オリンピアコスが元モロッコ代表FWエル・カービをアル・サッドから完全移籍で獲得
2023.08.07 12:42 Mon
オリンピアコスは6日、アル・サッドから元モロッコ代表FWアユブ・エル・カービ(30)を完全移籍で獲得したことを発表した。
エル・カービは、母国のラシン・デ・カサブランカでキャリアをスタート。プロ1年目の2016-17シーズンは2部で25ゴールを決めて得点王となり、チームの1部昇格に貢献した。
2017年夏に母国のベルカンヌへと完全移籍。2018年7月には中国の河北華夏(現:河北FC)に完全移籍。2019年7月には母国のウィダードへとレンタル移籍すると、2020年10月に完全移籍で加わった。
2021年8月にはトルコのハタイスポルへと完全移籍すると、2023年3月からはカタールのアル・サッドでプレーしていた。
モロッコ代表として36試合に出場し20ゴールを記録。ロシア・ワールドカップ(W杯)には出場したものの、躍進したカタールW杯の出場は逃していた。
エル・カービは、母国のラシン・デ・カサブランカでキャリアをスタート。プロ1年目の2016-17シーズンは2部で25ゴールを決めて得点王となり、チームの1部昇格に貢献した。
2017年夏に母国のベルカンヌへと完全移籍。2018年7月には中国の河北華夏(現:河北FC)に完全移籍。2019年7月には母国のウィダードへとレンタル移籍すると、2020年10月に完全移籍で加わった。
モロッコ代表として36試合に出場し20ゴールを記録。ロシア・ワールドカップ(W杯)には出場したものの、躍進したカタールW杯の出場は逃していた。
アユブ・エル・カービの関連記事
オリンピアコスの関連記事
|
|
アユブ・エル・カービの人気記事ランキング
1
オリンピアコス、ECL制覇に大きく貢献したモロッコ代表FWエル・カービと契約延長
オリンピアコスは22日、モロッコ代表FWアユブ・エル・カービ(31)との契約延長を発表した。 エル・カービは、母国のラシン・デ・カサブランカでキャリアをスタート。プロ1年目の2016-17シーズンは2部で25ゴールを決めて得点王となり、チームの1部昇格に貢献した。 その後、モロッコのベルカンヌやウィダード、中国の河北華夏(現:河北FC)、トルコのハタイスポル、カタールのアル・サッドでのプレーを経て、昨夏にオリンピアコスへ完全移籍。 加入初年度となった2023-24シーズンはセンターフォワードのレギュラーとして公式戦50試合に出場。リーグ戦は3位に終わったが、ヨーロッパリーグ敗退後に臨んだヨーロッパ・カンファレンスリーグでは、9試合に出場し11ゴールを記録。決勝戦のフィオレンティーナ戦でも延長後半終了間際の116分に決勝点を挙げ、チームに史上初となる欧州タイトルをもたらした。 2022年6月を最後にモロッコ代表から遠のいていたエル・カービだが、オリンピアコスへ移籍して以降、約1年ぶりに代表復帰を果たすと、1月に行われたアフリカネイションズカップ2024にも参加。4試合に出場していた。 2024.07.23 07:30 Tueオリンピアコスの人気記事ランキング
1
オリンピアコス、ECL制覇に大きく貢献したモロッコ代表FWエル・カービと契約延長
オリンピアコスは22日、モロッコ代表FWアユブ・エル・カービ(31)との契約延長を発表した。 エル・カービは、母国のラシン・デ・カサブランカでキャリアをスタート。プロ1年目の2016-17シーズンは2部で25ゴールを決めて得点王となり、チームの1部昇格に貢献した。 その後、モロッコのベルカンヌやウィダード、中国の河北華夏(現:河北FC)、トルコのハタイスポル、カタールのアル・サッドでのプレーを経て、昨夏にオリンピアコスへ完全移籍。 加入初年度となった2023-24シーズンはセンターフォワードのレギュラーとして公式戦50試合に出場。リーグ戦は3位に終わったが、ヨーロッパリーグ敗退後に臨んだヨーロッパ・カンファレンスリーグでは、9試合に出場し11ゴールを記録。決勝戦のフィオレンティーナ戦でも延長後半終了間際の116分に決勝点を挙げ、チームに史上初となる欧州タイトルをもたらした。 2022年6月を最後にモロッコ代表から遠のいていたエル・カービだが、オリンピアコスへ移籍して以降、約1年ぶりに代表復帰を果たすと、1月に行われたアフリカネイションズカップ2024にも参加。4試合に出場していた。 2024.07.23 07:30 Tue2
ミラン、オリンピアコスとの2位通過を懸けた直接対決に敗れ敗退…《EL》
▽ミランは13日、ヨーロッパリーグ(EL)・グループF最終節でオリンピアコスと対戦し、1-3で敗れた。 ▽グループステージではここまで3勝1分け1敗で2位に位置しているミランと、それを勝ち点差3で追うオリンピアコスの一戦。前回対戦では3-1で勝利しているため、大きなアドバンテージを持ってこの一戦に臨むミランは、先発にイグアインやクトローネ、バカヨコ、チャルハノールを起用した。 ▽まずはミランは5分、チャルハノールがボックス手前からあいさつ代わりのミドルシュートでゴールに迫る。17分には、右サイドのカラブリアの横パスをボックス右で受けたクトローネからイグアインにスルーパスが送られGKと一対一に。しかし、距離が近すぎてシュートは阻まれてしまった。 ▽一方、突破には最低でも2点は必要なオリンピアコスは25分に、左サイドを攻めあがったコウトリスからパスを貰ったポデンセがボックス左からシュートを放つ。相手に当たって得たCKでは、こぼれ球をギジェルメが狙いにいくが相手のブロックに防がれた。 ▽その後はやや押し気味にすすめるオリンピアコスが44分のFKのチャンスでフォルトゥニスがゴール右を突いたシュートを放つも、ゴール手前でワンバウンドしたボールをGKヴァグネルに上手く弾き出された。 ▽前半に続いて、後半も攻勢に出るオリンピアコスは60分、左CKをショートコーナーでスタートすると、ポデンセが上げたクロスにヴコビッチが合わせたシュートはゴール前に立っていたイグアインにブロックされるも、さらにそれをシセが押し込んで先制点を挙げた。 ▽この1点で怪しくなってきたミランは、クトローネとチャルハノールが立て続けにシュートを放っていく。一方、俄然勢いがついてきたオリンピアコスもフォルトゥニスやギジェルメがゴールに迫る。 ▽69分、オリンピアコスが左サイドから高く上げたクロスは一度跳ね返されるものの、拾ったギジェルメがボックス手前右から右足を振り抜く。するとこれがサパタの足に当たっ手コースが変わり、GKの頭上を抜く形でオウンゴールとなった。 ▽不利な状況から一転、このままいけば勝ち上がりが決まるオリンピアコスだったが、ミランも黙ってはいなかった。失点から2分、今度はミランのCKの場面、左から上がったクロスをオウンゴール献上のサパタが身体で押し込んで1点を返す。 ▽二転三転する白熱した試合はこのままでは終わらない。81分、オリンピアコスのCKの場面で、アバーテがトロシディスを抱え倒したとして、PKの判定に。これをフォルトゥニスが冷静に逆を突いてゴール。値千金の3点目を奪った。 ▽その後、試合終了に近づくにつれて熱を増していく試合は互いにチャンスが訪れる一歩も譲らない展開に。最後のセットプレーでGKレイナまでもがゴール前に上がったミランだったが、追加点を奪えず試合終了。1-3で敗れたミランは、逆転でオリンピアコスにグループステージ突破を許してしまった。この結果、グループFはベティスが首位通過、オリンピアコスが2位通過となった。 2018.12.14 07:01 Fri3
ブレストがオリンピアコスからDFララを獲得! かつては仏国内屈指の攻撃的SBの評価
スタッド・ブレストは6日、オリンピアコスからフランス人DFケニー・ララ(31)をフリートランスファーで獲得したことを発表した。 ララは2023年1月1日付けでの加入となるが、すでにチームトレーニングに参加している。 これまでパリFC、ヴァランシエンヌ、RCランスと国内クラブを渡り歩いてきたララは、2017年に加入したストラスブールでブレイク。果敢な縦への仕掛けから繰り出す高精度のクロス、プレースキッカーを任されるほどの精度を持つ右足のキックを武器に、攻撃的な右サイドバック、ウイングバックとして評価を高めた。 その後、2021年1月に加入したオリンピアコスでは加入1年半は定期的にプレー機会を得て国内リーグ連覇に貢献したが、今シーズンは完全に構想外となり、ここまで一度の出場機会も与えられていなかった。 2022.12.06 22:50 Tue4
元フランス代表DFカランブー氏の家族が故郷・ニューカレドニアで殺害…暴動に巻き込まれたと告白「家族2人が頭を銃で撃ち殺された」
1998年のフランス・ワールドカップ(W杯)でフランス代表の一員として優勝を経験したクリスティアン・カランブー氏(53)の家族が、騒動に巻き込まれて他界していたという。フランス『Europe1』が伝えた。 カランブー氏の家族が事件に巻き込まれたのはニューカレドニア。自身の故郷でもあるフランス領での事故に巻き込まれた。 ニューカレドニアでは、投票制度の改革が物議を醸しており、デモが発生。その力が強まり、襲撃を受けた警察官が射殺するなど事件が起きている。 そんな中、7人の命が奪われた暴動の中でカランブー氏の姪と甥が巻き込まれたとのこと。2人が命を落としたという。カランブー氏が自ら明かした。 「私は家族を亡くした。だから黙っていた。喪に服しているからだ。家族の2人が頭を銃で撃ち殺された。言葉は強いが、これは暗殺であり、捜査が行われることを願っている」 カランブー氏は、ニューカレドニアで生まれ、すぐにフランスへと移住。ナントの下部組織に加入すると、そのままファーストチームに昇格。サンプドリアやレアル・マドリー、ミドルズブラ、オリンピアコス、セルヴェット、バスティアでプレーし。2006年に現役を引退した。 1992年からフランス代表としてもプレー。53試合に出場し、1996年のユーロで存在感を示すと、1998年のフランスW杯で優勝。2000年のユーロでも優勝に貢献していた。現在はオリンピアコスでスポーツ・ディレクターを務めている。 2024.05.28 22:35 Tue5
