ジョゼ・モウリーニョ

Jose MOURINHO
ポジション 監督
国籍 ポルトガル
生年月日 1963年01月26日(62歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 監督データ

ジョゼ・モウリーニョのニュース一覧

フェネルバフチェのジョゼ・モウリーニョ監督が、レンジャーズ戦を振り返った。『UEFA.com』が伝えた。 13日、ヨーロッパリーグ(EL)ラウンド16・2ndレグでフェネルバフチェはアウェイでレンジャーズと対戦した。 1stレグではホームで1-3と敗れていたフェネルバフチェ。難しい2ndレグを迎えたが、45 2025.03.14 16:15 Fri
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フェネルバフチェのジョゼ・モウリーニョ監督が、レンジャーズ戦へ意気込みを語った。クラブ公式サイトが伝えた。 ヨーロッパリーグ(EL)のラウンド16に進出したフェネルバフチェ。6日に行われた1stレグではホームにレンジャーズを迎えた中、1-3で敗戦を喫した。 ホームでまさかの惨敗。ミスも絡んでの敗戦となったな 2025.03.13 23:10 Thu
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ローマは11日、アルゼンチン代表MFレアンドロ・パレデス(30)との契約を2026年6月30日まで延長したことを発表した。 ジョゼ・モウリーニョ体制だった2023年夏にパリ・サンジェルマンから6年ぶりに古巣復帰を果たしたパレデス。 その後、元チームメイトであるダニエレ・デ・ロッシの下ではレジスタとして中盤の 2025.03.12 06:00 Wed
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フェネルバフチェのジョゼ・モウリーニョ監督が、レンジャーズ戦の敗戦を振り返った。『UEFA.com』が伝えた。 6日、ヨーロッパリーグ(EL)ラウンド16・1stレグでフェネルバフチェはホームにレンジャーズを迎えた。 ホームでは先に勝利しておきたかったフェネルバフチェだが、6分にシリル・デサースのゴールで先 2025.03.07 14:50 Fri
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世界的な名将としても知られるジョゼ・モウリーニョ監督が、将来的なスコットランドでの指揮を否定しなかった。『ESPN』が伝えた。 これまでポルトやチェルシー、インテル、レアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッド、トッテナム・ホットスパー、ローマで監督を歴任。現在はトルコのフェネルバフチェを指揮している。 2025.03.06 01:25 Thu
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フェネルバフチェのニュース一覧

浦和レッズがフェネルバフチェのトルコ代表FWジェンク・トスン(33)を獲得することで合意したようだ。トルコ『Fanatik』が報じている。 ドイツ出身でトルコ代表として53試合出場21ゴールを記録しているストライカーのトスンは、ベシクタシュで活躍。その活躍を受けて2018年冬にエバートンに完全移籍したが、公式戦6 2025.03.02 12:30 Sun
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人種差別問題を起こしたとして4試合に出場停止処分を受けていたフェネルバフチェのジョゼ・モウリーニョ監督だが、処分が半減されることとなった。 モウリーニョ監督は、2月25日にアウェイで行われ、0-0で引き分けたスュペル・リグ第24節ガラタサライとのイスタンブール・ダービー後、控え室まで押しかけて第4審判を務めていた 2025.03.01 22:55 Sat
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トルコサッカー連盟(TFF)は27日、フェネルバフチェのジョゼ・モウリーニョ監督に対し、4試合のベンチ入り禁止と4万4000ドル(約660万円)の罰金を科した。 モウリーニョ監督は25日にアウェイで行われ、0-0で引き分けたスュペル・リグ第24節ガラタサライとのイスタンブール・ダービー後、控え室まで押しかけて第4 2025.02.28 10:30 Fri
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元コートジボワール代表のエースでもあったディディエ・ドログバ氏が、かつての恩師であるジョゼ・モウリーニョ監督を擁護した。 現在フェネルバフチェを指揮するモウリーニョ監督。しかし、24日に行われたスュペル・リグのガラタサライ戦とゴールレスドローに終わった中、人種差別的発言を行ったとして非難されている。 「試合 2025.02.27 22:17 Thu
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ガラタサライが、フェネルバフチェのジョゼ・モウリーニョ監督に対して、トルコ人に対する人種差別的発言に関して刑事訴訟を起こす意向を表明した。 ともにイスタンブールに本拠地を置き、その強いライバル関係は世界的に知られているガラタサライとフェネルバフチェ。 両者は24日、ガラタサライのホームで行われたスュペル・リ 2025.02.25 08:35 Tue
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フェネルバフチェについて詳しく見る>

ジョゼ・モウリーニョの人気記事ランキング

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終焉を迎えたレアル・マドリーのサイクル②~モウリーニョ体制プレイバック~

2018-19シーズン、レアル・マドリーは3月に入ると同時に全てのタイトルへの望みを絶たれた。2009年夏にフロレンティーノ・ペレス会長が2度目の就任を果たして以来、数々の栄光を手にしてきたクラブも、明確な後退を余儀なくされている。本稿では、このサイクルの軌跡を振り返っていく。 <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">◆ジョゼ・モウリーニョ体制/2010-13</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20190309_23_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>モウリーニョ監督は、マドリーを指揮する前年、当時率いていたインテルでイタリア史上初となるチャンピオンズリーグ(CL)、セリエA、コッパ・イタリアの三冠を達成。ポルトやチェルシーでの功績と合わせ、世界最高指揮官の1人として満を持して“新銀河系軍団”を率いることとなった。 前年には、ペレス会長がトップに返り咲き、マヌエル・ペジェグリーニ前監督の下でFWクリスティアーノ・ロナウドら大型補強を敢行していたマドリー。しかし、CLでは6シーズン連続のベスト16敗退、リーガエスパニョーラ、コパ・デル・レイでの優勝にも届かず。モウリーニョ監督には、初年度に何らかのタイトルを獲得した上で、クラブを世界最高峰に復権させる仕事が求められていた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">◆基本フォーメーション[4-2-3-1]</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20190309_23_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(c) CWS Brains, LTD.<hr></div>モウリーニョ監督は、FWクリスティアーノ・ロナウドやMFシャビ・アロンソら前年度に加入した選手を最大限生かせるよう、MFメスト・エジルやMFサミ・ケディラらを初年度に獲得。一方でFWラウールやMFグティら年齢を重ねていたスター選手たちを容赦なく切り捨てた。また、後に欠かせない選手となるMFルカ・モドリッチ、DFラファエル・ヴァランもモウリーニョ政権時に獲得している。 最前線のチョイスではFWベンゼマとFWイグアインに競争を強いていたが、その他はあまり変化させず。ベンゼマが落とし、エジルが前を向き、前線のC・ロナウドが電光石火のシュートを見舞う形は、“世界最高のカウンター”と評された。また、カバーリング範囲の広いDFペペと、インターセプトに優れるDFセルヒオ・ラモスの相性はすこぶる良く、指揮官の重視する守備戦術の根幹を担った。 <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">◆Turning Point!~レヴァンドフスキの悪夢~</span> “スペシャル・ワン”という代名詞を引っ提げてやってきたモウリーニョ監督は、初年度からコパ・デル・レイ決勝で宿敵バルセロナを撃破し、3年ぶりの主要タイトルをもたらした。そして、2年目にはリーガ史上最多勝ち点100、得点121でリーガを制覇。ジョゼップ・グアルディオラ監督の下で史上最強とも呼ばれていたバルセロナと激しく火花を散らし、対等に渡り合った。 また、初年度からCLでも7シーズンぶりにベスト16を突破。3年連続でベスト4で終わってしまったものの、確実にクラブを前進させていた。しかし、指揮3年目にはロッカールーム内から不穏な空気が漏れ伝えられ、特にクラブのリビング・レジェンドでもあるGKカシージャスとの軋轢はモウリーニョ監督へのバッシングに繋がった。 そして、その2012-13シーズン、CL準決勝1stレグ・ドルトムント戦でFWロベルト・レヴァンドフスキに4得点を奪われて1-4と大敗。既にリーガではバルセロナの優勝が確実視されており、批判は加速することとなった。 結局、10度目の欧州制覇“デシマ”を達成できなかったモウリーニョ監督は、2013年5月に追われるようにして契約解除に同意している。<hr>▽ジョゼ・モウリーニョ 【在任期間】 3シーズン(2010-13) 【戦績】 [2010-11] 公式戦59試合44勝9分け6敗 チャンピオンズリーグ:ベスト4 リーガエスパニョーラ:2位(勝ち点92) コパ・デル・レイ:優勝 [2011-12] 公式戦58試合45勝7分け6敗 チャンピオンズリーグ:ベスト4 リーガエスパニョーラ:優勝(勝ち点100) コパ・デル・レイ:ベスト8 [2012-13] 公式戦61試合38勝12分け12敗 チャンピオンズリーグ:ベスト4 リーガエスパニョーラ:2位(勝ち点85) コパ・デル・レイ:準優勝 [合計] 公式戦178試合127勝28分け23敗 【主な獲得選手】 MFアンヘル・ディ・マリア、MFメスト・エジル、MFサミ・ケディラ、MFルカ・モドリッチ、MFカゼミロ、DFラファエル・ヴァラン 【主な放出選手】 FWラウール、MFラファエル・ファン・デル・ファールト、MFグティ、MFフェルナンド・ガゴ、MFエステバン・グラネロ、MFラサナ・ディアッラ 2019.03.10 18:00 Sun
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「このシャツとファンのためにすべてを捧げた」、フロレンツィがローマにエモーショナルな別れ

ミランへの完全移籍が決定したイタリア代表MFアレッサンドロ・フロレンツィ(31)がローマにエモーショナルな別れを告げた。 ローマ生まれローマ育ちのフロレンツィは、セリエBのクロトーネでの武者修行を経て、2012-13シーズンからトップチームに定着。キャリア当初は攻撃的MFやセントラルMF、ウイングを主戦場としたが、以降は右サイドバックにコンバート。豊富な運動量と攻撃センス、中盤で培ったゲームメイク能力を生かし、攻撃的なサイドバックとして存在感を示した。 ただ、パウロ・フォンセカ前監督、ジョゼ・モウリーニョ監督の下では構想外とみなされ、2020年冬にバレンシア、翌シーズンにパリ・サンジェルマン、直近の2021-22シーズンはミランへのレンタル移籍を経験。 そのミランでは公式戦30試合2ゴールの数字を残し、スクデット獲得に貢献。この活躍が評価され、300万ユーロ(約4億2000万円)と言われる移籍金で完全移籍。2025年までの3年契約にサインした。 ローマで通算280試合28ゴール32アシストを記録し、元イタリア代表MFダニエレ・デ・ロッシの退団後はカピターノを務めたフロレンツィ。 プスカシュ賞最終候補にも挙がったバルセロナ戦でのスーパーロングシュート、スタンドに招待した祖母とハグしたゴールセレブレーションと、記録にも記憶にも残るロマニスタのアイドルは、永遠の都との別れに際し、自身の公式インスタグラムでエモーショナルなメッセージを綴った。 「やあ、ローマのみんな。それは素晴らしい旅だった!」 「トリゴリアに来たのは11歳だった。この20年間で僕はあなた方に別れを告げたのはたったの4回だ」 「最初のときは、成長して「骨を埋める」ため、他の場合は、常に想像していたものと異なる状況を受け入れることを人生から教えられた」 「僕は常に沈黙の道を選んできた。なぜなら、そこからチームとクラブを尊重するという意味が生まれるからだ」 「何年にもわたってトリゴリアで働いてきた人たちに心から感謝したいと思う。僕らは一緒に家にいたんだ」 「穏やかに、僕はこのシャツとファンのために自分のすべてを捧げたことを知っている…みんなの今後の成功を心から願ってるよ!」 ローマでのキャリア終盤は受け入れがたい状況が続いたものの、クラブへの愛情から常に冷静な姿勢を崩さなかったフロレンツィ。 フランチェスコ・トッティ、デ・ロッシとカリスマ性に満ちた偉大なる先達とは異なるキャラクターでジャッロロッシの一時代を牽引してきた31歳は、穏やかな形で古巣に別れを告げた。 2022.07.02 14:59 Sat
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「ローマは一連の行動を問題視」 モウリーニョとマティッチの関係破綻、10年来の師弟コンビに何が起きた?

元セルビア代表MFネマニャ・マティッチ(34)のローマ退団およびスタッド・レンヌ移籍には、やはりジョゼ・モウリーニョ監督との関係破綻があったようだ。イギリス『ミラー』が伝えている。 サッカー界を代表する師弟コンビは?と問われて名前を浮かべるファンも多いであろうモウリーニョ監督とマティッチ。チェルシーで始まったこの関係性はマンチェスター・ユナイテッドにローマと今夏まで約10年間続いた。 ところが、8月に入ってマティッチのスタッド・レンヌ行きが急浮上すると、トントン拍子で話が進み、14日に移籍が発表された。また、マティッチはモウリーニョ監督との関係性に亀裂が生じており、ローマも放出を躊躇しないと報じられていた。 強い信頼関係で結ばれたこの両者に一体何が起きたのか。ローマの地元紙『イル・テンポ』のフィリッポ・ビアフォーラ記者によると、マティッチは「チーム練習を投げ出し、モウリーニョだけでなくチームメイトとも問題を抱えた。ローマも一連の行動を問題視し、彼は損得勘定抜きで除外された」という。 酸いも甘いも経験してきたはずのベテランが身勝手な行動をとったなどとは信じたくないが、モウリーニョ監督は19日、セリエA第1節・サレルニターナ戦の前日会見でマティッチ退団の影響を問われ、長年の関係性を考えれば悲しくなるほどにあっさりとコメントした。 「レンヌと1カ月ほど協議していたのだろう。私が付け加えることは何もない」 一方で、ローマが後釜として獲得したレアンドロ・パレデス、レナト・サンチェスについては「パレデスが来てくれて嬉しいよ。彼のことがとっても好きだ。偉大な選手はもういないが、パレデスにサンチェスまで契約できた。街を歩いていて、そうそうお目にかかれる選手ではない」と期待を寄せる。 モウリーニョ監督とマティッチ。何が発端となったかは地元の記者ですら把握できていないようだが、決別したことは間違いない模様。それでも、これからも両者のサッカーキャリアは続いていく。 2023.08.20 15:00 Sun
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「モウリーニョ時代がいかにマトモだったか...」史上最悪?ユナイテッドがアモリム体制でホーム7戦5敗、復権の気配なし

マンチェスター・ユナイテッドほど復権に長い歳月を要す名門クラブも珍しい。 最後のプレミアリーグ優勝は2012-13シーズンというユナイテッド。翌13-14シーズンから冬の時代が始まり、ヨーロッパリーグ(EL)や国内カップ戦の栄冠こそあれど、昨季まで11シーズンにわたってリーグ優勝から遠ざかる。 その間に宿敵リバプールが長い長い呪縛を解き放ってプレミアリーグ初優勝、かつては“宿敵”というより単なる“格下”にすぎなかったマンチェスター・シティがCL初優勝にプレミア4連覇…シティの格はユナイテッドを超えた。 もはやチャンピオンズリーグ(CL)に出なくても違和感ゼロのユナイテッドは昨秋、エリク・テン・ハグ監督を諦め、若くして実績を作ったポルトガル人指揮官、ルベン・アモリムを招聘。 しかし、アモリム・ユナイテッドはプレミアリーグのホームゲーム7試合で5敗…アモリム監督はまだ就任から3カ月と経っていない。 2016年7月から2018年12月までユナイテッドを率いたジョゼ・モウリーニョ監督(現フェネルバフチェ)は、およそ2年6カ月でプレミアにおけるホームゲームの敗戦がわずか「4試合」。 最後は憎まれ口を叩かれながら職を解かれたモウリーニョ監督だが、由緒正しきオールド・トラッフォードではほぼ敗れず、冬の時代が始まったデイビッド・モイーズ監督時代でさえ、現体制ほど黒星を重ねることはあり得なかった。 SNS上のあるユナイテッドファンは、復権が進まないクラブに「もはや気が滅入ることさえない」としつつ、「EL優勝で欧州のタイトルも獲ったモウリーニョ時代がいかにマトモだったか、愚かな私はようやく知る」という。 2025.02.04 20:24 Tue
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エゴと献身性の相反する能力を持ち合わせたアフリカ最高のストライカー、サミュエル・エトー

サッカー史には数多くの偉大なアフリカ人ストライカーが名を残している。 古くはミランで活躍しバロンドールも受賞、今は一国の長になっている元リベリア代表FWのジョージ・ウェア大統領、背番号「4」が特徴的で、心臓病がありながらもアーセナルをはじめとするプレミアリーグのクラブやナイジェリア代表として活躍したヌワンコ・カヌ、コートジボワールを強豪国へと引き上げた黄金世代の1人で、チェルシーではチャンピオンズリーグ制覇など数多くのタイトルを獲得。戦争を止めたというエピソードもあるディディエ・ドログバら、多くのスター選手がいる。 ヨーロッパの舞台だけでなく、Jリーグでも2020シーズンに得点王を獲得したFWオルンガのインパクトは絶大。かつては“浪速の黒豹”としても知られたパトリック・エムボマらも活躍し、その能力の高さは知られたところだろう。 現役でもリバプールを支えるエジプト代表FWモハメド・サラーやセネガル代表FWサディオ・マネなどがいるが、そんなアフリカ人ストライカーたちの中でも、一線を画すスタイルで活躍したのが元カメルーン代表FWサミュエル・エトーだ。 <span class="paragraph-title">◆地元の名門育ちのストライカー</span> エトーは、カメルーンのドゥアラにある名門アカデミーのカジ・スポーツアカデミーの一期生。その後、エスパニョールで長らく活躍したGKイドリス・カメニやマンチェスター・ユナイテッドでもプレーしたMFエリック・ジェンバ=ジェンバら、多くの才能ある選手を輩出している。 16歳になったエトーはスペインの名門、レアル・マドリーのカスティージャに入団。当時レアル・マドリー・カスティージャは3部に所属していたため、外国人選手が出場できず。エトーはレガネス、エスパニョール、マジョルカへとレンタル移籍し経験を積んだ。 マジョルカではその活躍が認められ2000年夏に完全移籍。3シーズンを過ごし、チームをコパ・デル・レイで優勝に導くなど、その才能が開花。2004年夏にバルセロナへと完全移籍した。 <span class="paragraph-title">◆ヨーロッパで輝いた“黒い宝石”</span> バルセロナへと加入したエトー。加入1年目からエトーは活躍。ラ・リーガで37試合に出場し25ゴールを記録。ラ・リーガ優勝を経験した。 そして迎えた2年目も躍動。ラ・リーガでは 34試合で26ゴール7アシストを記録し得点王を獲得。チャンピオンズリーグでは11試合で6ゴール2アシストを記録し、決勝のアーセナル戦でもゴールを決め、ビッグイヤー獲得に貢献した。 バルセロナではブラジル代表FWロナウジーニョとの抜群の連携を見せ、一気に得点力を開花させたが、そのエトーはロナウジーニョの影響もあり献身的な守備を身につける。そしてそのプレースタイルが、後のキャリアにも影響する。 5シーズンのバルセロナでのプレーでインパクトを残したエトーは、2009年夏にインテルへと移籍。セリエAの舞台に活躍の場を移すと、そのバルセロナで身につけた献身性を武器に32試合12ゴール。チャンピオンズリーグでも13試合で2ゴール2アシストと、数字に残る成績は低下したものの、チームへの貢献度は大きいものだった。 結果として、バルセロナ最後の2008-09シーズン、そしてインテル最初の2009-10シーズンと2年連続で国内リーグ、国内カップ、そしてチャンピオンズリーグの3冠を達成。史上初の快挙を成し遂げた唯一の選手となった。 その後のエトーは、世界各国を転々。ロシアのアンジ・マハチカラ、イングランドのチェルシー、エバートン、イタリアのサンプドリア、トルコのアンタルヤスポル、コンヤスポル、カタールのカタールSCでプレー。クラブレベルでは6カ国を経験した。 クラブレベルでは公式戦720試合で360ゴール117アシスト。2試合に1点のペースを生涯通じて記録した偉大なストライカーだ。 <span class="paragraph-title">◆CL決勝で決めた2つのゴール</span> バルセロナでは199試合で130ゴール40アシストを記録したエトー。数多くのゴールを決めてきた中、重要なゴールも多い。 まずは、チャンピオンズリーグ決勝でのゴールだ。エトーは、バルセロナ時代に2度チャンピオンズリーグで優勝。その2度の決勝ではどちらもゴールを奪っている。 1つ目2005-06シーズンのアーセナルとの決勝。この試合は、アーセナルのGKイェンス・レーマンが18分で退場するというアクシデントからスタート。さらに37分にはその数的不利なアーセナルが、ソル・キャンベルのゴールで先制するという展開となった。 数的有利なバルセロナとしては逆転したいなか、試合は終盤へ。それでも76分にエトーが見せる。 縦パスがアンドレス・イニエスタから入ると、ヘンリク・ラーションのワンタッチパスに反応し、ニアサイドを撃ち抜いた。 さらにエトーは2008-09シーズンの決勝でマンチェスター・ユナイテッド相手にゴール。こちらは打って変わって、開始10分で決めたゴールだ。 このゴールもボックス手前でボールを持ったイニエスタからのスルーパスをボックス内右で受けると、鋭い切り返しで相手をかわすと、そのままニアサイドを撃ち抜いた。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJETUZHelRZbCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> <span class="paragraph-title">◆新たな章の始まり</span> 次に紹介したいのはインテル時代のデビューゴールだ。 インテルではジョゼ・モウリーニョ監督の下で3冠を達成したが、その役割はバルセロナ時代のストライカーから少し変化していった。 エゴイスティックな自らのゴールを優先しがちなストライカーとは異なり、周りの選手を生かすアシストや、守備面でも貢献する献身性を伴ったエトーは、本当の意味で相手の脅威となった。 そのエトーがインテルで最初に決めたゴールが2009年8月8日に行われたスーペルコッパ・イタリアのラツィオ戦だった。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJHS1NmTFJ0NiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> シーズン開幕前に行われた一戦。エトーにとってはインテルでの公式戦デビュー戦となった試合だが、この試合ではその変化の片鱗を見せる。 献身的なプレーを続けたエトーだがチームは2点ビハインドで試合終盤へ。すると78分、マリオ・バロテッリの浮き球のパスに反応し豪快に蹴り込んで魅せた。 当時はディエゴ・ミリート、バロテッリ、そしてエトーとストライカータイプが揃う中で献身的なプレーを発揮していたエトー。この時はゴールを仕留める役割だったが、この後にウイング起用が増え、このシーズン3冠を達成した。 <span class="paragraph-title">◆プレミア初ハットトリック</span> そして3つ目はプレミアリーグでの活躍だ。 エトーはチェルシーとエバートンに在籍経験があるが、どちらも短いものだった。 チェルシーには1シーズンしか在籍しなかったが、その中でハットトリックを記録。それがマンチェスター・ユナイテッド戦だった。 <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJIeFZIdW1iRyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 前述の通り、バルセロナ時代の2008-09シーズンのチャンピオンズリーグ決勝でユナイテッド相手にゴールを決めていたエトー。今回はプレミアリーグの試合でハットトリックをやってのけた。 2014年1月19日に行われた試合ではカットインからのシュートで先制ゴールを決めると、2点目はグラウンダーのクロスに合わせて追加点。3点目はCKの流れからこぼれ球を蹴り込みハットトリックを達成した。 エバートン時代を含めプレミアリーグでは12ゴールしか決めていないが、そのうちの3点がユナイテッド戦。この年は優勝を争っていたものの、終盤に失速し3位に終わっていた。 <div id="cws_ad"><hr>バルセロナやインテルなどのクラブチームで活躍し、カメルーン代表としても歴代最多ゴール数を誇るエトーが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたゴールが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。</div> <a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/f7dd12&c=sega_20210715_2" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2021/sega20210728.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2021.07.31 22:15 Sat

ジョゼ・モウリーニョの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2024年7月1日 フェネルバフチェ 監督
2021年7月1日 2024年1月16日 ローマ 監督
2019年11月20日 2021年4月19日 トッテナム 監督
2016年7月1日 2018年12月18日 マンチェスター・U 監督
2013年7月1日 2015年12月17日 チェルシー 監督
2010年7月1日 2013年6月30日 レアル・マドリー 監督
2008年7月1日 2010年6月30日 インテル 監督
2004年7月1日 2007年9月20日 チェルシー 監督
2002年1月23日 2004年6月30日 ポルト 監督
2001年7月1日 2002年1月22日 Leiria 監督
2000年9月20日 2000年12月5日 ベンフィカ 監督
1996年7月14日 2000年6月30日 バルセロナ アシスタントコーチ
1996年7月14日 2000年6月30日 バルセロナ 通訳
1994年1月27日 1996年6月30日 ポルト アシスタントコーチ
1993年7月1日 1993年12月8日 スポルティング 通訳
1993年7月1日 1993年12月8日 スポルティング アシスタントコーチ
1991年7月1日 1993年6月30日 Ovarense スカウト
1990年7月1日 1991年6月30日 CF Estrela アシスタントコーチ
1989年7月1日 1990年6月30日 Setúbal U19 監督
1987年7月1日 1989年6月30日 Setúbal FC U17 監督

ジョゼ・モウリーニョの今季成績

UEFAヨーロッパリーグ 12 4 5 3 0 0
合計 12 4 5 3 0 0

ジョゼ・モウリーニョの出場試合

UEFAヨーロッパリーグ
リーグフェーズ第1節 2024-09-26 vs ユニオン・サン=ジロワーズ
2 - 1
リーグフェーズ第2節 2024-10-03 vs トゥベンテ
1 - 1
リーグフェーズ第3節 2024-10-24 vs マンチェスター・ユナイテッド
1 - 1
リーグフェーズ第4節 2024-11-07 vs AZ
3 - 1
リーグフェーズ第5節 2024-11-28 vs スラビア・プラハ
1 - 2
リーグフェーズ第6節 2024-12-11 vs アスレティック・ビルバオ
0 - 2
リーグフェーズ第7節 2025-01-23 vs リヨン
0 - 0
リーグフェーズ第8節 2025-01-30 vs ミッティラン
2 - 2
プレーオフ1stレグ 2025-02-13 vs アンデルレヒト
3 - 0
プレーオフ2ndレグ 2025-02-20 vs アンデルレヒト
2 - 2
ラウンド16・1stレグ 2025-03-06 vs レンジャーズ
1 - 3
ラウンド16・2ndレグ 2025-03-13 vs レンジャーズ
0 - 2