【足球日記】2021シーズン中国甲級リーグ 第5節を終えて

2021.07.13 22:00 Tue
難しい環境下での中国でのサクセスストーリーを現地から届けてもらう連載企画『足球日記』。中国の地で奮闘する、日本と中国の血を引く男・夏達龍(なつたつりゅう)が現地の情報をお届けする。

第7回は、今シーズンの5節までのストーリーを紹介します。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
みなさんこんにちは!夏です。現在僕らのチームは中国の南方に位置する広東省梅州市という場所でリーグ戦を行なっています(*今シーズンの詳しいルールは前回の記事に記載してあります。)

5月の時点で気温は30度を超えていてかなりの猛暑です。ちなみに新型コロナウィルス対策で試合以外はこの施設の外には出られません。
4月25日 vs陕西长安竞技足球俱乐部(陝西長安競技)

第1節 ベンチスタートで始まった今シーズン。そして85分、1点ビハインドの状況でFWで途中出場しました! あまり試合に絡めずに終了のホイッスル。0-1で敗戦しました。

ただ個人的には久しぶりの公式戦のピッチに少しだけでも立てて公式戦独特の雰囲気と緊張感を感じられて良かったです。

4月29日 vs浙江队(杭州绿城)

前節から中3日で行われた試合。相手チームは昔、岡田武史監督(元日本代表監督)が率いたことのある強豪チーム。この日もベンチスタート。

0-0でなかなか動かないゲーム展開、73分ついに監督から呼ばれて途中出場! アディショナルタイム含め約20分の出場時間。

僕が出場するタイミングで足元で繋ぐのを減らして、DFからFWに直接ロングフィードする戦術に変わりました。個人的に競り合い、前線からのプレスで多少チームに貢献することはできましたが、勝利に導くゴールを決めることはできませんでした。

ただ、確実に去年よりもメンタルの部分で大きな成長を感じる一戦でした。結果は0-0で今シーズン初の勝ち点1を手にすることができました!

強豪相手に最後まで戦い抜いて取った勝ち点1。20分の出場時間でしたがかなりバテてしまうほどハードな試合でした。

*そしてこの浙江チームにいる外国人FW選手の能力の高さに驚きました。なんと調べてみると元バスケ選手という異例すぎる経歴の持ち主でした。
選手名:ニャシャ・ムシェクウィ、元ジンバブエ代表

なんとサッカー、バスケの両方で代表に選ばれたことがあるみたいです、、。身体能力の高さはもちろん得点感覚など絶対的な存在感でした。

5月4日 vs淄博蹴鞠(淄博星期天)

得点不足に悩むチームでした。ベンチスタートで試合が始まりました。得点を狙いにいく僕らに対し相手は5バックで対応、なかなか崩しきれない展開。

60分0-0の状況で途中出場、少しずつ長くなる出場時間後はここで得点を決めれるかどうか、しかし相手の固い守備を最後まで崩しきれずにドローで試合終了。

個人的にもこの30分で大きなチャンスを作れなかったことに悔しい気持ちが残りました。


5月10日 vs新疆天山雪豹

第4節チームとしてはそろそろ勝ち点3が欲しい。この日もベンチスタートでしたが必ずチャンスは来ると思いアップをしていました。

65分1-1の状況で途中出場! そして72分チームメイトが勝ち越しゴールを決め、2-1で勝利しチームは今シーズン初勝利を飾ることができました!

ホイッスルの瞬間、去年はあまり味わえなかったピッチ上での喜びをかみしめることができました。

5月16日 vs梅州客家

今シーズン最も長い中5日を明けての試合。ここまで治療をしながらやってきた右足の怪我が悪化してしまい今節はベンチには入れましたが出場機会を得ることはできませんでした。

結果0-1で負けてしまいましたが、チームとしては強豪チーム相手に圧倒する場面を何度も作ることができチーム全体の自信につながる良い試合になりました。

以上が第5節を終えた簡単な個人的な試合レポートです。

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「背負わなくて良いものを背負ってしまっていた」日本代表キャプテン時代を振り返った長谷部誠、ベスト8の壁を越えるには?「シティやレアルで…」「全てのレベルアップが必要」

日本代表をキャプテンとして支えてきたMF長谷部誠。引退会見では、日本代表への想いも語った。 2002年からプロキャリアをスタートさせた長谷部。浦和の黄金時代を知り、ドイツに渡ってもヴォルフスブルクでブンデスリーガ制覇、フランクフルトではDFBポカールとヨーロッパリーグで優勝と、結果を残してきた。 日本代表としても2006年からプレーし、2018年のロシア・ワールドカップ(W杯)を最後に引退。代表通算114試合に出場し2得点、キャプテンとしては81試合に出場し、歴代最多を記録。2010年、2014年、2018年と3度のW杯を経験し、アジアカップも2011年に優勝を経験するなど、多くのタイトルを手にしてきた。 2010年から2018年まで、キャプテンとして日本代表を支えた長谷部。24日に行われた引退会見では、代表での苦しい時期について言及した。 「ザッケローニ監督の時のクラブで全くベンチにも入れない時期は辛かったなと思います。移籍問題であまり上手くいかなくて、チームに残ることになって、そしてベンチにも入れず、練習も一緒にさせてもらえない時期がありました」 「あの時期はそれでも代表に呼んでもらって、キャプテンとして周りに示さなければいけなかったですが、キャプテンは言葉で伝えることもありますが、プレーや背中で見せなければいけない部分があると思っていたので、説得力がないなと感じていて、凄く悩んで苦しい時期でした」 長谷部は2013-14シーズンにヴォルフスブルクからニュルンベルクへと移籍したが、2011-12シーズンの終盤に移籍話が浮上するとメンバー外に。結局残留を果たすも、シーズン開幕から8試合はメンバー外になるなど、苦しい時期を過ごしていた。 それでもキャプテンとして振る舞わなければいけなかったという日本代表。長谷部なりのキャプテンへの想いも語った。 「日本代表のキャプテンとして8年間ぐらいやらせてもらいましたが、最初は先輩方も多くて、全く自分が何をやれば良いかというのが分からなかったですけど、8年間日本代表のキャプテンを務めることは本当に誇りで、日本の多くの方々に本当に注目していただいて、自分の人となりというか、日本代表のキャプテンというのは日本サッカー界のリーダー的なシンボルになるというイメージもあったので、自分として多少寄せていくところもあって、キャラクターが少し変わった部分もあります」 「今振り返れば、とても大きなもので、自分の人生を変えてくれたもの。信頼して自分をキャプテンにしてくれた岡田さん、歴代の日本代表監督の皆さんには感謝していますし、チームメイトの存在がなかったら、自分はうまく務められなかったと思うので、誇りであり、周りの人に深く感謝しています」 また、「僕自身が、自分自身で背負わなくて良いものを背負ってしまっていた気がします。日本代表のキャプテンはこうあるべきだ、こうなくてはいけないという理想像を描きすぎていて、それに寄ろうとしすぎていた部分があったので、自分で大変にしすぎた部分はあります」とコメント。「大変だったというと、先輩が多かったので、2010年の時はキャプテンというよりはゲームキャプテンという感じで、(川口)能活さんがチームキャプテンとしていたので、ゲームキャプテンとして年齢的にも若い方だったので、顔色を窺いながらやっていた時期は大変でした。2011年からも個性豊かな選手が多くて、日本代表はどの時代も大変でした」と、キャプテンならではの悩みも明かした。 岡田武史監督が当時はまだ若手だった長谷部にキャプテンマークを託すことを決断。ゲームキャプテンではあったものの、その2010年の南アフリカW杯ではベスト16に進出。PK戦でベスト8行きを絶たれた。 2014年はグループステージで敗退したが、2018年のロシアW杯は再びベスト8へ挑戦したが、ベルギー代表の前に土壇場での劇的な敗戦を喫し、長谷部のW杯は終了した。 日本にとっての鬼門となるベスト8の壁。長谷部はこれから見守ることになるが、自分なりの考えを語った。 「僕自身、ヨーロッパで長い間プレーしてきましたが、日本代表を退いてから6年ぐらいが経って、もちろん日本代表の試合を観ることもありますし、2年前はデュッセルドルフであった合宿にも参加させてもらいました」 「日本代表という括りだけでなく、間違いなく日本サッカーは進歩していますが、ベスト8の壁というか、ここからの段階の方が今までのフェーズよりももっと大変なフェーズに入ると思います」 「選手たちも成長してきていますし、ビッグクラブでプレーする選手もいますが、今で言えばマンチェスター・シティ、レアル・マドリーなどで中心としてプレーする選手が出てくれば、安定的にもっと上に行けるのかなというのはあります」 「ただ、サッカーというのは何が起こるかわからないスポーツですし、そういう中で、より経験値を上げることは必要だと思っています」 「選手だけでなく指導者もそうですし、メディアの皆さん、日本のサッカーファンの全ての皆さんのレベルアップが必要だと思います。近道があるわけではないので、日本サッカー界に関わる人たちが一緒になってこれからもやっていければと思います」 「自分もその一部になれればとは思っていますが、自分がそこにどう関われるかということより、自分がヨーロッパのような高いレベルの中で、指導者として経験を積んで、何かを積み重ねていった先に、何か日本サッカーに還元できることがあればと思います」 「大前提として、日本サッカーのために、ここからの道を歩もうとしているということはないです。自分ができることを高いレベルの中でコツコツとやっていきたいと思います」 日本のサッカー、選手たちは成長を遂げているものの、難しいフェーズにも入っているという長谷部。ここから日本はどう成長し、長谷部は将来的に何を還元してくれるのか。海外で活躍する日本人指導者としての先駆者になれるか注目だ。 2024.05.24 17:45 Fri

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