口だけじゃない! 元ユナイテッドのご意見番・ネヴィル氏が医療従事者へホテルを無償提供
2020.03.19 09:00 Thu
現在は解説者として辛辣な意見が売りのギャリー・ネヴィル氏が、医療スタッフへホテルを開放したようだ。イギリス『スカイ・スポーツ』が伝えた。現役時代はマンチェスター・ユナイテッドでプレーし、イングランド代表でも活躍したネヴィル氏。引退後は監督も務めた中、現在は『スカイ・スポーツ』で解説を務めている。
そんなネヴィル氏は、ユナイテッド時代のチームメイトであり、現在はウェールズ代表で指揮を執るライアン・ギグス監督と2つのホテルを所有している。
現在はイングランドでも感染が拡大している新型コロナウイルス(COIVD-19)の影響で、プレミアリーグを含むサッカー活動が延期しているほか、国民が危険にさらされている状況だが、所有するホテルを、NHS(国民保健サービス)のスタッフに無料で提供することを発表した。
ネビル氏とギグス監督は、古巣ユナイテッドの本拠地であるオールド・トラッフォードの近くにあるホテル・フットボールとマンチェスター市内中心部にあるストック・エクスチェンジ・ホテルを「GG Hospitality」通じて保有している。
「先週、我々はグレーター・マンチェスター地域の医療サービス、特にマンチェスター大学NHS財団トラストと協議しました」
「金曜日以降、176のベッドがNHSのスタッフと医療専門家に貸し出します」
「現時点で、この不確実なタイミングのスタッフだけでなく、今後数カ月で最も宿泊施設を必要とする人々のために、業界全体が連帯感を示す必要があります」
「我々は同意できたことを嬉しく思います。無料で運営され、スタッフは通常通りホテルを運営します」
「医療スタッフは、何かが起こり、影響を受ける可能性がある家族から隔離する必要がある場合、ここからの数カ月間は一切費用をかけずに滞在することができます」
「安全を守り、みんなに最高の結末を迎えることを願います」
18日には、チェルシーがスタンフォード・ブリッジにあるミレニアム・ホテルが新型コロナウイルス対策に従事するNHSスタッフに貸し出すことを発表している。
そんなネヴィル氏は、ユナイテッド時代のチームメイトであり、現在はウェールズ代表で指揮を執るライアン・ギグス監督と2つのホテルを所有している。
ネビル氏とギグス監督は、古巣ユナイテッドの本拠地であるオールド・トラッフォードの近くにあるホテル・フットボールとマンチェスター市内中心部にあるストック・エクスチェンジ・ホテルを「GG Hospitality」通じて保有している。
ネヴィル氏はホテル・フットボールの公式ツイッター(@hotelfootballuk)でメッセージ動画を投稿。金曜日以降に実施される計画を立てているとのことだ。
「先週、我々はグレーター・マンチェスター地域の医療サービス、特にマンチェスター大学NHS財団トラストと協議しました」
「金曜日以降、176のベッドがNHSのスタッフと医療専門家に貸し出します」
「現時点で、この不確実なタイミングのスタッフだけでなく、今後数カ月で最も宿泊施設を必要とする人々のために、業界全体が連帯感を示す必要があります」
「我々は同意できたことを嬉しく思います。無料で運営され、スタッフは通常通りホテルを運営します」
「医療スタッフは、何かが起こり、影響を受ける可能性がある家族から隔離する必要がある場合、ここからの数カ月間は一切費用をかけずに滞在することができます」
「安全を守り、みんなに最高の結末を迎えることを願います」
18日には、チェルシーがスタンフォード・ブリッジにあるミレニアム・ホテルが新型コロナウイルス対策に従事するNHSスタッフに貸し出すことを発表している。
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ガンターがウェールズ代表引退を発表、15年間で109試合出場「大きな感謝を言わなければならない」
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▽フットボール界のレジェンドである元ドイツ代表GKオリバー・カーン氏が、キャリアにおける後悔として、「マンチェスター・ユナイテッドへの移籍」を挙げた。 ▽カーン氏は現役時代、1994年にカールスルーエから加入したバイエルンで14シーズンにわたって守護神として活躍し、8度のブンデスリーガや2000-01シーズンのチャンピオンズリーグ制覇を経験した。また、ドイツ代表としては86試合に出場し、1996年のユーロ優勝や2002年の日韓ワールドカップ準優勝を経験した。 ▽ドイツ『スポーツ・ビルト』のインタビューに応じたカーン氏は、海外移籍に挑戦してみたかったという思いを吐露し、当時アレックス・ファーガソン氏が率いていたユナイテッドへの移籍についての後悔を口にした。 「アレックス・ファーガソンは未だに私に怒っているんじゃないかな。2003年か2004年、彼は私がユナイテッドに移籍すると思っていただろうからね。でもバイエルンで締めくくることが私にとってより重要だった」 「振り返ってみれば、移籍してみるべきだったと思う。私にとっていい挑戦になったはずだ」 ▽当時ユナイテッドは、2005年にGKエドウィン・ファン・デル・サールが加わるまでGKに確固たる存在を立てることができずにいた時代が続いていた。ファン・デル・サールと共に2007-08シーズンには欧州王者に君臨したユナイテッドだが、カーンが加わっていたらまた大きな違いが生まれていたことだろう。 2017.12.15 14:09 Fri4
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.37“モスクワの歓喜”チェルシーとのCL決勝/マンチェスター・ユナイテッド[2007-08]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.37</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2007-2008シーズン/マンチェスター・ユナイテッド 〜モスクワの歓喜〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2007-08united.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:アレックス・ファーガソン(65) 主なタイトル実績:プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ 攻撃力9:★★★★★★★★★☆ 守備力9:★★★★★★★★★☆ タレント9:★★★★★★★★★☆ 連係8:★★★★★★★★☆☆ 選手層9:★★★★★★★★★☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">モスクワの歓喜</div> 2005-06シーズン、ジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーにリーグ連覇を許したユナイテッドは、2006-07シーズンにクリスティアーノ・ロナウドの大車輪の活躍もあり、リーグタイトルを戴冠。迎えた2007-08シーズンは、連覇とともにチャンピオンズーグ優勝を狙った。 シーズン開幕前には、バイエルンからハーグリーブスを獲得したほか、スポルティングからナニ、ポルトからアンデルソンを獲得するなど、中盤の強化に努めた。 プレミアリーグでは、開幕から3試合で2分1敗という厳しいスタートを切る。第3節では、マンチェスター・シティとのダービーに敗れて17位にまで転落したが、そこから破竹の8連勝。一気に首位に立った。 年明け以降は、さらに調子を上げる。3月末までの12試合では10勝1分1敗。その12試合は内容も上々で、31得点4失点という素晴らしい成績で乗り切った。首位の座を確かなものとしたチームは、終盤にやや息切れしたものの、チェルシーを勝ち点2差で振り切って、見事に連覇を達成した。 リーグ杯(3回戦敗退)とFA杯(6回戦敗退)では結果を残せなかったが、CLでは躍進した。決勝トーナメント1回戦でリヨン、準々決勝でローマを撃破したユナイテッドは、準決勝でバルセロナと対戦。カンプ・ノウでの1stレグをゴールレスで終えて迎えたホームでの2ndでは、サポーターが素晴らしい雰囲気をつくりだした。そして、試合はスコールズの強烈なミドルシュートでのゴールを守ったユナイテッドが1-0で勝利。チェルシーの待つファイナルに進出した。 ロシアのルジニキで行われた試合は、前半26分にC・ロナウドのゴールでユナイテッドが先制したが、前半終了間際にランパードに同点弾を奪われる。1-1のまま90分、そして延長戦を終え、勝負はPK戦へ。PK戦では、後攻のチェルシーがリードして迎えた5人目、これを決めれば優勝という場面でテリーが足を滑らせて失敗。7人目でギグスがきっちりと沈めたのに対し、チェルシーはアネルカが失敗し、勝敗は決す。ミュンヘンの飛行機事故から50年、運命という最強の味方を有していたユナイテッドがクラブ史上3度目となる欧州王者となった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">鉄壁&強力な矛</div> 当時のチームは、攻守共に素晴らしいタレントを揃えていた。GKには足元、そしてハイボールに強く、弱点がないファン・デル・サールが君臨。センターバックのファーディナンドとヴィディッチはキャリア全盛期を迎えており、世界最高のコンビとして名を馳せた。右サイドバックはギャリー・ネビルが負傷離脱していたため、ブラウンがレギュラーとしてプレー。それでも、G・ネビルの穴を補ってあまりある活躍を見せた。 中盤は多士済々だった。セントラルMFはスコールズを中心に、フレッチャー、キャリック、ハーグリーブスとレベルの高い選手が揃う。サイドハーフには、アクセントを付けることができるベテランのギグス、豊富な運動量で攻守に貢献できるパク・チソンが在籍。そして、何といっても攻撃陣が強力。C・ロナウドとルーニー、テベスという世界屈指のアタッカー3人がポジションチェンジしながら仕掛け、相手守備陣をかく乱した。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FWクリスティアーノ・ロナウド(22)</span> 2003-04シーズンにユナイテッドに移籍したC・ロナウドだが、その後の3シーズンはパフォーマンスに波があり、決して超一流の選手とは言えなかった。しかし、2006-07シーズンに17ゴール14アシストを記録し、チームプレーの楽しみも覚えたC・ロナウドは、その後に覚醒する。2007-08シーズンは開幕からゴールを量産し、リーグ31ゴールを挙げて得点王を獲得。CLでも決勝戦のゴールを含む8ゴールを奪った。決勝ではPK失敗で号泣する場面もあったが、チームが優勝したこともあって立ち直ったCR7。この年、自身初となるバロンドールとFIFA最優秀選手賞をダブル受賞した。 2019.04.21 22:00 Sun5