PSGと浦和では「大人と中学生?」、大きな差があるメンタル/六川亨の日本サッカーの歩み
2022.07.25 11:45 Mon
7月23日に埼玉スタジアムで開催された浦和対パリ・サンジェルマン(SG)の試合は、メッシとネイマールをベンチに温存(後半13分から出場)しながらも、PSGがムバッペの来日初ゴールなどで3-0の勝利を収めた。浦和は得点源のキャスパー・ユンカーを負傷で欠くなどベストの布陣ではなかったが、両チームの実力差からすれば順当な結果だった。
浦和にとって惜しかったのは、立ち上がりにつかんだ2回の決定機だった。恐らくPSGは、浦和についての事前情報はいっさいなかった可能性が高い。このため相手の出方をうかがいながら、自陣からパスをつないで攻めようとした。
そこに浦和の攻撃陣が襲いかかった。前線から複数の選手がプレスをかけてパスコースを限定し、インターセプトからPSG陣内で試合を進めた。
6分にはペナルティーエリア内でボールを奪うと、最期は伊藤敦樹が右足で強シュートを放つ。しかしこれもGKナバスのディフレクトにで左CKに変わった。
浦和がこの試合でつかんだ決定機は7回だった。そのうちGKナバスに防がれたのが4回、DFのブロックに遭ったのが1回、ゴール枠を外したのと右ポストに阻まれたのが各1回だった。とりわけ惜しかったのが前半33分、ダヴィド・モーベルグが右サイドをタテに突破してクロスを送ったシーンだ。
クロスはゴール前でクリアされたが、これを拾った伊藤がワントラップして至近距離からシュート。ところがDFのブロックに遭い、PSGのゴールネットを揺らすことはできなかった。そして、このシーン以外にも、浦和攻撃陣のシュートはPSGの選手によって何度となくブロックされた。
試合後の公式記録でも、PSGのシュートが12本なのに対し、浦和は14本ものシュートを放った。にもかかわらずノーゴールだったのは、前述したGKナバスやセルヒオ・リコの好セーブに加え、フィールドプレーヤーのシュートブロックの巧さだろう。
危険地帯でのシュートにもかかわらず、PSGの選手は少しも慌てることなく、しっかりとシュートコースを見極め、足や身体でブロックした。「後手に回った」と思って、慌てて足を出したり身体をぶつけたりして、逆にPKを与えてしまうことはよくあるプレーだが、PSGの選手は慌てることなく冷静に対処していた。
それだけプレーに余裕があったということだろう。
彼らのそんなプレーを見ていて思い出したのが、都並敏史氏(現ブリオベッカ浦安監督)の言葉だった。
Jリーグが開幕して3年後の1995年11月1日、カシマスタジアムでの鹿島対横浜フリューゲルス戦で、鹿島MFレオナルドは3人の選手に囲まれるとボールを浮かし、左足でリフティングしながら突破。最期はボレーシュートをゴール左上に突き刺した。
2013年にJリーグ創設20周年を記念して行われたサポーター投票による「Jクロニクルベスト」という企画では、ベストゴール部門の1位に選出された伝説的なプレーだ。
このプレーについて、都並氏は、「自分だったら」と断ってから、「中学生が相手なら、同じプレーができたかもしれない。つまり当時のレオナルドにとって、Jリーガーは中学生を相手にプレーしているようなものだったのかもしれません」とコメントした。
PSGの選手に確認したわけではないが、もしかしたらPSGの選手にとって、浦和攻撃陣がシュートを放つ際の冷静さには、「大人と中学生」ほどではないにしても、それだけメンタル的な余裕の違いがあったのかもしれない。そしてこれは、一朝一夕では解決できない致命的な差でもある。
【文・六川亨】
浦和にとって惜しかったのは、立ち上がりにつかんだ2回の決定機だった。恐らくPSGは、浦和についての事前情報はいっさいなかった可能性が高い。このため相手の出方をうかがいながら、自陣からパスをつないで攻めようとした。
そこに浦和の攻撃陣が襲いかかった。前線から複数の選手がプレスをかけてパスコースを限定し、インターセプトからPSG陣内で試合を進めた。
3分にはスルーパスに抜け出たFW松尾佑介がドリブルで持ち込み、CBディアロのチャージにバランスを崩しながらもGKケイラー・ナバスを左にかわした。しかしシュートは腰が回りきらなかったためゴール枠を外してしまう。
6分にはペナルティーエリア内でボールを奪うと、最期は伊藤敦樹が右足で強シュートを放つ。しかしこれもGKナバスのディフレクトにで左CKに変わった。
浦和がこの試合でつかんだ決定機は7回だった。そのうちGKナバスに防がれたのが4回、DFのブロックに遭ったのが1回、ゴール枠を外したのと右ポストに阻まれたのが各1回だった。とりわけ惜しかったのが前半33分、ダヴィド・モーベルグが右サイドをタテに突破してクロスを送ったシーンだ。
クロスはゴール前でクリアされたが、これを拾った伊藤がワントラップして至近距離からシュート。ところがDFのブロックに遭い、PSGのゴールネットを揺らすことはできなかった。そして、このシーン以外にも、浦和攻撃陣のシュートはPSGの選手によって何度となくブロックされた。
試合後の公式記録でも、PSGのシュートが12本なのに対し、浦和は14本ものシュートを放った。にもかかわらずノーゴールだったのは、前述したGKナバスやセルヒオ・リコの好セーブに加え、フィールドプレーヤーのシュートブロックの巧さだろう。
危険地帯でのシュートにもかかわらず、PSGの選手は少しも慌てることなく、しっかりとシュートコースを見極め、足や身体でブロックした。「後手に回った」と思って、慌てて足を出したり身体をぶつけたりして、逆にPKを与えてしまうことはよくあるプレーだが、PSGの選手は慌てることなく冷静に対処していた。
それだけプレーに余裕があったということだろう。
彼らのそんなプレーを見ていて思い出したのが、都並敏史氏(現ブリオベッカ浦安監督)の言葉だった。
Jリーグが開幕して3年後の1995年11月1日、カシマスタジアムでの鹿島対横浜フリューゲルス戦で、鹿島MFレオナルドは3人の選手に囲まれるとボールを浮かし、左足でリフティングしながら突破。最期はボレーシュートをゴール左上に突き刺した。
2013年にJリーグ創設20周年を記念して行われたサポーター投票による「Jクロニクルベスト」という企画では、ベストゴール部門の1位に選出された伝説的なプレーだ。
このプレーについて、都並氏は、「自分だったら」と断ってから、「中学生が相手なら、同じプレーができたかもしれない。つまり当時のレオナルドにとって、Jリーガーは中学生を相手にプレーしているようなものだったのかもしれません」とコメントした。
PSGの選手に確認したわけではないが、もしかしたらPSGの選手にとって、浦和攻撃陣がシュートを放つ際の冷静さには、「大人と中学生」ほどではないにしても、それだけメンタル的な余裕の違いがあったのかもしれない。そしてこれは、一朝一夕では解決できない致命的な差でもある。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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