デ・ブライネ弾で競り勝ったシティがクラブ史上初のベスト4進出! ブラン奇策失敗のPSGは8強の壁を越えられず…《CL》
2016.04.13 05:51 Wed
▽チャンピオンズリーグ(CL)準々決勝2ndレグ、マンチェスター・シティvsパリ・サンジェルマン(PSG)が12日にエティハド・スタジアムで開催され、シティが1-0で勝利した。この結果、2戦合計スコアを3-2としたシティがベスト4進出を決めた。
▽先週にPSGホームで行われた1stレグは、互いにミスが出た中で2-2のドローに終わった。敵地からアウェイゴール2点を持ち帰ったシティは、数人の主力を温存した直近のWBA戦でもきっちり勝利し、良い形で運命の2ndレグを迎えた。この一戦に向けてペジェグリーニ監督は、1stレグと同じ11人を起用。キャプテンのコンパニは間に合わなかったものの、1stレグを欠場したヤヤ・トゥーレがベンチ入りした。
▽一方、イブラヒモビッチのPK失敗などが響いてホームで勝利を逃したPSGは、すでに国内リーグで4連覇を達成しているため、敵地での逆転突破に向けて万全の準備で臨んだ。累積警告で出場停止のダビド・ルイスとマテュイディを欠くPSGのブラン監督は、この試合で[3-5-2]の新布陣を採用。最終ラインにはオーリエとチアゴ・シウバ、マルキーニョスが並び、エースのイブラヒモビッチとカバーニが2トップを組んだ。なお、負傷明けで出場の可能性が指摘されたパストーレとヴェッラッティは前者がベンチに入ったものの、後者はベンチ外となった。
▽カバーニとイブラヒモビッチの後方にディ・マリアを配置した[3-5-2]の布陣を採用したPSGに対して、開始数分はシティが押し込む展開となった。それでも、時間の経過と共に中盤での数的優位を生かしたPSGがボールを保持していった。16分にはボックス手前で得たFKをイブラヒモビッチが豪快な右足のシュートで狙うが、枠を捉えたシュートはGKハートが枠外に弾き出した。
▽前からボールを奪いに来ないシティに対して、圧倒的なボールポゼッションを誇るPSGだが、ボールこそ動くものの危険なエリアにパスが入らず、なかなかフィニッシュに持ち込むことができない。その後もセンターバックの持ち出しなど変化を付けていくが、集中したシティの守備に絡め取られた。
▽相手のミスに救われたPSGだが、ミスを引きずるオーリエが39分に再び不用意な横パスからピンチを招くも、ヘスス・ナバスのシュートはわずかに枠の右に外れた。しかし、リズムを掴めないアウェイチームは、前半終了間際にモッタがハムストリングを痛めてルーカス・モウラとの負傷交代を強いられた。この交代でPSGは、マルキーニョスをアンカーに上げて本来の[4-3-3]にシステムを戻した。
▽ゴールレスで迎えた後半、本来のシステムに戻したことで躍動感が戻ってきたPSGは、48分にボックス手前で得たFKをイブラヒモビッチが低い弾道の強烈なシュートで狙うが、これはGKハートが弾き出した。さらに54分にはカバーニとのパス交換で左サイドをえぐったマクスウェルの折り返しをファーサイドのルーカスがゴールネットに流し込むが、その前にオフサイドを取られてしまい、このゴールは認められず。
▽時間の経過と共に攻めあぐねが顕著となったPSGは、61分にここまで不安定なパフォーマンスに終始したオーリエを下げて負傷明けのパストーレを投入。この交代でマルキーニョスがセンターバックに下がり、パストーレは中盤に入った。65分にはルーカスの右CKをゴール前で競り勝ったチアゴ・シウバがピッチに叩きつけるヘディングでゴールに迫るも、ここもGKハートの好守に阻まれた。
▽幾度かピンチを招いたものの粘り強い戦いで試合をコントロールするシティは、76分に待望の先制点を奪う。CKの流れからボックス手前でフェルナンドからパスを受けたデ・ブライネが、右に持ち出して右足を振り抜くと、ゴール前の密集をすり抜けたボールがゴール右隅に突き刺さった。
▽これで追いつくには2点が必要となったPSGはすぐさま反撃を開始。79分にはルーカスのスルーパスに反応したカバーニがボックス左で左足のシュートを放つが、これは飛び出したGKハートのビッグセーブに阻まれる。さらに85分にはマクスウェルの左クロスをイブラヒモビッチがゴールに流し込むも、これはオフサイドの判定となった。
▽その後、殊勲のデ・ブライネに代えてヤヤ・トゥーレを投入したシティが、最後まで集中力を切らさず、1-0で勝利。2戦合計3-2としたシティが、PSGを撃破しクラブ史上初のベスト4進出を決めた。一方、ブラン監督の奇策実らず敗れたPSGは、またしても準々決勝の壁を越えられず、シーズン4冠の夢がここで潰えた。
▽先週にPSGホームで行われた1stレグは、互いにミスが出た中で2-2のドローに終わった。敵地からアウェイゴール2点を持ち帰ったシティは、数人の主力を温存した直近のWBA戦でもきっちり勝利し、良い形で運命の2ndレグを迎えた。この一戦に向けてペジェグリーニ監督は、1stレグと同じ11人を起用。キャプテンのコンパニは間に合わなかったものの、1stレグを欠場したヤヤ・トゥーレがベンチ入りした。
▽一方、イブラヒモビッチのPK失敗などが響いてホームで勝利を逃したPSGは、すでに国内リーグで4連覇を達成しているため、敵地での逆転突破に向けて万全の準備で臨んだ。累積警告で出場停止のダビド・ルイスとマテュイディを欠くPSGのブラン監督は、この試合で[3-5-2]の新布陣を採用。最終ラインにはオーリエとチアゴ・シウバ、マルキーニョスが並び、エースのイブラヒモビッチとカバーニが2トップを組んだ。なお、負傷明けで出場の可能性が指摘されたパストーレとヴェッラッティは前者がベンチに入ったものの、後者はベンチ外となった。
▽前からボールを奪いに来ないシティに対して、圧倒的なボールポゼッションを誇るPSGだが、ボールこそ動くものの危険なエリアにパスが入らず、なかなかフィニッシュに持ち込むことができない。その後もセンターバックの持ち出しなど変化を付けていくが、集中したシティの守備に絡め取られた。
▽予想外にボールを持たれたものの、集中した守備からカウンターを仕掛けるシティは、20分過ぎにアグエロが続けて惜しいシュートを放つと、29分に相手のミスから絶好の先制機が訪れる。最終ラインのオーリエが不用意に出したパスをカットし、この流れからアグエロがボックス内に進入すると、GKトラップに倒されてPK獲得。だが、アグエロはこのPKを枠の右に外し、絶好のチャンスを逸した。
▽相手のミスに救われたPSGだが、ミスを引きずるオーリエが39分に再び不用意な横パスからピンチを招くも、ヘスス・ナバスのシュートはわずかに枠の右に外れた。しかし、リズムを掴めないアウェイチームは、前半終了間際にモッタがハムストリングを痛めてルーカス・モウラとの負傷交代を強いられた。この交代でPSGは、マルキーニョスをアンカーに上げて本来の[4-3-3]にシステムを戻した。
▽ゴールレスで迎えた後半、本来のシステムに戻したことで躍動感が戻ってきたPSGは、48分にボックス手前で得たFKをイブラヒモビッチが低い弾道の強烈なシュートで狙うが、これはGKハートが弾き出した。さらに54分にはカバーニとのパス交換で左サイドをえぐったマクスウェルの折り返しをファーサイドのルーカスがゴールネットに流し込むが、その前にオフサイドを取られてしまい、このゴールは認められず。
▽時間の経過と共に攻めあぐねが顕著となったPSGは、61分にここまで不安定なパフォーマンスに終始したオーリエを下げて負傷明けのパストーレを投入。この交代でマルキーニョスがセンターバックに下がり、パストーレは中盤に入った。65分にはルーカスの右CKをゴール前で競り勝ったチアゴ・シウバがピッチに叩きつけるヘディングでゴールに迫るも、ここもGKハートの好守に阻まれた。
▽幾度かピンチを招いたものの粘り強い戦いで試合をコントロールするシティは、76分に待望の先制点を奪う。CKの流れからボックス手前でフェルナンドからパスを受けたデ・ブライネが、右に持ち出して右足を振り抜くと、ゴール前の密集をすり抜けたボールがゴール右隅に突き刺さった。
▽これで追いつくには2点が必要となったPSGはすぐさま反撃を開始。79分にはルーカスのスルーパスに反応したカバーニがボックス左で左足のシュートを放つが、これは飛び出したGKハートのビッグセーブに阻まれる。さらに85分にはマクスウェルの左クロスをイブラヒモビッチがゴールに流し込むも、これはオフサイドの判定となった。
▽その後、殊勲のデ・ブライネに代えてヤヤ・トゥーレを投入したシティが、最後まで集中力を切らさず、1-0で勝利。2戦合計3-2としたシティが、PSGを撃破しクラブ史上初のベスト4進出を決めた。一方、ブラン監督の奇策実らず敗れたPSGは、またしても準々決勝の壁を越えられず、シーズン4冠の夢がここで潰えた。
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