マラドーナの代表ユニフォームが640万円で落札! カンナバーロ財団へ寄付
2020.04.25 21:30 Sat
フットボール界の生きる伝説、ディエゴ・マラドーナが現役時代に着用したユニフォームが、オークションで高値で落札されたようだ。イタリア『スカイ』が伝えている。
新型コロナウイルスによる未曽有のパンデミックが続く中、世界中で様々な形で多くの支援が行われている。
パオロとファビオのカンナバーロ兄弟とチロ・フェラーラ氏が設立した『カンナバーロ・フェラーラ財団』もその一つ。すでに8万ユーロ(約930万円)に上る支援金を集めており、その多くを占めているのがチャリティオークションによる売り上げだ。
すでにナポリのベルギー代表FWドリエス・メルテンスが自身の着用したユニフォームをオークションにかけて、その売り上げを寄付したが、マラドーナ氏は桁違いの落札額となった。
出品されたユニフォームは1987年にイタリア代表との親善試合で使われたもの。もちろん背番号は「10」。試合は1-3で敗れてしまったものの、30年以上の昔のプレミアユニフォームには、なんと5万5000ユーロ(約640万円)もの値が付いた。
新型コロナウイルスによる未曽有のパンデミックが続く中、世界中で様々な形で多くの支援が行われている。
パオロとファビオのカンナバーロ兄弟とチロ・フェラーラ氏が設立した『カンナバーロ・フェラーラ財団』もその一つ。すでに8万ユーロ(約930万円)に上る支援金を集めており、その多くを占めているのがチャリティオークションによる売り上げだ。
出品されたユニフォームは1987年にイタリア代表との親善試合で使われたもの。もちろん背番号は「10」。試合は1-3で敗れてしまったものの、30年以上の昔のプレミアユニフォームには、なんと5万5000ユーロ(約640万円)もの値が付いた。
なお、財団創始者であるファビオ・カンナバーロがレアル・マドリーで着用したユニフォームは5050ユーロ(約58万円)で落札されたようだ。
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