ミランからの不当解雇で違約金を受け取っていたボバン氏、約2億円を返還へ
2021.10.14 10:45 Thu
元クロアチア代表のズボニミール・ボバンだが、ミランへと違約金を返納しなければいけなくなるようだ。イタリア『Calcioe Finanza』が報じた。
ボバン氏は、ミランでディレクターを務めていたが、ステファノ・ピオリ監督が務めていた中でラルフ・ラングニック氏を監督に招へいしようと動いていたクラブ幹部を非難。2020年3月に解雇されていた。
2020年12月に裁判が行われ、ボバン氏が訴えてたミランの不当解雇が認められることに。ミランは、537万5000ユーロ(約7億700万円)の支払いが命じられていた。
しかし、報道によると、ミラノの控訴裁判所は、ボバン氏が起こした雇用訴訟の第一審に対して修正判決を出し、非金銭的損害賠償請求を却下。ボバン氏は120万ユーロ(約1億5800万円)をクラブに返還する必要が出てきた。
また、2020年3月から11月末までの職務上の活動に由来する収益に相当する金額を追加でミランへと返還しなければならないとし、30万ユーロ(約4000万円)が追加され、合計で150万ユーロ(約1億9700万円)の返還となるようだ。
ボバン氏は、ミランでディレクターを務めていたが、ステファノ・ピオリ監督が務めていた中でラルフ・ラングニック氏を監督に招へいしようと動いていたクラブ幹部を非難。2020年3月に解雇されていた。
2020年12月に裁判が行われ、ボバン氏が訴えてたミランの不当解雇が認められることに。ミランは、537万5000ユーロ(約7億700万円)の支払いが命じられていた。
また、2020年3月から11月末までの職務上の活動に由来する収益に相当する金額を追加でミランへと返還しなければならないとし、30万ユーロ(約4000万円)が追加され、合計で150万ユーロ(約1億9700万円)の返還となるようだ。
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