キエーザ2発などで逆転の開催国イタリアが優勝候補スペインに勝利!《U-21欧州選手権》

2019.06.17 06:10 Mon
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U-21欧州選手権が16日にイタリアとサンマリノで開幕。グループA第1節のU-21イタリア代表vsU-21スペイン代表は、イタリアが3-1で逆転勝利した。

2020年東京オリンピックの出場枠4つが懸かることもあり、日本でも注目を集める今大会。予選を突破した12チームが3グループに分かれて争う今大会のレギュレーションでは、グループ首位3チームと、グループ2位の成績最上位の1チームが準決勝進出と共に東京五輪の出場権を得ることになる。なお、今大会の出場資格は1996年1月1日以降に生まれた選手となる。

下馬評の低いポーランドとベルギーの2チームと同居したグループAにおいて、開催国イタリアと前大会準優勝のスペインの本命2チームによる、重要な今回の初戦。
開催国として今大会に高いモチベーションを見せるイタリアは、ペッレグリーニ、バレッラ、ザニオーロ、キエーザ、ケアンとフル代表でもプレーする逸材たちを先発で起用。

対するスペインはファビアン・ルイス、ダニ・セバージョス、バジェホ、オヤルサバル、ソレール、マジョラルなど、リーガエスパニョーラで主力を張るタレントを起用してきた。
ケアン、キエーザの2トップの下にザニオーロを配した[4-3-1-2]で臨んだイタリアに対して、スペインは最前線にマジョラル、2列目にオヤルサバル、セバージョス、ソレールを並べた[4-2-3-1]の布陣でスタートする。

開始直後からボールの主導権を握ったスペインは9分、元ベティスコンビで早々にゴールをこじ開ける。ボックス手前左でファビアンからパスを受けたセバージョスが短く右に持ち出して対面のバレッラを外して右足を振り抜くと、絶妙なコントロールシュートがゴール右上隅に突き刺さった。

幸先良く先制に成功したスペインは的確なポジショニング、技術を生かして相手のプレスをいなす質の高いビルドアップでペースを掴む。さらに、アタッキングサードではトップ下で自由に振る舞うセバージョスが足下のテクニックと創造性を武器に良いアクセントを付ける。

一方、なかなかプレスがハマらないイタリアはザニオーロを右、キエーザを左のウイングに置く[4-1-4-1]の並びに変更。守備時のマッチアップを明確にして守備から少しずつリズムを掴む。

すると36分、右サイドでのスローインの流れからバレッラが左サイドに張るキエーザにミドルレンジのパスを通す。ここから快足を飛ばしてボックス内に侵入したキエーザが、クロス決め打ちのまずい対応を見せたGKウナイ・シモンが空けたニアに左足アウトにかけた見事なシュートを突き刺し、こちらもゴラッソで試合を振り出しに戻す。

その後、競り合いの場面で頭部を打っていたザニオーロが脳震盪かピッチに倒れ込み、40分過ぎにオルソリーニとの交代を強いられるアクシデントに見舞われたが、前半はそのまま1-1で終了した。

迎えた後半、スペインは前半に足を痛めていたファビアンを下げてメリノをハーフタイム明けに投入。しかし、前半終盤からの流れを受けて立ち上がりはイタリアが押し込む。その中で互いにキエーザ、ソレールと相手ゴールに迫る場面も作った。

徐々に試合がこう着していく中、イタリアは60分にケアンを下げてクトローネを投入。すると、この選手交代が逆転ゴールをもたらす。64分、ボックス内でDFバジェホを相手にクトローネが粘ってボールがゴール前にこぼれると、これにいち早く反応したキエーザが冷静に無人のゴールへ蹴り込んだ。

ディ・ビアージョ監督の采配的中のイタリアは完全に流れを掴むと、スペインにボールを持たれるものの決定的な仕事はさせず。逆に、当初の狙い通りのカウンターが機能。79分にはボックス内でペッレグリーニがソレールに後ろから押し倒されると、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)による検証の結果、PKが与えられる。これをペッレグリーニが冷静に決めて点差を2点に広げる。

何とか追いつきたいスペインはフォルナルス、ラファ・ミルと続けて攻撃的なカードを切っていくが、完全に守りに入ったイタリア守備を攻略することはできず。キエーザの2ゴールの活躍などでスペインに逆転の開催国イタリアが今大会を白星発進。

この結果、グループAはイタリアと、ベルギーを3-2で下したポーランドが初戦を飾っている。

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