藤本憲明
Noriaki FUJIMOTO
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ポジション | FW |
国籍 |
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生年月日 | 1989年08月19日(35歳) |
利き足 | 右 |
身長 | 175cm |
体重 | 69kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ |
藤本憲明のニュース一覧
鹿児島ユナイテッドFCのニュース一覧

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大分躍進の原動力FW藤本憲明が神戸に電撃移籍「永遠に僕は『LOVE TRINITA』」
ヴィッセル神戸は7日、大分トリニータからFW藤本憲明(29)を完全移籍で獲得したことを発表した。背番号は「9」。 近畿大学を卒業後、2012年に当時JFLだった佐川印刷SC(2015年に現在のSP京都FCに改名)に加入し、アマチュア選手として生活していた藤本は、2016年にJ3リーグに参入する鹿児島ユナイテッドFCに完全移籍。移籍初年度にJ3リーグで15ゴール、2017年にも24ゴールを記録し、2年連続の得点王に輝くと、2018年に大分へ。すると、J2リーグで12ゴールを記録し、チームの6年ぶりとなるJ1昇格に貢献した。 そして迎えた今シーズン、ついにJ1の舞台にまで上り詰めた苦労人ストライカーは、日本トップリーグでも優れた得点感覚を発揮し、ここまで明治安田生命J1リーグで21試合8ゴールを記録。6位とJ1昇格初年度で大健闘を見せるチームの攻撃陣をけん引し続けていた。 神戸への完全移籍が決定した藤本は、両クラブの公式サイトで以下のようにコメントしている。 ◆ヴィッセル神戸 「はじめまして、大分トリニータから移籍しました藤本憲明です。得点やアシストでチームに貢献したいと思います。ファン、サポーターのみなさんに一日でも早く認めてもらえるように頑張りますのでよろしくお願いします」 ◆大分トリニータ 「いつも応援してくれているみなさん、この度ヴィッセル神戸に移籍することを決断しました。眠れなくなるほど悩みました。ここまで僕を成長させてくれた仲間、スタッフ、いつもどんな時でも応援してくれたサポーターのみなさん、感謝しかありません」 「シーズン途中で去ってしまう事になって本当に申し訳ありません。必ずトリニータはJ1残留できると信じていますし、僕も成長してきます。永遠に僕は『LOVE TRINITA』です。あっという間の1年半でしたがかけがえのない濃い1年半でした。またスタジアムで会いましょう。本当にありがとうございました。 勇者であれLOVE TRINITA」 また、藤本の移籍に関して、大分トリニータを率いる片野坂知宏監督、代表取締役の榎徹氏もコメントしている。 ◆片野坂知宏監督 「大分トリニータのファン、サポーター、スポンサー関係者の皆様へ」 「いつも大分トリニータへのご支援、ご声援ありがとうございます。この度、藤本がヴィッセル神戸へ移籍することになりました」 「チームに加入してJ1昇格の原動力となり、J1でもこれまでチームに多大な貢献をしてくれておりました。藤本が移籍するのはチームとしても非常に痛い戦力を失います。その事は重々承知しており、もちろん慰留を望み話し合いもしました」 「しかし藤本の固い決意があり、その意思を尊重し苦渋の決断ですが移籍となりました。非常に残念ですが藤本には、これまでのトリニータへの貢献に感謝し、私としても決断を尊重し送り出したいと思います」 「我々トリニータは1人の力に頼るサッカーではなくピッチに出ている11人が結束し最大値を出してこれまで成果をあげております。今後はチームの結束力を高め、目標であるJ1残留を達成できるように勇猛果敢にチャレンジして行きたいと思います」 「どうかこれからも引き続き大分トリニータへのご支援、ご声援、どうかよろしくお願い致します」 ◆榎徹氏(代表取締役) 「大分トリニータのファン・サポーターの皆様、いつも応援ありがとうございます。このたび藤本選手が神戸に移籍することとなりました。大分で素晴らしい実績を残し、主力としてチームに貢献している選手の移籍は非常に残念です」 「しかしながら、このような場合には、選手の意思を尊重するのが第一だと考えています。その結果をクラブとしてはしっかりと受け止めていく所存であり、藤本選手の活躍を期待しています。われわれは、これまでもピッチにいる選手、ベンチにいる選手、メンバーには入れなかった選手、監督をはじめとするスタッフ、クラブ、そして、ファン・サポーターの皆様と一緒になって戦ってきました。これからも、その姿勢は変わりません。引き続き、大分トリニータへのご支援・ご声援をお願いいたします」 2019.08.07 16:20 Wed2
電撃加入の昌子源も…意外と知らない?ガンバ大阪下部組織出身者
トゥールーズでプレーしていた日本代表DF昌子源(27)が3日、ガンバ大阪に電撃移籍を果たした。 鹿島アントラーズからフランスへ渡ってから1年。昨シーズンの後半戦はレギュラーポジションを掴みかけたが、今シーズンはケガの影響もありリーグ・アンで1試合、わずか45分の出場にとどまっていた。 日本への復帰を目指していた昌子は様々なクラブに売り込みをかけていたと現地でも報じられていた中、移籍先に決定したのはガンバ大阪。ジュニアユース時代に過ごした“古巣”への復帰となった。 昌子は米子北高校に進学した後、鹿島へと入団しているため、ガンバ大阪の下部組織出身だったことを知らない方も多かったのではないだろうか。下部組織から数多くの選手を輩出しトップチームでもプレーした選手が多い中、今回はガンバ大阪でプレーしていない選手を一部紹介したい。 ◆DF荒木隼人(23) ガンバ大阪門真ジュニア→ガンバ大阪門真ジュニアユース→サンフレッチェ広島ユース→関西大学→サンフレッチェ広島 小中とガンバ大阪で過ごし、ユースはサンフレッチェ広島を選択した荒木。2019年に関西大学から広島に加入した荒木。プロ1年目からレギュラーポジションを獲得すると、J1リーグで24試合に出場し2得点。持ち前の体格を生かした空中戦の強さもあり、日本代表にも招集された。 ◆MF鎌田大地(23) ガンバ大阪ジュニアユース→東山高校→サガン鳥栖→フランクフルト→シント=トロイデン→フランクフルト 中学生からジュニアユースに加入した鎌田は、当時から才能あふれる期待の選手だったものの、ケガの影響もありユース昇格を果たせず。その後、東山高校へ進学し、2015年にサガン鳥栖へ入団。現在はドイツのフランクフルトでプレー。日本代表にも招集されている。 ◆MF仙頭啓矢(25) ガンバ大阪門真ジュニア→FCグリーンウェーブU-15→京都橘高校→東洋大学→京都サンガF.C.→横浜F・マリノス 小学生年代でガンバ大阪のジュニアに所属。仙頭の名が知れたのは、京都橘高校時代の高校サッカー選手権。3年生の時に準優勝の成績を収め、1つ下の小屋松知哉と共に大会得点王に輝いた。今シーズンから横浜FMでプレー。 ◆FW藤本憲明(30) ガンバ大阪堺ジュニア→ガンバ大阪堺ジュニアユース→青森山田高校→近畿大学→佐川印刷SC(佐川印刷京都SC/SP京都FC)→鹿児島ユナイテッドFC→大分トリニータ→ヴィッセル神戸 “持っている”男としても知られている藤本は、ジュニア、ジュニアユースをガンバ大阪で過ごした。青森山田高校に進学し、近畿大学からJFLの佐川印刷へ。その後、鹿児島ユナイテッドFC、大分トリニータ、ヴィッセル神戸とステップアップを果たした。3つのリーグで3年連続開幕ゴール、新国立競技場初ゴールと“持っている”。 ◆DF奥井諒(29) ガンバ大阪ジュニア→ガンバ大阪ジュニアユース→履正社高校→早稲田大学→ヴィッセル神戸→大宮アルディージャ→清水エスパルス 小中とガンバの下部組織で育ち、履正社高校へ進学。ヴィッセル神戸でプロになると、大宮アルディージャを経て、今シーズンから清水エスパルスでプレー。プロ入り後は右サイドバックとしてアグレッシブな攻撃参加を見せている。 ◆MF本田圭佑(33) ガンバ大阪ジュニアユース→星稜高校→名古屋グランパス→VVVフェンロ→CSKAモスクワ→ミラン→パチューカ→メルボルン・ビクトリー→フィテッセ→ボタフォゴ 日本代表としても3度のワールドカップに出場した本田もガンバの下部組織出身。家長昭博(川崎フロンターレ)と同期で、ポジション、左利きに加え、誕生日まで一緒というエピソードは有名。プロ入りは名古屋グランパスとなり、その後は海外でプレーを続け、ブラジルのボタフォゴ入りが先日決まった。 ◆DF昌子源(27) ガンバ大阪ジュニアユース→米子北高校→鹿島アントラーズ→トゥールーズ→ガンバ大阪 ジュニアユース時代の同期には宇佐美貴史、大森晃太郎(FC東京)らがいる。ケガの影響もあり中学3年時に退団。その後、米子北高校でセターバックとしての能力が開花。柴崎岳(デポルティボ)や土居聖真と共に2014年に鹿島へと入団した。13年ぶりの古巣復帰。 【番外編】 ◆GK東口順昭(33) ガンバ大阪ジュニアユース→洛南高校→福井工業大学→新潟経営大学→アルビレックス新潟→ガンバ大阪 日本代表にも選出されているGK東口順昭もガンバの下部組織出身。本田、家長と同期ながら、ユースに昇格せず。高校、大学を経て2009年にアルビレックス新潟でプロ入りした。2014年に満を持して古巣に復帰。以後は正守護神としてゴールを守っている。 2020.02.04 12:35 Tue3
JFL降格の岩手、鹿児島退団のFW藤本憲明とYS横浜からMF中里崇宏を獲得
いわてグルージャ盛岡は7日、鹿児島ユナイテッドFCからFW藤本憲明(35)とY.S.C.C.横浜からMF中里崇宏(34)を完全移籍で獲得した。 青森山田高校、近畿大学ときて、佐川印刷で社会人時代を過ごした藤本は2016年にJ3参入の鹿児島に移籍。その鹿児島で2年連続のJ3得点王に輝き、2018年から大分トリニータに移ると、12ゴールの活躍でJ1昇格に貢献した。 そして、2019年夏からヴィッセル神戸に移籍し、同年の天皇杯優勝メンバーに。2021年夏から清水エスパルスにレンタル移籍すると、翌年の神戸復帰を挟み、2023年から鹿児島に舞い戻った。 鹿児島復帰1年目はJ3で32試合で5ゴールを決め、J2復帰に貢献。今季はここまで29試合で5ゴールを挙げていたが、シーズン終了後に退団が発表されていた。 中里は東京ヴェルディの下部組織出身で、ジュニア、ジュニアユースと昇格。その後、流通経済大学付属柏高校、流通経済大学へと進学し、2012年に横浜FCに加入した。 水戸ホーリーホックや韓国の江原FC、鈴鹿ポイントゲッターズでプレーした後、2023シーズンにYS横浜に加入。2年目を迎えた昨季はJ3で31試合1得点を記録、YBCルヴァンカップで2試合に出場していた。 両者はクラブを通じてコメントしている。 ◆藤本憲明 「いわてグルージャ盛岡をサポート支援してくれているスポンサー企業のみなさん、 いつも応援してくれているファンサポーターのみなさん、はじめまして藤本憲明です」 「昨シーズンは僕自身も降格を経験し悔しい思いをしました。同じ悔しい経験を胸に1年で昇格する為にチームとサポーター、岩手県がひとつになる必要があります。そう簡単に勝てる戦いなんてひとつもないですし、すぐに上がれるほど甘いリーグでもありません」 「僕たちは盛岡冷麺のコシのように強く戦い、岩手山を登るかのように一歩一歩地に足をつけ頂を目指し、その先にある優勝つまり中尊寺金色堂のように輝く金メダルを獲得し、昇格します!!ファンサポーターのみなさんは盛岡さんさ踊りより声を枯らして手を叩き盛り上げてください!!僕たち、みなさんたちならできます、岩手県ごと盛り上げて今までにない最高のグルージャをみんなで創り上げましょう!!高校以来の東北が楽しみです。今年はへび年年男がんばります!!」 「余談なんですけど、グルージャ加入を決め、年が明けた夜にお風呂につかってたんです。その時に目の前に髪の毛がふらふらっと見えたんで、すくって取ろうと思ったらたまたま形がGやったんです。これはグルージャの「G」や、運命的でした。それだけです」 「ここまで読んでくれたそこのあなたはもう藤本ファミリーのとりこです。必ず僕のユニフォームを来てスタジアムに来てください、待ってます!!全員で覚悟を決めて戦い続けましょう!!」 ◆中里崇宏 「いわてグルージャ盛岡に関わる全ての皆様、初めまして!中里崇宏です。昇格に貢献出来るようベストを尽くします。応援宜しくお願いします。」 2025.01.07 13:42 Tue藤本憲明の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2023年1月24日 |
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完全移籍 |
2022年1月31日 |
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レンタル移籍終了 |
2021年8月10日 |
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レンタル移籍 |
2019年8月7日 |
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完全移籍 |
2018年1月6日 |
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完全移籍 |
2016年1月6日 |
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完全移籍 |
2012年3月5日 |
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完全移籍 |
2008年4月1日 |
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完全移籍 |