「正直言って、話が通じないレベル」給与未払いで退団発表のFW浅野拓磨、同じ東欧でプレーする元千葉DF浦田樹が内情に言及
2021.05.03 12:55 Mon
現在はクロアチア1部のNKヴァラジュディンでプレーしている日本人DF浦田樹(24)が、東欧のサッカー事情について見解を語った。
2日、パルチザン・ベオグラードからの退団を自身のブログで発表した日本代表FW浅野拓磨(26)。その理由には給与の未払いやクラブの不誠実な対応を挙げており、非常にショッキングな出来事となった。
一方で、クラブもこの件について声明を発表。浅野の退団を発表するとともに、契約違反だとして国際サッカー連盟(FIFA)に浅野を訴えると反論。泥沼の展開となっている。
この報道を受け、隣国のクロアチアでプレーする浦田がツイッターを更新。東欧のサッカー事情を明かし、自身も同じ被害に遭っていたことを明かした。
「僕もウクライナ時代に給料未払い、不当な契約解除などがあった。僕以外の外国人選手4人も同じ扱いだった。正直言って、話が通じないレベル」
「ウクライナのクラブ zorya luhanskと契約をしていた時の給料は現金手渡し。銀行口座を作らせてもらえなかった」
「契約解除金をもらう時も日本にいるのに直接、ウクライナに来いと。給料はドルの時もあれば、ユーロの時もある。どこからでてきているのか未知なお金。それが東欧」
浦田はジェフユナイテッド千葉の下部組織出身で、U-23日本代表も経験。その後にトップチーム昇格。ブラジルのPSTCやFC琉球、ギラヴァンツ北九州などでプレーした。
2019年3月にウクライナのゾリャ・ルハンシクに加入。2020年1月に退団し、2020年8月からクロアチアのNKヴァラジュディンでプレーしている。
2日、パルチザン・ベオグラードからの退団を自身のブログで発表した日本代表FW浅野拓磨(26)。その理由には給与の未払いやクラブの不誠実な対応を挙げており、非常にショッキングな出来事となった。
一方で、クラブもこの件について声明を発表。浅野の退団を発表するとともに、契約違反だとして国際サッカー連盟(FIFA)に浅野を訴えると反論。泥沼の展開となっている。
「僕もウクライナ時代に給料未払い、不当な契約解除などがあった。僕以外の外国人選手4人も同じ扱いだった。正直言って、話が通じないレベル」
「ヨーロッパリーグに出てるクラブでもこんな感じのことが当たり前に起こるのが東ヨーロッパ。裁判で対抗するにしてもリスクや大きな労力がかかる」
「ウクライナのクラブ zorya luhanskと契約をしていた時の給料は現金手渡し。銀行口座を作らせてもらえなかった」
「契約解除金をもらう時も日本にいるのに直接、ウクライナに来いと。給料はドルの時もあれば、ユーロの時もある。どこからでてきているのか未知なお金。それが東欧」
浦田はジェフユナイテッド千葉の下部組織出身で、U-23日本代表も経験。その後にトップチーム昇格。ブラジルのPSTCやFC琉球、ギラヴァンツ北九州などでプレーした。
2019年3月にウクライナのゾリャ・ルハンシクに加入。2020年1月に退団し、2020年8月からクロアチアのNKヴァラジュディンでプレーしている。
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代表復帰の浅野が先発したパルチザン、アスタナを下し初勝利!《EL》
ヨーロッパリーグ(EL)の第2節が3日に行われ、浅野琢磨所属のパルチザンはアスタナと対戦し、2-1で勝利した。 ここまで国内リーグでは7勝2分け無敗と絶好調なパルチザン。ELでは開幕節で菅原由勢擁するAZと対戦し、2-2のドローで終えた。 日本代表に復帰した浅野がAZ戦に続き先発出場したパルチザンは9分にサディクがチーム初シュートを放つ。その後もリズムよくシュートを重ねるていく中で29分、左CKの場面で一度跳ね返されたクロスをS・パブロビッチがボックスの外から狙うと、ディフレクトしたボールが図らずもゴール前にこぼれ、サディクが押し込んで先制に成功した。 28分にS・パブロビッチのシュートをアシストした浅野は、38分に初めてのシュートシーンを迎えるがクロスバーを大きく越えてしまう。また、味方の浮き球のパスからボックス左に侵入するも、相手のチェックに遭い好機を作れず、試合はパルチザンの1点リードで折り返した。 後半開始早々に、パルチザンはソウマーがボックス左でチャンスとなったが、左足のシュートは枠を捉えることが出来なかった。61分には、トシッチのクロスをサディクがゴールに押し込んだが、オフサイドの判定に。 それでも攻勢を続けるパルチザンは73分、ナトホのパスから再びサディクがゴールを決めてリードを広げた。その直後には、右CKからサディクがネットを揺らすが、ニアで味方が触っていたことで、ここでもオフサイドと判断された。 その後、79分に浅野はブレジャンチッチとの交代でお役御免。この日は見せ場を作ることは出来なかった。 85分にシグルヨンソンのミドルシュートで1点返されたパルチザンだったが、2-1で逃げ切りに成功。初勝利を手にした。 2019.10.04 02:00 Fri3
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パルチザン・ベオグラードに所属する日本代表FW浅野拓磨がゴールをマークした。 新型コロナウイルスのパンデミックが収まりつつある中、セルビアでも29日に無観客でリーグが再開。セルビアリーグでは16チームがホーム&アウェイの計30試合を戦った後、上位8チームと下位8チームに分けてプレーオフ・ラウンドを行う方式を取っているが、今回の事態を受けて、セルビアサッカー連盟(SFF)はリーグ戦のみの結果で優勝や降格を決めることを発表していた。 パルチザンは30日、セルビア・スーペルリーガ第27節でムラドストとホームで対戦。浅野は前半のみプレーした。 試合が動いたのは12分、味方の縦パスでボックス中央から侵入した浅野が相手DFを引きつけると、ヒールで絶妙なラストパスを供給。これを左から走り込んだマルコビッチが流し込んだ。 先制点で勢いづくパルチザンは、19分にもナトホのパスをボックス内で受けた浅野が飛び出したGKを冷静にかわしゴールネットを揺らした。その後、23分にムラドストに1点を返されたが、パルチザンがリードを保ち前半を終えた。 迎えた後半、パルチザンは浅野を下げてステファノビッチを投入。後半も主導権を握るパルチザンは、62分にサディクがPKを決めて3点目を奪うと、70分にもペナルティーアーク内まで切り込んだステファノビッチがゴールネットを揺らした。結局、試合は4-1で終了。浅野の1ゴール1アシストなどでパルチザンが再開初戦を勝利で飾った。 なお、首位のツルヴェナ・ズヴェズダが前日の試合で勝利したことにより、3試合を残して同クラブのリーグ3連覇が決定。2位のパルチザンは今後、3位以内に与えられる来季のヨーロッパリーグ予選出場権の確保が目標となる。 2020.05.31 05:30 Sun4
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