ジョアン・ラポルタ
Joan Laporta
|
|
| ポジション | |
| 国籍 |
スペイン
|
| 生年月日 | 1962年06月29日(63歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 |
ジョアン・ラポルタのニュース一覧
ジョアン・ラポルタの人気記事ランキング
1
バルサ元会長が告白、19歳メッシへのインテルからのオファーを拒否「312億円のオファーが来た」
かつてバルセロナの会長を務めたジョアン・ラポルタ氏が、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシへのオファーを断っていた過去を明かした。 ラポルタ氏は、2003年から2010年までバルセロナの会長を務めており、ロナジーニョを獲得するなどチームの黄金期を形成。2004-05、2005-06シーズンのラ・リーガ連覇を皮切りに、2005-06シーズンのチャンピオンズリーグ優勝など、チームを再建していた。 <div id="cws_ad">◆19歳のメッシが見せた衝撃の輝き<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiIyTEw5ZFFuaCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 2015年には会長選に再び出馬するも、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長の前に惨敗。しかし、バルトメウ会長が退任したことで、新会長になろうと立候補している。 そのラポルタ氏は、スペインのラジオ『オンダ・セロ』で過去の逸話を明かし、インテルから舞い込んできたメッシへのオファーを断っていたことを明かした。 「バルセロナを愛する人は、誰もメッシに疑いを持つことはない。私が会長になったら、彼と話をしたいと思う」 「2006年にインテルから2億5000万ユーロ(約312億円)のオファーが来たが拒否した。マッシモ・モラッティは、彼をクラブに連れて行きたかったのだ」 「クラブの大きな経済状況を回復させる計画がある」 「我々は世界を正すことはできるが、それをより良い場所にし、懸命な言葉と情熱、そして愛情で実現したいと思っている」 「人々に幸せをもたらせたい。これは選挙の公約ではない。倫理的、市民的、道徳的な公約だ」 2006年はメッシがファーストチームに正式昇格して2年目。昇格した2005-06シーズンはラ・リーガで17試合に出場し6ゴール2アシストを記録。2006-07シーズンはラ・リーガ26試合で14ゴール2アシストとブレイクの片鱗を見せたが、当時19歳でブレイクする前のメッシがここで売却されていたらどのようなキャリアを歩んでいただろうか。 2020.11.30 21:45 Mon2
ヤヤ・トゥーレが問題山積の古巣バルサへ救いの手「必要とするならば、いつでもクラブの力になる」
元コートジボワール代表MFヤヤ・トゥーレ氏(38)が、古巣の救済に名乗りを上げている。 現役時代はオリンピアコスやモナコと渡り歩き、2007年7月から2010年7月まで3シーズンをバルセロナで過ごしたヤヤ・トゥーレ氏。その後にプレーしたマンチェスター・シティでは、数々のタイトル獲得に貢献。その後、オリンピアコス、そして中国の青島黄海でプレーし、2020年1月に現役を引退した。 現在はロシアのアフマト・グロズヌイでアシスタントコーチを務め、UEFAのコーチングバッジを取得している。 そのヤヤ・トゥーレ氏が、苦境に立たされている古巣のバルセロナへと救いの手を出したいと逆オファーした。 今シーズンのバルセロナは、シーズン開幕前から問題が山積。大黒柱であったアルゼンチン代表FWリオネル・メッシとの契約を締結しようとした際、ラ・リーガのサラリー制限に引っかかったために破談。メッシ本人すらも予想していなかった退団という結末を迎えた。 その結果、クラブが把握していないほどの巨額の負債を抱えていることが発覚。今夏獲得した選手が選手登録できないという危機的状況に陥ると、今度はキャプテンのDFジェラール・ピケ、MFセルヒオ・ブスケッツ、MFセルジ・ロベルト、DFジョルディ・アルバの4名はサラリーの大幅カットを受け入れて難を凌いだ。 財政的な問題でチームがぐらつく中シーズンが始まると、今度はケガ人が相次ぎ、チームのパフォーマンスが上がらず。チャンピオンズリーグ(CL)ではクラブ史上初となる連敗スタートとなると、ロナルド・クーマン監督への風当たりが一気に強まり、解任騒動に。しかし、ジョアン・ラポルタ会長が続投を明言し、後押しすることを決めたが、その直後にアトレティコ・マドリーに完敗し、最悪の状態で中断期間に入っていた。 かつてない多くの面で問題だらけのバルセロナ。エクスキューズがあるとはいえ、らしくない状況にファンの不満は溜まるばかりの状況となっている。 そんな中、ヤヤ・トゥーレ氏は自身のツイッターを更新。古巣への想いを綴り、いつでも助けに行くと宣言した。 「FCバルセロナでの私の時間は、プレーキャリアの中での最高の思い出の1つだった」 「クラブは、私がまだ若い選手で、トップリーグでの地位を確立していない時に、私を信頼することを決定した。クラブが私のためにしてくれたことに、永遠に感謝します」 「クラブにとっては難しい時期かもしれないが、バルセロナに対する私の信念は強い。私の心のクラブ、人々、そしてファンと共に永遠にある。クラブがいつでも私を必要とするならば、いつでもクラブの力になる」 <span class="paragraph-title">【動画】バルセロナで光り輝いたヤヤ・トゥーレのプレー集!</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiI5RXFUQUNLaiIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.10.05 08:40 Tue3
「何らかの試合をすることになる」、インテル・マイアミ、バルサとのメッシトリビュートマッチ開催に前向き
インテル・マイアミのオーナーは、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシの功労を称えるバルセロナとのトリビュートマッチ開催に前向きな姿勢を示している。 ラ・マシア育ちでバルセロナ一筋のキャリアを歩んできたメッシ。しかし、クラブの深刻な財政問題の影響によって2021年8月にクラブを電撃退団。その後、パリ・サンジェルマン(PSG)での2シーズンを経て、現在はメジャーリーグ・サッカー(MLS)のインテル・マイアミでプレーしている。 そのメッシに関しては、クラブ事情での退団という経緯に加え、サポーターと公式な別れの場を設けることができなかったことから、以前からバルセロナでのトリビュートマッチ開催の可能性が取り沙汰されていた。 そういったなか、インテル・マイアミでマネジングオーナーを務めるホルヘ・マス氏はスペイン『マルカ』で、クラブとしてトリビュートマッチ開催に全面的に協力する旨を認めている。 「私は(メッシに)バルセロナでファンに別れを告げる機会を与えられるよう、今後数年間で可能な限りのあらゆることを行うと約束した」 「インテル・マイアミは(バルセロナに)行くか、そうでなければ何らかの試合をすることになるだろう。メッシのバルセロナ退団は彼の希望ではなかったし、子供のころに彼を歓迎してくれたクラブに別れを告げることもできなかったし、当時の状況はリオネルが望んでいたものではなかったと思う」 なお、バルセロナのジョアン・ラポルタ会長は以前、2025-26シーズンに予定されている改修されたスポティファイ・カンプ・ノウ・スタジアムの正式開場に合わせて、メッシのトリビュートマッチ開催を行うことが相応しいとの見通しを語っている。 2023.10.03 23:43 Tue4
ダニ・オルモがバルセロナ復帰を希望? 減俸受け入れてでも古巣でのプレーにこだわるか…
RBライプツィヒに所属するスペイン代表MFダニ・オルモ(23)がバルセロナへの復帰を希望しているようだ。スペイン『ムンド・デポルティボ』が報じている。 ジョアン・ラポルタ会長の下、かつてのラ・マシア中心のスカッド構築を目指すバルセロナは、今夏の移籍市場でマンチェスター・シティからスペイン代表DFエリック・ガルシアを呼び戻した。 さらに、クラブは今夏の移籍市場で以前から獲得に動いていたダニ・オルモの呼び戻しにも動いていたようだ。 『ムンド・デポルティボ』によると、バルセロナはクラブ間の交渉を前にダニ・オルモと接触。その際に復帰を希望する選手サイドからクラブ間での交渉が成立した場合、ライプツィヒの現行給与から大幅な減俸を受け入れてでも、復帰したいとの返答を得ていたようだ。 最終的に、深刻な財政難によって今夏の獲得を見送ったバルセロナだが、ダニ・オルモの意思がハッキリとしていることもあり、今冬、あるいは来夏の移籍市場において同選手を獲得リストの最上位に置く構えだ。 仮に、同選手の復帰が実現した場合、スペイン代表MFペドリとオランダ代表MFフレンキー・デ・ヨングという、次代のフットボール界を担う逸材MFとの共演が果たされることになる。 バルセロナのラ・マシア出身の万能型アタッカーであるオルモは、2014年にトップレベルでの出場機会を求めてクロアチア屈指の名門ディナモ・ザグレブに完全移籍。以降、順調に成長を遂げると、2020年1月にはライプツィヒへステップアップを果たした。 そのライプツィヒでは在籍1年半で本職の攻撃的MFだけでなく、ゼロトップや左右のウイングなど様々な形での起用法の中、公式戦61試合に出場し、12ゴール13アシストを記録。さらに、ここ最近ではスペイン代表においても存在感を高めている。 2021.09.05 08:00 Sun5

スペイン