現役を引退するシーズンで2冠を達成した元日本代表FP村上哲哉「悔いなく選手生活を終えられた」《第22回全日本フットサル選手権》
2017.03.20 20:22 Mon
▽20日に東京の国立代々木競技場第一体育館で、第22回全日本フットサル選手権決勝戦のフウガドールすみだ(Fリーグ/東京都)vsシュライカー大阪(Fリーグ/大阪府)が行われ、7-2で勝利した大阪が5大会ぶり3度目の優勝を果たしている。
▽今シーズン限りで現役を引退するシュライカー大阪の元日本代表FP村上哲哉が、試合後の囲み取材でコメントした。
◆FP村上哲哉(シュライカー大阪)
――試合を終えた瞬間の率直な感想は
「終わった瞬間というより、今日は試合に入る前からこの9年間の思い出、良かった時や苦しかった時、悲しかった時などいろいろな思い出が駆け巡りました。ほっとしたというか、最高の形で終われたので、悔いなく選手生活を終えられた気持ちです」
――今シーズンはベンチを温めることが多かったが
「正直に言えば試合に出たいです。それがなければ選手としてここまでやってこられなかったでしょう。でも、この世界では監督の信頼を勝ち得て、ピッチで結果を残さなければ試合にはでられません。そういう意味で今シーズンはケガもあり、パフォーマンスを出し切れませんでした。ただ、監督から自分に与えられた役割、ベテランとしてどういう立ち振る舞いをすれば良いのか。僕自身で受け入れていましたし、ベンチにいながらもピッチで戦っているようにチームを鼓舞したい気持ちが強かったです」
――ベンチで一番声を出していたのが村上選手だったと思うが
「チームと一緒に戦う気持ちです。試合に出られないとつまらないという思いもあると思います。ただ、それを態度に出すか出さないかでチーム力が変わります。僕がシュライカーに9年間いて、このチームの弱さを感じていました。ちょっとした気持ちのゆるみでチームが壊れてしまうのを見てきました。僕が、態度を示さないと若い選手やブラジル人がついてこないと思っていました」
「そう言ってもらえることはありがたいですが、引き際については僕も真剣に悩みました。正直に言えば、木暮監督が来た時から3年間だと考えていました。たまたま今シーズン、試合に出られませんでしたが、大阪には若い選手も出てきたのでバトンを渡して、自分はどういう形になるかわかりませんが、日本のフットサルに貢献していきたいと思っています」
――選手としてのモチベーションが低下したのか、他のやりたいことへのモチベーションが高まったのか
「選手としてのモチベーションと言えば、まだやりたいという気持ちが心のどこかにあります。代表についてもミゲル監督の時に切られて、それからはシュライカーの若手の僕の経験を伝えたいと思うようになりました。それが、若い選手が育ってきて、ここで僕が退かなければチームとしての成長を妨げるなという思いがあります。長くチームに居座ってしまうと、僕自身は試合に出られない中でベンチにずっといるのは良くないなと。出られないなりの姿勢を今シーズンは見せてきたつもりです。バトンを渡すためにも態度を示そうと戦いました。悔しさはありますが、やり切った思いがあります。最高の結果で終われてよかったなと思います」
――現役生活を振り返って思い出に残っていることは
「試合に出られませんでしたが、今シーズンは自分が苦しかった分、仲間に支えられてタイトルを取れたことが大きかったです。今までの大阪はあと少しで試合を落としてきたチームでした。木暮監督が来て、その流れを変えようと、3年かかりましたが、僕のことも信頼してくれていました。このメンバーでこのシーズンを戦い、苦しいこともありました。シーズン序盤にはアウェイの大分で負けて、でも優勝する、歴史を変えるということは常に選手の声としてもありました。本当にブレずに戦えました。これが、いつものように途中で崩れてタイトルを取れていなければ、僕も選手としての未練があったと思います。僕自身も役割を全うしましたし、みんなも苦しさを乗り越えて勝者のメンタリティを手に入れたと思います。誇りをもって辞められます」
▽今シーズン限りで現役を引退するシュライカー大阪の元日本代表FP村上哲哉が、試合後の囲み取材でコメントした。
◆FP村上哲哉(シュライカー大阪)
――試合を終えた瞬間の率直な感想は
「終わった瞬間というより、今日は試合に入る前からこの9年間の思い出、良かった時や苦しかった時、悲しかった時などいろいろな思い出が駆け巡りました。ほっとしたというか、最高の形で終われたので、悔いなく選手生活を終えられた気持ちです」
「正直に言えば試合に出たいです。それがなければ選手としてここまでやってこられなかったでしょう。でも、この世界では監督の信頼を勝ち得て、ピッチで結果を残さなければ試合にはでられません。そういう意味で今シーズンはケガもあり、パフォーマンスを出し切れませんでした。ただ、監督から自分に与えられた役割、ベテランとしてどういう立ち振る舞いをすれば良いのか。僕自身で受け入れていましたし、ベンチにいながらもピッチで戦っているようにチームを鼓舞したい気持ちが強かったです」
――ベンチで一番声を出していたのが村上選手だったと思うが
「チームと一緒に戦う気持ちです。試合に出られないとつまらないという思いもあると思います。ただ、それを態度に出すか出さないかでチーム力が変わります。僕がシュライカーに9年間いて、このチームの弱さを感じていました。ちょっとした気持ちのゆるみでチームが壊れてしまうのを見てきました。僕が、態度を示さないと若い選手やブラジル人がついてこないと思っていました」
――引退はまだ早いのではないかと思うが
「そう言ってもらえることはありがたいですが、引き際については僕も真剣に悩みました。正直に言えば、木暮監督が来た時から3年間だと考えていました。たまたま今シーズン、試合に出られませんでしたが、大阪には若い選手も出てきたのでバトンを渡して、自分はどういう形になるかわかりませんが、日本のフットサルに貢献していきたいと思っています」
――選手としてのモチベーションが低下したのか、他のやりたいことへのモチベーションが高まったのか
「選手としてのモチベーションと言えば、まだやりたいという気持ちが心のどこかにあります。代表についてもミゲル監督の時に切られて、それからはシュライカーの若手の僕の経験を伝えたいと思うようになりました。それが、若い選手が育ってきて、ここで僕が退かなければチームとしての成長を妨げるなという思いがあります。長くチームに居座ってしまうと、僕自身は試合に出られない中でベンチにずっといるのは良くないなと。出られないなりの姿勢を今シーズンは見せてきたつもりです。バトンを渡すためにも態度を示そうと戦いました。悔しさはありますが、やり切った思いがあります。最高の結果で終われてよかったなと思います」
――現役生活を振り返って思い出に残っていることは
「試合に出られませんでしたが、今シーズンは自分が苦しかった分、仲間に支えられてタイトルを取れたことが大きかったです。今までの大阪はあと少しで試合を落としてきたチームでした。木暮監督が来て、その流れを変えようと、3年かかりましたが、僕のことも信頼してくれていました。このメンバーでこのシーズンを戦い、苦しいこともありました。シーズン序盤にはアウェイの大分で負けて、でも優勝する、歴史を変えるということは常に選手の声としてもありました。本当にブレずに戦えました。これが、いつものように途中で崩れてタイトルを取れていなければ、僕も選手としての未練があったと思います。僕自身も役割を全うしましたし、みんなも苦しさを乗り越えて勝者のメンタリティを手に入れたと思います。誇りをもって辞められます」
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