ミラン、来冬もツィエク獲得に本腰? 今夏はクラブ間交渉まとめられず
2022.11.18 16:10 Fri
ミランは、チェルシーのモロッコ代表MFハキム・ツィエク(29)獲得を諦めていなかったようだ。カタールW杯にモロッコ代表として参戦するツィエク。ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督との確執により長らく代表から遠ざかるも、同監督の解任後に復帰し、17日に行われたW杯前最後の強化試合であるジョージア代表戦では、自陣から圧巻のロングシュートを叩き込んだ。
そんななか、イタリア『カルチョメルカート』は、ツィエクのミラン移籍の可能性は残ったままと主張。ミランは今夏に1年レンタルを軸としてツィエク獲得を目指すも、クラブ間交渉をまとめられず。それでも、モロッコ随一のスター獲得への情熱は今も失われていないという。
スポーツ・ディレクター(SD)のパオロ・マルディーニ氏らはツィエク獲得に来冬も本腰。ツィエク本人もカタールW杯で活躍し、チェルシーからの退団につなげたい考えで、行き先の本命はミランと考えられている。
そんななか、イタリア『カルチョメルカート』は、ツィエクのミラン移籍の可能性は残ったままと主張。ミランは今夏に1年レンタルを軸としてツィエク獲得を目指すも、クラブ間交渉をまとめられず。それでも、モロッコ随一のスター獲得への情熱は今も失われていないという。
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森保監督続投で歴代最長監督はというと…/六川亨の日本サッカーの歩み
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マルセイユがモロッコ代表MFウナイ獲得を発表! カタールW杯の主役の一人が仏屈指の名門へ
マルセイユは29日、アンジェからモロッコ代表MFアゼディン・ウナイ(22)を完全移籍で獲得したことを発表した。背番号は「8」に決定。契約期間は2027年6月30日までの4年半となる。 なお、フランス『レキップ』によると、マルセイユは移籍金800万ユーロ+アドオン200万ユーロの総額1000万ユーロ(約14億1000万円)に加え、将来のリセール時の移籍金の一部を支払うことになる模様だ。 モロッコ生まれで、フランスのストラスブール、アヴランシェのリザーブチームを経て、2020年にアヴランシェに加入したウナイ。その翌年にアンジェに完全移籍し、リーグ・アンデビューを飾ると、ここまでリーグ戦48試合に出場し、2ゴール2アシストを記録している。 そのアンジェでの活躍が評価され、昨年1月にヴァイッド・ハリルホジッチ前監督の下でモロッコのフル代表デビュー。そして、先のカタール・ワールドカップ(W杯)ではフィオレンティーナMFソフィアン・アムラバトと共に中盤の要として圧巻のパフォーマンスを披露し、アフリカ勢初のベスト4進出の立役者となった。 豊富な運動量と献身性を生かした堅実な守備に加え、繊細なボールタッチと独特のリズムで相手の逆を取る、巧みなドリブルとキープ力。182cmの痩身から繰り出す強烈なミドルシュートや正確なパスとプレーの引き出しが非常に多い、万能型MFだ。 <span class="paragraph-title">【動画】今冬の注目株がマルセイユに加入</span> <span data-other-div="movie"></span> <div id="cws_ad"><blockquote class="twitter-tweet"><p lang="fr" dir="ltr"> <a href="https://twitter.com/AzzedineOunahi?ref_src=twsrc%5Etfw">@AzzedineOunahi</a> <br><br>Le milieu offensif marocain a signé son contrat et est désormais ️<a href="https://twitter.com/hashtag/AzzedineEstOlympien?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#AzzedineEstOlympien</a> <a href="https://t.co/Pvjk7bmaqe">pic.twitter.com/Pvjk7bmaqe</a></p>— Olympique de Marseille (@OM_Officiel) <a href="https://twitter.com/OM_Officiel/status/1619709469973168129?ref_src=twsrc%5Etfw">January 29, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script></div> 2023.01.30 00:52 Mon4
【編集部コラム】サムライブルーの命運を託された男…G大阪時代から紐解く西野流
▽ロシア・ワールドカップ(W杯)開幕が2カ月後に迫る中、日本サッカー界に激震が走った。日本サッカー協会(JFA)は9日、ヴァイッド・ハリルホジッチ日本代表監督を解任。JFA技術委員長としてチームをサポートしていくはずだった西野朗氏にロシアW杯での日本代表の命運を託した。 ▽「本来であれば、日本代表の監督をはじめ、スタッフをサポートしていく立場」と、西野氏が12日の監督就任会見で胸中を明かしたとおり、まさに“青天の霹靂”。2016年3月のJFA技術委員長就任当時から抱く覚悟、あるいは未来図をも崩壊させる予想外の展開だったに違いない。 <span style="font-weight:700;">◆ハイライトはG大阪時代</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180413_25_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽では、“西野朗という男”とは何者か。その西野氏の日本代表監督電撃就任を一斉に取り上げた各メディアの人物紹介は、1996年にアトランタ・オリンピックの世代別日本代表監督として、ブラジル代表を下した“マイアミの奇跡”が主。だが、西野氏の指導者としての歩みを語るのであれば、ガンバ大阪時代は欠かせない。 <span style="font-weight:700;">◆西野流のチーム作り</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180413_25_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽現役時代を過ごした日立製作所の前身である柏レイソルで指導者キャリアをスタートさせた西野氏は、2002年からG大阪を指揮。G大阪に“打ち合いの精神”を宿した先駆者として知られ、「2点取られたら3点、3点取られたら4点取れば良い」の口癖的な誓いは、G大阪サポーターにとって今もなお語り草だ。 ▽バルセロナのレジェンドである元オランダ代表のヨハン・クライフ氏の崇拝者としても知られる西野氏の根底は、もちろん超攻撃的なサッカーだ。だが、殴り合い上等のロマンチストな指揮官との先行しがちなイメージに加えて、現有戦力、あるいは選手個々の特性を生かしたリアリストな起用法も西野流。それこそがチーム作りの基盤となる。 <span style="font-weight:700;">◆柔軟性が導き出したスタイル</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180413_25_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽当時のG大阪は、才能に溢れた若い原石の巣窟。MF遠藤保仁やDF山口智の移籍組やDFシジクレイやMFフェルナンジーニョ、FWアラウージョ、FWマグノ・アウベスといった有力助っ人を軸に、DF宮本恒靖やMF橋本英郎、MF二川孝広、FW大黒将志といった生え抜きの有望株を多用しつつ、当時の戦力に最適な戦い方を探った。 ▽結果、行き着いた先がポゼッションとパス&ムーブを織り交ぜた攻撃サッカーだ。ただ、西野氏はそういった類の戦い方に固執した指導者では決してない。2002年にFWマグロンを軸にリアクションサッカーを展開した事実が示すように、現有戦力の個性を見極めた上で、最も適した戦い方を用いる柔軟性も併せ持つ指導者だ。 <span style="font-weight:700;">◆G大阪に黄金期をもたらす</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180413_25_tw4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽G大阪時代の功績に目を向ければ、創世記からタイトルと無縁だったチームに数々の栄冠をもたらせた。J1リーグ初制覇時の2005年は、西野サッカーが数字として表れたシーズンだった。リーグワースト3位の58失点を喫した守備面に対して、攻撃面はリーグトップの82得点。Jリーグに新たな風を吹き込んだという意味でもセンセーショナルだった。 ▽2005年を境に、西野ガンバは黄金期に突入した。柏時代の教え子であるMF明神智和、DF加地亮といった一線級の主力を加えた一方で、大黒とアラウージョを失った2006年以降は、3バックから4バックにシフトするなど、攻撃に振り切った針をやや守備寄りに。すると、2007年にJリーグカップ初制覇、2008年から天皇杯連覇を成し遂げた。 <span style="font-weight:700;">◆ユナイテッド戦で体現した西野流の真髄</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180413_25_tw5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽そして2008年、西野ガンバはAFCチャンピオンズリーグをクラブ史上初制覇。同年末に自国で行われるクラブ・ワールドカップの出場権を手にした。その準決勝で対戦したのが、アレックス・ファーガソン元監督が率い、ポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(現レアル・マドリー)ら名前を挙げればきりがないほどスター選手を擁するマンチェスター・ユナイテッドだった。 ▽当時、欧州最強のアタッカー陣を擁したユナイテッドとの一戦。結果として真っ向勝負を挑み、3-5で打ち負けたが、西野氏はチームとして結果を求め過ぎるが故に選手個々の能力を抑え込むことを嫌う。先の就任会見で「個人のプレーに制限をかけたくない」と語った言葉が“選手ファースト”という西野流の真髄を示しているように思えてならない。 <span style="font-weight:700;">◆Jリーグ最多勝利監督の手腕はいかに</span><div style="text-align:center;"><img src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/get20180413_25_tw6.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div>▽その西野氏は、会見で「攻撃的な思考を求めたゲーム展開に当然したい」とも語った。さらに、「最高の化学反応をもたらせる選手選考」のフレーズも飛ばしている。だが、初タイトルまで4年間を要したG大阪時代ほど猶予はない。“化学反応”のワードを何度か口にした西野氏だが、わずか2カ月の準備期間で2年ほど離れた指導者としての勘をどう取り戻し、どう代表を立て直していくのか。重責を承った今、Jリーグ最多勝利監督の手腕を信じたい。 《超ワールドサッカー編集部・玉田裕太》 2018.04.13 19:00 Fri5
「伝説のカウンター」あれから丸3年…日本が世界の力を感じたベルギーのスペシャルなカウンターが再脚光
2018年7月2日。3年前の出来事を覚えているだろうか。 FIFAのワールドカップ公式ツイッターが1本の動画を共有。それは、ロシア・ワールドカップ ラウンド16のベルギー代表vs日本代表のあのゴールだった。 大会直前にヴァイッド・ハリルホジッチ監督を解任した日本代表は、西野朗監督が急遽率いてロシアW杯に臨んだ。 グループHに入った日本は、初戦でコロンビア代表相手に香川真司と大迫勇也のゴールで1-2と勝利。2戦目のセネガル代表戦は2度相手にリードされる展開となったが、乾貴士と本田圭佑のゴールで2-2の引き分けに終わった。 そして迎えた第3節。ポーランド代表と対戦した日本は、0-1でリードされる展開に。しかし、フェアプレーポイントでの勝ち抜けを考え、ビハインドながら攻め込まない展開を見せると、そのまま試合終了。狙い通り、フェアプレーポイントでの勝ち上がりを決めた。 そして迎えたラウンド16。相手は優勝候補にも挙げられていたベルギーだった。 そのベルギー相手に前半を0-0で終えた日本は、48分に原口元気のゴールで先制。さらに52分には乾貴士のゴールでリードを0-2と広げる。 まさかの展開に多くの日本人は胸が踊っていた一方で、負けるわけにいかないベルギーは選手交代で手を打つことに。すると69分にヤン・ヴェルドンゲン、74分にマルアン・フェライニと空中戦を使われて同点に追いつく。 日本も粘りを見せて攻め込む中、誰もが延長戦にもつれ込むと思った後半アディショナルタイム4分に悲劇が待っていた。 日本は攻め込むと左CKを獲得。これを本田がゴール前にクロス。しかし、これはGKティボー・クルトワがキャッチする。すると、すぐさま周囲を見たクルトワはアンダースローでボールを前へ。これをケビン・デ・ブライネが受けてドリブルを開始。ベルギー全体がカウンターの形に入ると、そのまま相手陣内まで持ち上がって右サイドへスルーパス。これを右サイドを上がっていたトーマス・ムニエが受けると、ダイレクトでグラウンダーのクロス。中央のロメル・ルカクがスルーすると、走り込んだナセル・シャドゥリが押し込み、ベルギーが奇跡の逆転を果たした。 日本人にとっては当然ながら、世界中のサッカーファンにとっても忘られない一戦となったこの試合。公開されると「最高の試合だった」 「伝説のカウンターアタック」とベルギーの綺麗なカウンターに称賛の声が。一方で「これはスイスvsフランスか?」という声もあり、先日のユーロ2020のラウンド16になぞらえる人も出てきた。 この勝利、実はW杯では偉業の1つであり、ノックアウトステージで2点差を逆転して勝ち上がったのは48年ぶりだった。 なお、劇的勝利からちょうど3年が経った2021年7月2日、日本に勝利したベルギーはユーロ2020ベスト4をかけてイタリア代表との準々決勝に臨む。 <span class="paragraph-title">【動画】日本をどん底に落としたベルギーのスペシャルなカウンターアタック</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr"> 48 years had passed since a team recovered a two-goal deficit and won a knockout-phase <a href="https://twitter.com/hashtag/WorldCup?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#WorldCup</a> game until a Belgian miracle <a href="https://twitter.com/hashtag/OnThisDay?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#OnThisDay</a> in 2018<br><br>Nacer Chadli completed a sensational counter-attack to rewrite history <a href="https://twitter.com/NChadli?ref_src=twsrc%5Etfw">@NChadli</a> | <a href="https://twitter.com/BelRedDevils?ref_src=twsrc%5Etfw">@BelRedDevils</a><a href="https://t.co/tzvoWhVbp7">pic.twitter.com/tzvoWhVbp7</a></p>— FIFA World Cup (@FIFAWorldCup) <a href="https://twitter.com/FIFAWorldCup/status/1410860793071996930?ref_src=twsrc%5Etfw">July 2, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJQckpzNmlUeCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.07.02 22:55 Friミランの人気記事ランキング
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ミランのレジェンド、パオロ・マルディーニ氏の長男が現役引退を決断したようだ。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 ミランのクラブ史における最大のバンディエラと言っても過言ではないマルディーニ氏。クラブキャリア全てをミランに捧げ、史上最高の左サイドバックとも称された男は、今夏まで古巣でテクニカル・ディレクター(SD)を務めていた。 そんなマルディーニ氏には2人の息子がおり、どちらも父に続いてサッカー選手に。次男はミランからエンポリへ武者修行中の元U-20イタリア代表FWダニエル・マルディーニで、長男が現在無所属のDFクリスティアン・マルディーニ(27)だ。 まだ21歳の次男ダニエルが偉大な父に追いつけ追い越せと言わんばかりに逞しくセリエAで奮闘する一方、長男クリスティアンはミランの下部組織を退団後、セリエCやセリエDでのキャリアが中心となり、一時はマルタでのプレーも経験した。 現在に至るまでセリエAへのステップアップが叶っていないなか、昨シーズンはセリエCのレッコに所属も1年で契約が切れて現在は無所属。イタリア『ガゼッタ・デッロ・スポルト』によると、クリスティアンは現役引退を決断したという。 セカンドキャリアは代理人業。イタリアの著名なエージェントであり、イタリア代表のMFサンドロ・トナーリ(ニューカッスル)やMFダビデ・フラッテージ(インテル)、MFブライアン・クリスタンテ(ローマ)、また弟ダニエルなども顧客に持つジュゼッペ・リソ氏の下で働き始めるとのことだ。 祖父のチェーザレ・マルディーニ氏、そして父であるパオロ・マルディーニ氏...先代2人のように偉大なキャリアを築けなかったクリスティアン・マルディーニだが、いつの日かカルチョに大きな影響力を持つ大物代理人となる日が来るかもしれない。 2023.09.13 15:01 Wed3
シティとミランが対戦、遺恨を残したペップから声をかけられたイブラヒモビッチは...
ズラタン・イブラヒモビッチ氏が、ジョゼップ・グアルディオラ監督に対して気まずそうな態度をとった。ドイツ『ビルト』が伝える。 イブラヒモビッチとペップ・グアルディオラ。 両者は2009-10シーズン、バルセロナのトップチームで共闘することになり、当時インテルからサミュエル・エトー氏との実質トレードで加入したイブラ氏は、ペップ・バルサ2年目の最前線でスタメン起用され始めた。 しかし、序盤戦のゴール量産から次第にコンディションを落とし、グアルディオラ監督はイブラ氏のベンチスタートを増やすことに。 結局、加入から1年でミランにレンタル放出され、さらにその1年後に完全移籍移行。 現在に至る「ミランの王・イブラヒモビッチ」が生まれることとなったが、イブラ氏はグアルディオラ監督に対する恨み辛みを、のちに余すことなく、何度も口にしている。 「グアルディオラは幼稚なコーチ…話しかけられることなどないし、見ようともしない…俺を見るなり逃げ失せるような男だ…」 時は流れて2024年夏、7月28日。 イブラ氏がシニアアドバイザーを務めるミランと、グアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティが、米国でのプレシーズンマッチにて対戦。ミランが3-2と勝利した。 グアルディオラ監督から立ち寄る形で試合前に顔を合わせた両者。イブラ氏が作った笑顔はどう見てもよそよそしく、握手とハグもそこそこに、ペップの話しかけにも目線を合わせるのがしんどかったような印象が。 おそらくグアルディオラ監督のほうは、過去の確執をそこまで気にするタイプではないが、イブラ氏の「気まずい…」という表情は本当に印象的。 1年限りとなったバルセロナでの共闘から14年、イブラ氏は当時のグアルディオラ監督の年齢(38〜39歳)を超え、今や自身もチームを監督する側の立場。TVカメラも近づいてきたなか、大人の対応をした格好か。 <span class="paragraph-title">【動画】ペップに声をかけられ、この上なく気まずそうなイブラヒモビッチ</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="in" dir="ltr">Ibrahimovic tampak menghindari kontak mata dan Guardiola pun coba bersikap 'senormal' mungkin. Para fans sepakbola menilai, Zlatan Ibrahimovic tampak masih tidak menyukai Pep Guardiola <br><br>Ibrahimovic pernah terang-terangan menulis Guardiola sebagai pelatih yang tidak punya… <a href="https://t.co/skUHPxR4Wv">pic.twitter.com/skUHPxR4Wv</a></p>— detiksport (@detiksport) <a href="https://twitter.com/detiksport/status/1819330955708190859?ref_src=twsrc%5Etfw">August 2, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.08.02 20:35 Fri4
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.5 “グランデ・ミラン”CL制覇、セリエA3連覇達成/ミラン[1993-94]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.5</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">1993-94シーズン/ミラン 〜グランデ・ミラン〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/1993-94milan.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ファビオ・カペッロ(47) 獲得タイトル:チャンピオンズリーグ、セリエA 攻撃力6:★★★★★★☆☆☆☆ 守備力10:★★★★★★★★★★ タレント8:★★★★★★★★☆☆ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層8:★★★★★★★★☆☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">CL制覇、セリエA3連覇達成</div> サッキが退任後、1991年にミランの監督に就任したカペッロは、バレージやマルディーニ、コスタクルタら守備能力の高いDFを生かしたソリッドなスタイルで、1年目からセリエA初となる無敗優勝を達成。さらに翌年もセリエAを制し、CLの決勝にも進出したミランは、1993―94シーズンに3連覇の偉業を成し遂げた。このシーズンの得点数は、わずか36得点。優勝クラブとしては、過去類を見ない少なさだった。しかし、失点数はわずか15という特筆ものの数字だった。抜群の勝負強さを発揮する当時のミランは、“グランデ・ミラン”と称され、まさに黄金期を迎えていた。 1993-94シーズンのハイライトは、何といってもCL決勝だった。相手はクライフの下で、ミランと同じく黄金期を迎えていたバルセロナ。下馬評では、ロマーリオやストイチコフ、クーマンらを擁するバルセロナが圧倒的有利との見方が大勢を占めたが、フタを開けてみればミランが4-0で圧勝した。ミランは序盤から、お家芸となっていたハイプレスを敢行し、デサイーを中心に中盤で主導権を掌握。マッサーロの2ゴールでリードして試合を折り返すと、後半開始直後にはサビチェビッチの鮮やかなループシュートで加点した。そして、終盤にはデサイーにもゴールが生まれ、“ドリームチーム”を見事に粉砕してみせた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">鉄壁の守備陣</div> このシーズンのミランは、それまでチームを支えてきたオランダ・トリオが崩壊していた。ライカールトとフリットがクラブを去り、ファン・バステンも慢性的な負傷でコンディションが整わず。チームは転換期を迎えていた。そのなかでも、セリエAとCLを制覇できたのは、バレージとマルディーニ、コスタクルタ、タソッティというサッキ時代から不変のバックラインを擁していたからだ。パヌッチとガッリという優秀な選手もベンチに控えており、まさに隙のない守備陣だった。 守備に関して言えば、デサイーとアルベルティーニというセントラルMF2選手も効いていた。そして、前線にはテクニシャンのボバンとサビチェビッチが並んだ。チームはファン・バステンとフリットという得点源を補うようなストライカーが不在だったが、全体のバランスが良いチームだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FWデヤン・サビチェビッチ(28)</span> イタリア語で天才を意味する“ジェニオ”のニックネームを持つモンテネグロ人アタッカー。ミランに加入した1992―93シーズンは、ファン・バステンやフリットの高い壁に苦しんだが、カペッロ就任後はチームにとって欠かせない存在となった。とりわけ、1993-94シーズンのCL決勝の活躍は印象的。前半22分に右サイドのドリブル突破からマッサーロの先制弾をアシストすると、後半2分には巧みな仕掛けから見事なループシュートを決めて、タイトル獲得に大きく貢献した。一方、ユーゴスラビア代表(当時)としては、内戦などの影響で全盛期に国際舞台への出場が叶わず、晩年に1998年フランスW杯に出場するにとどまった。 2019.04.05 22:00 Fri5

