柏の観客1名が無期限入場禁止処分…横浜FC戦で警備員に暴力行為

2023.09.22 23:30 Fri
アウェイの横浜FC戦で柏を応援する観客1名が暴力行為
©︎J.LEAGUE
アウェイの横浜FC戦で柏を応援する観客1名が暴力行為
柏レイソルは22日、観客1名の違反行為を報告した。

事件は17日にニッパツ三ツ沢球技場で行われた明治安田生命J1リーグ第27節の横浜FC戦で発生。柏を応援する観客が観戦ルール違反を犯していた。
クラブの発表によると、その観客は試合後にホームゴール裏入場ゲート付近において、警備員から観戦ルールに関する注意を受けた際に、持ち物をぶつけるなどの暴力行為をしたという。

今回の行為に対し、柏が出場するJリーグ公式戦の全試合において無期限入場禁止にする処分を下すことを発表した。

Jリーグ、日本サッカー協会(JFA)、そしてJリーグ全60クラブは、浦和レッズの一部サポーターの天皇杯での違反好意を受けて共同声明を発表したばかり。その前の行為とはいえ、重い処分が下されることとなった。

関連ニュース

「柏の子供は雄太の背中を見て育つ」名フレーズも生んだ古巣・柏のサポーターを南雄太が語る「特殊なサポーターだけど大好き」

今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、27日に現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 その南は柏でプロデビュー。12年間にわたってプレーし、加入当初はGK土肥洋一が正守護神としてプレー。そのポジションを奪うと、最後はGK菅野孝憲(現:北海道コンサドーレ札幌)にポジションを奪われ、熊本へと移籍していた。 プロ入りの18歳から30歳まで過ごした柏。南にとっては柏のサポーターの存在は特別であり、サポーターからは「柏の子供は雄太の背中を見て育つ」という名フレーズも作られ、Tシャツまで完成していた。 南はそのフレーズについて「あのフレーズに関しては、今でも言ってくれる人が結構いまして、素直に凄く嬉しいです」とコメント。また、サポーターの存在についても語り、苦いエピソードもありながら、感謝を口にした。 「柏のサポーターには自分を育ててもらったというか、若い時から出て、忘れもしないんですが、18歳の時に自分の調子があまり良くない時に西野さん(西野朗監督)が使い続けてくれて、その前には土肥さんが試合に出ていて、サポーターから“土肥コール”をされたときは物凄く堪えました」 「そういう厳しさもありながら、降格した時は凄く残って欲しいと言ってくださって、実際に残って1年で昇格した時は凄くサポーターと一緒に戦って乗り越えた気持ちもあります」 「12年いたということもありますし、今でもレイソルのサポーターは凄くメッセージくれたり、応援してくれたり、最終戦もレイソルのユニフォームを着て座ってくれた人も何人もいたり、サッカー選手としての基本となる、一番大事となる土台を作ってくれたのは、レイソルでの12年なので、レイソルのサポーターは凄く変わったというか特殊なサポーターで、あれはあれで大好きだったので、凄く誇れるサポーターです」 プロデビュー、リーグカップ優勝、そしてJ2降格、J1昇格と、多くのことを共に経験してきた南と柏のサポーターの絆は、この先の人生でも繋がったままになるだろう。 2023.11.28 07:45 Tue

42歳でアキレス腱断裂からの復帰…来季もプレーしようと考えた南雄太が引退を決めた出来事「ショックでもあり、大きな出来事」「初めて辞めようかなと」

今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、27日に現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 南は引退を決めた経緯についてコメント。来シーズンもプレーする気があったものの、今シーズン途中の出来事がキッカケとなり、その中で引退に気持ちが向いていったとした。 「去年アキレス腱を切って、今年1月に全体練習合流してキャンプからやらせてもらいました。アキレス腱を切った選手とか、色々な選手が連絡してくれる中で、復帰してから1年は自分のイメージと一致するまで時間がかかると言われていました」 「その中で最初の半年間はサッカーをやっていることがストレスで、イメージと身体が一致して来ないとか、切った右足のジャンプは7、8割しか自分の中で戻っている感覚がないです。その中で最初の半年は、リハビリ以上にサッカーやっている時の方がストレスというか、上手くいかないことにイライラしたりが凄く続いていました」 「夏以降にちょっと良くなってきたというか、色々な感覚が戻ってきている、ケガする前に少しずつだけど近づいているというのがありました。夏にクラブで面談した時に、『一応来季やらせていただけるならやりたいです』と原さん(原博実フットボール本部長)には話させてもらいました」 「35歳ぐらい、横浜FCに移籍したぐらいの時に、引退というのは年齢的にも常に隣り合わせで、自分の中でゲームに絡めないとか、自分でもピッチに立ってレベル、試合の水準に自分があるかとか、チームを勝たせられるプレーができるかどうかとかに凄くこだわっていました。できなくなった時は潔く辞めようとルールを決めていました」 「9月24日の徳島戦の前に、自分がベンチで笠原(昂史)選手が出ていたんですが、彼がインフルエンザになって今週は出られないということが週明けに決まっている中で、自分自身チャンスが来たかなと思っていたんですが、週中に監督に呼ばれて、『今回は志村(滉)で行きたい』と言われまして、それは結構ショックでもありましたし、大きな出来事でした」 「監督やコーチに不満があるとかその時は沸かなくて、そこにチョイスされない自分自身は何かが足りていない証拠ですし、それはショッキングな出来事でした。夏以降、自分の中で少しずつ良くなっているという実感があることと、周りの評価のギャップを凄く感じまして、自分自身が良いと思っていたものが周りに評価されていないということが大きかったです」 「自己評価は時に自分に甘くなってしまうこともありますし、自分自身が定めている水準、レベルが下がってきている証拠だなと凄く感じて、26年サッカー選手をやってきて、初めてサッカー選手を辞めようかなとふと思ったのがその時です」 「ただ、一時的な感情なのかなとか自分の中で思いましたし、10月2日か3日にずっと柏と熊本でやってきた北嶋秀朗と、去年まで大宮のGKコーチをやっていた松本拓也、彼は同級生なんですが、自分が一番やってきた中で一番信頼しているGKコーチでプライベートでも仲が良いということで、2人にお願いして食事の場を設けてもらって、そこで今自分が思っていることを話しました」 「自分自身でも、自分がその時どう思うかなとか、話したことでもう一回サッカーをやろうと思えるならと思いも少しありながら彼らと食事をして、『引退しようかなと思っているんだけど…』という話をしました。もちろん2人は引き止めてくれたし、絶対やった方が良いと言われましたが、それを話してスッキリしてしまったというか、辞めようかな。もう1回やろうという感情が止めてくれたのに生まれて来なくて、これはもう潮時かなと思って10月5日に奥さんに辞めるという話をして決断をしました」 奥さんや子供たちの反応は驚くほどなかったと明かした南。「家族はある程度の覚悟があったのでは」とコメントしていた。 その南がキャリアを通じて最も影響を受けたのは、柏時代の同僚であり今も現役でプレーしている北海道コンサドーレ札幌のGK菅野孝憲だという。 「影響を与えたのは自分では良く分からないですが、18歳からずっと試合に出させてもらっていて、自分自身大きく勘違いしていた時期もありましたし、自分に対してよく分かっていない時期もありましたけど、柏の時はそういう時期がずっと続いていました」 「今札幌の菅野(孝憲)がちょうど入ってきて、満了になるまでの2年間彼とやって、ポジションを取られて結局自分が出ていく形になったんですけど、最初はやっぱりなかなか受け入れられなくて、自分と菅野のプレースタイルが違うとか、監督の好みもあるだろうと思っていたんですが、やる監督やる監督みんな菅野を使うし、そこで初めて自分自身に矢印が向いたというか、俺が何か足りないんだなと思えて、そこから自分は凄く人の話を聞くようになりましたし、もっと上手くなりたいと純粋に思えた時はとの時でした」 「彼との出会いというのは、自分のサッカー人生を引き伸ばしてくれたと思いますし、多大なる影響を与えてくれたのは菅野なので。彼はまだ現役で600試合達成したというのを見ました。彼がいたから今の自分があると思いますし、凄く感謝していますし、僕の666試合はぜひ菅野に抜いてもらいたいと思います」 後輩に自身の記録を抜いて欲しいと語った南。キャリアで最も印象に残っている試合は、横浜FC時代にJ1昇格を決めた試合だと明かした。 「40歳の時にJ1に昇格した試合というのは自分の中で凄く印象に残っています」 「柏を満了になったのが30歳で、そこから10年かかって、J1でもう1回やるというのは自分の中でモチベーションになっていましたし、それは時間が経つことになかなか難しいかなとも思い始めていました」 「さらに前年度プレーオフでロスタイムに失点してヴェルディに負けてというのがあって、その時にもうこんなチャンスないなと感じていたので、1年後にそういう状況に巡り会えて、長くサッカーを続けて来て良かったなと思いました」 26年という長いキャリアを送った南。様々な試練を乗り越えてきた中で積み上げた666試合の記録は願い通り菅野が抜くのか。今後のキャリアは「色んなことに興味がある」と今は決めていないという。 2023.11.27 22:05 Mon

引退会見の南雄太が伝説のオウンゴールを解説「やめようと思ったら入ってた」、サッカー人生を変えたプレーもSNSのない時代に安堵も「バズってやばかったと思う」

今シーズン限りで現役を引退したGK南雄太が、現役引退会見を行った。 東京ヴェルディの下部組織育ちで、静岡学園高校から柏レイソルでプロ入り。18歳でJリーグデビューを果たすと、その後はロアッソ熊本、横浜FCでプレー。2021年夏に大宮アルディージャへと期限付き移籍し、2022年からは完全移籍に切り替え。今シーズンをもって現役を引退した。 チームはJ3へと降格したが、南は最終節の東京V戦で久々に出場。J1で266試合、J2で400試合に出場し、GKとして歴代最多の666試合出場を果たし、スパイクを脱ぐこととなった。 「ゴールデンエイジ」と呼ばれる世代で、小野伸二(北海道コンサドーレ札幌)や高原直泰(沖縄SV)、遠藤保仁(ジュビロ磐田)らと同世代。U-20日本代表としては、2度のワールドユース(現:U-20ワールドカップ)に出場し、1999年大会は彼らとともに準優勝も経験した。 その南は引退会見で多くを語る中、伝説的なシーンについても言及。それは、2004年5月22日、広島ビッグアーチ(現:エディオンスタジアム広島)で行われたサンフレッチェ広島戦の事件だ。 この試合に先発した南は、キャッチしたボールを味方に投げようとした際、手元を誤り、自陣のゴールに投げ込んでしまうというオウンゴールを記録した。 前代未聞のオウンゴールは大きな騒動となり、今なお語り継がれる伝説的なワンシーンの1つ。当時を振り返り、ワンプレーの大切さを学んだと語り、その後19年続くキャリアに影響を与えたとした。 「最初の2、3年は笑い話にもできなかったですけど、そのワンプレーでこれだけ影響があるんだとか、その怖さというのはあのオウンゴールで知ることができました」 「たった1つのミスで色々なものがこんなにも劇的に変化するんだということを感じました」 「だからこそ、自分は決してサイズがあるわけでもないし、能力が高いわけではないので、ずっとコンプレックスでしたけど、安定感とか、そういう部分で勝負していくしかないなと、歳を追うごとに感じていました」 「その中で1つのミスにこだわる、練習の中から1つのミスで色々なものを失うことを経験できたので、間違いなく自分のサッカー人生のその後に生きました」 「このオウンゴールで今頃になって仕事の案件で来たりとか、そういうのは、やっちゃいけないんですが、自分でも驚いています(笑)」 また、このオウンゴールについて自ら解説。「今でもハッキリ覚えている」と語り、あのスローに行った経緯を語った。 「こっち側(右側)に中澤聡太が居て、僕は転がそうと思ったら、聡太が『あっちフリー』って言って、(左側を)見たら近藤(直也)がフリーだと思って。投げようと思った瞬間にサンフレッチェの選手がスタート切ってダッシュしてきて、やめようと思ったらゴールに入ってました」 「半分ぐらい聡太のせいです(笑)」 中澤聡太のコーチングに従おうとした結果、ミスに繋がってえしまったと冗談まじりにも語った南。当時はSNSなどがなかったこともあり、この動画が拡散されることはなかったが、現代サッカーでやっていたら信じられない騒ぎになっていたはずだ。 南は「(SNSがなくて良かったと)心から思っています。バズってやばかったと思います。著作権を持ってれば、逆に凄くアレだったなと思いますけど・・」とコメント。「あってはいけないことなのでね。記憶に残るとか、覚えてくれる1つとしてはありがたかったですが…試合終わった後のレイソルのサポーターにバスを囲まれた時のことは今でも忘れないぐらい凄かったです。窓越しにめちゃくちゃ何か言ってました。めっちゃ怖かったです」とコメント。当時のシーンを思い起こしていた。 2023.11.27 18:27 Mon
thumb

柏の残留は最終節に持ち越し…鳥栖が長沼洋一の同点弾でドローに持ち込む【明治安田J1第33節】

25日、明治安田生命J1リーグ第33節の柏レイソルvsサガン鳥栖が三協フロンテア柏スタジアムで行われ、2-2の引き分けに終わった。 最下位・横浜FCと勝ち点2差と残留争いの真っ只中にいる16位・柏。2試合連続ドローとしている中、今節はジエゴ、古賀、高嶺の3人が出場停止となり、三丸や立田、仙頭が先発。シリア戦でゴールを決めた代表帰りの細谷もスタメンに名を連ねた。 対するは、すでに残留を決めている12位・鳥栖。それでも直近3試合未勝利とそろそろ勝ち点「3」がほしいところ。前節の横浜FC戦からはメンバーを4人変更し、トップ下には今シーズン初スタメンの日野が入った。 試合は立ち上がりから動く。4分、鳥栖の岩崎が左サイドで仕掛けると、相手を振り切ってからマイナスへグラウンダーのクロス。必死に足を伸ばした柏DFのクリアがゴールへ向かっていくと、GK松本はこれをキャッチしきれず、ゴール前の富樫がこぼれ球を押し込んだ。 先制した鳥栖はその後も主導権を握る。一方の柏は堅守速攻で同点ゴールを狙う展開が続く。 0-1のまま迎えた前半終盤、柏が狙い通りの形から34分に追いつく。山田雄士が右サイドでパスカットしてショートカウンターを発動すると、ボックス右角付近から上げたクロスに飛び込んだのはマテウス・サヴィオ。ヘディングシュートが決まり、試合を振り出しに戻した。 勢いに乗る柏は38分に逆転。ボックス手前のマテウス・サヴィオに縦パスが入ると、最終ラインの裏へ抜け出した細谷へスルーパス。受けた細谷がこれを左足できっちりと決め、今シーズン14ゴール目を記録した。 柏のリードで迎えた後半、両チームともにゴール前まで迫りながらも守備陣が粘りを見せ、決定機は作らせない。 追いかける鳥栖は62分に日野と岩崎を下げ、西川と横山をピッチに送り出す。するとその5分後、左サイドのスローインから横山がクロスを上げ、ゴール前の長沼がこれに反応。頭でゴール右に決め、試合をイーブンに戻した。 柏は直後に戸嶋、川口を投入。それでも追いついた鳥栖の攻勢が続くが、チャンスを活かすことはできない。 試合は2-2のまま後半アディショナルタイムに突入。小谷松、山本、武藤の投入でペースを取り戻した柏は、右CKから立田のヘディングシュートが際どいコースに飛ぶ場面もあったが、GKパク・イルギュのファインセーブに阻まれる。 最後まで一進一退の攻防が繰り広げられたが、スコアは動かず、ドローで決着。ホーム最終戦を勝利で終えられなかった柏は、J1残留の行方が最終節に持ち越しとなった。 柏レイソル 2-2 サガン鳥栖 【柏】 マテウス・サヴィオ(前34) 細谷真大(前38) 【鳥栖】 富樫敬真(前4) 長沼洋一(後22) 2023.11.25 16:20 Sat

南葛SCのFW長谷川悠が現役引退、2008年には山形のJ1初昇格に貢献…大宮や徳島、清水などでプレー「皆さんから受けたサポートを忘れません」

南葛SCは17日、FW長谷川悠(36)の現役引退を発表した。 長谷川は流通経済大学柏高校から2006年に柏レイソルへと加入。プロキャリアをスタートさせると、FC岐阜、アビスパ福岡、モンテディオ山形へと期限付き移籍を繰り返した。 2008年に期限付き移籍中の山形で才能が開花すると、チームのJ1昇格に貢献。2009年はそのまま山家でプレーを続けると、2010年に完全移籍で加入した。 2012年には大宮アルディージャへと完全移籍。その後、徳島ヴォルティス、清水エスパルス、V・ファーレン長崎でプレー。2020年にはオーストラリアにプレーの場を移し、ウーロンゴン・オリンピック、シドニー・オリンピックでプレー。2022年から南葛SCへと加入した。 関東サッカーリーグ1部では2022年に4試合、2023年には1試合の出場に終わっていた。 Jリーグでは、J1通算178試合26得点、J2通算113試合19得点、リーグカップ通算41試合5得点を記録していた。 長谷川はクラブを通じてコメントしている。 「今年でサッカー選手としてのキャリアは終わりにすることにしました。まずは南葛SCでこのリリースを出させてもらえることに感謝します」 「2019年のV・ファーレン長崎を最後にオーストラリアに行ってからは、もう日本ではプレーすることはないと思っていました」 「しかし、このようなチャンスをくれたことに本当に感謝しています。繋げてくれた親友の匠ありがとう。そして素早い決断からオファーをくれた岩本GMに感謝します」 「南葛SCでの生活は本当に楽しかったです。匠や順平、竜太などの同世代の選手たち、またレジェンドの選手たち、個性豊かな仲間と毎日を過ごせたこと、また自分には縁があまりないと思っていた流経の後輩たちと一緒のチームになれたこと、当時伝統校ではなかった自分の高校時代からは想像もつかない本当に感慨深いものになりました」 「思えばここ5年ほど、どうやってサッカー選手としての区切りをつけるかを考えていた自分としては、この1年でやり切って引退しようと考えていました。しかし、ケガで1年間ほぼプレーできずチームに貢献できずに申し訳ありません。ケガしたままサッカー選手としてのキャリアが終わるとは思ってませんでしたが、これも自分らしいなと受け入れております。未来ある南葛SCの今後の活躍を期待してます」 「2006年にプロのキャリアをスタートさせてから、柏レイソル、FC岐阜、アビスパ福岡、モンテディオ山形、大宮アルディージャ、徳島ヴォルティス、清水エスパルス、V・ファーレン長崎とたくさんのクラブにお世話になりました」 「どのクラブも、このような自分を受け入れてくれてありがとうございました。良い時ばかりではなかったですが、皆さんから受けたサポートを忘れません。本当にありがとうございました」 「サッカーを通していろんな仲間が全国にできたこと、皆さんに会えたことが僕の財産です。またサッカー以外でもたくさんの仲間が全国にいることも僕の自慢の一つです。多趣味で良かったです。ありがとうございます!」 「全国どこにいても応援してくれたサポーターの皆さん、本当にありがとうございました。そしていつも応援してくれ、自由にさせてくれた家族に感謝しています。ありがとう」 「今後はまた自分らしく生きられるように、好きな所へ住めて好きなタイミングで好きな人に会える。そのような生き方を探していきたいと思います」 「長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。またどこかで会えることを楽しみにしています」 2023.11.17 16:15 Fri
NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly