森保一監督がモンゴル戦で感じて欲しいこと「自分のことをしっかりやって頑張ろうと思ってもらえること」、韓国戦以上の内容を求める
2021.03.29 13:02 Mon
日本代表の森保一監督が、30日に控えるカタール・ワールドカップ(W杯)アジア2次予選のモンゴル代表戦に向けた前日会見に臨んだ。
26日に韓国代表との国際親善試合で3-0と快勝した日本。ここまで4試合を戦い4連勝、13得点無失点の成績を残すW杯予選に臨むこととなる。
モンゴル相手には、W杯予選の初戦で6-0と大勝。実力差があることは明白だが、「W杯2次予選の第1戦でホームで戦わせていただいた時の6-0という結果を踏まえると大勝していますし、格下相手だろうと思われると思いますが、絶対に勝たなければいけない相手と思って臨みます」とコメント。「勝って当たり前のチームと対戦するほど難しいことはないですし、韓国戦はたくさんある中の1試合だと思っていても特別なモチベーションに自然となる試合なので、そのあとのモンゴル戦は非常に難しいと思います」と、ビッグゲームの後の難しさを語った。
また、「第1戦で6-0で勝ちましたけど、言葉で圧倒するとかではなく、選手たちが試合の中で自分たちの個々の役割を100%発揮する、チームとしてもしっかり機能できるようにお互いが意思統一できるように戦う。インテンシティを相手に合わせず、最初から最後まで保ち続けて、モチベーションが内向きにあって、何をやらなければいけないか、やるかやらないかの結果が6-0になったと思うので、今回の試合も選手たちが内向きのモチベーションを発揮できてほしいと思いますし、メディアの皆さんにも感じてもらいたいです」と、自分たちにフォーカスして高いパフォーマンスを見せて欲しいと語った。
加えて「メディアを通じて、『韓国戦では魂感じたけど、モンゴル戦ではダメだったよね』ではなく、どの相手でもやるべきことをしっかりやってくれるんだということを感じてもらって、見てくれる、応援してくれる方に、明日から自分のことをしっかりやって頑張ろうと思ってもらえる試合をしたいと思います」とし、モンゴル相手にも韓国戦以上のパフォーマンスを出したいと語った。
また「まずは個の部分で責任をもって勝って行くというのは、攻守両面で自分の責任を全うすることから、お互いをサポートする、カバーし合うことを表現してくれたと思っています」と、個としてもチームとしても変化が見られたとし、「もう1つは、個で勝っていく強さをメンタル的にもフィジカル的にも、技術で勝つ部分を見せてくれましたが、同時に相手に対して今何をしなければいけないのかというのを強さだけじゃなく、パワーだけじゃなく、柔軟に賢く対応力を出してくれたと思いました」と語り、対応力を示せたことを高く評価した。
さらに、「剛の強さと柔軟に戦っていくという修正力は戦術的な戦いでも見せてくれたと思います」とし、「戦術的なところでいうと、速攻・遅攻の使い分け方というか、優先順位、ダイレクトに相手のゴールに迎える時はボールを奪ってからシンプルに素早く人数をかけて攻撃をしにいくということをまずはやろうとしてくれて、うまくいかないときはボールを保持して相手を崩していこう、チャンスを伺おうとするところはGKからのビルドアップは間違いなくレベルアップしたと思いますし、よくGKの込んだを含めてトライしてくれたと思います」とピッチ内での判断やチャレンジを良くやったと語った。
「守備も攻撃と同じで優先順位としてボールを失った瞬間に奪いに行って早い守備を実践してくれたと思いますし、連携、連動の部分で相手のボール保持者に対して1人がプレシャーをかけにいく、そこで奪えればいいですが、プレッシャーにいくことで相手のミスの誘う、という形で次の選手が奪うシーンも多かったので、この責任と連携というところは見せてくれたと思います」と守備面でも連動性を評価。「プレッシャーを高い位置でいくのか、構えてブロックを作りながら相手に制限をかけてボールを奪いにいくという部分のチームとしての相手をどう追い込んでいく、どう困らせる、ボールを奪いにいくというところはコミュニケーションとりながら、意思統一して戦ってくれたと思います」と語り、「優先順位は選手たちが考えてやってくれたと思います。厳しい競争の中でもポジティブな雰囲気でやってくれていて、監督としてありがたい限りです」と、コミュニケーションが難しい中でもしっかりと連動した選手たちを称賛した。
26日に韓国代表との国際親善試合で3-0と快勝した日本。ここまで4試合を戦い4連勝、13得点無失点の成績を残すW杯予選に臨むこととなる。
モンゴル相手には、W杯予選の初戦で6-0と大勝。実力差があることは明白だが、「W杯2次予選の第1戦でホームで戦わせていただいた時の6-0という結果を踏まえると大勝していますし、格下相手だろうと思われると思いますが、絶対に勝たなければいけない相手と思って臨みます」とコメント。「勝って当たり前のチームと対戦するほど難しいことはないですし、韓国戦はたくさんある中の1試合だと思っていても特別なモチベーションに自然となる試合なので、そのあとのモンゴル戦は非常に難しいと思います」と、ビッグゲームの後の難しさを語った。
加えて「メディアを通じて、『韓国戦では魂感じたけど、モンゴル戦ではダメだったよね』ではなく、どの相手でもやるべきことをしっかりやってくれるんだということを感じてもらって、見てくれる、応援してくれる方に、明日から自分のことをしっかりやって頑張ろうと思ってもらえる試合をしたいと思います」とし、モンゴル相手にも韓国戦以上のパフォーマンスを出したいと語った。
2020年の10月、11月のヨーロッパ遠征からの変化については「まずはチーム全体の戦い方の共有が去年のヨーロッパ遠征の時よりも上がったと思います。個々の責任というところと、それを組織で連携、連動させる部分の個と組織のバランス、融合は選手たちがすごく理解して発揮してくれていると思います」とコメントした。
また「まずは個の部分で責任をもって勝って行くというのは、攻守両面で自分の責任を全うすることから、お互いをサポートする、カバーし合うことを表現してくれたと思っています」と、個としてもチームとしても変化が見られたとし、「もう1つは、個で勝っていく強さをメンタル的にもフィジカル的にも、技術で勝つ部分を見せてくれましたが、同時に相手に対して今何をしなければいけないのかというのを強さだけじゃなく、パワーだけじゃなく、柔軟に賢く対応力を出してくれたと思いました」と語り、対応力を示せたことを高く評価した。
さらに、「剛の強さと柔軟に戦っていくという修正力は戦術的な戦いでも見せてくれたと思います」とし、「戦術的なところでいうと、速攻・遅攻の使い分け方というか、優先順位、ダイレクトに相手のゴールに迎える時はボールを奪ってからシンプルに素早く人数をかけて攻撃をしにいくということをまずはやろうとしてくれて、うまくいかないときはボールを保持して相手を崩していこう、チャンスを伺おうとするところはGKからのビルドアップは間違いなくレベルアップしたと思いますし、よくGKの込んだを含めてトライしてくれたと思います」とピッチ内での判断やチャレンジを良くやったと語った。
「守備も攻撃と同じで優先順位としてボールを失った瞬間に奪いに行って早い守備を実践してくれたと思いますし、連携、連動の部分で相手のボール保持者に対して1人がプレシャーをかけにいく、そこで奪えればいいですが、プレッシャーにいくことで相手のミスの誘う、という形で次の選手が奪うシーンも多かったので、この責任と連携というところは見せてくれたと思います」と守備面でも連動性を評価。「プレッシャーを高い位置でいくのか、構えてブロックを作りながら相手に制限をかけてボールを奪いにいくという部分のチームとしての相手をどう追い込んでいく、どう困らせる、ボールを奪いにいくというところはコミュニケーションとりながら、意思統一して戦ってくれたと思います」と語り、「優先順位は選手たちが考えてやってくれたと思います。厳しい競争の中でもポジティブな雰囲気でやってくれていて、監督としてありがたい限りです」と、コミュニケーションが難しい中でもしっかりと連動した選手たちを称賛した。
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1年後のW杯は夢物語ではなくなった 佐藤龍之介が10日間で示した“序列上げ”と獲得した“新たな基準”【東アジアE-1選手権2025総括コラム】
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中島翔哉の退団で思うこと/六川亨の日本サッカー見聞録
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「後悔は絶対にしたくない」交代枠を使い切ってもアップを継続 緑のDNAを持つ男・綱島悠斗、日本代表生き残りをかけた“準備”と“武器”
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森保監督続投で歴代最長監督はというと…/六川亨の日本サッカーの歩み
まだ正式決定ではないが、森保一監督の『2年間の』続投が決まったようだ。正式には来年のJFA(日本サッカー協会)理事会での承認待ちになる。その頃にはコーチ陣などのスタッフの詳細も決定しているだろう。 93年のJリーグ誕生以降、日本代表の監督は基本的にW杯の4年サイクルで交代してきた。例外は94年のアジア大会で韓国に敗れたロベルト・ファルカン氏、97年のアウェー中央アジア2連戦で更迭された加茂周氏、07年に病に倒れたイヴィチャ・オシム氏、15年に契約解除されたハビエル・アギーレ氏、そして18年に解任されたヴァイッド・ハリルホジッチ氏の5人しかいない。 そうした過去30年の歴史のなかで、初めて『続投』が決定的となったのが森保監督である。目標としていた「ベスト8」には届かなかったものの、大国ドイツとスペインに逆転勝ちを収めたことが高く評価されたことは言うまでもない。 そこで過去の歴代監督の任期を振り返ると、上には上がいるもので、長沼健氏(元JFA会長)は1962年から69年までの7年間と、さらに72年から76年までの4年間、トータル11年間も日本代表の監督を務めた。「時代が違う」と言ってしまえばそれまでだが、おそらく2度と破られることのない記録と言っていいだろう。 長沼氏が“長期政権"を担うことになったのには理由がある。64年に東京五輪があったからだ。このため62年に33歳の若さで監督に抜擢された。そして東京五輪ではグループリーグでアルゼンチンを倒して決勝トーナメントに進出。準々決勝で銀メダルに輝いたチェコスロバキアに0-4で敗れたが、ベスト8進出で日本に“第1次サッカーブーム"を巻き起こした。 さらに4年後のメキシコ五輪では、アジア勢初となる銅メダル獲得の快挙を達成。その再現を半世紀後の21年東京五輪で森保監督は期待されたが、残念ながらメダルにはあと一歩届かなかった。 長沼氏は69年のメキシコW杯アジア1次予選で、韓国とオーストラリアの後塵を拝したことで監督の座をコーチだった岡野俊一郎氏(元JFA会長)に譲る。しかし岡野氏が71年のミュンヘン五輪予選で韓国とマレーシアに負けたことで、日本サッカーの復権は再び長沼氏に託されることになった。 ところが73年の西ドイツW杯アジア予選はイスラエル(当時はアジアに所属し、中東勢が対戦を拒否したため予選は東アジアに組み込まれた)とマレーシアに敗れ、76年のモントリオール五輪アジア予選も韓国とイスラエルに敗れて監督から退くことになった。 当時の日本サッカーは、「W杯予選は負けても当たり前」であり、五輪予選で敗退するたびに監督は交代していた。Jリーグ開幕以前では、92年のバルセロナ五輪アジア最終予選で敗れた横山謙三総監督、88年ソウル五輪アジア最終予選で中国に逆転負けを喫した石井義信氏(故人)、80年モスクワ五輪アジア予選で韓国とマレーシアに及ばなかった下村幸男氏らである。 しかし96年のアトランタ五輪に28年ぶりに出場して以来、五輪出場は7大会連続して出場。その間には12年ロンドン五輪と21年東京五輪ではメダルまであと一歩に迫った。もう五輪は出場するのは当たり前で、次の24年パリ五輪は「メダル獲得」がノルマになるだろう。 同じようにW杯も98年以降7大会連続して出場中で、さらに2026年のアメリカ・カナダ・メキシコ大会は出場国が48に増えるため、出場権を失うことはまず考えられない。森保監督にとっては「ベスト8」への再チャレンジになるが、その前に横内昭展ヘッドコーチは磐田の監督に、上野優作コーチはFC岐阜の監督に転身するなどスタッフの陣容は一新せざるを得ない。 果たして新たなスタッフの顔ぶれはどうなるのか。そこに外国人コーチが入るのかどうかなどは楽しみなところ。 そして森保監督は、23年こそ秋まで親善試合しかない“静かな"一年になるものの、21年東京五輪は「金メダル」を目標に掲げながらも4位に終わり、カタールW杯も「ベスト8」が目標だったがラウンド16で敗退した。このため、まだ先の話ではあるが、24年のアジアカップでは『優勝』がW杯まで続投するためのノルマにすべきではないだろうか。 2022.12.26 22:00 Mon日本の人気記事ランキング
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「不公平」、「八百長」と炎上中の佐藤隆治主審、物議醸した判定に不服のマレーシアサッカー協会が公式の意見書を提出
マレーシアサッカー協会(FAM)は29日、佐藤隆治主審の判定についてASEANサッカー連盟(AFF)に公式の意見書を提出したことを発表した。 問題が起きたのは12月27日に行われたAFFチャンピオンシップ(三菱電機カップ)のグループステージ、グループB第3節のベトナム代表vsマレーシア代表の試合だった。 今シーズン限りでJリーグの主審を引退した佐藤主審。東南アジアの王者を決める大会で主審を務めた中、59分に問題が起こる。 ベトナムがリードした中で迎えたシーンでは、数的不利の中で相手陣地深い位置までボールを追ったベトナム代表のドアン・バン・ハウが、マレーシア代表のアザム・アズミとコンタクト。両者はそのままもつれるようにピッチの外へと転がった。 佐藤主審はしばらく様子をうかがったのちにプレーを止め、副審との協議を経てアザム・アズミにレッドカードを提示。ベトナムにPKを与えた。 この判定にはマレーシア側が激怒。マレーシアの各メディアが佐藤主審をバッシング。またサポーターと思われる人たちからも、「不公平なゲーム」、「八百長」などと声が寄せられた。 判定に納得がいかないFAMは、意見書を公式に提出したと声明を発表している。 「この措置は、FAMの副会長がFAMレフェリー評価委員会の意見を聞いた後に行われたFAMの委員会で決まった」 「その後、試合中のレフェリーの行動と決定に対するFAMの不満を表明する意見書が、今日の午後、AFF事務局長に送られ、更なる行動を取れるようにしました」 なお、ファウルのシーンだけを見れば誤審とも思われるが、ピッチの外に出た後、アザム・アズミがドアン・バン・ハウの顔面を蹴る姿が収められた動画があり、このプレーの判定だと思われる。 報復行為であり乱暴な行為という点で考えれば、レッドカードに相当することは考えられ、その場合は競技規則で定められている通り、今回の場合はPKになることが妥当だ。 その前の時点のファウルを取っていない以上、この判断は妥当とも言えるが、AFFはどのような裁定を下すのか注目を集める。 <span class="paragraph-title">【動画】佐藤主審が担当し物議を醸した、ベトナムvsマレーシアのレッドカードとPK判定シーン</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="in" dir="ltr">AFF Mitsubishi Electric Cup | Kumpulan B<br><br>Vietnam 1-0 Malaysia<br><br>Kad Merah <br><br>Azam Azmi 62'<br><br>Saksikan semua perlawanan AFF Mitsubishi Electric Cup secara langsung hanya di Astro!<a href="https://twitter.com/hashtag/HariHariMauMenang?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#HariHariMauMenang</a><a href="https://twitter.com/hashtag/jomtunjukbelang?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#jomtunjukbelang</a> <a href="https://t.co/LufQORTIgR">pic.twitter.com/LufQORTIgR</a></p>— ASTRO ARENA (@ASTROARENA) <a href="https://twitter.com/ASTROARENA/status/1607737454529843200?ref_src=twsrc%5Etfw">December 27, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <span class="paragraph-title">【動画】物議を醸したPK判定シーン、ピッチサイドからの映像</span> <span data-other-div="movie2"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Close-up of the situation leading to the card and penalty of the Malaysian team <a href="https://twitter.com/hashtag/vietnam?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#vietnam</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/malaysia?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#malaysia</a> <a href="https://twitter.com/hashtag/ryujisato?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ryujisato</a> <a href="https://t.co/fPPQka7ReR">pic.twitter.com/fPPQka7ReR</a></p>— ngh (@YuH_aig16) <a href="https://twitter.com/YuH_aig16/status/1607753216275681280?ref_src=twsrc%5Etfw">December 27, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.12.30 23:40 Fri2
日本代表の新ユニフォームの発表時期が判明?続々と各国がお披露目している中で日本は遅めの発表か
日本代表の新ユニフォームは6月に発表される可能性が高いようだ。ユニフォーム等の情報を扱う『Footy Headlines』が伝えている。 およそ2年間隔で発表される日本代表の新ユニフォーム。折り鶴からヒントを得た「ORIGAMI」をコンセプトとしている現行のユニフォームは、2022年8月に発表され、現在行われている2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア2次予選でも着用されている。 一方で、今夏に行われるユーロ2024やコパ・アメリカ2024に向けて各国代表の新ユニフォームが続々と発表されている状況。3月のインターナショナルマッチウィークで、各国が新ユニフォームをお披露目している。 そうした中、『Footy Headlines』によると、アディダスがユニフォームサプライヤーを務めている代表チームの中で、日本とアルジェリア代表については6月に発表される予定だという。 なお、その新ユニフォームについて、『Footy Headlines』は過去に、現行のユニフォームから色が変化すると予測。ユニフォームのメインカラーが青というよりも紺色に近いレジェンドインクと呼ばれるカラーになるとしている。 一方のアウェイユニフォームについては、メインカラーがクリアホワイトになると考えているようだ。 6月には、男子のサッカー日本代表が、アジア2次予選のミャンマー代表戦とシリア代表戦を控えている。 新ユニフォームについては、その前に発表されることになるのだろうか。 <span class="paragraph-title">【画像】あり?なし?『Footy Headlines』の日本代表新ユニフォーム予想デザイン</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="en" dir="ltr"> Japan's 2024 home kit from Adidas could be a great one <a href="https://t.co/xD7ry5VQYR">pic.twitter.com/xD7ry5VQYR</a></p>— Footy Headlines (@Footy_Headlines) <a href="https://twitter.com/Footy_Headlines/status/1715220294863040895?ref_src=twsrc%5Etfw">October 20, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.03.25 11:25 Mon3
21世紀の出場試合数ランキング発表! 首位は1145試合のC・ロナウド、トップ10に日本人選手がランクイン
IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)が、21世紀で最もプレーした選手のランキングを発表。トップ10には日本人選手もランクインした。 様々な統計を行うIFFHS。2022年までのデータを集計し、21世紀に入ってからのプレーした試合数をもとにランキングを作成した。 対象となるのは、各国のリーグ戦やカップ戦、国際カップ戦、代表チームの試合も含まれ、全ての公式戦が対象になっている。 今回の統計では1000試合以上プレーした選手が3人に増加。首位は昨年と変わらず、サウジアラビアへ活躍の場を移したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)となり、1145試合を記録した。 2022年に1000試合を突破したのは、ブラジル代表DFダニエウ・アウベス(UNAMプーマス)とアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(パリ・サンジェルマン)。アウベスは1033試合、メッシは1003試合となった。メッシはカタール・ワールドカップ(W杯)での試合で1000試合を超えたことになる。 そんな中、8位には日本人がランクイン。941試合に出場したMF遠藤保仁(ジュビロ磐田)だ。遠藤はガンバ大阪と磐田、そして日本代表での試合が21世紀に含まれている。なお、アジア人でも唯一となり、900試合以上を達成しているのも12名となっている。 ◆21世紀の出場試合数ランキング 合計(国内リーグ/国内カップ/国際カップ/代表) 1位:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル) 1145試合(651/93/205/196) 2位:ダニエウ・アウベス(ブラジル) 1033試合(620/115/172/126) 3位:リオネル・メッシ(アルゼンチン) 1003試合(559/102/170/172) 4位:イケル・カシージャス(スペイン) 974試合(585/57/171/161) 5位:ジョアン・モウティーニョ(ポルトガル) 958試合(563/107/142/146) 6位:ズラタン・イブラヒモビッチ(スウェーデン) 948試合(603/72/152/121) 7位:ルカ・モドリッチ(クロアチア) 947試合(569/69/146/162) 8位:遠藤保仁(日本) 941試合(606/117/66/152) 9位:チャビ・エルナンデス(スペイン) 937試合(536/95/174/132) 10位:セルヒオ・ラモス(スペイン) 935試合(534/70/151/180) 11位:アンドレス・イニエスタ(スペイン) 933試合(552/98/152/131) 12位:ロジェリオ・セニ(ブラジル) 904試合(675/71/149/9) 2023.01.12 12:45 Thu4
磐田の黄金期を支えた元日本代表MF福西崇史が南葛SCで10年ぶりに現役復帰
▽南葛SCは22日、元日本代表MF福西崇史(41)が現役復帰し、入団することを発表した。 ▽福西氏は愛媛県新居浜市出身で、新居浜工業高校から1995年にジュビロ磐田へ入団。FW登録だったところ、ハンス・オフト監督にボランチへとコンバート。同時期に所属していた元ブラジル代表MFドゥンガ氏の指導を受けて成長し、対人プレーの強さなどの特徴を発揮。磐田の黄金期を支えた。2007年にFC東京へと移籍すると、2008年には東京ヴェルディへと移籍。同年で現役を引退した。 ▽J1通算349試合出場62得点、リーグカップ通算57試合出場4得点、天皇杯通算26試合出場4得点、ACL通算6試合出場1得点を記録。また、Jリーグベストイレブンに1999年、2001年、2002年、2003年の4度選ばれていた。 ▽また、日本代表としても活躍し、2002年の日韓大会、2006年のドイツ大会と2度のワールドカップに出場。国際Aマッチ64試合に出場し7得点を記録していた。引退後はサッカー解説者として活躍していた。 ▽南葛SCで現役復帰を果たす福西はクラブを通じてコメント。復帰への意気込みを語るとともに、自身の将来像を明かした。 「このたび、現役復帰し、南葛SCの一員としてプレーすることになりました」 「このような形での現役復帰を決断したのにはいくつかの理由があります。まずは、南葛SCに深く関わられている高橋陽一先生から熱烈なオファーをいただいたこと。多くのサッカー選手と同じく、『キャプテン翼』を読んでサッカーにハマった自分としては、“リアル南葛SC”でプレーできるということが、本当にうれしいです。加えて、Jリーグを本気で目指している南葛SCのプロジェクトにも賛同させてもらい、自分の力が少しでも役に立てるならばと感じました」 「また、近い将来、Jリーグの監督として指揮を取ることを目指している自分としては、違うカテゴリーとはいえ、現場の空気を吸い、真剣勝負の場に身を置くことは大きなプラスになると考えています」 「10年ぶりのピッチ復帰ということで、もちろん、当時のようにはプレーできませんが、やるからにはチームの役に立てるよう、しっかりと身体を作って臨むつもりです。南葛SCが関東リーグ昇格という目標を果たせるように全力で取り組みたいと思います」 ▽南葛SCは、東京都社会人サッカーリーグ1部に所属。漫画『キャプテン翼』の作者である高橋陽一氏が後援会会長を務めている。 2018.08.22 19:35 Wed5