スティーブン・ジェラード

Steven GERRARD
ポジション 監督
国籍 イングランド
生年月日 1980年05月30日(45歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

スティーブン・ジェラードのニュース一覧

元イングランド代表FWピーター・クラウチ氏が往年のゴールセレブレーションを披露した。 現役時代はリバプールやトッテナム・ホットスパーなどで活躍した2メートル超えFWのクラウチ氏。バーンリーとの契約を満了した後の2019年7月に現役引退を発表した。 そんなクラウチ氏は22日、リバプール・レジェンズvsチェルシ 2025.03.23 22:35 Sun
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かつてリバプールに所属していた元イングランド代表DFのポール・コンチェスキ氏が、批判にあふれていたリバプール時代を振り返った。イギリス『リバプール・エコー』が伝えている。 コンチェスキ氏は現役時代、チャールトン・アスレティックやウェストハムでプレーし、フルアムでは左サイドバックの主軸に定着。そこで指導を受けたロイ 2025.03.06 18:25 Thu
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今冬の移籍市場でフリートランスファーでコモに加入した元イングランド代表MFデレ・アリ(28)が、新天地デビューに近づいているようだ。 一時はレアル・マドリーを始め、国内外のメガクラブからの関心を集め、フランク・ランパードやスティーブン・ジェラードに続くイングランド屈指の攻撃的MFへの成長も期待されたデレ・アリ。 2025.03.02 12:15 Sun
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アル・イテファクを退任し現在フリーのスティーブン・ジェラード氏(44)に、古巣復帰の可能性があるようだ。 選手時代はリバプールのレジェンドとして絶大な人気を誇り、現役引退後は指導者の道を歩み始めたジェラード氏。レンジャーズではセルティックの9連覇を阻んでスコティッシュ・プレミアシップ優勝を成し遂げるなど評価を高め 2025.02.11 13:20 Tue
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南野拓実が所属するモナコが獲得に動いていたアヤックスの元イングランド代表MFジョーダン・ヘンダーソン(34)だが、破談に終わったようだ。オランダ『AD』が伝えた。 サンダーランド、コヴェントリー・シティ、リバプールでプレーしたヘンダーソン。リバプールではキャプテンも務めていたが、2023年7月にサウジ・プロ・リー 2025.02.01 12:50 Sat
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アル・イテファクのニュース一覧

アル・イテファクを退任し現在フリーのスティーブン・ジェラード氏(44)に、古巣復帰の可能性があるようだ。 選手時代はリバプールのレジェンドとして絶大な人気を誇り、現役引退後は指導者の道を歩み始めたジェラード氏。レンジャーズではセルティックの9連覇を阻んでスコティッシュ・プレミアシップ優勝を成し遂げるなど評価を高め 2025.02.11 13:20 Tue
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サウジアラビアのアル・イテファクは10日、フランス人FWムサ・デンベレが長期離脱となったことを発表した。 クラブの発表によれば、デンベレは9日に行われたサウジ・プロ・リーグ第19節のアル・アフドゥードゥ戦に先発出場したが、この試合でアキレス腱を断裂したとのことだ。 なお、デンベレは来週に同箇所の手術を受け、 2025.02.11 11:25 Tue
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サウジ・プロ・リーグのアル・イテファクは30日、スティーブン・ジェラード監督(44)との契約解除を発表した。双方合意の下での契約解除となる。 現役時代はリバプールのレジェンドとして活躍し、イングランド代表としても活躍したジェラード監督。引退後はリバプールの下部組織で指導者の道をスタートすると、レンジャーズ、アスト 2025.01.30 22:40 Thu
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元オランダ代表MFジョルジニオ・ワイナルドゥム(34)がモナコへ移籍か。 リバプール復権の一翼を担った偉大な功労者、ワイナルドゥム。現在はサウジアラビア1部のアル・イテファクに所属するなか、ユーロ2024のオランダ代表に選出されるなど、欧州第一線を離れても健在であることを証明している。 フランス『レキップ』 2025.01.24 18:55 Fri
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元イングランド代表MFのスティーブン・ジェラード氏(44)に初孫が誕生へ。 21世紀初頭のサッカー界を代表するスタープレーヤー、ジェラード氏。リバプールの主将としてチャンピオンズリーグ(CL)優勝を経験し、名刺がわりの右足キャノン砲でその名を轟かせた。 現在はサウジアラビアで監督業に従事するなか、長女のリリ 2025.01.06 22:30 Mon
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アル・イテファクについて詳しく見る>

スティーブン・ジェラードの人気記事ランキング

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デレ・アリが壮絶な半生語る…幼少期の性的虐待被害、麻薬取引、薬物依存症…

現在、キャリアのどん底に沈むエバートンの元イングランド代表MFデレ・アリ(27)が、これまでの壮絶な人生を包み隠さずに語った。イギリス『フットボール・ロンドン』が伝えている。 プロキャリアをスタートしたMKドンズでまばゆい輝きを放ち、ステップアップを遂げたトッテナムでは、マウリシオ・ポチェッティーノ率いる近年のクラブ全盛期をけん引したデレ・アリ。 一時はレアル・マドリーを始め、国内外のメガクラブからの関心を集め、フランク・ランパードやスティーブン・ジェラードに続くイングランド屈指の攻撃的MFへの成長も期待された。 だが、2018-19シーズン辺りから細かい負傷やパフォーマンスの低下に加え、以前から懸念された素行問題が目立つようになると、2022年1月には構想外のトッテナムを離れてエバートンへ完全移籍。しかし、その新天地でもかつての輝きを取り戻せず、昨シーズンはトルコのベシクタシュにレンタル移籍。しかし、再起を期して選択した自身初の国外移籍ではシーズン途中に構想外になる屈辱を味わい、依然としてどん底の状態を抜け出せずにいる。 そういった中、27歳MFはイギリス『スカイ・スポーツ』でコメンテーターを務めるガリー・ネビル氏の『The Overlap』のロングインタビューで、幼少期の性的虐待被害、麻薬取引、薬物依存症というセンセーショナルな内容を含め、これまでの壮絶な人生を包み隠さずに語った。 まず初めにデレ・アリは自身が先日までメンタルヘルスのためのリハビリ施設に通っていたことを明かした。 「今、何が起こっているのかを人々に話すにはおそらく今が適切な時期だと思う。正直、話すのは難しいよ。それはごく最近のことでもあるし、長い間隠してきたこともあるし、話すのが怖いからだ。だけど、僕はそれが最も正しいことだと考えている」 「トルコから帰国して、手術が必要であることが分かり、精神的にもひどい状態だったんだ。だから、メンタルヘルスのためにリハビリ施設に行くことにした。施設は依存症、メンタルヘルス、トラウマを扱っている。そして今が自分のための時間だと感じたんだ」 「そこに行くように言われるのは適切ではない。自分で理解し、決断しなければうまくいかないからね。僕は自分に害を及ぼすものに依存するという悪いサイクルに陥っていた」 「毎日、目が覚めて試合にに勝って、トレーニングに臨み、笑顔で幸せを感じていた。だけど、心の中では間違いなく戦いに負けていたんだ。それを変えるときが来た。僕はそこに6週間通った、エバートンはそれについて素晴らしいサポートをしてくれた」 さらに、ここ数年に渡って自身が睡眠薬中毒に陥っていたことを明かした。 「それは長い間続いていて、自分でも気づかないうちに、飲酒であろうと何であろうと、自分の感情を麻痺させるためにやっていたことだと思う。僕は睡眠薬中毒になったけど、おそらくそれは自分だけの問題ではないと考えている」 「フットボール界ではおそらく人々が思っている以上にこの問題が蔓延していると思っているよ。もしかしたら僕がカミングアウトしてそれについて話すことが助けになるかもしれない」 「ただ、誤解しないでほしい。僕らのスケジュールでは、睡眠薬がうまく働くこともある。時々、睡眠薬を服用するのは問題ないけど、僕と同じように壊れているとき、それは逆効果になる可能性がある」 「効果が出なくなるまでは正しく機能するけど、僕は間違いなくそれらを乱用しすぎた。僕は問題の根本、つまり自分が大人になったときに抱えていたトラウマに真剣に向き合ったことがなかったんだ」 「それがどれだけひどいことなのか理解できなかった。僕は一人ですべてに対処しようとした。養子縁組している家族も、悲しくなるんだけど、僕を泣きながら部屋に連れていって、僕が何を考えているのか、どう感じているのか、話してほしいと言うんだ。だけど、僕にはそれができなかった」 「ただ、自分だけで対処したかったんだ。僕は数年間自分を見失った。自分の命を救ってくれた家族がいるのに、僕はみんなを追い払い、誰の助けも受け入れなかった。泣きながら、何が間違っていたのか教えてほしいと懇願されたけど、僕は何も言わなかった」 「家族はそれらついて何度か聞いてきたけど、僕はそれらを服用したことがないと誓った、それが問題の一部だったんだ。僕は助けを望んでいなかったし、依存症ではないと自分に言い聞かせた。だけど、実際は間違いなく依存症であり、助けが必要だったんだ」 「チームがそれらを与えるのには理由がある。つまり寝るためだ。だけど、僕はそんな使い方はしなかった。一日中それを服用していたし、休みの場合は午前11時から時々服用していた。だけど、プレー中であれば決して服用しなかった。だけど、現実から逃げるために、早めに服用していた」 また、2016年に「アリの姓とは何の関係もない」とユニフォームの登録名を変更し、母親がアルコール依存症と闘うために養子に出されたことは広く知られるところだが、その幼少期に性的虐待の被害に遭っていたことを初めて告白した。 「これについてはあまり話したことはない。簡単に理解できるような事件がいくつかあったんだ。6歳のとき、よく家に来ていた母の友人から性的虐待を受けた。当時、母はアルコール依存症だった」 「それは6歳のときの出来事だった。その後、規律を学ぶためにアフリカに送られ、その後送り返された。7歳で喫煙を始め、8歳で麻薬の取引を始め、麻薬を売り始めた。たしか年上の人から、自転車に乗った子供は止められないと言われていたから、サッカーボールを持って走り回り、ドラッグを手に入れた」 「11歳、隣の家の男によって橋から吊り下げられた。12歳、僕は養子縁組され、素晴らしい家族に養子縁組されたんだ。彼らより良い人たちの養子になることを望むことはできないよ。もし神が人を創造したとしたら、それは彼らだった」 「一緒に暮らし始めたとき、彼らに心を開くのは難しかったよ。だけど、僕は彼らにとってできる限り最高の子供になろうと努力した。だけど、多くの人に同情すべきとは思われたくないんだ」 壮絶な自身の半生を包み隠さずに語ったデレ・アリだが、ネビル氏の最初の質問となった「大丈夫か?」との問いに対しては、「そう思うよ。確かによく聞かれる質問だけど、久しぶりに本気でそう言えるよ。フットボールに対する情熱が戻ってきたんだ」と、その表情を含めて少し吹っ切れた様子を見せた。 さらに、「自分がどれだけうまくなれるかを分かっているし、自分が正しいことを証明したい」と再起に向けて前向きな姿勢を示している。 2023.07.13 20:28 Thu
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アンフィールド凱旋のスアレスに大ブーイング、バルセロナ時代にゴールパフォーマンスを躊躇せず

アトレティコ・マドリーのウルグアイ代表FWルイス・スアレスが、古巣リバプールの本拠地アンフィールドにてブーイングで迎えられた。 スアレスは2011年1月にリバプールに加入すると、所属した3年半の間に公式戦133試合出場82ゴール47アシストを記録。チームのエースに君臨し、2013-14シーズンにはプレミアリーグ得点王と年間最優秀選手賞を獲得する働きを見せた。 2014年7月にバルセロナへ移籍したスアレスだが、それ以降もスティーブン・ジェラード(現レンジャーズ監督)の功績を称えたチャリティーマッチに参加するなど、リバプールと良い関係を築いている。 ただ、スアレスがバルセロナに在籍していた2019年のチャンピオンズリーグ(CL)でリバプール相手にゴールを決めた際には、祝うことを躊躇しなかったため、ややファンの反感を買っていた。 そして、3日に行われたCLグループB第4節でアトレティコがアンフィールドに乗り込むと、試合前の選手紹介の場面でスアレスの名前が呼ばれた瞬間に大きなブーイングが起こった。さらに、試合中にもスアレスがボールに触れるたびに少なくないブーイングの声が生まれていた。 この日のスアレスは、前半37分に退場したDFフェリペへの判定への抗議でイエローカードを貰うと、57分にはゴールネットを揺らすものの直前のプレーがオフサイドと判定され認められず。59分にはMFエクトル・エレーラとの交代でピッチを後にした。 良いところなしに終わったスアレスだが、試合終了時にはリバプール時代の同僚でもあるイングランド代表MFジョーダン・ヘンダーソンと抱擁をかわしながらピッチを後にする場面もあった。 <span class="paragraph-title">【動画】スアレスへの大ブーイング</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">A fair few boos as Luis Suarez&#39;s name is read out at Anfield <a href="https://twitter.com/hashtag/LFC?src=hash&amp;ref_src=twsrc%5Etfw">#LFC</a> <a href="https://t.co/wQF4uAb0lg">pic.twitter.com/wQF4uAb0lg</a></p>&mdash; Neil Jones (@neiljonesgoal) <a href="https://twitter.com/neiljonesgoal/status/1455983492215541766?ref_src=twsrc%5Etfw">November 3, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.11.04 19:05 Thu
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元祖“ワンダーボーイ”でリバプール唯一のバロンドーラー、マイケル・オーウェン

近年のサッカー界では、過去には考えられなかったほど若手の選手が活躍を見せ、それは世界各国のリーグで見て取れる。 例を挙げればキリがないが、ドルトムントで活躍するノルウェー代表FWアーリング・ハーランドは20歳。同僚には、17歳のイングランド代表MFジュード・ベリンガムや16歳のFWユスファ・ムココも居る。 スペインに目を移せば、バルセロナには18歳のU-21スペイン代表MFぺドリや18歳のスペイン代表FWアンス・ファティがおり、イングランドではマンチェスター・シティには20歳のイングランド代表MFフィル・フォーデンがいる。 若手が多く活躍できる状況も整っている現代サッカーだが、以前はやはり珍しい存在。まして10代にしてトップレベルで活躍できる選手などは数える程であり、一瞬の輝きで終わることも少なくなかった。 その中でも『元祖ワンダーボーイ』とも言われ、17歳でトップデビューを果たした逸材が、マイケル・オーウェンだ。 <span class="paragraph-title">◆鮮烈なデビューで世界の注目を集める</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_3_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 父親もサッカー選手だったオーウェンは、少年時代からリバプールの下部組織でプレー。1997年5月に17歳でファーストチームでデビューを果たした。 1997-98シーズンは本格的にファーストチームでプレーすると、18歳でなんと18ゴールを記録。プレミアリーグの得点王に輝き、勢いそのままにシーズン終了後に行われた1998年のフランス・ワールドカップにイングランド代表の一員として出場を果たした。 ワールドカップ前の1998年2月にイングランド代表としてデビューを果たしたオーウェンは、18歳と59日。当時のイングランド代表最年少デビューとなり、モロッコ代表との親善試合では初ゴールを記録。これはウェイン・ルーニーが2003年に更新するまで、イングランド代表の最年少ゴール記録だった。 当時のオーウェンは国民的な人気を誇り、特に持ち味であるスピード溢れるプレーは見るものを魅了した。そして迎えた1998年のフランスW杯。グレン・ホドル監督によって招集されると、第2戦でのルーマニア代表戦ではW杯初ゴールを記録する。 グループステージを勝ち抜いたイングランドは、決勝トーナメント1回戦でアルゼンチン代表と対戦。同僚であったデイビッド・ベッカムの報復行為による退場が多くの方の記憶にある試合だが、この試合でオーウェンは歴戦の名DFだったロベルト・アジャラとホセ・チャモを一気にかわしゴールを決めるなど活躍していた。ちなみにパスを出したのは、その後退場するベッカムだった。 <span class="paragraph-title">◆リバプールの選手として初の栄誉</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_2_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 鮮烈なデビューを見せたオーウェンには『ワンダーボーイ』と名がつけられ、W杯後の1998-99シーズンは23ゴールを記録。しかし、この頃にハムストリングを負傷すると、その後のキャリアでも長く付きまとうケガとなってしまった。 2000-01シーズンにはリバプールがFAカップ、リーグカップ、UEFAカップの“カップ・トレブル(三冠)”を達成。さらに、オーウェンはリバプールの選手として初めてバロンドールを受賞することとなった。なお、後にも先にも、オーウェン以外にはリバプールの選手としてバロンドールを受賞した者はいない。 爆発的なスピードを武器とし、シュートの技術も高かったオーウェンは、国際舞台でもくすぶり続けていたイングランド代表の救世主という期待もあったが、キャリアの転機が訪れてしまった。それがレアル・マドリーへの移籍だ。 リバプール時代は、デビューした1998-99シーズンから毎シーズン、クラブの最多得点者だったオーウェン。マドリーへ移籍すると13ゴールを記録したが、たった1シーズンでプレミアリーグへ舞い戻る事となった。 当時のマドリーは“銀河系軍団”と呼ばれており、イングランド代表の同僚であるベッカムも在籍。もちろん移籍の全てが失敗だったとは言えず、バルセロナ戦ではそのベッカムからの絶妙なアシストからオーウェンがゴールを決める、1998年のフランスW杯のアルゼンチン戦の再現にも見えた。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJOdnF3WXNhcSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 1年でマドリーを退団することとなったオーウェンには古巣のリバプールも復帰を願ったが、高額な移籍金に難色を示し、ニューカッスルに加入する。 すると、そこからはケガとの戦いが続く日々となり、4シーズン在籍したニューカッスルでは通算26ゴール、その後に加入したマンチェスター・ユナイテッドでは3シーズンで3ゴール。『ワンダーボーイ』はストーク・シティでのプレーを最後に、2013年に現役を引退した。 <span class="paragraph-title">◆キャリアの選択は重要</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/get20210227owen_4_tw.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 人生は一度きり、その時の選択でその先の人生が変わることはプロサッカー選手に限らず、誰にでもあることだ。そして、その決断が正しかったかどうかは、その時にはなかなか分かるものではない。 オーウェンもその1人。リバプールで放っていた存在感は異次元のものであり、チームの好不調は当然ありながらも、後に象徴となるスティーブン・ジェラードとの共演はもっと見たかったと言われている。 たらればではあるが、2019-20シーズンに30年ぶりにリーグタイトルを獲得したリバプールだが、オーウェンがそのままリバプールにいれば、もっと早くその瞬間は訪れたかもしれない。もちろん、どっちが良かったかなどは言及できないが。 ただ、少なくともキャリアを振り返ればオーウェンにとって最も幸せだったのはリバプール在籍時代。レアル・マドリーへの移籍が失敗とは言えないが、そのシーズンにリバプールがチャンピオンズリーグを制していることだけを取り上げても、やはりリバプールというクラブへの想いは強いだろう。 ケガなどの不運も続き、リバプールを去った後は活躍ができなくなったオーウェン。現代サッカーでは若き才能が溢れている中で、いずれキャリアを選択する時期がそれぞれの選手に来るだろう。そこで選んだ道が正しかったかどうかは誰にもわからない。ただ、正しいと言われるだけの結果を残せるかどうか。才能ある選手には、プレー面に集中してもらいたいものだ。 <div id="cws_ad"><hr>『ワンダーボーイ』として世界中で注目を集めたマイケル・オーウェンが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>イングランドで、そしてリバプールでもチームメイトだったスティーブン・ジェラードも同時に登場している。『サカつくRTW』でワンダーボーイのゴールを観たい方は是非一度チェックしよう。</div> 2021.02.27 21:45 Sat
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スティーブン・ジェラードが7人目のPL殿堂入り! リバプール一筋17年で504試合120ゴール90アシスト

プレミアリーグは20日、スティーブン・ジェラード氏が殿堂入りしたことを発表した。これで7人目となる。 1992年の創設からすでに約30年の歴史を刻むプレミアリーグは、2月27日に『Hall of Fame』を設立することを発表。これまでの数十年間で同リーグの輝かしい歴史に貢献を果たしてきた偉大なプレーヤーたちを称える最高の栄誉となる。 7人目の受賞者となったジェラード氏は、プレミアリーグではリバプール一筋を貫いた同クラブのレジェンド・オブ・レジェンド。在籍17年間で504試合に出場し、120ゴール90アシストを記録。リーグ優勝には恵まれなかったものの、2度のFAカップ優勝や3度のリーグカップ優勝のほか、個人としては異なるカテゴリーにはなるが、複数のプレミアリーグ最優秀選手に選ばれた実績を持つ。 また、6度の月間最優秀選手賞に、8度のプレミアリーグ年間ベストイレブンにも輝くなど、個人賞を挙げればキリがないほど。 そんなジェラード氏の殿堂入りに、リバプールがいち早く反応。「スティーブン・ジェラードの殿堂入りは当然の結果です。あなたを誇りに思います、スティービー」と祝福のツイートを送った。 ■プレミアリーグ殿堂入り アラン・シアラー/イングランド ティエリ・アンリ/フランス エリック・カントナ/フランス ロイ・キーン/アイルランド フランク・ランパード/イングランド デニス・ベルカンプ/オランダ スティーブン・ジェラード/イングランド 【殿堂入り候補23名】 トニー・アダムス デイビッド・ベッカム デニス・ベルカンプ ソル・キャンベル エリック・カントナ アンディ・コール アシュリー・コール ディディエ・ドログバ レス・ファーディナンド リオ・ファーディナンド ロビー・ファウラー スティーブン・ジェラード ロイ・キーン フランク・ランパード マット・ル・ティシエ マイケル・オーウェン ピーター・シュマイケル ポール・スコールズ ジョン・テリー ロビン・ファン・ペルシ ネマニャ・ヴィディッチ パトリック・ヴィエラ イアン・ライト 2021.05.20 18:15 Thu
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4試合で3勝目、ジェラード監督がレスター戦後半のパフォーマンスを称賛「本当に完璧に近い」

アストン・ビラのスティーブン・ジェラード監督が、レスター・シティ戦を振り返った。クラブ公式サイトが伝えた。 アストン・ビラは5日、プレミアリーグ第15節でレスターと対戦。2-1で勝利を収めた。 11月11日に就任したジェラード監督が率いて4試合目となったアストン・ビラ。マンチェスター・シティに前節敗れたものの、その前のブライトン&ホーヴ・アルビオン、クリスタル・パレスには連勝しており、この勝利で4試合で3勝目を挙げた。 チームを浮上させているジェラード監督は、リバプール時代に指導を受けたブレンダン・ロジャーズ監督率いるチームとの再戦となったが、前後半で違う試合になったと語った。 「本当に嬉しい。ミッドウィークと同じように、2つのハーフで構成された試合であり、ハーフタイムに選手たちには少しずつ要求する必要があった」 「前半は少し受け身だったと感じた。セカンドボールを十分に拾えず、ボールを回し続け、トランジションでいくつか問題があった」 「後半に向けて、いくつかの状況に対応しなければならなかった。でも、選手たちは本当に素晴らしいプレーを見せてくれた。最終的には勝利に値した」 前半は1-1で終えたが、後半早々にエズリ・コンサのゴールで逆転し、その後はしっかりと守って勝利したアストン・ビラ。ジェラード監督は特に後半のパフォーマンスを評価した。 「後半のパフォーマンスは、本当に完璧に近いものだった。このまま逃げ切ることもできたが、2-1の時点でもっと得点できるチャンスが3、4回あった」 2021.12.06 13:30 Mon

スティーブン・ジェラードの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2017年1月1日 LAギャラクシー 引退 -
2015年7月1日 リバプール LAギャラクシー 完全移籍
1998年8月1日 リヴァプールU18 リバプール 完全移籍
1996年7月1日 リヴァプールU18 完全移籍

スティーブン・ジェラードの監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年7月3日 アル・イテファク 監督
2021年11月11日 2022年10月20日 アストン・ビラ 監督
2018年6月1日 2021年11月10日 レンジャーズ 監督
2017年9月1日 2018年5月31日 リヴァプール YL 監督
2017年7月1日 2018年5月31日 リヴァプールU18 監督
2017年2月1日 2017年6月30日 リバプール ユースコーチ