Y.S.C.C.横浜
Yokohama Sports and Culture Club| 国名 |
日本
|
| 創立 | 1986年 |
| ホームタウン | 神奈川県横浜市 |
| スタジアム | ニッパツ三ツ沢球技場 |
【クラブの沿革】
1986/横浜スポーツクラブとして中学生を中心にスタート
1987/横浜サッカー&カルチャークラブ(Y.S.C.C.)に改称
1988/神奈川県リーグ3部に参加
1989/神奈川県リーグ2部昇格
1990/神奈川県リーグ1部昇格
2002/NPO法人横浜スポーツ&カルチャークラブ(NPO法人Y.S.C.C.)を設立
2003/関東社会人リーグ2部昇格
2005/関東社会人リーグ1部昇格
2011/全国地域リーグ決勝大会優勝
2012/JFL昇格
2013/Jリーグ準加盟クラブとなる
2014/Jリーグ入会。J3リーグ参加
【主な獲得タイトル】
なし
1986/横浜スポーツクラブとして中学生を中心にスタート
1987/横浜サッカー&カルチャークラブ(Y.S.C.C.)に改称
1988/神奈川県リーグ3部に参加
1989/神奈川県リーグ2部昇格
1990/神奈川県リーグ1部昇格
2002/NPO法人横浜スポーツ&カルチャークラブ(NPO法人Y.S.C.C.)を設立
2003/関東社会人リーグ2部昇格
2005/関東社会人リーグ1部昇格
2011/全国地域リーグ決勝大会優勝
2012/JFL昇格
2013/Jリーグ準加盟クラブとなる
2014/Jリーグ入会。J3リーグ参加
【主な獲得タイトル】
なし
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1
YS横浜がルーキーMF大竹悠聖と契約更新「来季はもっとチームの力になれるように成長していきます」
Y.S.C.C.横浜は20日、MF大竹悠聖(23)との契約更新を発表した。 大竹は熊本県出身で、大津高校から桐蔭横浜大学へと進学。今シーズンYS横浜に加わったが、1年目は公式戦の出場がなかった。 大竹はクラブを通じてコメントしている。 「来シーズンもY.S.C.C.プレーさせてもらうことになりました。今年は全然納得のいくシーズンではなかったので来シーズンはもっとチームの力になれるように成長していきます。来シーズンも熱い応援とサポートよろしくお願いいたします」 2023.12.20 18:39 Wed2
JFL降格YSCCのMF田場ディエゴが契約更新「プレーではもちろん、プレー以外でも信頼回復に努めさせていただきます」チーム批判となった自身のブログ一件を謝罪
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JFL高知のJリーグ参入を懸けた入替戦、ホーム1stレグは香川県開催に 本拠地の照明整備間に合わずJ3讃岐からピカスタを拝借
高知ユナイテッドSCが「J3・JFL入替戦」の1stレグ(高知ホーム)を香川県で開催する件に関し、広報担当者がその経緯を明らかにした。 17日、高知は日本フットボールリーグ(JFL)で2位が確定し、J3リーグ入会を懸けてY.S.C.C.横浜との「J3・JFL入替戦」へ進むことに。 対戦カードが確定してすぐ、Jリーグが日程・試合会場を周知。高知ホームの1stレグは12月1日(日)、YS横浜ホームの2ndレグは12月7日(土)に開催されるとのことだ。 J3残留を懸けて戦うYS横浜は、ホーム2ndレグで、普段のリーグ戦でも利用する「ニッパツ三ツ沢球技場」を会場に。 一方、高知はホーム1stレグで主たる本拠地「高知県立春野総合運動公園陸上競技場」ではなく、普段はJ3讃岐が利用する香川県丸亀市「Pikaraスタジアム」を利用するという。 本件について高知の広報担当者は18日、「なぜ春野競技場でやらないのか」という問い合わせを複数受けているとしつつ、県外開催となった経緯を明らかにした。 それによると、12月1日の春野競技場は、もともと日中から他団体主催のリレーマラソンという先約があり、入替戦行きを想定した高知は、イベント終了後のナイトゲーム開催を模索。 ただ、春野競技場はスタジアム照明の「照度」がJリーグ基準を満たさず。このため、開催不可をJリーグから通知されたとのことだ。 高知県内には、クラブがJFLで利用実績のあるスタジアムが春野競技場以外にもあるが、そちらについては、そもそものスタジアム基準を満たさず、「Jリーグの公式戦」である今回の入替戦では利用することができない。 よって、高知県外での開催を模索。高知市から車で1時間半ほどの香川県丸亀市は「Pikaraスタジアム」を利用する形となったようだ。 なお、春野競技場の照明については、高知県主導でLED化のメドが立っており、今回は整備が間に合わず。入替戦勝利でJ3入会なら、来季頭からナイトゲームでも利用可能となる。 ◆JFL最終節 2024年11月24日(日) 13:00KO 高知ユナイテッドSC vs クリアソン新宿 高知県立春野総合運動公園陸上競技場 TV中継:NHK高知放送局 ◆入替戦1stレグ 2024年12月1日(日) 時間未定 高知ユナイテッドSC vs Y.S.C.C.横浜 Pikaraスタジアム(香川県丸亀市) ◆入替戦2ndレグ 2024年12月7日(土) 時間未定 Y.S.C.C.横浜 vs 高知ユナイテッドSC ニッパツ三ツ沢球技場(神奈川県横浜市) 2024.11.18 21:50 Mon4
来季JFLのYS横浜が最初の契約満了発表、2年目MF大竹悠聖が退団「Jリーグに残留する難しさを痛感しました」
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三笘薫、筑波大学時代の圧巻ドリブルゴールが今を彷彿!天皇杯でJ1撃破した当時のメンバーも超豪華
圧巻のパフォーマンスで世界を震撼させているブライトン&ホーヴ・アルビオンの日本代表MF三笘薫。筑波大学在学中のプレーも現在を彷彿とさせていた。 2017年6月21日に行われた第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会2回戦、筑波大は当時J1に所属していたベガルタ仙台とユアテックスタジアム仙台で対戦した。 2年生だった三笘も先発出場。開始6分に挙げた先制ゴールは圧巻の一言だ。 最終ラインから縦パスを自陣の中央左寄りで受けると、外へ膨らみながら寄せてきた相手をはがすと同時に一気に加速。ゴール前まで一直線に長い距離を突き進み、ボックス内まで持ち込むと、右足での強烈な一撃を突き刺した。 この時からすでにドリブラーとしての片鱗を見せていた三笘。この試合では筑波大が逆転を許して追い付いたのち、2-2で迎えた73分にも決勝点となる自身2得点目もマークしている。 1回戦では神奈川県代表のY.S.C.C.横浜(J3)を撃破した筑波大は、仙台に続いて3回戦でアビスパ福岡(当時J2)も撃破。4回戦では残念ながら大宮アルディージャ(当時J1)に敗れ、涙をのんだ。 また、三笘以外にも当時の筑波大には中野誠也(大宮アルディージャ)、戸嶋祥郎(柏レイソル)、鈴木徳真(セレッソ大阪)、山川哲史(ヴィッセル神戸)、阿部航斗(アルビレックス新潟)、高嶺朋樹(柏レイソル)、西澤健太(清水エスパルス)、北川柊斗(ザスパクサツ群馬)といった、現在Jリーグの第一線で活躍する選手らがずらりと並んでいた。その躍進は大会を大いに沸かせた。 <span class="paragraph-title">【動画】筑波大学時代の三笘薫がJ1仙台相手に決めた圧巻ドリブルゴール!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="D4xxvpS_jP4";var video_start = 16;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.02.08 22:10 WedY.S.C.C.横浜の選手一覧
| 1 | GK |
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佐川亮介 | |||||||
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1993年07月17日(32歳) | 186cm | 79kg |
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0 |
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0 | |||
| 13 | GK |
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高橋クリス | |||||||
|
2002年01月11日(23歳) | 182cm | 79kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 33 | GK |
|
イ・ユンソン | |||||||
|
2005年05月23日(20歳) | 188cm | 86kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 41 | GK |
|
畔柳遼河 | |||||||
|
2000年07月05日(25歳) | 180cm | 74kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 2 | DF |
|
端野拓馬 | |||||||
|
2002年02月18日(23歳) | 175cm | 69kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 3 | DF |
|
鈴木梨 | |||||||
|
2002年10月28日(23歳) | 183cm | 78kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 4 | DF |
|
武田拓磨 | |||||||
|
2002年12月02日(22歳) | 173cm | 67kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 24 | DF |
|
西田勇祐 | |||||||
|
2003年08月06日(22歳) | 179cm | 72kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 25 | DF |
|
西山峻太 | |||||||
|
1989年07月25日(36歳) | 166cm | 68kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 27 | DF |
|
山倉渉 | |||||||
|
2005年07月17日(20歳) | 180cm | 80kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 39 | DF |
|
増谷幸祐 | |||||||
|
1993年07月01日(32歳) | 172cm | 68kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 59 | DF |
|
花房稔 | |||||||
|
1996年07月30日(29歳) | 177cm | 72kg |
|
0 |
|
0 | |||
| DF |
|
小川真輝 | ||||||||
|
1999年05月22日(26歳) | 175cm | 66kg |
|
0 |
|
0 | |||
| DF |
|
キム・ヨンウ | ||||||||
|
2002年08月26日(23歳) | 177cm | 68kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 5 | MF |
|
平野元稀 | |||||||
|
2002年10月15日(23歳) | 170cm | 67kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 6 | MF |
|
川本将央 | |||||||
|
2002年05月17日(23歳) | 176cm | 75kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 7 | MF |
|
菊谷篤資 | |||||||
|
1997年06月18日(28歳) | 169cm | 62kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 10 | MF |
|
田場ディエゴ | |||||||
|
1996年05月31日(29歳) | 170cm | 70kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 15 | MF |
|
冨士田康人 | |||||||
|
2000年12月16日(24歳) | 173cm | 67kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 17 | MF |
|
新里涼 | |||||||
|
1995年09月03日(30歳) | 180cm | 72kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 18 | MF |
|
落合遥斗 | |||||||
|
2002年05月04日(23歳) | 167cm | 60kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 19 | MF |
|
中村大輝 | |||||||
|
2002年10月02日(23歳) | 174cm | 65kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 31 | MF |
|
下川床勇斗 | |||||||
|
2002年04月29日(23歳) | 163cm | 58kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 37 | MF |
|
浜下瑛 | |||||||
|
1995年07月05日(30歳) | 164cm | 61kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 40 | MF |
|
竹間永和 | |||||||
|
2002年12月26日(22歳) | 170cm | 67kg |
|
0 |
|
0 | |||
| MF |
|
比嘉虎頼 | ||||||||
|
2004年02月14日(21歳) | 175cm | 69kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 8 | FW |
|
新井直登 | |||||||
|
2001年03月03日(24歳) | 172cm | 66kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 9 | FW |
|
萱沼優聖 | |||||||
|
1993年08月06日(32歳) | 174cm | 72kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 11 | FW |
|
オニエ・オゴチュクウ | |||||||
|
2002年03月13日(23歳) | 170cm | 69kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 14 | FW |
|
田原廉登 | |||||||
|
2001年01月08日(24歳) | 170cm | 64kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 22 | FW |
|
山内寛史 | |||||||
|
1995年02月09日(30歳) | 182cm | 76kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 23 | FW |
|
杉山佳宏 | |||||||
|
2002年12月03日(22歳) | 169cm | 65kg |
|
0 |
|
0 | |||
| FW |
|
パク・シオン | ||||||||
|
2003年04月23日(22歳) | 181cm | 74kg |
|
0 |
|
0 | |||
| FW |
|
松本祐満 | ||||||||
|
2002年09月07日(23歳) | 185cm | 80kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 監督 |
|
長嶺寛明 | ||||||||
|
1980年03月31日(45歳) |
|
0 |
|
0 | |||||

日本