アーセン・ヴェンゲル
Arsene WENGER
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
フランス
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| 生年月日 | 1949年10月22日(76歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | 監督データ |
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ヴィエラvsキーン=アーセナルvsユナイテッド…ヴェンゲル氏が黄金期を懐かしむ「象徴的なライバル関係」
元アーセナル指揮官のアーセン・ヴェンゲル氏が、マンチェスター・ユナイテッドとのライバル関係を懐かしんだ。イギリス『ミラー』が伝えている。 ヴェンゲル氏は1996年から2018年にかけて22年間アーセナルを指揮。チャンピオンズリーグ(CL)優勝には届かなかったが、プレミアリーグを3度、FAカップとEFLカップをそれぞれ7度制覇するなど、クラブに多くのタイトルをもたらした。 なかでも元フランス代表のMFパトリック・ヴィエラ氏やFWティエリ・アンリ氏、元オランダ代表FWデニス・ベルカンプ氏らを擁した2000年代初頭はまさに黄金期。2003-04シーズンには伝説の無敗優勝を成し遂げている。 あの時代からおよそ20年。29日にプレミアリーグの殿堂入りが発表されたヴェンゲル氏は当時を懐かしみ、自らのチームの中軸に据えたヴィエラ氏と、何度も覇権を争ったユナイテッドの主将ロイ・キーン氏の激しいライバル関係こそ、両チームのライバル関係を象徴するものだったと振り返った。 「プレミアリーグにとって完璧とも言えるライバル関係だ。この2人の男はピッチ上で常にお互いを探し、自らの誇りと威信を賭けて戦った。誰もそこに介入しようとは思わなかったよ。アーセナルとユナイテッド…いつしか2つのクラブのライバル関係を象徴するものとなった」 「今の私はそんな彼らをテレビで見ているわけだが、どうやら『完璧なライバル』から『完璧な友達』になったようだ。ちょっと信じがたいね(笑) 以前の2人はボクサーがお互いを殺し合うかのようだったのに」 両者がピッチ上で顔を合わせたのは2004-05シーズンが最後。ヴィエラ氏は2005年夏にユベントスへ移籍し、キーン氏は2005-06シーズン開幕後にユナイテッドとの契約を解除。その後、両者はホテルで一緒にアイスクリームを食べるなどして和解していったとのことだ。 かつてはピッチ上での乱闘のみならず、試合開始前に口論がヒートアップした「トンネル事件」も有名なヴィエラ氏とキーン氏。ファンのみならず、ヴェンゲル氏のような当事者にとっても美しい思い出となっているようだ。 2023.03.30 18:30 Thu2
SBからCBへ…ヴェンゲルが新たなコンバートに手応え「彼の将来はセンターバックにある」
▽アーセナルのアーセン・ヴェンゲル監督が、再びサイドバックからセンターバックへのコンバートに手応えを感じているようだ。イギリス『スカイ・スポーツ』が報じた。 ▽アーセナルは、昨シーズン終盤から3バックを採用。これまでの[4-4-2]から脱却し、一定の結果を残している。3バックの一角には、元々左サイドバックでプレーしていたスペイン代表DFナチョ・モンレアルを起用。アーセナルにとってのキーマンとなっているが、再び同じコンバートを試している。 ▽ヴェンゲル監督は、カラバオ・カップやヨーロッパリーグで元フランス代表DFマテュー・ドゥビュシーをセンターバックとして起用。スペイン代表DFエクトル・ベジェリンとのポジション争いに敗れ、ポジションを失っていたドゥビュシーに新たな可能性を感じていると明かした。 「多分、彼の将来はセンターバックにあるだろう。彼にはその気質がある。彼は身長が低いにも関わらず、良い空中戦を見せる」 「みなさんは、彼がセンターバックではプレーできないと思うだろう。なぜなら彼は背が高くない。しかし、彼の空中戦の勝率を見ると、とても印象的だ」 「挫折し、いくつかのとても難しい時期を経験した。だからこそ、我々は彼がここにいることをとても喜んでいる」 ▽ドゥビシーは、今シーズンのプレミアリーグで出場機会がないものの、カラバオ・カップで1試合、ヨーロッパリーグで1試合に出場。いずれもセンターバックとしてプレー。ノリッジ戦では120分の激闘でフル出場を果たしていた。 「彼がノリッジとのカラバオ・カップで、120分間プレーしたという事実は、彼にとっても大きな援護となったはずだ」 「彼は今は回復しなくてはいけないが、チームのポジション争いに再び加わる候補となるだろう」 2017.11.01 12:10 Wed3
ヴェンゲル氏の銅像がエミレーツ・スタジアム外で除幕…本人は2日エミレーツカップで対面へ
アーセナルのレジェンド指揮官であるアーセン・ヴェンゲル氏(73)の偉業を称える銅像がエミレーツ・スタジアム外で除幕された。 ヴェンゲル氏は1996年10月から2018年5月までアーセナルを指揮し、プレミアリーグで3回、FAカップで7回の優勝をもたらした。 また、フランス人指揮官はアーセナルで通算1235試合を指揮し、“インビンシブルズ”として知られるチームで、2003-04シーズンにはリーグ無敗優勝を成し遂げた。また、ヴェンゲル体制下では20シーズン連続でのチャンピオンズリーグ本戦出場という偉業も成し遂げていた。 今回、除幕された銅像は彫刻家のジム・ガイ氏によって制作された高さ3.5メートルの大きさで、ヴェンゲル氏がプレミアリーグのトロフィーを掲げる姿を模したもの。そして、28日午前にエミレーツ・スタジアムのノースバンクスタンドの外の位置に固定された。 また、ヴェンゲル氏は8月2日に行われるエミレーツカップのモナコ戦でクラブの主賓となり、自身の銅像と対面する予定だ。 現在、アーセナルの指揮官を務めるミケル・アルテタ監督は、「彼は私をプレーヤーの一人に選び、クラブのキャプテンに選んだ。それは私にとって決して忘れられないことだ」と、恩師への感謝を語っている。 <span class="paragraph-title">【写真】再現度高いヴェンゲル氏の銅像がお披露目</span> <span data-other-div="movie"></span> <div id="cws_ad"><blockquote class="twitter-tweet"><p lang="und" dir="ltr">Arsène <a href="https://t.co/jExR16njb4">pic.twitter.com/jExR16njb4</a></p>— Arsenal (@Arsenal) <a href="https://twitter.com/Arsenal/status/1684925714083061761?ref_src=twsrc%5Etfw">July 28, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2023.07.29 13:58 Sat4
偉大なるジルー、その分岐点は若き日のフランス代表デビュー戦…惚れ込んだヴェンゲル氏「夢中になってしまった」
フランス代表歴代最多得点者のFWオリヴィエ・ジルー(37)。その選手キャリアにおける分岐点は、自身のA代表デビュー戦を観戦したアーセン・ヴェンゲル氏との出会いだった。 今季でミランを退団、フランス代表からもユーロ2024を最後に引退、MLSはロサンゼルスFCへの移籍を持って、欧州で見納めとなるであろう37歳ジルー。 モンペリエ時代の11-12シーズンにリーグ・アン優勝&得点王。翌季から5年半アーセナルに在籍し通算105得点。チェルシー時代は控えを抜け出せずも、34歳で加入したミランがクラブキャリアのハイライトか。1年目でスクデット奪還に大貢献、得点数だけでは語れない技量・存在感で3年間チームを引っ張り、その威圧感は老練なカルチョのDFを苦しめた。 また、フランス代表では3度のW杯出場に2018年ロシア大会優勝、そして同国代表歴代最多の57得点。ティエリ・アンリ氏の得点記録を抜くのがジルーになるなど、一体誰が予想しただろうか。まさに、年齢を重ねるごとに輝きを増していったストライカーだ。 フランス『Canal+』は、そんなジルーの半生を追いかけたドキュメンタリー番組を制作し、選手キャリアの分岐点として、当時アーセナル指揮官だったヴェンゲル氏の目に留まった“2011年11月11日”をピックアップ…ヴェンゲル氏自ら証言する。 「初めてオリヴィエを観た日のことをよく覚えている。当時彼はモンペリエの選手で、すでにそれなりの成績を収めていたが、そのプレーをこの目で確認し、『ああ、この男はフットボールを完全に理解している』と確信した。私は彼に夢中になってしまった(笑)」 “2011年11月11日”は、ジルーがフランス代表初キャップを飾ったアメリカ代表戦。スタッド・ド・フランスで観戦してジルーに惚れ込んだヴェンゲル氏は自らジルーへ接触。2012年夏のアーセナル加入に漕ぎ着けた。 しかし、代理人のミシェル・マヌエロ氏は当時、ジルーに「アーセナルなんか行くべきじゃない」とアドバイスしたと言う。 「私は彼に言った。『アーセナルはダメだ。ロビン・ファン・ペルシがいるんだぞ。ピッチ脇で味方のゴールに拍手する時間を過ごすことになるぞ』ってね。どう考えてもオリヴィエにストライカー以外はできないし、不可能なミッションに挑もうとしているように思えたんだ」 「彼は『わかった、他のクラブも考えてみよう』と言ったんだ。ところが1カ月半後、突然『やっぱりアーセナルへ行く』ってね(笑)」 ジルーがアーセナル行きを決めると、ほどなくしてマヌエロ氏の懸念だったファン・ペルシ氏がマンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決定。結果的に、ジルーは加入後すぐにセンターフォワードの定位置に収まった格好だ。 フランス代表デビュー戦にて、ヴェンゲル氏に認められたところから階段を駆け上がっていったジルー。13年もの歳月が経ち、男はフランス代表で通算131キャップ、通算57得点で歴代最多得点者となっている。 2024.05.27 14:00 Mon5
ウェールズの至宝、アーロン・ラムジー【ピックアップ・プレイヤー】
サッカーでは、GK、DF、MF、FWとそれぞれ役割の全く異なるポジションで、それぞれにスター選手がいる。今回の企画『Pick Up Player』では、現役を問わず各クラブを代表する選手たちをプレー動画付きで紹介していく。 今回はユベントスのウェールズ代表MFアーロン・ラムジー(29)だ。 <div id="cws_ad">◆ラムジー、ユベントスでの好プレー集<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJ6ZXdnenl3dyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> 母国ウェールズのカーディフ・シティでキャリアをスタートさせたラムジーは、2006-07シーズンに当時クラブ史上最年少となる16歳と124日という若さでトップチームデビューを果たした。 そして、2008年にアーセナルに完全移籍。その理由を「アーセナルなら若手が多くの出場機会を与えてもらえるから」と語っている。デビュー戦は同年8月13日のチャンピオンズリーグ予選のトゥベンテ戦。1カ月後の9月13日にはブラックバーン戦でプレミアリーグデビューも果たした。当時、元アーセナル指揮官のアーセン・ヴェンゲル氏は「彼の才能に疑いの余地はない。将来的にキャプテンに据えたいと考えている」と、その活躍ぶりを絶賛していた。 しかし、2010年2月には右足の腓骨と頸骨の骨折という大怪我に見舞われる。約10カ月のリハビリを経て、徐々に本来のパフォーマンスを取り戻していくと、2013-14シーズン頃から完全復活。より逞しくなった姿を見せた。 ラムジーのプレースタイルはボックス・トゥ・ボックス。足元の技術が高く運動量も豊富だ。自身が「お手本としている」と認める、同胞のレジェンド、ライアン・ギグスとは少し異なるが、ギグス以来の逸材としてウェールズでは常に期待の目が向けられている。 そのギグスとも共演したウェールズ代表では、2008年10月のデンマーク戦がデビュー戦となった。2012年のロンドン・オリンピックの際にはイギリス代表としてもプレーした経験がある。ちなみに、イギリス代表のオーバーエイジ枠にはギグスも選出されていた。 アーセナル在籍11シーズンで公式戦361試合に出場し62ゴール64アシストを記録するなど、3度のFAカップ制覇に加え、3度のコミュニティ・シールド獲得に貢献したラムジーだったが、クラブとの契約延長交渉がまとまらず、2019年の夏にフリーでイタリア王者ユベントスへ加入。層の厚い中盤でポジション争いに励み、度重なる故障に苦労したが、最終的に公式戦35試合4得点1アシストの数字を収め、チームのセリエA9連覇に貢献し、自身初のリーグ優勝を経験している。 2020.09.15 11:00 Tueアーセン・ヴェンゲルの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2019年11月13日 |
FIFA |
- |
| 1996年10月1日 | 2018年6月30日 |
アーセナル |
監督 |
| 1995年2月1日 | 1996年9月30日 |
名古屋 |
監督 |
| 1987年7月1日 | 1994年9月17日 |
モナコ |
監督 |
| 1984年7月1日 | 1987年6月30日 |
ナンシー |
監督 |
| 1983年7月1日 | 1984年6月30日 |
Cannes |
アシスタントコーチ |
| 1981年7月1日 | 1982年6月30日 |
Strasbourg U19 |
監督 |

フランス
アーセナル
名古屋
モナコ
ナンシー
Cannes
Strasbourg U19