ヴェンゲル氏、監督業復帰を改めて強調「2019年には確実に」
2018.11.01 10:15 Thu
▽フランス人の名将アーセン・ヴェンゲル氏(68)が来年1月の監督業再開を確信している。イギリス『スカイ・スポーツ』が伝えた。
▽ヴェンゲル氏は、1995年01996年10月まで名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)を率い、その後にアーセナルの監督として約22年間にわたる長期政権を築城。2003-04シーズンの無敗優勝を含む3度のプレミアリーグ制覇や、7度のFAカップ優勝に貢献したが、2017-18シーズン限りでアーセナルに別れを告げた。
▽アーセナルを退任して以降様々な憶測が取り沙汰されるヴェンゲル氏は、先月来年1月での監督業再開を明言していたが、今回改めて強調し、長らく監督生活を送ったイングランド以外での指揮が有力であると示唆している。
「2019年には確実に復帰するだろう」
「私は今十分な休息をとっている。フットボールもたくさん観戦しているよ」
「ただ、将来については何も分からない。どこにいるかもね。ただ、どこかのクラブにはいるだろう」
▽ヴェンゲル氏は、1995年01996年10月まで名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)を率い、その後にアーセナルの監督として約22年間にわたる長期政権を築城。2003-04シーズンの無敗優勝を含む3度のプレミアリーグ制覇や、7度のFAカップ優勝に貢献したが、2017-18シーズン限りでアーセナルに別れを告げた。
▽アーセナルを退任して以降様々な憶測が取り沙汰されるヴェンゲル氏は、先月来年1月での監督業再開を明言していたが、今回改めて強調し、長らく監督生活を送ったイングランド以外での指揮が有力であると示唆している。
「私は今十分な休息をとっている。フットボールもたくさん観戦しているよ」
「私はウェンブリーで多くの試合をした。素晴らしい思い出もある。私は何度もイングランド以外での指揮が最良かもしれないと言ってきた。同じクラブで長い時間を過ごし、他のクラブに行くことはなんか奇妙だからね」
「ただ、将来については何も分からない。どこにいるかもね。ただ、どこかのクラブにはいるだろう」
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ミランは9日、最高経営責任者(CEO)のイバン・ガジディス氏が2022年12月5日の契約満了を持って退任することを発表した。 南アフリカ出身のガジディス氏は、1994年のメジャーリーグ・サッカー(MLS)創設に携わり、2008年にはアーセナルのCEOに就任。当時の指揮官、アーセン・ヴェンゲル氏と二人三脚でクラブ運営を司り、2018年に退任。その後、ヨンホン・リー氏からミランの所有権を引き継いだアメリカの投資家グループ『エリオット・マネジメント』からのラブコールに応じる形で、ミランのCEOに就任した。 ミランではこれまで培ってきたノウハウを生かし、名門立て直しに尽力し、昨シーズンには11シーズンぶりのスクデット獲得に貢献していた。 今回の退任の経緯は不明だが、今年8月末に売却が決定したアメリカ『レッドバード・キャピタル・パートナーズ』への経営権移行が影響していると思われる。 4年間を過ごしたミランを退団することになったガジディス氏は、クラブ公式サイトを通じて以下のコメントを残している。 「素晴らしく挑戦的な4年間を過ごした後、私はミランを離れます。このクラブ、ここに従事する人々、そのファン、そして文字通り私の命を救ってくれたこの街のおかげです」 「クラブが私が着任したときよりも良い位置にあるとすれば、それは完全に、私たちのオーナーから、会長、ヘッドコーチ、コーチングスタッフ、スポーツディレクターまで、周囲の人々の仕事によるものです。私たちのプレーヤーたち、アカデミーで夢を持っているすべての少年少女、スカウト、アナリスト、医療スタッフ、サポートスタッフ、上級管理職チーム、そしてこのクラブのために生き、持てるすべてを捧げる並外れた人々を含めてです」 「私は彼ら全員と仕事ができて光栄でした。この基礎と私たちがあらゆるポジションに配置した人々が、今後数年間でクラブを新しいレベルに引き上げることに疑いの余地はありません」 「最後に、私たちのファンに個人的な感謝を伝えたいと思います。私たちのファンは、その信念と強さによって、困難な時期にこのクラブ (そして私))を支えてくれました。私は、彼らが私にサポートを示してくれた方法を永遠に心に留めておきます。私の健康状態が良くなかったとき、彼らはあらゆる良いものに値しました。私はクラブを去りますが、クラブは決して私を離れません」 なお、ガジディス氏の後任に関しては決定次第、しかるべきタイミングで発表する予定だという。 2022.11.10 06:00 Thuアーセナルの人気記事ランキング
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