家長昭博と木村和司氏のひらめき/六川亨の日本サッカーの歩み

2020.09.22 18:45 Tue
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川崎Fの勢いが止まらない。アウェーの浦和戦も3-0の完勝で連勝を5に延ばし、前日に2位のC大阪が鹿島に1-2と敗れたため、18試合を消化して勝点差は8に開いた。驚異的なのは、5試合とも攻撃陣が爆発して3ゴール以上奪っていることだ。18試合の総得点も55で、1試合平均3ゴールという高いアベレージを誇っている。そして凄いのは数字だけではない。浦和戦の先制点は右サイドでボールを持った家長が、フワリと意図的に浮き球のラストパスを送り、右SB山根がボレーで決めたもの。敵に囲まれた家長に、一見するとパスコースはなかった。もしもグラウンダーのパスなら間違いなくカットされていただろう。

そこで家長は右足で掬うようにボールを浮かせ、山根に「ボレーして下さい」とでも言っているかのようなラストパスを送った。この瞬間的なひらめきによる芸術的なパスは、今後も家長のプレーを語る際に繰り返し登場するのではないだろうか。

そして、このパスを確実に決めた山根も冷静だった。普通なら、予測不能なパスに慌ててしまい、シュートを力むこともある。しかし山根は「素晴らしいボールが来たので、力を抜いて枠に打った」と自然体でのプレーだったと振り返った。これはこれで、力を抜いて打った山根も凄かった。

「狙って何回もできるものじゃない」とは山根の本音だろうが、「力を抜いて枠に打つ」というボレーシュートの基本に忠実なプレーが鮮やかなゴールに結びついた。

この「力を抜いて枠に打つ」というプレーだが、口で言うのは簡単でも実際にプレーするとなるとなかなか実践できないのがサッカーの難しいところでもある。

先週のNHKのBS放送によるJ1リーグ中継の1場面だった。横浜M対C大阪戦で、横浜Mが直接FKを獲得した時のことだ。アナウンサーが解説者の木村和司氏に「どこを狙いますか」と聞いたところ、木村氏は平然と「ゴールの枠の中ですね」と答えた。

するとアナウンサーはマイクを前に二の句を告げず、沈黙したまま次のプレーに移った。

アナウンサーからしてみれば、「壁の右上」とか「壁の左にスペースがあるので、そこをグラウンダーで狙ったら」といったように、具体的な答を予想していたのだろう。しかし木村氏からは「ゴールの枠の中」という、聞きようによっては極めて当たり前の答えに絶句してしまったのかもしれない。

現役時代はFKの名手として対戦相手に恐れられ、日本代表では85年10月26日のメキシコW杯アジア最終予選の韓国戦で決めた直接FKは、今もファンの間で語り草になっている。曲がりながら落ちるFKを得意としていた木村氏だが、そんな木村氏からしてみれば、シュートは「ゴールの枠」に飛ばさなければ、いくら打っても点にならない。「ゴールの枠」を狙うのは当たり前のことであり、そのプロセスとしてどのコースを選択するかということになるのだろう。

個人的にも、リップサービスのあまり得意ではない木村さんらしいコメントの数々に、個性と同時に天才的プレーヤーの感性(ひらめき)を感じずにはいられなかった。

これは余談だが、辛口解説でお馴染みのセルジオ越後氏がまだ現役(?)というか、サッカーの指導者で全国を回っていた時のエピソードである。「クロスバーね」と言ってペナルティーエリアの外からボールを蹴ると本当にバーに当てる。「右ポストね」と言っても同じだ。

そこで直接FKの秘訣を聞いたところ、返ってきた答えが次のようなものだった。

「壁を越えて落とそうとか、壁の横を巻いて曲げようと考えるから失敗するのね。壁があっても、クロスバーやゴールポストは見えているでしょ。だからバーやポストを狙えばいい。当たって内側に入ればGKは取れないし、もしも直接決まらなくても跳ね返れば味方が決めるチャンスが残るでしょ。バーを越えたらその瞬間にノーチャンスなんだから」

こうした発想をするサッカー関係者は、当時の日本サッカー界にはいなかった。月に1回、専門誌で連載していた「セルジオ越後のさわやかサッカー教室」の取材の際に聞く話があまりにも面白いので、いっそこれを連載にしようということになった。

そこでJリーグの誕生を契機に始まったのが「セルジオ越後の天国と地獄」(サッカーダイジェストさん)というコラムである。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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JFA代表ベストイレブンカレンダーもストライカー不足?/六川亨の日本サッカーの歩み

2020年の日本代表のヨーロッパ遠征は2勝1分け1敗に終わった。コロナが再び猛威を振るいつつあるヨーロッパで、海外組だけとはいえ試合ができたのは僥倖だった。ただ、その内容はというと、攻撃陣に不安を感じたのも事実である。浅野も鈴木も、決めるべきチャンスを決められず、「決定力不足」という課題をクリアすることはできなかった。 “ポスト大迫"探しは急務であるが、このままではベテランの岡崎に再登場してもらわなければならないのだろうか。 国内組では小林と三笘の川崎Fコンビが今シーズンはコンスタントに得点しているものの、国際レベルで通用するかどうか疑問が残るし、三笘はストライカーというよりはサイドアタッカーに近いタイプ。五輪代表でも2トップかシャドーでの起用になるだろう(1トップなら鹿島の上田に期待)。 といったところで、来年の元旦に決勝戦を迎える天皇杯は第100回の記念大会だ。JFA(日本サッカー協会)が創設されたのは1921年のこと。来年9月で創立100周年を迎える。本当なら100周年という節目の年を迎え、様々な記念行事やイベントが開催されるところだが、コロナの終息が見えない現状では自粛もやむをえない。 それでもJFAは、100周年記念企画として「1921-2021歴代日本代表ベストイレブンカレンダー」(2200円・税込)を制作し、11月から販売を開始した。これは「あなたの『ベストイレブン』を教えてください」というアンケートを8月5日から14日まで実施し、7520票の投票により選ばれた11人で構成されたカレンダーである。 ただ、JFA創設年の1921年から今日までの歴代日本代表ベストイレブンと一口に言っても、ベルリン五輪(1936年)でスウェーデンを破ったときの選手のプレーを見たことのあるファンは皆無だろう。1964年の東京五輪でアルゼンチンを倒した日本代表や、1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した時のイレブンを覚えているファン・サポーターも限られているはず。 その結果、選ばれた11人は次のようになった。 1月/三浦知良 2月/川口能活 3月/中田英寿 4月/中村俊輔 5月/小野伸二 6月/中澤佑二 7月/遠藤保仁 8月/長谷部誠 9月/本田圭佑 10月/内田篤人 11月/長友佑都 12月/全員 こちらのイレブンについては、説明も不要だろう。 <div id="cws_ad"><br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJ6dmY0SERPaSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> キング・カズはW杯の出場こそないものの、全盛時は(「現役時代は」というフレーズが使えないため)無類の勝負強さを発揮した。チームが苦境に陥ったとき、なんとかしてくれたのがカズだった。GK川口も勝負強さには定評があったし、4度のW杯出場に加え、ルックスもよかった。 中田ヒデはローマ時代に日本人で初めてセリエA優勝を経験。中村と小野は国内にとどまらずヨーロッパのリーグ戦でも活躍した。中澤と遠藤は海外でのプレー経験こそないが、「ボンバーヘッド」や「コロコロPK」などマネのできない武器を持っていた。 長谷部は類い希なキャプテンシーに加え、いまなおフランクフルトの主軸としてプレーしているし、本田もボタフォゴで現役を続行している。ACミランで成功したとは言えないが、背番号10を託されたことは今後も語り継がれることだろう。内田と長友が両サイドバックを務めた日本代表は、いま思うとなんて贅沢だったのか。ウッチーはケガで現役を引退したが、ユウトにはできるだけ長く現役を続けて欲しい。 正直、妥当なアンケート結果だと思う。11人中6人が中盤の選手で、2人がサイドを上下動して運動量を求められるポジションということからも、海外で通用する日本人の特性を表している。GK川口とCB中澤はポジション的にも必要だし、存在感も際だっていた。 そしてカズである。アンケートに投票した世代が何歳くらいか不明だが、メキシコ五輪の得点王でJSL(日本サッカーリーグ)通算202ゴール、日本代表でも国際Aマッチ75ゴールで最多記録を保持する釜本邦茂氏をベストイレブンに選ぶ世代もけして少なくはないはずだ。 カズと同世代のJリーガーでは、得点王になった福田、ゴン中山、その後は高原、前田、Jリーグ最多得点記録保持者で3年連続得点王の大久保らがいるものの、いずれも代表での活躍・印象という点でキングを凌ぐことはできなかったようだ。 と同時に、このアンケートからも日本はストライカー不足であることがわかるのではないだろうか。 カズに代わるストライカーとしては、冒頭に書いた岡崎くらいしか思いつかないし、ヨーロッパでの活躍という点では岡崎はもちろん、香川もカズより上に来るだろう。しかし香川だと中盤の攻撃的な選手ばかりになりFWがいなくなってしまう。 日本代表はいつの時代も「ストライカー募集中」ということだ。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.11.24 18:40 Tue
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花粉症とコロナの危ない関係/六川亨の日本サッカーの歩み

先週水曜日はJ1リーグを取材したが、ちょっと困ったことが起きた。今後はどうしたものかと思案したが、その詳細は後述しよう。 JリーグとNPB(日本野球機構)は16日に定例となる第20回対策連絡会議を開催した。メインの議題としてはプロ野球のベイスターズとジャイアンツが実施した、観客増に伴う感染状況の確認と対策などだ。現状マックスの入場者50%をいつ80%から100%に移行できるのか。東京五輪も見据えた来シーズンの課題であり、クラブにとっては死活問題にも直結する。 結論としては、「公表前なので詳細は控えたい。いくつか分かってきたこともあり、CO₂(二酸化炭素)の濃度を測る、入退場の可視化を図るなど、少なくとも50%より少しは入れてもいいことが少しずつ見えてきた」(愛知医科大学の三鴨廣繁ドクター)ところだそうだ。 それよりも衝撃的だったのは、柏の事例報告だった。最終的に選手5名、トップチームのスタッフ11名の計16名が陽性判定となりクラスターと認定された。現在チーム活動が停止で、21日の鳥栖戦からリーグを再開する予定でいる。 衝撃的だったのは次の2点だ。まず最初に感染した選手は体調不良を訴えたものの、持病の鼻炎が発症したと思って「本人も軽いと思い見過ごした」(村井チェアマン)こと。次いで、クラスターの原因になったと思われた仙台からの帰路のバス移動だが、「仙台には行っていないため、感染経路は不明」(村井チェアマン)ということだ。 鳥栖の時も感染経路を特定できなかったが、柏のケースでも選手は発症する前にチーム移動に関わっていた可能性を疑われているものの、はっきりと特定できないのは時間が経ちすぎているからだろう。 そこで冒頭の話に戻る。水曜日のナイトゲームもだいぶ冷え込んできたのでダウンなど防寒対策をしたつもりだったが、体が冷えたのと、そのスタジアムは周囲に木々が多いせいか、記者席に座った途端にクシャミと鼻水が止まらなくなった。 「あれ、もう花粉症の季節が来たのかな」と思った。 しかし、である。 体温が平熱であることは、スタジアム入場時の検温ではっきりしている。記者席も“コロナ仕様"で両隣は空席だし、前後も重ならないよう距離を取ってある。それでも周囲にいる同業者の皆さんは、きっと不快に感じているだろうと推測できた。クシャミをしつつ、マスクをずり下げて鼻をかんでいるのだから当然だ。 かといって、わざわざ「花粉症ですよ」と試合中に説明するのも気が引けた。 プロのアスリートは、我々凡人と違って薬1つとってもドーピングのことがあるので細心の注意を払っているだろう。持病があればその対策にも慣れているはずだが、柏の例ではそこに落とし穴があった。 今回はスタジアムの記者席という、ある意味特殊な空間だった。これがもし、電車内だったらどうなるのか。 過日は、マスクをしていたものの息苦しいのか鼻の下にずり下げているだけで諍いが起きたというニュースも目にした。私自身もメガネが曇るのでよくやるが、誰もが過敏になっているところに、いくらマスクをしていてもクシャミが続くようだと、電車を降りる乗客が出てきてもおかしくないだろう。 これまでも混んだ電車内では、うつやパニック障害の方々はヘルプマークを付けることもあった。しかし必ずしも浸透しているとはいえないだろう。ましてそれがこれからの季節、花粉症ともなると車内には相当な数の乗客がいるのではないだろうか。 柏の例では東邦大学医学部の舘田一博ドクターが「新しい感染(経路)なので、早い段階で囲い込むことができるかどうか。市民1人1人が、喉がいつもと違う鼻炎、花粉症に気付いて受診する必要がある」と警鐘を鳴らしていた。問題は「いつもと違う」と気付けるかどうかだ。 繰り返しになるが、柏の感染ケースはこれからの季節、声を大にして広く注意喚起する必要があると思う。そして花粉症が続けば感染を疑われるJリーグの取材はどうしたものか、まだ思案中である。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.11.17 22:05 Tue
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中村憲剛引退に重なる横浜Fのフィナーレ/六川亨の日本サッカーの歩み

11月1日、10時50分のことだった。川崎Fから「【重要】記者会見実施のお知らせ」というメールが届き、URLが添付されていた。 一昨日はルヴァン杯準決勝で敗れたFC東京を一方的に攻め立て、スコアこそ2-1の僅差だったが力の差をまざまざと見せつけて完勝した。それから一夜が過ぎて突然の「重要会見」のメールである。 すぐに親しい記者と連絡を取って情報交換をした。選手の海外移籍――例えば田中碧にオファーが来ていた――ならスポーツ紙が報じていただろうし、クラブはリリースを出すのが常で会見まではやらない。 鬼木監督が代表のスタッフに加わるという話は聞いたことがないし噂すらない。となると残る可能性は選手の引退だが、チーム最年長の中村はケガから復帰したばかりで昨日は決勝点を決めている。さりとて他に該当する選手は見当たらないので、やはり「憲剛に何かあったのかな」ということに落ち着き、クラブの公式You Tubeチャンネルでライブ配信される会見が始まるのを待った。 結果はすでにご存じの通り、中村は今シーズン限りでの現役引退を発表した。会見によると、すでに35歳の時から引退の時期を考えていたというが、情報化時代にあってメディアに一切漏れなかったのはチームメイトにすら直前まで伝えていなかったからだろう。それも憲剛なりの美学だったのかもしれない。 彼に関するエピソードは多くのメディアが紹介しているので省くことにする。03年に当時J2の川崎Fに加入して18年、2000年代はJ1リーグもJリーグカップも最高成績が2位で「シルバーコレクター」とチームは揶揄されたこともあった。しかし17年にリーグ初優勝を果たすと翌年も連覇し、19年にはリーグカップも獲得した。 これで残すタイトルは16年にランナーズアップに終わった天皇杯だけになった。 中村は引退会見で「残り2カ月。1日も無駄にしたくない。タイトルを取りたいという気持ちは今までで一番強い」と言い切った。 11月2日現在、残り2カ月でリーグ戦は9試合だが、川崎Fはあと4勝すれば3度目のリーグ優勝が決まる。もう川崎Fのリーグ制覇は時間の問題で、早ければ11月21日のアウェー大分戦がXデーだ。 そしてリーグ戦で上位2位に入れば自動的に天皇杯の出場権を与えられ、準決勝でJ2とJ3の勝者との対戦が濃厚だ。これに勝てば元旦に国立での決勝戦ということになるが、今年の天皇杯は川崎Fに初戴冠の予感が漂う。 かつて横浜にはフリューゲルスというチームが存在した。しかし1998年、遠藤保仁が加入した年に、出資会社の佐藤工業が経営不振に陥り、同じく出資会社の全日空も赤字でクラブを運営することができなくなった。そこで10月に、同じ横浜をホームにする横浜Mとの合併が決定した。 11月7日、ホーム三ツ沢の最終戦でリーグは終了した。残すは第78回天皇杯のみ。これに敗れればチームとしての活動は終わりクラブも消滅する。ところが3回戦からの登場では大塚製薬(現徳島)に4-2、甲府に3-0と勝ってベスト8に進出。 そして準々決勝ではリーグ2位の磐田に2-1で競り勝つと、準決勝でも鹿島に1-0の勝利を収めて元旦の国立行きを決めた。迎えた決勝戦では清水に2-1の逆転勝ちを収め、MF山口素弘、GK楢崎正剛らはロイヤルボックスでカップを掲げて雄叫びをあげた。 川崎Fの選手は誰もが憲剛と1日でも長く一緒にプレーしたいと願っていることだろう。それはリーグ戦にとどまらず、天皇杯に賭ける思いも憲剛と同じなのではないだろうか。まして天皇杯は唯一取り逃している国内タイトルだ。 西日の差す元旦の国立に、チームメイトの手により宙に舞う憲剛。そんなフィナーレの光景がいまから目に浮かぶようだ。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.11.03 14:00 Tue
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ペレ80歳の誕生日を往年の名手が祝福/六川亨の日本サッカーの歩み

今月24日のことだった。FIFA(国際サッカー連盟)はサッカー界の“KING”ペレ80歳の誕生日を祝うメールを発信した。ペレが生まれたのは1940年10月23日のこと。日本式に言えば「傘寿」のお祝いとなる。 これまでFIFAが選手個人について出すメール(リリース)は、近年では16年のヨハン・クライフ(68歳で没)のように、どちらかというと訃報の方が多い印象が強い。まして個人の誕生祝いのリリースは極めて稀だろう。それだけペレが偉大な選手であることの裏返しと言える。 <div id="cws_ad">◆80歳を迎えたペレ、貴重な現役時代のプレー映像<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJFOFZMWjRSMyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> YouTubeで放映されているFIFA TVでは、ペレ自身が元気な姿で登場しているが、太っても痩せてもいなくて、現役時代とそう変わらない元気な姿を見せている(ただしAFPによると昨年はパリで腎臓の問題で入院し、現在は股関節の問題で歩行器を使う必要もあるそうだ)。 そして驚かされたのは、キングの誕生日にお祝いのメッセージを寄せたスーパースターの豪華さである。 まずは70年メキシコW杯の優勝チームからは、監督のマリオ・ザガロ、清水の監督も務めた“またぎフェイント”の名手リベリーノ、「白いペレ」と言われたトスタン、快足FWのマリオ・セザール・リマ。変わったところではサントス時代のチームメイトで、91年~93年にかけて読売クラブ(現・東京ヴェルディ)の監督を務めたぺぺも元気な姿を見せた。 ブラジルのレジェンドはさらに続き、説明不用のジーコ、94年のW杯優勝メンバーで磐田の黄金時代の礎を築いたドゥンガ、02年W杯優勝メンバーのキャプテンを務めたカフ-、得点王のロナウド(相変わらず太っている)、現役時代と変わらないカカらが祝福のコメントを寄せていた。 祝辞は海外からも寄せられ、ブラジル(優勝5回)に次ぎ4回の優勝を誇るドイツ(西ドイツも含む。以下同)からはK・H・ルムメニゲ、シュバインシュタイガー、「ハッピーバースデー・トゥ・ユー」と歌を贈ったユルゲン・クロップが登場。最初にクロップを見たときは、その口ひげからゲルト・ミュラーかと思ってしまった。 ジダンは昔と変わらないものの、メガネ姿のリネカー(86年メキシコW杯得点王で、Jリーグの黎明期に名古屋でプレー)は痩せていたせいかすぐには分からなかった。変わったところではカメルーン代表のサミュエル・エトオも祝福のコメントを寄せている。 ただ、残念だったのはブラジル勢以外に目を向けるとペレと同期の選手が登場していないことだった。例えばドイツならフランツ・ベンケンバウアー、メキシコW杯決勝で対戦したイタリアならサンドロ・マッツォーラなど、まだ存命の往年の名手はいるはずだ。それとも、トライしたが取材できなかったなにかしらの理由があったのだろうか……。 改めて言うまでもないが、W杯を3度優勝したのはペレしかいない。58年(スウェーデン)、62年(チリ)、70年(メキシコ)と、17歳の若さでデビューし、現役時代の12年間に全盛時を迎えられたことが大きな原因だろう。もしも66年イングランド大会で悪質なファウルからケガをしなければ(グループリーグで敗退)、さらに偉大な記録を達成していたかもしれない。 それに比べて4回の優勝を誇るドイツ(54年、74年、90年、14年)とイタリア(34年、38年、82年、06年)は、戦後の優勝期間が最も短いドイツにしても74年と90年の16年間だけに、連覇しないと達成できない難記録でもあることが分かる。 この74年と90年では、ベッケンバウアーが選手(74年)、監督(90年)として優勝する偉業を遂げた。ザガロ(58年と62年は選手として、70年は監督として優勝)に次いで2人目で、フランスのディディエ・デシャンも選手(98年)、監督(18年)で3人目の達成者となった。今後この記録を更新しそうなのは、デシャンと同じ98年フランスW杯で優勝したジネディーヌ・ジダンくらいしかいないかもしれない。 話をペレに戻すと、99年に実施された読者アンケート「20世紀の偉大なサッカー選手100人」で堂々の1位に選ばれている。こちらのエピソードに関しては、機会があったらこのコラムで紹介したい。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.10.26 20:45 Mon
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驚異的な強さの川崎F。今季のベストゲームは?/六川亨の日本サッカーの歩み

J1リーグ首位の川崎Fは18日の試合で名古屋を3-0と一蹴し、連勝を11に伸ばした。これは単一シーズン(翌年にまたがない)で、90分以内での勝利としてはJ1リーグ最多記録である。 今シーズンの川崎Fは開幕戦で鳥栖と0-0で引き分けたものの、その後は10連勝で首位を独走。第12節で名古屋に0-1と敗れて連勝はストップしたが、8月26日の神戸戦(第24節)で2-2と引き分けた後は再び連勝街道に入り、今月18日の名古屋戦で記録を更新した。 リーグ戦で敗れたのは名古屋戦の1敗だけ。ルヴァン杯でも4試合で16点を奪う破壊力を見せたが、準決勝でFC東京に0-2と敗れた。それでもここまでリーグ戦は21勝2分け1敗、カップ戦は4勝1敗という数字は驚異的だ。 現在、川崎Fが積み重ねた勝点は24試合で65点。過去の最高勝点は74点だから、残り10試合での更新はかなり濃厚と言える。2位C大阪の勝点は48(残り10試合)、3位FC東京は同47(残り8試合)、4位G大阪は45(残り11試合)となっている。2位のC大阪と4位のG大阪が残り試合を全勝したとしても総勝点は78でストップ(これはこれで凄い数字である)するため、川崎Fはあと5勝すれば勝点80に達し、2年ぶり3度目のリーグ制覇が決定する。 自力での最短Vは11月21日の大分戦となるが、他チームの勝敗次第では早まる可能性も高い。その一方で、大分戦の前にはわずかながら逆転Vの可能性を残すFC東京と鹿島、連覇の消滅した昨シーズンの覇者・横浜FM戦が控えている。彼らが意地を見せるのか、それとも川崎Fが連勝記録を伸ばすのか。今シーズン最大の見どころと言っていいだろう。まさか川崎Fが失速し、残り試合で4勝しかあげられないとは考えにくいのだが……。 そんな川崎Fに対し、ルヴァン杯の準決勝で2-0の勝利を収めたFC東京は「川崎F対策」の見本のような試合をした。この一戦は、FC東京はもちろん、今シーズンを振り返ってもベストゲームと言われるようになるだろう。そこでこの試合を簡単に振り返ってみたい。 伏線は7月8日の第3節、味の素スタジアムで行われたリモートマッチ(無観客)第2戦だった。FC東京は川崎Fの多彩な攻撃に翻弄され、前半だけで4失点を喫して完敗した。長谷川監督にとっても屈辱の一戦だった。 転機となったのは9月2日のルヴァン杯準々決勝で名古屋に3-0と勝ったことだ。長谷川監督が就任してカップ戦では初めてベスト4に進出。ただ、この時点で指揮官は多くを語らなかった。 当時のFC東京は、リーグ戦に加え、延期になったもののACLでの勝ち上がりを想定し、前倒しで日程を消化していた(横浜FMと神戸も同様だがルヴァン杯は敗退)。このため8月15日の名古屋戦から10月18日の横浜FC戦まで、中2~3日の連戦が19試合も続いた。 長谷川監督も「連戦でのプレーは3試合が限度」と、選手のローテーションを強いられた。そこで川崎Fとのルヴァン杯準決勝を4試合後に控えた9月27日の鳥栖戦前、いつから川崎F戦を見据えてローテーションを開始するのか質問された。鳥栖は3連敗中で15位ということもあり、多少メンバーを落としても勝てるのではないかという思いが質問した記者にはあっただろう。 それに対して長谷川監督は「どういう使い方をするのか見ていただければわかると思います」とだけ答えた。そして鳥栖戦にはJ1初スタメンとなる左SBバングーナガンデ佳史扶や、経験の浅い品田、内田らを起用したものの0-3で敗退した。 それでも浦和、湘南に連勝して迎えた川崎F戦、指揮官は「去年もホームでは0-3で敗れた。準々決勝に勝ってから、この準決勝に照準を合わせてきた」とリベンジに賭ける思いを吐露した。 そんな長谷川監督が警戒したのが、川崎Fのサイド攻撃だ。「元々、切り替えが速くて球際に強いベースがあったが、それが鬼木監督になってさらに強くなった」と前置きし、「今まで(の攻撃)は中、中で大島と小林のホットラインだったのが、今は学(斉藤)とか三笘を左に張らせ、右に家長がいて、たまに旗手を使う」と現状を分析。 さらに今シーズンは「脇坂とか碧(田中)とかボランチがサイドに張り出して、どのチームも守りづらくなっている」と多彩なバリエーションを警戒した。 FC東京の攻撃陣で期待したい選手としては、前回対戦をケガで欠場した永井の名前をあげたが、永井にしても自身のタスクとして前線からのプレスで「センターバック2人を疲労させることと、ボランチにボールが入るとつながれるので、そうさせないようにしたい」と守備面で貢献することを課した。 まずは川崎Fのストロングポイントを消す。セオリー通りと言えばセオリー通りだが、どのチームも実践しようとして失敗してきた。しかしFC東京は、開始10分まで、まずは中をしっかりと固めつつ、登里のドリブル突破はファウルでストップするなど自陣ゴールへの接近を遮断した。 そして14分、永井のドリブル突破で獲得したFKを、レアンドロは難しい角度ながら直接決めて先制する。永井は守備でも積極的なプレスを実践し、彼の動きに連動したレアンドロがあと一歩でGKのパスをカットしそうになるなど“あわや"というシーンも演出した。 対する川崎Fも家長のキープ力や交代出場の三笘のドリブル突破からチャンスをつかんだものの、決定機は後半24分に大島が左ポスト直撃のシュートを放ったくらい。 今シーズンの川崎Fは、テレビのニュースなどで得点シーンを振り返ると、フリーでシュートを打っている場面が多い。それを見て簡単にゴールを決めていると思われるかもしれないが、川崎Fの凄さはそこに至る過程にある。パスとドリブルを複数の選手で織り交ぜて守備陣を完全に崩しているからこそ最後はフリーの選手が生まれる。 しかしFC東京は、サイドはもちろんバイタルエリアでも数的優位な状況を維持して侵入を阻止し、ゴール前では体を張ったアタックで川崎Fのクロスやシュートをブロックした。 敗れた鬼木監督は「相手の圧力があった。クオリティで勝負しなければいけないところで、しっかりついてきたり、スライドしたりしていたので剥がせなかった」と悔やみつつ、「矛盾はあるけど、サイドを崩しきれなくても大胆にやる。ていねいに崩すところとの使い分けが必要だった」と課題を指摘した。 鬼木監督にすれば、パスであれドリブルにしろ、正直すぎて攻撃に意外性がなかったということだろう。これはこれで贅沢な悩みであると同時に、FC東京が最後までゴールを死守できた理由でもある。 FC東京のリーグ制覇という悲願はほぼ絶望的だ。現実的な目標としてルヴァン杯優勝と、リーグで2位以内に入り天皇杯と来季のACLの出場権獲得、そして来月ドーハで集中開催されるACL制覇ということになる。その前の10月31日、今シーズン3度目となる川崎F戦が控えている。 ルヴァン杯準決勝と同じモチベーションで臨み、川崎Fから18年5月以来5試合ぶりとなるリーグ戦での勝利を奪うことができるか。それとも川崎Fがルヴァン杯の雪辱を果たし、連勝記録を12に更新するか。 川崎Fは18日の試合から約2週間後のナイトゲームになるのに対し、FC東京はその間に横浜M(24日)、柏(28日)と2試合を消化し、なおかつ柏戦から中2日での多摩川クラシコとなる。相手は休養十分とはいえダービーだけに負けたくないし、さりとて柏とはルヴァン杯の決勝も控えているだけに手の内は見せたくないだろう。難しい決断を迫られる長谷川監督の選手起用も見物である。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.10.20 21:25 Tue
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