ギグスが母国ウェールズ代表新監督に就任…4年契約でカタールW杯出場を目指す
2018.01.15 22:35 Mon
▽ウェールズサッカー協会(FAW)は15日、ウェールズ代表新監督にレジェンドでもあるライアン・ギグス氏(44)を招へいしたことを公式ツイッター(@Cymru)で発表した。契約期間は4年間となる。
▽ギグス氏は、マンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッドの下部組織で育ち、1991年にトップチームへと昇格。2014年7月に引退するまで、ユナイテッド一筋でプレーを続けていた。
▽引退後、ユナイテッドのアシスタントコーチや暫定監督を務めていたギグス氏。ウェールズ代表は、2016年のユーロに初出場を果たすとベスト4に進出。しかし、チームを長らく率いていたクリス・コールマン監督は、ロシア・ワールドカップの出場権を逃したこともたり退任。サンダーランドの監督に就任していた。
▽空席となっていたウェールズ代表監督の椅子だったが、母国のレジェンドに2022年のワールドカップ出場を託すようだ。
▽ギグス氏は、マンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッドの下部組織で育ち、1991年にトップチームへと昇格。2014年7月に引退するまで、ユナイテッド一筋でプレーを続けていた。
▽引退後、ユナイテッドのアシスタントコーチや暫定監督を務めていたギグス氏。ウェールズ代表は、2016年のユーロに初出場を果たすとベスト4に進出。しかし、チームを長らく率いていたクリス・コールマン監督は、ロシア・ワールドカップの出場権を逃したこともたり退任。サンダーランドの監督に就任していた。
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世界一にもなれた稀代の創造主、ファン・セバスティアン・ベロン
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ベッカム&ギャリー・ネビルがイギリス4部クラブ買収! ギグスやスコールズら92年組がオーナーだったサルフォード・シティの共同オーナーに
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本田圭佑が世界選抜の同点弾演出にPK成功、ベンチには中田英寿氏! カカ、リバウド、フォルラン、ダビド・シルバら豪華レジェンド揃い踏み、ギグス&ルイス・ガルシアが躍動し香港選抜とPK戦決着
1日、ルナー・ニューイヤー・カップの世界選抜vs香港選抜が香港スタジアムで行われ、3-3で90分が終了。世界選抜がPK戦を6-5で制した。 旧正月を祝う香港で恒例の大会。今回は世界と香港のレジェンド選手が対峙し、世界選抜には元日本代表MF本田圭佑も参加。元日本代表MF中田英寿氏がベンチに座り、本田と言葉を交わす場面もあった。 世界選抜はGKペトル・チェフがゴールマウスに。ルシオ、アシュリー・コール、カフー、ライアン・ギグス、ポール・スコールズ、カカ、ダビド・シルバ、エデン・アザール、リバウド、ディエゴ・フォルランと豪華メンバーがピッチに立った。 世界選抜は27分、オーバーラップしたカフーの右クロスから香港選抜のオウンゴールを誘うが、オフサイドで得点は認められず。すると31分、香港選抜の右クロスからリー・ホン・リムが決め、世界選抜は先制点を許してしまう。 追いついたのは38分。スコールズが左サイドでボールを奪うと、アザールが左ポケットでキープ。外から上がったギグスがパスを受けると、中を見る視線のフェイントからゴール左隅に流し込む。 攻め入りながらも度々カウンターを浴びる世界選抜。42分にもピンチを迎えたが、GKチェフの2連続セーブで凌ぐ。 しかし前半アディショナルタイム、攻めあぐねた世界選抜はロングカウンターから再び失点。リー・ホン・リムが2点目を奪う。ここでGKチェフが痛めたようで、交代を要求しながら前半を終える。 後半は本田がピッチへ。他にはGKデイビッド・ジェームズ、ネマニャ・ヴィディッチ、ギャリー・ケイヒル、バカリ・サーニャ、ルイス・ガルシア、ジブリル・シセが登場する。 本田も右サイドからゲームメイクに絡んでいくが、攻勢で入った香港選抜が50分に追加点。味方との連携からゴール前へ抜け出したジュ・インジーがループシュートを選択すると、GKジェームズが弾ききれずネットが揺れる。 ハーフタイムで退いたフォルランやギグスが再登場するなか、52分には右サイドで仕掛けた本田がグラウンダーのクロス。味方には合わない。 57分、左CKからケイヒルのヘディングシュートで襲いかかるが、これは左ポストに直撃。2点ビハインドの世界選抜は徐々にギアを上げていく。 反撃の一撃は75分のルイス・ガルシア。左サイドでキープしたギグスのクロスに頭から飛び込み、叩き込んだ。 そのまま追いつきたい世界選抜は、本田がシュート。相手GKが飛び出したところ、右サイド深い位置から右足で狙ったが、枠は捉えられない。すると88分、本田が世界選抜に貴重な同点ゴールをもたらす。右サイドでのキープから左足でクロス。合わせたシセのヘディングシュートをGKが弾くと、ルイス・ガルシアがすかさず押し込んだ。 後半アディショナルタイムにはギグスのクロスにルイス・ガルシアが頭で合わせたが、逆転は叶わず。3-3で90分を終え、PK戦に持ち込まれた。 ともに成功させていき、先攻の世界選抜は3人目のルイス・ガルシアがパネンカ。失敗なしでサドンデスに入ると、世界選抜6人目は本田が務め、ゴール右に落ち着いて成功。すると、GKジェームズが香港選抜6人目のシュートをストップ。世界選抜がPK戦の末に勝利を手にした。 世界選抜 3-3(PK: 6-5) 香港選抜 【世界】 ライアン・ギグス(前38) ルイス・ガルシア(後30、後43) 【香港】 リー・ホン・リム(前31、前45+1) ジュ・インジー(後5) 2025.02.01 23:12 Sat4
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カントナ氏、古巣ユナイテッドと喧嘩別れのC・ロナウドに苦言「自分が25歳だと思っている」
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