横浜FMvsローマはスペクタクルな打ち合いドロー! J1王者の底力にザニオーロが躍動《EUROJAPAN CUP》
2022.11.28 21:50 Mon
『EUROJAPAN CUP 2022』の横浜F・マリノスvsASローマが28日に国立競技場で行われ、3-3のドローに終わった。
3年ぶりの開催となる『EUROJAPAN CUP』。今大会ではイタリア屈指の名門で、昨シーズンのUEFAヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)の初代王者であるローマを迎え、名古屋グランパスと横浜FMというJリーグ勢と対戦。
25日に行われた名古屋戦を0-0のドローで終えたローマは、中2日での2戦目に向けて先発1人を変更。GKにスヴィラール、3バックにクンブラ、スモーリング、イバニェス。チェリクとミッソーリの両ウイングバックに、中央はマティッチ、マディ・カマラ、タヒロビッチ。2トップにエル・シャーラウィとエイブラハムが並んだ。
一方、J1王者の横浜FMは今季のラストゲームでジャッロロッシ撃破を狙った。注目のスタメンはGKに高丘陽平、4バックは右から小池龍太、岩田智輝、エドゥアルド、永戸勝也。中盤は渡辺皓太、喜田拓也の2セントラルMFに、2列目は右から水沼宏太、西村拓真、ヤン・マテウス、最前線にレオ・セアラが入った。なお、ケヴィン・マスカット監督の新型コロナ陽性に伴い、ヘッドコーチのショーン・オントン氏が暫定指揮官を務めた。
互いに勢いを持って試合に入った中、J1王者がいきなり惜しい場面を創出。開始直後にヤン・マテウスの高い位置でのボール奪取から入れた正確なクロスに水沼が抜け出すが、GKスヴィラールの勇敢な飛び出しに遭う。さらに、直後には中盤で潰したエドゥアルドがそのまま持ち上がって豪快な左足のミドルシュートを狙う。
早い時間帯の失点となったローマはすぐさま反撃を開始。11分には得意のカウンターからチェリクの右クロスをゴール前のエイブラハムが右足で合わせるが、ここはオフサイドの判定。
以降はローマがボール保持率を高めて試合の主導権を握るが、岩田とエドゥアルドのセンターバックコンビを中心に横浜FMがソリッドな守備で応対。また、カウンターからレオ・セアラが幾度か追加点に迫る。
前半半ば以降も拮抗した展開が続くが、横浜FMの連動した守備に手を焼くローマ。なかなかフィニッシュまで持ち込めない攻撃の停滞に加え、主審の再三の微妙なジャッジにフラストレーションを募らせる。また、30分過ぎにはタヒロビッチが筋肉系のトラブルかプレー続行不可能となり、32分にボーヴェがスクランブル投入された。
前半終盤にかけてはエル・シャーラウィ、チェリクの右サイドを起点に惜しい場面を作り出すも、最後のところで攻撃の精度、厚みを欠くローマ。これに対してJ1王者らしい普段通りの戦いを貫く横浜FMは前半終了間際に2点目を奪取。45分、相手陣内左サイドでのボール奪取からショートカウンターに転じて西村がボックス手前左からミドルシュートを放つと、左ポストを叩いたボールがGKスヴィラールの背中に当たってゴールに吸い込まれ、オウンゴールでの追加点となった。
迎えた後半、2点のビハインドを追うローマは3枚替えを敢行。マティッチとミッソーリ、エイブラハムを下げてヴォルパート、ショムロドフ、ザニオーロを投入。並びを[4-3-3]の形に変更した。
対する横浜FMは渡辺、レオ・セアラ、ヤン・マテウスを下げて藤田譲瑠チマ、アンデルソン・ロペスに加え、来季のFC東京移籍が発表された仲川輝人が投入された。
このままでは終われないイタリアの名門はジャパンツアー初出場のザニオーロが存在感を発揮。開始直後にボックス右から左足のシュートでゴールに迫ると、51分には持ち味の強さとスピードを兼ね備えたドリブル突破で中央をこじ開けると、ショムロドフがGKと一対一のビッグチャンスを迎えるが、ここはGK高丘がビッグセーブ。
一方、横浜FMでは最後のトリコロールのユニフォームでゴールを目指す仲川が積極果敢な飛び出しでゴールへの意欲を示し、スタンドを沸かせる。その後はややオープンな展開が続くと、62分には左サイドで見事な推進力を見せたショムロドフが完璧な折り返しを供給。これをザニオーロが得意の左足で狙うが、GK高丘が見事な反応で阻止する。
後半もソリッドなパフォーマンスを続ける横浜FMは63分に4枚替えを敢行。殊勲のエドゥアルドや喜田を下げて角田涼太朗、山根陸らをピッチに送り出す。これで少し試合の流れに変化が生まれると、ローマの22番が魅せる。69分、自陣での繋ぎから右サイドで縦に運んだヴォルパートから背後を狙うザニオーロにスルーパスが通る。そのままボックス右に持ち込んだイタリア代表MFは一瞬の動きでDFを外してニアサイドに左足のシュートを突き刺した。
これで一気にローマペースかに思われたが、横浜FMが鮮やかな崩しからすぐさま2点差に戻す。72分、中央左での仲川の仕掛けから西村、水沼と右サイドへ展開。マイナスの落としにボックス右角で反応した松原が見事な右足のダイレクトシュートをゴール左上隅に突き刺した。
これで厳しくなったローマだが、試合終盤にかけて強豪の底力を見せる。84分、GK高丘から中盤への縦パスをカットしたイバニェスがそのままボックス内に鮮やかなドリブルで侵入し、冷静に右足のシュートを右隅へ突き刺す。
さらに、行ったり来たりの状況が続く試合最終盤の93分にはボックス右に侵入したチェリクからのマイナスの折り返しをヴォルパートが左足でシュート。このこぼれ球にファーで反応したショムロドフが泥臭く押し込んで土壇場での同点ゴールとした。
なおも攻撃の手を緩めないローマは試合終了間際にもゴール前でザニオーロにドッピエッタのチャンスが訪れたが、左足のシュートをふかしてしまい、逆転ゴールとはならず。
そして、試合はこのままタイムアップを迎え、J1王者の地力、セリエA名門の底力が存分に発揮された白熱の一戦はスペクタクルな3-3のドロー決着となった。
横浜F・マリノス 3-3 ASローマ
【横浜FM】
エドゥアルド(前9)
オウンゴール(前45)
松原健(後27)
【ローマ】
ザニオーロ(後24)
イバニェス(後39)
ショムロドフ(後48)
3年ぶりの開催となる『EUROJAPAN CUP』。今大会ではイタリア屈指の名門で、昨シーズンのUEFAヨーロッパ・カンファレンスリーグ(ECL)の初代王者であるローマを迎え、名古屋グランパスと横浜FMというJリーグ勢と対戦。
25日に行われた名古屋戦を0-0のドローで終えたローマは、中2日での2戦目に向けて先発1人を変更。GKにスヴィラール、3バックにクンブラ、スモーリング、イバニェス。チェリクとミッソーリの両ウイングバックに、中央はマティッチ、マディ・カマラ、タヒロビッチ。2トップにエル・シャーラウィとエイブラハムが並んだ。
互いに勢いを持って試合に入った中、J1王者がいきなり惜しい場面を創出。開始直後にヤン・マテウスの高い位置でのボール奪取から入れた正確なクロスに水沼が抜け出すが、GKスヴィラールの勇敢な飛び出しに遭う。さらに、直後には中盤で潰したエドゥアルドがそのまま持ち上がって豪快な左足のミドルシュートを狙う。
以降はローマがマティッチを起点に押し返し始めるが、これを凌いだ横浜FMが先手を奪う。9分、左CKのショートコーナーから永戸が正確なクロスを入れると、ニアに走り込んだエドゥアルドのヘディングシュートがGKの股間を抜けてゴールネットを揺らした。
早い時間帯の失点となったローマはすぐさま反撃を開始。11分には得意のカウンターからチェリクの右クロスをゴール前のエイブラハムが右足で合わせるが、ここはオフサイドの判定。
以降はローマがボール保持率を高めて試合の主導権を握るが、岩田とエドゥアルドのセンターバックコンビを中心に横浜FMがソリッドな守備で応対。また、カウンターからレオ・セアラが幾度か追加点に迫る。
前半半ば以降も拮抗した展開が続くが、横浜FMの連動した守備に手を焼くローマ。なかなかフィニッシュまで持ち込めない攻撃の停滞に加え、主審の再三の微妙なジャッジにフラストレーションを募らせる。また、30分過ぎにはタヒロビッチが筋肉系のトラブルかプレー続行不可能となり、32分にボーヴェがスクランブル投入された。
前半終盤にかけてはエル・シャーラウィ、チェリクの右サイドを起点に惜しい場面を作り出すも、最後のところで攻撃の精度、厚みを欠くローマ。これに対してJ1王者らしい普段通りの戦いを貫く横浜FMは前半終了間際に2点目を奪取。45分、相手陣内左サイドでのボール奪取からショートカウンターに転じて西村がボックス手前左からミドルシュートを放つと、左ポストを叩いたボールがGKスヴィラールの背中に当たってゴールに吸い込まれ、オウンゴールでの追加点となった。
迎えた後半、2点のビハインドを追うローマは3枚替えを敢行。マティッチとミッソーリ、エイブラハムを下げてヴォルパート、ショムロドフ、ザニオーロを投入。並びを[4-3-3]の形に変更した。
対する横浜FMは渡辺、レオ・セアラ、ヤン・マテウスを下げて藤田譲瑠チマ、アンデルソン・ロペスに加え、来季のFC東京移籍が発表された仲川輝人が投入された。
このままでは終われないイタリアの名門はジャパンツアー初出場のザニオーロが存在感を発揮。開始直後にボックス右から左足のシュートでゴールに迫ると、51分には持ち味の強さとスピードを兼ね備えたドリブル突破で中央をこじ開けると、ショムロドフがGKと一対一のビッグチャンスを迎えるが、ここはGK高丘がビッグセーブ。
一方、横浜FMでは最後のトリコロールのユニフォームでゴールを目指す仲川が積極果敢な飛び出しでゴールへの意欲を示し、スタンドを沸かせる。その後はややオープンな展開が続くと、62分には左サイドで見事な推進力を見せたショムロドフが完璧な折り返しを供給。これをザニオーロが得意の左足で狙うが、GK高丘が見事な反応で阻止する。
後半もソリッドなパフォーマンスを続ける横浜FMは63分に4枚替えを敢行。殊勲のエドゥアルドや喜田を下げて角田涼太朗、山根陸らをピッチに送り出す。これで少し試合の流れに変化が生まれると、ローマの22番が魅せる。69分、自陣での繋ぎから右サイドで縦に運んだヴォルパートから背後を狙うザニオーロにスルーパスが通る。そのままボックス右に持ち込んだイタリア代表MFは一瞬の動きでDFを外してニアサイドに左足のシュートを突き刺した。
これで一気にローマペースかに思われたが、横浜FMが鮮やかな崩しからすぐさま2点差に戻す。72分、中央左での仲川の仕掛けから西村、水沼と右サイドへ展開。マイナスの落としにボックス右角で反応した松原が見事な右足のダイレクトシュートをゴール左上隅に突き刺した。
これで厳しくなったローマだが、試合終盤にかけて強豪の底力を見せる。84分、GK高丘から中盤への縦パスをカットしたイバニェスがそのままボックス内に鮮やかなドリブルで侵入し、冷静に右足のシュートを右隅へ突き刺す。
さらに、行ったり来たりの状況が続く試合最終盤の93分にはボックス右に侵入したチェリクからのマイナスの折り返しをヴォルパートが左足でシュート。このこぼれ球にファーで反応したショムロドフが泥臭く押し込んで土壇場での同点ゴールとした。
なおも攻撃の手を緩めないローマは試合終了間際にもゴール前でザニオーロにドッピエッタのチャンスが訪れたが、左足のシュートをふかしてしまい、逆転ゴールとはならず。
そして、試合はこのままタイムアップを迎え、J1王者の地力、セリエA名門の底力が存分に発揮された白熱の一戦はスペクタクルな3-3のドロー決着となった。
横浜F・マリノス 3-3 ASローマ
【横浜FM】
エドゥアルド(前9)
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