーズンはここまで明治安田J1で4試合、YBCルヴァンカップで2試合、天皇杯で1試合の出場に終わっていた。 広島ではJ1通算146試合13得点、リーグカップ通算26試合4得点、天皇杯通算17試合4得点を記録した。 また、U-15からU-23まで日本代表歴もある。野津田はクラブを通じてコメントしている。 「このたび、タイのBGパトゥム・ユナイテッドFCへ完全移籍することになりました。僕は幼い頃からサンフレッチェ広島というクラブに憧れ、そしてここまで育ててもらいました。このクラブは僕にとってのサッカー人生そのものです。そんなクラブで今までプレーさせてもらえて本当に夢のような時間でした」 「ここまで、多くの偉大な先輩達、そして可愛い後輩達といった最高のチームメートやスタッフの方達と一緒にプレーできた事、たくさんのタイトルを取れた事、そしていろいろな方の想いが詰まって完成した最高のスタジアムでプレーできた事は忘れません」 「ただ自分自身、まだまだやれる自信があり、選手である以上試合に出てプレーをしたいという思いがありました。そして広島から他のJリーグのクラブに行くのではなく、今までとは違った国、環境で新たに挑戦し、プレーヤーとしても人間としても成長したいという思いでこの決断をしました。この決断を受け入れてくれたクラブには本当に感謝しかありません」 「ファン・サポーターの皆さん、今まで本当にたくさんの応援をありがとうございました。広島のファン・サポーターの元でプレーできたことは僕の誇りです。どんな時もサポート、応援していただきありがとうございました」 「広島の誇りを胸に新たな環境で輝けるように頑張ってきます。今まで本当にありがとうございました。サンフレッチェ広島がエディオンピースウイング広島で数多くのタイトルを獲得できることを心より願っています」 BGパトゥム・ユナイテッドは仙台時代に共に仕事をし、野津田の世代であるリオ・デ・ジャネイロ五輪で指揮を執った手倉森誠監督が指揮している。 2024.06.20 11:11 Thu野津田岳人の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2024年6月20日 |
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完全移籍 |
2022年1月31日 |
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期限付き移籍終了 |
2021年2月1日 |
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期限付き移籍 |
2019年1月31日 |
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期限付き移籍終了 |
2017年8月8日 |
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期限付き移籍 |
2017年8月7日 |
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期限付き移籍終了 |
2017年2月1日 |
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期限付き移籍 |
2017年1月31日 |
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期限付き移籍終了 |
2016年4月1日 |
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期限付き移籍 |
2013年2月1日 |
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昇格 |