エディンソン・カバーニ

Edinson CAVANI
ポジション FW
国籍 ウルグアイ
生年月日 1987年02月14日(38歳)
利き足
身長 188cm
体重 78kg
ニュース 人気記事 クラブ

エディンソン・カバーニのニュース一覧

ウルグアイ代表がアルゼンチン人指揮官のマルセロ・ビエルサ氏(67)の招へいに向けて交渉を進めているようだ。 ウルグアイは2021年11月、カタール・ワールドカップ(W杯)南米予選での不振を受けて、15年間にわたって指揮を執ってきたオスカル・タバレス氏が退任。後任としてチームを託されたディエゴ・アロンソ前監督はチー 2023.03.30 17:55 Thu
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レアル・マドリーのFWアルバロ・ロドリゲス(18)が、ウルグアイ代表でのプレーを決断した。 アルバロは、かつてペニャロールなどで活躍した元ウルグアイ代表FWコキート(57)とスペイン人の母親の元でスペインのパラモスで生まれ育った。 その後、ジローナから2020年にマドリーのカンテラに加入すると、193cmの 2023.03.29 23:51 Wed
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24日、新生・日本代表が始動。史上初となる2期目の指揮を執ることとなった森保一監督が率いるチームは、2026年の北中米ワールドカップ(W杯)を目指し、ここからスタートする。 昨年のカタールW杯では、ドイツ代表、スペイン代表という世界の強豪を下すなど、日本中を大いに沸かせた中、4度目の挑戦となったラウンド16の壁は 2023.03.24 12:25 Fri
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23日、ウルグアイ代表のマルセロ・ブロリ監督が、日本代表戦に向けて記者会見を行った。 キリンチャレンジカップ2023で来日したウルグアイ。カタール・ワールドカップ(W杯)ではグループステージ敗退と失意の中で終え、新監督が決定していない中での活動となった。 U-20ウルグアイ代表を率い、U-20W杯出場も決め 2023.03.24 10:50 Fri
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ウルグアイサッカー連盟(AUF)は17日、国際親善試合に臨むウルグアイ代表メンバーを発表した。 カタール・ワールドカップ(W杯)に出場したウルグアイだったが、グループステージで敗退。新監督が決まらず、U-20ウルグアイ代表を指揮するマルセロ・ブロリ監督(45)が暫定的にチームを指揮することが決定していた。 2023.03.17 10:40 Fri
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ボカ・ジュニアーズのニュース一覧

チェルシーがアトランタ・ユナイテッドからU-23アメリカ代表DFケイレブ・ワイリー(19)を獲得するようだ。 ワイリーは米国アトランタの出身で、地元のアトランタ・ユナイテッド・アカデミーから2022年に実質的なトップ昇格。サイドバックを中心に左サイド全般をこなし、19歳にしてMLS通算77試合出場を誇る。 2024.07.09 18:40 Tue
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ボカ・ジュニアーズFWエディンソン・カバーニのウルグアイ代表引退に長らく共闘のインテル・マイアミFWルイス・スアレスが反応した。 2人は近年のウルグアイで自慢の攻撃陣を引っ張る存在で、ディエゴ・フォルラン氏が引退してからも長らく中心に。代表歴代得点数では最多68ゴールのスアレスに次いで、カバーニも2位の58ゴール 2024.06.01 12:40 Sat
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エディンソン・カバーニの人気記事ランキング

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「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけ」21世紀で最もPKを外したのは誰?トップは同数で、やはりあの2人…!

PKと言えば決めるのが当たり前とされており、PK失敗シーンの方が珍しいが、「決めて当たり前」というプレッシャーが逆に足かせとなり、メンタルの強さが試されるプレーだ。 また、その独特のプレッシャーを再現することは試合本番でしかできず、練習できないプレーだとも言われている。 <div id="cws_ad">◆ミス数1位も外した分だけ決めている!<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJpOXAybUtTUSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> PKが得意、不得意な選手がいる中、『Transfer Markt』が21世紀に入ってから、最もPKをミスした選手たちを紹介している。 21世紀で最もPKを外した選手は、史上最高の選手と名高いバルセロナのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシとユベントスのポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドの2人となっており、それぞれ27度のPK失敗を記録している。 しかし、PKを蹴った母数ではC・ロナウドの162回に対し、メッシは126回であることから、成功率はC・ロナウドの方が高いことが分かった。 また、3位には99回のPKを蹴り、19回外している元イタリア代表FWフランチェスコ・トッティと、4位に92回のPKで16回の失敗を経験している元スウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチがランクイン。 しかし、メッシ、C・ロナウド、トッティ、イブラヒモビッチの4人は、同時に21世紀で最も多くPKを決めている選手の上位4人にもなっており(1位:C・ロナウド、2位:トッティ、3位:メッシ、4位:イブラヒモビッチ)、成功も多い分、失敗も多いという結果となった。 1994年のアメリカワールドカップ(W杯)決勝でPKを外した元イタリア代表FWロベルト・バッジョ氏は「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」という名言を残しているが、まさにその言葉通りの結果となっている。 ◆21世紀のPK失敗回数(括弧内は失敗率) 1.リオネル・メッシ:126回中27回失敗(21.4%) 2.クリスティアーノ・ロナウド:162回中27回失敗(16.7%) 3.フランチェスコ・トッティ:99回中19回失敗(19.2%) 4.ズラタン・イブラヒモビッチ:92回中16回失敗(17.4%) 5.アントニオ・ディ・ナターレ:58回中15回失敗(25.9%) 6.エディンソン・カバーニ:73回中14回失敗(19.2%) 7.ウェイン・ルーニー:53回中13回失敗(24.5%) 8.ロナウジーニョ:68回中13回失敗(19.1%) 9.フランク・ランパード:80回中13回失敗(16.3%) 10.セルヒオ・アグエロ:61回中12回失敗(19.7%) <div style="text-align:left;" id="cws_ad">11.ルート・ファン・ニステルローイ:53回中11回失敗(20.8%)<br/>12.マルコ・ディ・バイオ:23回中10回失敗(43.5%)<br/>13.アントニオ・グリーズマン:30回中10失敗(33.3%)<br/>14.アンドレア・ピルロ:34回中10回失敗(29.4%)<br/>15.アリツ・アドゥリス:45回中10回失敗(22.2%)<br/>16.ピエール=エメリク・オーバメヤン:46回中10回失敗(21.7%)<br/>17.ネイマール:56回中10回失敗(17.9%)<br/>18.マレク・ハムシク:24回中9回失敗(37.5%)<br/>19.ルカ・トーニ:28回中9回(32.1%)<br/>20.ゴンサロ・イグアイン:32回中9回失敗(28.1%)<br/>21.ダニ・パレホ:41回中9回失敗(22%)<br/>22.ダビド・ビジャ:56回中9回失敗(16.1%)<br/>23.スティーブン・ジェラード:59回中9回失敗(15.3%)<br/>24.アントニオ・カッサーノ:20回中8回失敗(40%)<br/>25.クラース・ヤン・フンテラール:24回中8回失敗(33.3%)</div> 2020.11.15 20:30 Sun
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ボカが本拠地を拡張へ! 実現なら収容8万2000人に…世界屈指の熱狂を誇るラ・ボンボネーラ

ボカ・ジュニアーズが本拠地拡張への第一歩を踏み出した。アルゼンチン『Ole』が伝えている。 南米屈指の名門であるボカ。故ディエゴ・マラドーナ氏やガブリエル・バティストゥータ氏、ファン・ロマン・リケルメ氏(現・副会長)といった数多のスーパースターたちが在籍し、南米王者を決めるコパ・リベルタドーレスでは歴代最多の決勝戦進出11回、歴代2位の優勝6回を誇る。 過去の実績や元所属選手を並べるだけでもその偉大さがよくわかるわけだが、クラブ最大の特徴はなんといっても人生を捧げるサポーター、そして彼らを迎え入れる首都ブエノスアイレスの本拠地「ラ・ボンボネーラ」だ。 ラ・ボンボネーラは1940年に建造され、収容人数は5万4000人。生前のマラドーナ氏が「サッカーの聖地」と称えたスタジアムは、ライトグリーンの芝生以外は全てがクラブカラーの青と黄色で埋め尽くされており、観客席の傾斜は非常に高く、競馬場を彷彿とさせるメインスタンドの構造も特徴的だ。 そんなラ・ボンボネーラに関して大きなニュースが。ボカのホルヘ・アモール・アメアル会長が22日、ブエノスアイレス議会でプレゼンテーションを行い、「収容人数を最大8万2000人まで拡張するプロジェクト」の要請書を正式に提出した。 『Ole』によると、この本拠地拡張計画では緑地環境の設置を大前提にしており、商業施設の併設も視野に入っているとのこと。過去にも何度か計画が持ち上がったものの、近隣の住宅などを取り壊して補償する必要があり、進展していなかったという。すなわち、議会に要請書を提出したのは今回が初めてだ。 今夏にウルグアイ代表FWエディンソン・カバーニを迎え入れたボカが新しい時代に向けてスタートを切った。 <span class="paragraph-title">【動画】ファン熱狂! カバーニのボカ初得点はラ・ボンボネーラ</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="es" dir="ltr">¡Triunfazo en casa! +<br><br>Nos reencontramos el miércoles <a href="https://t.co/f3grzrqiMq">pic.twitter.com/f3grzrqiMq</a></p>&mdash; Boca Juniors (@BocaJrsOficial) <a href="https://twitter.com/BocaJrsOficial/status/1692737382510907392?ref_src=twsrc%5Etfw">August 19, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.08.23 16:04 Wed
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日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ

遡る事22年前──1998年の6月は日本サッカーが初めて世界を知った1カ月だった。 “ジョホールバル”の歓喜で初めてワールドカップの出場権を獲得した日本代表。プロリーグがスタートしてから初めて実感した世界のサッカーは、次元の違うものだった。 当時から攻撃力に秀でていた南米の雄・アルゼンチン代表がワールドカップ初戦の相手。日本はディフェンシブな布陣で臨んだが、一瞬の隙を突かれてやられた。 前半28分、クリアミスを拾われるとパスを繋がれる。現在はアトレティコ・マドリーで指揮を執るディエゴ・シメオネからの縦パスが入ったところで当時の10番・名波浩がアリエル・オルテガのスルーしたボールに対応できないと、これが絶妙なパスとなってしまい、そのままゴールを許してしまった。 日本代表のワールドカップの歴史に最初に名を刻んだ男。それが、アルゼンチン代表のエース、ガブリエル・バティストゥータだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本を沈めた“バティゴール” </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> フィオレンティーナでキャリアの全盛期を過ごしていたバティストゥータは、エースとして日本戦に先発出場。FWクラウディオ・ロペス、FWアリエル・オルテガとともに日本ゴールを脅かしていた。 そして日本に少し疲れが見え始めた28分にゴールを奪う。 名波が対応をミスしたボールを受けたバティストゥータは、飛び出してきたGK川口能活の上を通す冷静沈着なチップキックでゴールを決めた。 ゴール前でのこの落ち着きは、今の日本にも必要な要素。意図しないこぼれ球であったが、しっかりと胸トラップでコントロールし、名波のプレッシャー、川口の飛び出しにも冷静に対処した。まさに、ストライカーらしいゴールだった。 <div id="cws_ad">◆日本を沈めた“バティゴール” も!バティストゥータのゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJzTmlYUDBZeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201028_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆フィレンツェの英雄</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1988年に母国のニューウェルズ・オールドボーイズにてプロデビューを果たしたバティストゥータは、リーベル・プレートを経て加入したボカ・ジュニアーズで才能を一気に開花させる。 ここでの活躍からセリエAの強豪チームの1つであったフィオレンティーナへ加入。ロベルト・バッジョ氏の後釜としての加入だった彼に不信感を抱く者もいたが、デビュー戦となった1991年9月1日のユベントス戦でいきなりゴールを記録。その後も得点を量産し、フィオレンティーナの旗手としてチームを牽引し続けた。 1992-93シーズンにフィオレンティーナがまさかのセリエBに降格した際には、誰もがチームを離れる事を予想したが、バティストゥータはチームに残留。1年でのセリエA復帰に貢献するだけでなく、1994-95シーズンには26ゴールを挙げて得点王も獲得している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ローマで日本代表戦士と共に悲願のスクデット</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、フィオレンティーナでは本人の夢であるスクデット獲得には至らず、その夢を果たすため2000-01シーズンにローマへ電撃移籍。シーズン途中にケガでの離脱がありながら20得点を挙げる活躍を見せ、移籍1年目、そしてイタリア10年目にして祈願のスクデットを獲得した。 このシーズンは、前年の途中にペルージャから加入していた元日本代表MF中田英寿もローマに所属。フランチェスコ・トッティとのポジション争いもある中で、中田もスクデット獲得に貢献。1998年のフランスW杯で敵として黒星をつけた男と、2年後にはチームメイトになっていたのだから、中田の凄さも計り知れないところだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ストライカーから認められる “ストライカー”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もローマでプレーしたバティストゥータだが、2002-03シーズン途中、ローマにて出場機会を失いつつあった彼はインテルへレンタル移籍。母国の後輩であり、ケガで離脱していたFWエルナン・クレスポの穴埋めと期待されたが、12試合で2ゴールと期待された結果を残せず。翌シーズンにはカタールのアル・アラビへと完全移籍。2005年3月に現役を退いた。 アルゼンチンに収まらず、1990年代最高のストライカーの1人であったバティストゥータだが、その姿は現代で活躍するストライカーたちの目にも焼き付いている。 ウルグアイが誇る現代屈指のストライカーであるFWルイス・スアレス(アトレティコ・マドリー)は、バティストゥータの同胞フアン・パブロ・ソリンとのインタビューでその強烈な憧れを明かしている。 「子供の頃からアイドルだったということを伝えたい。あなたは私が今まで見たサッカー選手の中で最も偉大な存在だった。子供の頃から真似してみたけど、だからこそ憧れてしまう。あなたは私にとってアイドルです」 さらには、ウルグアイ代表でスアレスの相棒であるFWエディンソン・カバーニ(マンチェスター・ユナイテッド)もバティストゥータに憧れを抱いた1人だ。 「昔から憧れているストライカーを1人選ばなければならないのなら、バティストゥータを選ぶよ。フィオレンティーナの9番を背負った彼は最強だった。9番は特別な数字で得点を挙げる人間を表す。よく似合っていた」 破壊的な右足とヘディングに高い決定力を備え、どこからでもゴールを貪欲に狙う姿勢。最もゴールにこだわり、ゴールを決めてきたバティストゥータこそ、"9番”の象徴であり、“ストライカー”の神髄と呼べる存在だった。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>日本代表を沈める“バティゴール”を決めた1990年代最高のストライカーの一人であるバティストゥータが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />さらに日本戦にもフル出場していたMFファン・セバスティアン・ベロンとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“バティゴール”を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.10.30 15:30 Fri
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カバーニ、ユナイテッドが誇るレジェンド復帰で危うしも今夏移籍なしか

ウルグアイ代表FWエディンソン・カバーニ(34)は今季もここままマンチェスター・ユナイテッドでプレーするようだ。 昨夏にパリ・サンジェルマン(PSG)からのフリートランスファーでユナイテッド入りしたカバーニ。徐々に存在感を高めていき、ヨーロッパリーグ準決勝で2試合4ゴールの活躍を披露してチームをファイナルに導くなど、公式戦39試合の出場で17得点6アシストという好スタッツを記録した。 そうした活躍の裏で単年契約に付く1年延長オプションが行使されずしてのボカ・ジュニアーズ行きが取り沙汰される時期もあったが、今年5月に新たな契約にサイン。2022年6月末までの契約を結び、「大きな愛情を抱くようになった」と残留の決め手としてクラブへの愛着を口もした。 今季もあらゆる点取り屋の手本ともいえる卓越した動き出しでゴール量産が期待されるウルグアイ産のストライカーだが、自身のポジションを揺るがしなねないライバルが現る。それは27日にユベントスからの現役復帰が内定したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(36)だ。 カバーニも押しも押されもせぬ実績十分のスコアラーだが、C・ロナウドはかつてユナイテッドのシンボルナンバー「7」として公式戦通算292試合の出場で118得点69アシストをマークしたクラブの生きるレジェンド。今回の復帰劇は帰還を待望視するファンにとって、悲願ともいえる。 そのC・ロナウドと同じセンターフォワードということもあり、影響をもろに受けそうなカバーニだが、心配なさそうだ。移籍市場に精通するイタリア人ジャーナリストのファブリツィオ・ロマーノ氏いわく、カバーニ本人はC・ロナウドの加入後も今夏移籍をまったく考えていないという。 また、ユナイテッド側もカバーニのキープを100%確信している様子。イギリス地元紙『マンチェスター・イブニング・ニュース』もロマーノ氏の主張に同調する形で、「ユナイテッドは今夏のデッドラインデイ前に売却するプランを持っていない」とクラブのスタンスを明確にしている。 2021.08.28 17:55 Sat
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カタールW杯での不適切行為でカバーニらウルグアイ代表4選手に出場停止と罰金処分…代表チームはホーム1試合でゴール裏閉鎖と罰金

国際サッカー連盟(FIFA)は27日、カタール・ワールドカップ(W杯)での試合で起こった事件に関して、ウルグアイ代表への処分を発表した。 事件が起こったのは12月2日のカタールW杯、ガーナ代表vsウルグアイ代表の試合だ。 試合は2-0でガーナが勝利し、ウルグアイはグループステージで敗退。この試合中には、ガーナのファウルを取らなかったとして選手がドイツ人主審へと詰め寄っていた。また、試合後にも騒動が起こり、両チームの選手たちが揉める事件が起こっていた。 FIFA規律委員会は、ウルグアイサッカー協会(AUF)がウルグアイ代表のサポーターによる差別行動、選手たちの不正行為、攻撃的な行為、そしてフェアプレー違反の責任を負うべきだと判断したという。 また、FIFA規律委員会は不正行為を行った4選手に対し、個別の制裁を課すことを発表した。 処分対象となったのは、DFホセ・マリア・ヒメネス、GKフェルナンド・ムスレラ、FWエディンソン・カバーニ、DFディエゴ・ゴディンの4名となる。 AUFに対しては、次のFIFA国際Aマッチでゴール裏の閉鎖に加え、5万スイスフラン(約700万円)の罰金処分が課される。 また、ヒメネスとムスレラには4試合の出場停止と、奉仕活動、2万スイスフラン(約280万円)の罰金、カバーニとゴディンには、1試合の出場停止と1万5000スイスフラン(約211万円)の罰金が課される。 2023.01.28 22:40 Sat

エディンソン・カバーニの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2023年7月29日 バレンシア ボカ・ジュニアーズ 完全移籍
2022年8月29日 マンチェスター・U バレンシア 完全移籍
2020年10月5日 PSG マンチェスター・U 完全移籍
2013年7月16日 ナポリ PSG 完全移籍
2011年7月1日 パレルモ ナポリ 完全移籍
2011年6月30日 ナポリ パレルモ レンタル移籍終了
2010年7月22日 パレルモ ナポリ レンタル移籍
2007年1月29日 ダヌービオFC パレルモ 完全移籍
2006年1月1日 ダヌービオFC 完全移籍