ウルグアイとのPK戦を制したペルーがチリの待つ準決勝に進出《コパ・アメリカ》
2019.06.30 06:18 Sun
コパ・アメリカ準々決勝、ウルグアイ代表vsペルー代表が29日に行われ、0-0で90分を終了し、迎えたPK戦を4-5で制したペルーが準決勝に進出した。
チリ代表、日本代表、エクアドル代表が同居したグループCを2勝1分けの首位で通過したウルグアイと、ブラジル代表、ベネズエラ代表、ボリビア代表が同居したグループAを3位で通過したペルーの一戦。
ペルーがアグレッシブな入りを見せた中、地力に勝るウルグアイが徐々に押し込む流れとしていくと、15分にスアレスがヘディングシュートでゴールに迫った。
その後もウルグアイが押し気味に試合を進めると、24分に決定機。ボックス左で仕掛けたスアレスがシュートに持ち込み、GKが弾いたルーズボールをカバーニがシュート。だが、枠の上に外れてしまった。
そして29分には先制しかける。クロスのルーズボールをボックス中央のデ・アラスカエタがゴールへ蹴り込んだが、その前にクロスを上げたナンデスのポジションがオフサイドだった。さらに37分にも先制のチャンス。デ・アラスカエタのスルーパスでボックス中央に侵入したカバーニがシュート。だが、GKのセーブに阻まれた。
その後は膠着状態に陥った中、ウルグアイは58分に決定機。スローインの流れからボックス右ゴールライン際のスアレスが折り返し、ゴール前のゴディンがシュート。だが、枠の上に外してしまった。続く59分にはスアレスのスルーパスに抜け出したカバーニがGKとの一対一を制するも、VARの末にオフサイドとなった。
さらに73分にはカセレスの左クロスにスアレスがボレーで合わせてネットを揺らしたが、ここもVARの末にスアレスのポジションがオフサイドと判定され、ノーゴールとなった。結局、自陣に引くペルー相手にウルグアイはゴールをこじ開けられずにPK戦へ。
そのPK戦では1番手のスアレスが失敗したウルグアイが4-5で敗戦。ペルーがチリの待つ準決勝に進出した。
チリ代表、日本代表、エクアドル代表が同居したグループCを2勝1分けの首位で通過したウルグアイと、ブラジル代表、ベネズエラ代表、ボリビア代表が同居したグループAを3位で通過したペルーの一戦。
ペルーがアグレッシブな入りを見せた中、地力に勝るウルグアイが徐々に押し込む流れとしていくと、15分にスアレスがヘディングシュートでゴールに迫った。
そして29分には先制しかける。クロスのルーズボールをボックス中央のデ・アラスカエタがゴールへ蹴り込んだが、その前にクロスを上げたナンデスのポジションがオフサイドだった。さらに37分にも先制のチャンス。デ・アラスカエタのスルーパスでボックス中央に侵入したカバーニがシュート。だが、GKのセーブに阻まれた。
ハーフタイムにかけては膠着状態が続き、ゴールレスで迎えた後半、開始1分過ぎにウルグアイはバルベルデの直接FKでGKを強襲した。
その後は膠着状態に陥った中、ウルグアイは58分に決定機。スローインの流れからボックス右ゴールライン際のスアレスが折り返し、ゴール前のゴディンがシュート。だが、枠の上に外してしまった。続く59分にはスアレスのスルーパスに抜け出したカバーニがGKとの一対一を制するも、VARの末にオフサイドとなった。
さらに73分にはカセレスの左クロスにスアレスがボレーで合わせてネットを揺らしたが、ここもVARの末にスアレスのポジションがオフサイドと判定され、ノーゴールとなった。結局、自陣に引くペルー相手にウルグアイはゴールをこじ開けられずにPK戦へ。
そのPK戦では1番手のスアレスが失敗したウルグアイが4-5で敗戦。ペルーがチリの待つ準決勝に進出した。
ペルー代表の関連記事
コパ・アメリカの関連記事
|
|
ペルー代表の人気記事ランキング
1
「まだまだ差がある」世界のGKと日本のGKの差を語った中村航輔、「求められている役割を果たす」と意気込む
日本代表は17日、20日に行われるキリンチャレンジカップ2023のペルー代表戦に向けたトレーニングを行った。 15日にエルサルバドル代表と対戦し、6-0の完勝を収めた日本代表。16日に移動し大阪入り。17日は、大阪で初練習を行った。 負傷により途中離脱したFW上田綺世(セルクル・ブルージュ)以外のメンバーが参加したトレーニング。いつものように、ストレッチやステップワーク、ロンドなどを実施。その後は、実戦的な練習となった。 これまでのトレーニングでもやっていたサイドからの崩しでシュートまで持っていくプレーを行うと、その後はミニゲームに。エルサルバドル戦で長い時間プレーした9名はトレーニングをやらずにランニング。また、MF川﨑颯太(京都サンガF.C.)も別メニューで調整した。 およそ1時間ほどでこの日のトレーニングは終了。ペルー戦に向けて、まず第一歩を踏み出した。 練習後、GK中村航輔(ポルティモネンセ)がメディアの取材に応対。自身の出番はなかったが、見守ったエルサルバドル戦については「最終的に勝利ができて、チームとしての目的が果たせて良かったと思います」とコメントした。 2年ぶりの代表復帰。改めて求められていることは「監督ごとに特色はありますが、GKとしては失点を限りなくゼロに近づけることを求められると思います」と、GKの本分でもあるショットストップのところが重要だとした。 一方で足元の技術も必要になるが「色々な仕事が各ポジション与えられますから、求められている役割を果たせるようにやっていきたいです」と、こちらも必要なことをやりたいとした。 ペルー戦では出場も期待されるが、「どんな時でも準備を欠かさないことは選手として大事です」とコメントするにとどめた中村。現在の日本代表については「ヨーロッパで自分の力を証明してきている選手たちなので、素晴らしいなと思いますし、その集団に加わることができてうれしく思っています」と、この一員であることは良いことだと語った。 ヨーロッパで2年半プレーし変化したことについては「選択の難しさ」と語る中村。「色々なプレーがあるので、その選択をしていく作業が少し難しいと感じています」と、どういう選択をするか、そこが難しくなったとした。 その中で、世界のGKと日本のGKに関しては「まだまだ(差が)あると思います」と、差はあると感じたようで「自分自身が感じているものはありますが、結果的にチャンピオンズリーグ(CL)とか、そういう舞台には出られていないので、受け入れなければいけないと思います」と、その他のポジションの選手は活躍するヨーロッパの舞台に立てていないことも、まだまだ差があることを示していると言及。具体的には「体格と語学」と感じているとした。 2023.06.17 23:40 Sat2
ペルー代表の72歳監督が双方合意で退任…2026年W杯南米予選で最下位に沈む
ペルーサッカー連盟(FRF)は16日、ホルヘ・フォサッティ監督(72)が双方合意で退任すると発表した。 FRFはフォサッティ監督をはじめとするコーチングスタッフにこれまでの感謝と今後へのエール。また、近く新たなフットボールディレクターを発表し、その者によって新指揮官が選定される旨を明かした。 自身も選手として母国クラブのペニャロールをはじめ、アルゼンチンやブラジルなどでプレーしたフォサッティ氏。南米と中東のクラブで監督キャリアを紡ぎ、代表もウルグアイ、カタールの指揮歴を持つ。 ペルーの監督に就任したのはフアン・レイノソ前監督が解任されたタイミングの2023年12月で、指揮した通算13試合で4勝4分け5敗。昨夏のコパ・アメリカ2024はグループ最下位に終わり、北中米ワールドカップ南米予選も最下位に沈む。 2025.01.17 16:35 Fri3
コパ決勝退場時の振る舞いに…ジェズス、2カ月の代表戦出場停止と約318万円の罰金
南米サッカー連盟(CONMEBOL)が、ブラジル代表FWガブリエウ・ジェズスのコパ・アメリカ2019決勝での振る舞いに対する処分を発表した。イギリス『スカイ・スポーツ』が伝えている。 コパ・アメリカ2019で4大会ぶり9度目の優勝を飾ったブラジル代表。だが、決勝のペルー代表戦では、1ゴール1アシストの活躍を見せていたジェズスが70分、競り合いの際に同選手のヒジが相手選手に入ってしまうと、2枚目のイエローカードが提示され、退場処分に。 その後、ジェズスは審判に猛抗議したが、覆らず。同選手は怒りを爆発させ、ピッチから去る際にはタッチライン際のボトルを蹴り、VARのモニターを殴りつけるなどの行為に出た。 これらの行為に対して、CONMEBOLはジェズスに2カ月間の代表戦出場停止と、3万ドルの罰金を命じた。現在、ブラジル代表は9月7日にコロンビア代表、同月11日にペルー代表との親善試合を予定しており、ジェズスはこの2試合に出場停止となる。 ちなみにペルー代表戦後、ジェズスは退場したことに対して、「謝罪したい。退場を回避することができたと思う。僕はまだたくさん成長しなくてはいけない」と反省していた。 2019.08.08 12:45 Thu4
ペルー代表のレジェンド、ウーゴ・ソティル氏が75歳で逝去…かつて在籍のバルセロナが追悼
かつてバルセロナやアリアンサ・リマで活躍した元ペルー代表FWのウーゴ・ソティル氏が75歳で逝去した。 バルセロナは30日、ヨハン・クライフ氏を擁した時代に活躍したレジェンドの訃報を伝えた。 “チョロ”の愛称で知られるソティル氏は、母国のデポルティボ・ムニシパルでキャリアをスタート。170cmと小柄ながらもセカンドトップや攻撃的MFを主戦場に、卓越したテクニックとドリブル、パスセンスを武器にチャンスメーカーとして活躍。 1973年にバルセロナへ移籍すると、クライフ、アセンシ、レシャック、マルシアルなどのレジェンドをを擁したチームで活躍。14年間遠ざかっていたプリメーラ優勝に大きく貢献した。 ただ、バルセロナでは翌シーズンにクライフの相棒ヨハン・ニースケンスの加入によって、当時2枠に制限されていた外国人枠の影響で出場機会を失った。その翌年には再びメンバーに復帰したものの、かつての輝きを取り戻せず、アリアンサ・リマへ完全移籍。以降はインデペンディエンテ・メデジン、古巣ムニシパルなどプレーした。 また、ペルー代表では通算62試合に出場し18ゴールを記録。1975年のコパ・アメリカ制覇や1970年、1978年のワールドカップにも出場した。 2024.12.30 22:40 Mon5
