新時代の息吹、世界一を目指すフリースタイルフットボーラーIbukiが大切にする「“フットボール”のカルチャー」
2020.11.29 20:30 Sun
“フットボール”という単語を含みながら、どこか知っているものとは別物だと錯覚してしまうほど華やかで、アクロバティックな“フリースタイルフットボール”。日本はもちろんのこと、世界各国に多くのプレーヤーがいる中で、2020年には世界連盟公式ワールドランキングで日本人歴代最高の2位にも輝いたのが「Ibuki」だ。
今、最も注目を集める若手プレーヤーの一人ともされる24歳のIbukiだが、競技歴は7年。世界の頂点にあと一歩に迫っているフリースタイルフットボーラーのルーツ、そしてその視線の先にあるものとは。
「フリースタイルフットボールという競技を始めたのが高校1年生の時、16歳でした。始めて2年半ぐらい経った頃に世界大会に初出場して、3年になったぐらいで日本チャンピオンになり、そこから大会で勝てるようになって、最近だとアジア大会で優勝することができたり、世界ランキングで日本人歴代最高位の2位にまで入ることができています」
◆サッカーを始めたのは中学生
スタイリッシュなプレー、そして大技を繰り出す際の鋭い表情とは違い、どこか人懐っこい印象も感じるIbuki。3年で日本チャンピオンになったため、幼い頃からサッカーボールと友達だったのかと思ったが、サッカーを始めたのは中学校からだというから驚きだ。
「元々はサッカー少年でした。ただ、サッカーを始めたのも少し遅くて、中学生の頃でしたね。中学生からだと今のサッカー少年たちからすると遅めのスタートだと思うんですが、そこで入ったクラブチームが結構特殊でテクニックに特化したクラブでした。その影響も少なからず受けて、サッカーを辞めた後にフリースタイルに走ったのかなと思います」
サッカーを始めるまでは水泳を習い事でやっていた程度というIbukiだが、サッカーを始めたキッカケも「めちゃくちゃシンプルで、仲の良い友達がやるからやりたいという。それだけです(笑)」と絵に描いたようなもの。しかし、一流になる人間の中には、何てことないことがキッカケということは多い。
兵庫県加古川市出身のIbukiは、中学を卒業すると神戸市立科学技術高校に進学。サッカー部は全国高校サッカー選手権の出場経験もあり、2009年のインターハイではベスト8に入るほど。県内でも力のある高校だ。
「少しサッカーが強い高校に行ったんですけど、結構蹴って、走ってというチームで、そこのサッカーをやった時のギャップが凄まじく、今までやってきたサッカーと同じようで違うという感じになりました。プラス、ケガが重なったりして、腐ってしまったというか、『もういいわ』ってなって、サッカー部を辞めてしまいました」
中学でサッカーを始めたIbukiにとって、高校の部活はイメージと違いギャップに悩むことに。結局部活を辞めたが、その結果が日本一のフリースタイルフットボーラー誕生のキッカケとなった。
「サッカーをやっている頃からリフティングの技とかは結構得意な方でした。どこのチームや学校にもいる、なんかよく分からないけど“リフティングは無駄にうまいやつ”みたいなタイプでした」
◆「初めて生で見たときは、ちょっと怖かった(笑)」

独学でフリースタイルフットボールの道を歩み出したIbukiだが、当初は上手くいかなかったことも多かった。しかし、始めて1カ月ほどで大きく道が拓けた。
「始めて1カ月ぐらい経った頃に関西のコミュニティに参加したんですが、そういう人が30人ぐらい集まっていました。初めて生で見たときは、ちょっと怖かったです(笑)。だいぶ離れたところで座って見ていました」
「ただ、いざ輪に入って教えてもらうと、すでに専門でやっている人たちは知識がたくさんあって、そこを踏まえて教えてもらうと、成長は凄く早かったです。普通だったらその日にできるのは無理だろうという中級者向けの技も、すぐにできたりしました」
コツを掴んだIbukiはみるみる成長。始めて1年も経たないうちに大会へと出場する。しかし、普段とは違い、大会では新たな敵に立ち向かうこととなった。
「緊張と一発勝負の緊張感に飲まれて、リフティングすらまともにできない。緊張しすぎて、自分の足が自分の足じゃないみたいな感覚になりましたね。めちゃくちゃ調子に乗りかけていたのを、良いタイミングでへし折られたというか(笑)。そこからそういう場所で勝ちたいという気持ちが強くなって、どんどん大会に出ていくという形になりました」
初めての大会では普段通りのプレーができなかったIbukiだが、場数をこなすことで緊張への対応を学んだという。
「結局のところ、緊張に関しては正直今もありますし、いつまでもあり続けると思います。ただ、緊張の種類とか、なぜ緊張しているのか、そこに対する向き合い方は変わったかなと思います」
「初めて日本一になった時の話ですが、マインドとしては勝てるという風にはそこまで思っていなかった大会で、ポンポンポンと勝ち上がって優勝できてしまいました。それまでは、自分は頑張らないと全然勝てないと思っていたのが、1回勝つことによって、自分はきちんと集中してやることやれば、今の日本のレベルでは勝てるという自信がつきました。そこからは変わったかなと思っています」
◆世界を知り生み出された“Ibuki Style”
結果が自信に繋がるという事はよくあるが、Ibukiもまさにそれを体感した1人だ。そのIbukiは世界に出る事で1つの発見をすることになる。その経験が、後に“Ibuki Style”と呼ばれる唯一無二のプレースタイルに繋がる。
「初めて海外の世界大会に行った時が生まれたキッカケです。当時色々な大会に出た上で、これまでやってきた人たちとは埋められない経験の差がハッキリとあるなと感じていました。ただ、それはこのままどうにもしなければ、年数が経っても変わらないと思っていて、どうやったら打ち崩せるかなと考えた時に、その人たちがしていない経験を積もうと思って、当時日本人がほとんど出ていない世界大会に行ってみました」
「フリースタイルフットボールは、日本人のプレーヤーとその他の国のプレーヤーでハッキリと二極化しているというか、アートだと見ている日本人のカルチャーと、スポーツだと見ている外国人のカルチャーがあります。世界大会に行って、よりスポーツ寄り、競技志向の考えだったり、それを元に生まれたプレーヤーを初めて現地で生でたくさん見て、そこで自分が出る事でどう評価されるかを肌で感じました。それを感じた時に、今まで日本で日本人の感性しか聞いていなかったところに、今まで持っていなかった感性がドロップされました」
その結果、魅せる力と戦える力を合わせたスタイルを生み出し、「スキルのグラフがあるとしたら、全体的に大きくなりつつも、何箇所かはものすごく尖らせた風になっていった」と語る自身の形、“Ibuki Style”を確立していったのだ。
そこから自身のスタイルを追求していったIbuki。一方で、フリースタイルフットボールといえば、「ストリートカルチャー」も要素としてあり、テクニックやパフォーマンスに加えて、ファッション性も高い。Ibukiは自身も、そこにこだわりはあるという。
「昔は結構スポーティな服装でやっていました。最近は本当にその時のフィーリングで好きなシューズで、色々蹴る時のテンションもありますけど、のんびりリラックスしたり、本気で練習するときで多少変化はありますが、好きな服を着てやるようになったかなと。より自分の場合はカジュアルですね。私服で出かけてそのまま蹴れるというイメージです」
◆数ミリ単位の繊細さが求められるファッション
一方で、大会となるとそのファッション性は、勝負へのこだわりにも変化する。一般人には感じられないわずかな差が、大きな差を生むこともあるようだ。
「大会に臨むときに、(優勝を)狙いに行く大会となると、ファッションを色々遊びたい気持ちもあるんですが、パンツは絶対同じものから変えないとかあります。パンツ1枚、素材だったり、サイズだったり、様々なところがちょっと変わるだけでも、技の感覚が変わってしまうので、数ミリ単位の違いがプレーの違いを生んできます。こいつって決めた一本、または同じのを何枚も持ってずっと履き続けたりします」
数ミリ単位の微妙な変化がパフォーマンスに繋がると語ったIbukiは、「GOALSTUDIO」の世界中にいるアンバサダーの1人だ。タイトルを狙いにいく大事な大会でも「GOALSTUDIO」のアパレルは大きな役割を果たすという。
「サッカー、フットボールというラインで出たアパレルではあまり好きなブランドがなかったんです。「GOALSTUDIO」が出てきてから、フットボールからもしっかりカッコいい服が出てきて、かつ機能性もすごく高い服が多いです。フリースタイラーとしては、かなりありがたいです。フットボールをルーツにしていて、カッコよくて、機能性も高いって完璧じゃないですか(笑)」
「忖度はないですよ。それこそ、自分を含め日本人も各国のフリースタイルの「GOALSTUDIO」のアンバサダーも、それぞれメチャクチャ好きで着用していると思いますし、大会でも着ています。どんどんプレーヤーやシーンにも広まっていますね。フリースタイルフットボーラーってプレーに関わる部分はすごく正直で、蹴りにくいとか、少しでも動きづらいとかしたら、良い良いと口では言いながらも着てなかったりします。「GOALSTUDIO」のウェアに関しては目に見えて浸透しているので、機能性の面でも良いと感じています」
ファッションを含めて勝負にこだわり続け、今や世界も認めるフリースタイルフットボーラーとなったIbuki。世界を知った事で大きく羽ばたくこととなった。その後は、日本大会で優勝し、その他の大会でも優勝。2019年にはアジアチャンピオンを決める「Asian Pacific Freestyle Football Championship」で優勝し、世界ランキング2位に上り詰めた。
数々の結果を残し、一気にその名を世界に轟かせることになったIbukiだが、今でも壁にぶち当たっているという。
「フリースタイルフットボーラーという人生を選んだ中で、結局大会においても、世界チャンピオンになる以外に満足するものがないかなと思っています。始めた当初の世界一になるという部分は今でも大事にしているので、僕個人のフリースタイルとの向き合い方でいうと、これからもあり続けます」
「あとは、これを仕事として選んで、ライフスタイルとして生きているので、このフリースタイルというカルチャーをもっと広げたり、外の世界で、エンターテインメントの枠組みで戦いたいというのがあります。そういう要素になると、周りを見渡したら壁しかないです。ずっと叩きまくっています」
◆広める為のカギは、いかに“フットボール”に近づけるか

競技面では世界一になることを目指す一方で、日本にフリースタイルフットボールというものを広げていく使命をも背負うIbuki。ただ、広げていくことが簡単ではないことも理解している。そこで大事にしたいのが、“フットボール”の要素だという。
「個人的に考えている部分でいうと、フリースタイルフットボールは元のルーツは“フットボール”にあって、サッカーボールと体1つで楽しめるというのが根本にあると思います。ただ、フリースタイルフットボールが発展していくにつれて、プレーヤーのレベルはどんどん上がり、神業みたいな領域にプレーヤーたちは達していって、その人たちが頂点を争っている。そのレベルは本当に凄まじいと思いますが、今それを見た人たちが、始めたいと思うかというと、なかなかもはや突拍子も無いレベルに行きすぎて難しいかなと思います」
「“フットボール”がルーツにあって、フリースタイルフットボールという名前で各々好きにやった結果、“フットボール”からはどんどん離れていった部分もあるかなと思っています。それはそれで、ストリートカルチャー的な、そういう部分が育っていて良いと思いますが、もう少し“フットボール”のカルチャーに寄り添ったシーンやコミュニティの作り方が必要かなと思っています」
「個人の理想でいうと、“フットボール”という大きな円の中に、リフティングというものは小さな円で存在している。ただ、フリースタイルは“フットボール”の外に別の円でいるイメージがあります。その円の半分でも3分の1でも“フットボール”の円に重なるような位置に持っていきたいなと思います」
簡単ではないことに挑戦し続けるIbuki。志す“フットボール”との融合は、カルチャーとして広めていく上では避けては通れない道となるだろう。そのIbukiがこの先に目指す事は、フリースタイルフットボールを始めた時と変わらない。
「真っ先に達成したい目標は世界チャンピオンです。世界チャンピオンになる、世界ランキング1位になる。始めた当初からずっと思っていて、真っ先に達成したいです」
「その先でいうと、自分でもそのシーン、コミュニティを作っていく側の人間だと思うので、フリースタイルフットボールを一時的なブームではなく、きっちり文化として良さ、魅力を伝えていきたいというのがあります。カルチャーとしての楽しみ方、ライフスタイルとして楽しむものだという文化を根付かせていければと思っています」
世界の頂点を目指すIbuki。世界中の多くの人が苦しんでいる新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で中止となっていた2020年の日本選手権が来年2月に開催される。まずは、そこでの日本一が世界一への挑戦の新たな一歩となる。
取材・文:菅野剛史
【Ibuki】
本名は吉田伊吹。兵庫県加古川市で1996年7月4日に生まれ(24歳)。身体の柔軟性を生かしたオリジナル技やスタイリッシュさを併せ持ち、"Ibuki Style"とも呼ばれる唯一無二のプレースタイルで世界から注目を浴びるプロ・フリースタイルフットボーラー。2020世界連盟公式ワールドランキングランクでは歴代日本人最高位の2位に。現在は神戸を拠点に国際大会への出場、全国各地イベントでのパフォーマンス、レッスン、大会運営など、多岐に渡る動きを見せている。
今、最も注目を集める若手プレーヤーの一人ともされる24歳のIbukiだが、競技歴は7年。世界の頂点にあと一歩に迫っているフリースタイルフットボーラーのルーツ、そしてその視線の先にあるものとは。
「フリースタイルフットボールという競技を始めたのが高校1年生の時、16歳でした。始めて2年半ぐらい経った頃に世界大会に初出場して、3年になったぐらいで日本チャンピオンになり、そこから大会で勝てるようになって、最近だとアジア大会で優勝することができたり、世界ランキングで日本人歴代最高位の2位にまで入ることができています」
◆サッカーを始めたのは中学生
スタイリッシュなプレー、そして大技を繰り出す際の鋭い表情とは違い、どこか人懐っこい印象も感じるIbuki。3年で日本チャンピオンになったため、幼い頃からサッカーボールと友達だったのかと思ったが、サッカーを始めたのは中学校からだというから驚きだ。
「元々はサッカー少年でした。ただ、サッカーを始めたのも少し遅くて、中学生の頃でしたね。中学生からだと今のサッカー少年たちからすると遅めのスタートだと思うんですが、そこで入ったクラブチームが結構特殊でテクニックに特化したクラブでした。その影響も少なからず受けて、サッカーを辞めた後にフリースタイルに走ったのかなと思います」
サッカーを始めるまでは水泳を習い事でやっていた程度というIbukiだが、サッカーを始めたキッカケも「めちゃくちゃシンプルで、仲の良い友達がやるからやりたいという。それだけです(笑)」と絵に描いたようなもの。しかし、一流になる人間の中には、何てことないことがキッカケということは多い。
兵庫県加古川市出身のIbukiは、中学を卒業すると神戸市立科学技術高校に進学。サッカー部は全国高校サッカー選手権の出場経験もあり、2009年のインターハイではベスト8に入るほど。県内でも力のある高校だ。
「少しサッカーが強い高校に行ったんですけど、結構蹴って、走ってというチームで、そこのサッカーをやった時のギャップが凄まじく、今までやってきたサッカーと同じようで違うという感じになりました。プラス、ケガが重なったりして、腐ってしまったというか、『もういいわ』ってなって、サッカー部を辞めてしまいました」
中学でサッカーを始めたIbukiにとって、高校の部活はイメージと違いギャップに悩むことに。結局部活を辞めたが、その結果が日本一のフリースタイルフットボーラー誕生のキッカケとなった。
「サッカーをやっている頃からリフティングの技とかは結構得意な方でした。どこのチームや学校にもいる、なんかよく分からないけど“リフティングは無駄にうまいやつ”みたいなタイプでした」
◆「初めて生で見たときは、ちょっと怖かった(笑)」

IBUKI YOSHIDA x GOALSTUDIO
独学でフリースタイルフットボールの道を歩み出したIbukiだが、当初は上手くいかなかったことも多かった。しかし、始めて1カ月ほどで大きく道が拓けた。
「始めて1カ月ぐらい経った頃に関西のコミュニティに参加したんですが、そういう人が30人ぐらい集まっていました。初めて生で見たときは、ちょっと怖かったです(笑)。だいぶ離れたところで座って見ていました」
「ただ、いざ輪に入って教えてもらうと、すでに専門でやっている人たちは知識がたくさんあって、そこを踏まえて教えてもらうと、成長は凄く早かったです。普通だったらその日にできるのは無理だろうという中級者向けの技も、すぐにできたりしました」
コツを掴んだIbukiはみるみる成長。始めて1年も経たないうちに大会へと出場する。しかし、普段とは違い、大会では新たな敵に立ち向かうこととなった。
「緊張と一発勝負の緊張感に飲まれて、リフティングすらまともにできない。緊張しすぎて、自分の足が自分の足じゃないみたいな感覚になりましたね。めちゃくちゃ調子に乗りかけていたのを、良いタイミングでへし折られたというか(笑)。そこからそういう場所で勝ちたいという気持ちが強くなって、どんどん大会に出ていくという形になりました」
初めての大会では普段通りのプレーができなかったIbukiだが、場数をこなすことで緊張への対応を学んだという。
「結局のところ、緊張に関しては正直今もありますし、いつまでもあり続けると思います。ただ、緊張の種類とか、なぜ緊張しているのか、そこに対する向き合い方は変わったかなと思います」
「初めて日本一になった時の話ですが、マインドとしては勝てるという風にはそこまで思っていなかった大会で、ポンポンポンと勝ち上がって優勝できてしまいました。それまでは、自分は頑張らないと全然勝てないと思っていたのが、1回勝つことによって、自分はきちんと集中してやることやれば、今の日本のレベルでは勝てるという自信がつきました。そこからは変わったかなと思っています」
◆世界を知り生み出された“Ibuki Style”
結果が自信に繋がるという事はよくあるが、Ibukiもまさにそれを体感した1人だ。そのIbukiは世界に出る事で1つの発見をすることになる。その経験が、後に“Ibuki Style”と呼ばれる唯一無二のプレースタイルに繋がる。
「初めて海外の世界大会に行った時が生まれたキッカケです。当時色々な大会に出た上で、これまでやってきた人たちとは埋められない経験の差がハッキリとあるなと感じていました。ただ、それはこのままどうにもしなければ、年数が経っても変わらないと思っていて、どうやったら打ち崩せるかなと考えた時に、その人たちがしていない経験を積もうと思って、当時日本人がほとんど出ていない世界大会に行ってみました」
「フリースタイルフットボールは、日本人のプレーヤーとその他の国のプレーヤーでハッキリと二極化しているというか、アートだと見ている日本人のカルチャーと、スポーツだと見ている外国人のカルチャーがあります。世界大会に行って、よりスポーツ寄り、競技志向の考えだったり、それを元に生まれたプレーヤーを初めて現地で生でたくさん見て、そこで自分が出る事でどう評価されるかを肌で感じました。それを感じた時に、今まで日本で日本人の感性しか聞いていなかったところに、今まで持っていなかった感性がドロップされました」
その結果、魅せる力と戦える力を合わせたスタイルを生み出し、「スキルのグラフがあるとしたら、全体的に大きくなりつつも、何箇所かはものすごく尖らせた風になっていった」と語る自身の形、“Ibuki Style”を確立していったのだ。
そこから自身のスタイルを追求していったIbuki。一方で、フリースタイルフットボールといえば、「ストリートカルチャー」も要素としてあり、テクニックやパフォーマンスに加えて、ファッション性も高い。Ibukiは自身も、そこにこだわりはあるという。
「昔は結構スポーティな服装でやっていました。最近は本当にその時のフィーリングで好きなシューズで、色々蹴る時のテンションもありますけど、のんびりリラックスしたり、本気で練習するときで多少変化はありますが、好きな服を着てやるようになったかなと。より自分の場合はカジュアルですね。私服で出かけてそのまま蹴れるというイメージです」
◆数ミリ単位の繊細さが求められるファッション
一方で、大会となるとそのファッション性は、勝負へのこだわりにも変化する。一般人には感じられないわずかな差が、大きな差を生むこともあるようだ。
「大会に臨むときに、(優勝を)狙いに行く大会となると、ファッションを色々遊びたい気持ちもあるんですが、パンツは絶対同じものから変えないとかあります。パンツ1枚、素材だったり、サイズだったり、様々なところがちょっと変わるだけでも、技の感覚が変わってしまうので、数ミリ単位の違いがプレーの違いを生んできます。こいつって決めた一本、または同じのを何枚も持ってずっと履き続けたりします」
数ミリ単位の微妙な変化がパフォーマンスに繋がると語ったIbukiは、「GOALSTUDIO」の世界中にいるアンバサダーの1人だ。タイトルを狙いにいく大事な大会でも「GOALSTUDIO」のアパレルは大きな役割を果たすという。
「サッカー、フットボールというラインで出たアパレルではあまり好きなブランドがなかったんです。「GOALSTUDIO」が出てきてから、フットボールからもしっかりカッコいい服が出てきて、かつ機能性もすごく高い服が多いです。フリースタイラーとしては、かなりありがたいです。フットボールをルーツにしていて、カッコよくて、機能性も高いって完璧じゃないですか(笑)」
「忖度はないですよ。それこそ、自分を含め日本人も各国のフリースタイルの「GOALSTUDIO」のアンバサダーも、それぞれメチャクチャ好きで着用していると思いますし、大会でも着ています。どんどんプレーヤーやシーンにも広まっていますね。フリースタイルフットボーラーってプレーに関わる部分はすごく正直で、蹴りにくいとか、少しでも動きづらいとかしたら、良い良いと口では言いながらも着てなかったりします。「GOALSTUDIO」のウェアに関しては目に見えて浸透しているので、機能性の面でも良いと感じています」
ファッションを含めて勝負にこだわり続け、今や世界も認めるフリースタイルフットボーラーとなったIbuki。世界を知った事で大きく羽ばたくこととなった。その後は、日本大会で優勝し、その他の大会でも優勝。2019年にはアジアチャンピオンを決める「Asian Pacific Freestyle Football Championship」で優勝し、世界ランキング2位に上り詰めた。
数々の結果を残し、一気にその名を世界に轟かせることになったIbukiだが、今でも壁にぶち当たっているという。
「フリースタイルフットボーラーという人生を選んだ中で、結局大会においても、世界チャンピオンになる以外に満足するものがないかなと思っています。始めた当初の世界一になるという部分は今でも大事にしているので、僕個人のフリースタイルとの向き合い方でいうと、これからもあり続けます」
「あとは、これを仕事として選んで、ライフスタイルとして生きているので、このフリースタイルというカルチャーをもっと広げたり、外の世界で、エンターテインメントの枠組みで戦いたいというのがあります。そういう要素になると、周りを見渡したら壁しかないです。ずっと叩きまくっています」
◆広める為のカギは、いかに“フットボール”に近づけるか

IBUKI YOSHIDA x GOALSTUDIO
競技面では世界一になることを目指す一方で、日本にフリースタイルフットボールというものを広げていく使命をも背負うIbuki。ただ、広げていくことが簡単ではないことも理解している。そこで大事にしたいのが、“フットボール”の要素だという。
「個人的に考えている部分でいうと、フリースタイルフットボールは元のルーツは“フットボール”にあって、サッカーボールと体1つで楽しめるというのが根本にあると思います。ただ、フリースタイルフットボールが発展していくにつれて、プレーヤーのレベルはどんどん上がり、神業みたいな領域にプレーヤーたちは達していって、その人たちが頂点を争っている。そのレベルは本当に凄まじいと思いますが、今それを見た人たちが、始めたいと思うかというと、なかなかもはや突拍子も無いレベルに行きすぎて難しいかなと思います」
「“フットボール”がルーツにあって、フリースタイルフットボールという名前で各々好きにやった結果、“フットボール”からはどんどん離れていった部分もあるかなと思っています。それはそれで、ストリートカルチャー的な、そういう部分が育っていて良いと思いますが、もう少し“フットボール”のカルチャーに寄り添ったシーンやコミュニティの作り方が必要かなと思っています」
「個人の理想でいうと、“フットボール”という大きな円の中に、リフティングというものは小さな円で存在している。ただ、フリースタイルは“フットボール”の外に別の円でいるイメージがあります。その円の半分でも3分の1でも“フットボール”の円に重なるような位置に持っていきたいなと思います」
簡単ではないことに挑戦し続けるIbuki。志す“フットボール”との融合は、カルチャーとして広めていく上では避けては通れない道となるだろう。そのIbukiがこの先に目指す事は、フリースタイルフットボールを始めた時と変わらない。
「真っ先に達成したい目標は世界チャンピオンです。世界チャンピオンになる、世界ランキング1位になる。始めた当初からずっと思っていて、真っ先に達成したいです」
「その先でいうと、自分でもそのシーン、コミュニティを作っていく側の人間だと思うので、フリースタイルフットボールを一時的なブームではなく、きっちり文化として良さ、魅力を伝えていきたいというのがあります。カルチャーとしての楽しみ方、ライフスタイルとして楽しむものだという文化を根付かせていければと思っています」
世界の頂点を目指すIbuki。世界中の多くの人が苦しんでいる新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で中止となっていた2020年の日本選手権が来年2月に開催される。まずは、そこでの日本一が世界一への挑戦の新たな一歩となる。
取材・文:菅野剛史
【Ibuki】
本名は吉田伊吹。兵庫県加古川市で1996年7月4日に生まれ(24歳)。身体の柔軟性を生かしたオリジナル技やスタイリッシュさを併せ持ち、"Ibuki Style"とも呼ばれる唯一無二のプレースタイルで世界から注目を浴びるプロ・フリースタイルフットボーラー。2020世界連盟公式ワールドランキングランクでは歴代日本人最高位の2位に。現在は神戸を拠点に国際大会への出場、全国各地イベントでのパフォーマンス、レッスン、大会運営など、多岐に渡る動きを見せている。
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