
湘南ベルマーレ
SHONAN Bellmare国名 |
![]() |
創立 | 1968年 |
ホームタウン | 厚木市、伊勢原市、小田原市、茅ヶ崎市、秦野市、平塚市、藤沢市、大磯町、寒川町、二宮町 |
スタジアム | レモンガススタジアム平塚 |
★クラブ沿革
1968年:藤和不動産サッカー部として創部
1975年:フジタ工業サッカー部と改称、準会員としてJFLに参加
1992年:第1回JFLに参加
1993年:「ベルマーレ平塚」と改称、Jリーグ準会員に
1994年:Jリーグ正会員に、Jリーグ昇格
1999年:J2に降格、
2000年:「湘南ベルマーレ」に改称
2009年:J1に昇格
2010年:J2に降格
2011年:J1に昇格
2012年:J2に降格
2013年:J1に昇格
2016年:J2に降格
2017年:J1に昇格
★主な獲得タイトル
J2リーグ:2回(2014、2017)
Jリーグカップ:1回(2018)
天皇杯:1回(1994)
アジア:カップウィナーズ選手権優勝(95-96)
1968年:藤和不動産サッカー部として創部
1975年:フジタ工業サッカー部と改称、準会員としてJFLに参加
1992年:第1回JFLに参加
1993年:「ベルマーレ平塚」と改称、Jリーグ準会員に
1994年:Jリーグ正会員に、Jリーグ昇格
1999年:J2に降格、
2000年:「湘南ベルマーレ」に改称
2009年:J1に昇格
2010年:J2に降格
2011年:J1に昇格
2012年:J2に降格
2013年:J1に昇格
2016年:J2に降格
2017年:J1に昇格
★主な獲得タイトル
J2リーグ:2回(2014、2017)
Jリーグカップ:1回(2018)
天皇杯:1回(1994)
アジア:カップウィナーズ選手権優勝(95-96)
今季の成績
明治安田J1リーグ | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
12 |
![]() |
川崎フロンターレ | 21 | 5 | 6 | 3 | 22 | 14 | 8 | 14 |
13 |
![]() |
湘南ベルマーレ | 21 | 6 | 3 | 8 | 12 | 20 | -8 | 17 |
14 |
![]() |
東京ヴェルディ | 20 | 5 | 5 | 7 | 12 | 18 | -6 | 17 |
詳細はこちら>
すべての試合はこちら>
ニュース | 人気記事 | 選手一覧 | 試合日程 |
湘南ベルマーレのニュース一覧
湘南ベルマーレの人気記事ランキング
1
今冬増えたJリーグから海外移籍に向けたチーム離脱、30代で初の海外挑戦の3名はいずれもオーストラリア行きか
Jリーグ各クラブも続々と新体制が発表され、すでにキャンプインしているクラブもある中、海外挑戦を目指す選手が多く出ている。 すでに、日本代表にも招集されているDF関根大輝(22)が柏レイソルからリーグ・アンのスタッド・ランスに完全移籍。2024シーズンのJ2得点王&MVPのFW小森飛絢(24)がジェフユナイテッド千葉からシント=トロイデンへ期限付き移籍。東京ヴェルディで飛躍したパリ五輪世代のMF山田楓喜(23)が京都サンガF.C.からポルトガルのナシオナルへと期限付き移籍を果たした。 その他にも、ガンバ大阪のFW坂本一彩(21)がウェステルローへ、大分トリニータのMF保田堅心がヘンクへ期限付き移籍と、若手も海を渡る決断を下している。 一方で、ベテラン勢も初の海外移籍に挑戦。すでに横浜F・マリノスのMF水沼宏太(34)、湘南ベルマーレのDF岡本拓也(32)、京都サンガF.C.のDF三竿雄斗(33)が海外クラブへの移籍のためにチームを離脱することが発表されていた。 30歳を超えてそれぞれ初の海外挑戦となる中、3名とも行き先はオーストラリアになるようだ。現地メディアが伝えている。 横浜FMの下部組織育ちで栃木SCやサガン鳥栖、FC東京、セレッソ大阪でプレー。2020年に復帰していた水沼。オーストラリア『Newcastle Herald』によれば、ニューカッスル・ジェッツが獲得に動いているとのこと。 過去には横浜FMユースの後輩でもあるFW齋藤学(アスルクラロ沼津)も所属した経験があるクラブだ。 一方、岡本、三竿に関しては、同じクラブに移籍する可能性が伝えられている。オーストラリア『The West Australian』によれば、パース・グローリーが2人の獲得に迫っているとのこと。ディフェンスラインを強化したいチームにとって、サイドバックやセンターバックでプレーできる両者は大きな戦力と考えているようだ。 オーストラリアの移籍市場は16日にオープン。2月12日まで開いている中、すぐにでも発表がありそうだ。 2025.01.14 17:15 Tue2
岡本拓也&三竿雄斗の豪州1部挑戦が決定! パース・グローリーとそれぞれ今季までの契約
Aリーグ・メンのパース・グローリーは16日、湘南ベルマーレのDF岡本拓也(32)と京都サンガF.C.のDF三竿雄斗(33)を獲得したと発表した。背番号は岡本が「36」。三竿は「17」をつける。 両選手はそれぞれのクラブによって海外移籍を前提とした離脱が発表済み。パース・グローリーの契約は2選手とも2024-25シーズン終了までになるという。 岡本は下部組織から過ごした浦和レッズでプロデビューし、湘南では2016年からプレー。右サイドバックをはじめ、複数ポジションをこなしつつ、主将を務めるなど、長らく主力だった。 鹿島アントラーズMF三竿健斗を弟に持つ三竿は湘南でプロ入り。左サイドバックを主戦場とし、鹿島、大分トリニータを経て、2023年から京都でプレーしていた。 フットボールディレクターのスタン・ラザリディス氏は「ユウトとタクヤは日本の高いレベルで600試合以上もプレーし、その経験は若い選手で構成されるこのチームにとって大きなプラスとなる」と期待を寄せる。 「両選手とも技術に優れ、ボールキープ力もある。多才さも証明済みで、様々なポジションでのプレーもできる。今、彼らをチームに迎え入れたのは今季の残りに意味を持たせたいという強い思いがあるからだ」 「期待どおり、彼らが力を証明してくれたら、クラブでの滞在期間を延長する話し合いを始めるつもりだ」 パース・グローリーはかつて太田宏介氏や、現・ギラヴァンツ北九州のFW永井龍らもプレー。今季はここまで14試合で2勝2分け10敗の13チーム中12位につけている。 2025.01.16 17:25 Thu3
BE:FIRSTがアンバサダー就任の「FILA」、かつては中田英寿氏も同ブランドのスパイクを着用
7日にBE:FIRSTがブランドアンバサダーに就任したことを発表した『FILA(フィラ)』。ファッションブランドとしての認識が強い同ブランドだが、かつてはサッカースパイクも手掛けていた。 フィラは1911年、フィラ兄弟によってイタリアのビエラでニット素材工場として誕生した。1940年に社名を『FILA』に変更。1970年代からスポーツウェア業界でも地位を築き始め、次第に大きな注目を集めていった。 現在はテニスやゴルフを中心としたブランド展開に加え、バーチャルシンガー・初音ミクとのコラボレーションシューズなどカジュアルウェアに注力しているフィラだが、1998年にイタリアへと渡った元日本代表MF中田英寿氏が身に着けていたのがフィラのファッシノだ。 当時世界の最高峰と言われていたセリエA。中田氏はユベントスを相手にデビュー戦で2ゴールというセンセーショナルな活躍を披露した。足元には黒を基調に黄色のFマーク。シュータンには『FILA』の文字がはっきりと見て取れる。 現在のサッカー界からは姿を探すことが難しくなったフィラだが、今季はセリエCのヴィチェンツァのサプライヤーとなった。『Footy Headlines』によれば、イタリアのピッチに同ブランドが戻ってくるのは、フィオレンティーナとの1999-2000シーズンの終了以来、22年ぶりとのことだ。 かつてはウェストハムやフランクフルトのサプライヤーも務めていたフィラ。現在はヴィチェンツァのほか、イスラエルのマッカビ・テルアビブや韓国の済州ユナイテッドなどのクラブのサプライヤーを務めている。 <span class="paragraph-title">【写真】ペルージャ時代の中田英寿とその足元</span> <span data-other-div="movie"></span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/fila01.jpg" style="max-width:100%;"></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/fila02.jpg" style="max-width:100%;"></div> <span class="paragraph-title">【写真】FILAがサプライヤーを務めたフィオレンティーナやフランクフルトのユニフォーム</span> <span data-other-div="movie2"></span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/fila03.jpg" style="max-width:100%;"></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/fila04.jpg" style="max-width:100%;"></div> 2022.09.07 20:30 Wed4
中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える
元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed5
2025シーズンのホームグロウン制度、14クラブが不遵守も罰則なし…最多はFC東京の15名
Jリーグは22日、各クラブの2025シーズンのホームグロウン選手の人数を発表した。 ホームグロウン制度は、各クラブが選手育成にコミットし、アカデミーの現場を変えていくことを目的に導入したもの。12歳の誕生日を迎える年度から21歳の誕生日を迎える年度までの期間において、990日以上、自クラブで登録していた選手が対象となる。 期限付移籍の選手は、移籍先クラブでの登録となり、21歳以下の期限付移籍選手の育成期間は、移籍元クラブでカウント。JFA・Jリーグ特別指定選手は、ホームグロウン選手とはみなされない。 2025シーズンに関しては、J1のクラブは4名、J2・J3のクラブは2名以上と定められている中、14クラブが不遵守となっており、昨シーズンから2クラブ増えることとなった。 明治安田J2リーグではいわきFCと藤枝MYFCが昨シーズンに続いて「0人」、明治安田J3リーグではヴァンラーレ八戸、福島ユナイテッドFC、栃木シティ、SC相模原、FC大阪、高知ユナイテッドSC、テゲバジャーロ宮崎が「0人」、ザスパ群馬、FC岐阜、奈良クラブが「1人」となっている。 これまで不遵守となったクラブは、翌シーズンのプロA契約選手の「25名枠」から不足人数分減じられることとなっていたが、2026シーズンからはプロ契約の区分が撤退されるため、処分はない。 なお、全部60クラブで最も多くホームグロウン選手を登録しているのはFC東京で15名。続いて13名の鹿島アントラーズとサンフレッチェ広島、12名の柏レイソル、11名の川崎フロンターレ、RB大宮アルディージャと続いている。 <h3>◆明治安田J1リーグ(合計160人)</h3> 鹿島アントラーズ:13人 浦和レッズ:7人 柏レイソル:12人 FC東京:15人 東京ヴェルディ:9人 FC町田ゼルビア:4人 川崎フロンターレ:11人 横浜F・マリノス:9人 横浜FC:4人 湘南ベルマーレ:8人 アルビレックス新潟:7人 清水エスパルス:7人 名古屋グランパス:5人 京都サンガF.C.:8人 ガンバ大阪:8人 セレッソ大阪:7人 ヴィッセル神戸:6人 ファジアーノ岡山:2人 サンフレッチェ広島:13人 アビスパ福岡:5人 <h3>◆明治安田J2リーグ(合計83人)</h3> 北海道コンサドーレ札幌:8人 ベガルタ仙台:4人 ブラウブリッツ秋田:2人 モンテディオ山形:4人 いわきFC:0人 水戸ホーリーホック:1人 RB大宮アルディージャ:11人 ジェフユナイテッド千葉:5人 ヴァンフォーレ甲府:7人 カターレ富山:2人 ジュビロ磐田:6人 藤枝MYFC:0人 レノファ山口FC:2人 徳島ヴォルティス:3人 愛媛FC:3人 FC今治:2人 サガン鳥栖:7人 V・ファーレン長崎:5人 ロアッソ熊本:4人 大分トリニータ:7人 <h3>◆明治安田J3リーグ(合計40人)</h3> ヴァンラーレ八戸:0人 福島ユナイテッドFC:0人 栃木SC:3人 栃木シティ:0人 ザスパ群馬:1人 SC相模原:0人 松本山雅FC:9人 AC長野パルセイロ:3人 ツエーゲン金沢:2人 アスルクラロ沼津:8人 FC岐阜:1人 FC大阪:0人 奈良クラブ:1人 ガイナーレ鳥取:2人 カマタマーレ讃岐:2人 高知ユナイテッドSC:0人 ギラヴァンツ北九州:4人 テゲバジャーロ宮崎:0人 鹿児島ユナイテッドFC:2人 FC琉球:2人 2025.04.22 22:10 Tue湘南ベルマーレの選手一覧
21 | GK |
![]() ![]() |
永井建成 | |||||||
![]() |
1995年07月07日(30歳) | 185cm | 83kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
31 | GK |
![]() ![]() |
真田幸太 | |||||||
![]() |
1999年04月21日(26歳) | 190cm | 90kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
41 | GK |
![]() ![]() |
糸原紘史郎 | |||||||
![]() |
1998年02月25日(27歳) | 185cm | 85kg |
99 | GK |
![]() ![]() |
上福元直人 | |||||||
![]() |
1989年11月17日(35歳) | 182cm | 76kg |
![]() |
19 |
![]() |
0 |
3 | DF |
![]() ![]() |
畑大雅 | |||||||
![]() |
2002年01月20日(23歳) | 175cm | 70kg |
![]() |
19 |
![]() |
0 |
4 | DF |
![]() ![]() |
舘幸希 | |||||||
![]() |
1997年12月14日(27歳) | 173cm | 73kg |
![]() |
4 |
![]() |
0 |
5 | DF |
![]() ![]() |
鈴木淳之介 | |||||||
![]() |
2003年07月12日(22歳) | 180cm | 76kg |
![]() |
19 |
![]() |
0 |
8 | DF |
![]() ![]() |
大野和成 | |||||||
![]() |
1989年08月04日(35歳) | 180cm | 75kg |
![]() |
9 |
![]() |
0 |
22 | DF |
![]() ![]() |
大岩一貴 | |||||||
![]() |
1989年08月17日(35歳) | 183cm | 78kg |
![]() |
7 |
![]() |
0 |
23 | DF |
![]() ![]() |
松本果成 | |||||||
![]() |
2007年01月19日(18歳) | 182cm | 76kg |
24 | DF |
![]() ![]() |
本多康太郎 | |||||||
![]() |
2006年05月20日(19歳) | 187cm | 81kg |
32 | DF |
![]() ![]() |
松村晟怜 | |||||||
![]() |
2003年12月03日(21歳) | 184cm | 75kg |
![]() |
7 |
![]() |
0 |
33 | DF |
![]() ![]() |
髙橋直也 | |||||||
![]() |
2001年05月28日(24歳) | 180cm | 70kg |
![]() |
8 |
![]() |
0 |
47 | DF |
![]() ![]() |
キム・ミンテ | |||||||
![]() |
1993年11月26日(31歳) | 187cm | 84kg |
![]() |
15 |
![]() |
0 |
6 | MF |
![]() ![]() |
ゼ・ヒカルド | |||||||
![]() |
1999年02月03日(26歳) | 180cm | 72kg |
7 | MF |
![]() ![]() |
小野瀬康介 | |||||||
![]() |
1993年04月22日(32歳) | 176cm | 65kg |
![]() |
15 |
![]() |
0 |
13 | MF |
![]() ![]() |
平岡大陽 | |||||||
![]() |
2002年09月14日(22歳) | 173cm | 68kg |
![]() |
9 |
![]() |
0 |
14 | MF |
![]() ![]() |
茨田陽生 | |||||||
![]() |
1991年05月30日(34歳) | 173cm | 63kg |
![]() |
15 |
![]() |
0 |
15 | MF |
![]() ![]() |
奥野耕平 | |||||||
![]() |
2000年04月03日(25歳) | 174cm | 63kg |
![]() |
16 |
![]() |
1 |
17 | MF |
![]() ![]() |
田村蒼生 | |||||||
![]() |
2002年04月20日(23歳) | 165cm | 61kg |
![]() |
2 |
![]() |
0 |
18 | MF |
![]() ![]() |
池田昌生 | |||||||
![]() |
1999年07月08日(26歳) | 177cm | 71kg |
![]() |
12 |
![]() |
1 |
20 | MF |
![]() ![]() |
石橋瀬凪 | |||||||
![]() |
2006年04月22日(19歳) | 179cm | 67kg |
25 | MF |
![]() ![]() |
奥埜博亮 | |||||||
![]() |
1989年08月14日(35歳) | 171cm | 68kg |
![]() |
11 |
![]() |
0 |
37 | MF |
![]() ![]() |
鈴木雄斗 | |||||||
![]() |
1993年12月07日(31歳) | 182cm | 76kg |
![]() |
19 |
![]() |
1 |
50 | MF |
![]() ![]() |
藤井智也 | |||||||
![]() |
1998年12月04日(26歳) | 173cm | 68kg |
![]() |
18 |
![]() |
0 |
9 | FW |
![]() ![]() |
小田裕太郎 | |||||||
![]() |
2001年08月12日(23歳) | 180cm | 74kg |
![]() |
8 |
![]() |
0 |
10 | FW |
![]() ![]() |
鈴木章斗 | |||||||
![]() |
2003年07月30日(21歳) | 178cm | 70kg |
![]() |
19 |
![]() |
4 |
16 | FW |
![]() ![]() |
根本凌 | |||||||
![]() |
2000年02月03日(25歳) | 183cm | 83kg |
![]() |
7 |
![]() |
0 |
19 | FW |
![]() ![]() |
福田翔生 | |||||||
![]() |
2001年03月23日(24歳) | 173cm | 63kg |
![]() |
15 |
![]() |
3 |
27 | FW |
![]() ![]() |
ルイス・フェリッピ | |||||||
![]() |
1993年09月27日(31歳) | 188cm | 85kg |
![]() |
9 |
![]() |
2 |
29 | FW |
![]() ![]() |
渡邊啓吾 | |||||||
![]() |
2002年08月25日(22歳) | 185cm | 78kg |
![]() |
0 |
![]() |
0 |
77 | FW |
![]() ![]() |
石井久継 | |||||||
![]() |
2005年07月07日(20歳) | 168cm | 64kg |
![]() |
7 |
![]() |
1 |
監督 |
![]() ![]() |
山口智 | ||||||||
![]() |
1978年04月17日(47歳) |
湘南ベルマーレの試合日程
明治安田J1リーグ
第1節 | 2025年2月15日 | H |
![]() |
1 | - | 0 | vs |
![]() |
鹿島アントラーズ |
第2節 | 2025年2月22日 | A |
![]() |
1 | - | 2 | vs |
![]() |
セレッソ大阪 |
第3節 | 2025年2月26日 | H |
![]() |
2 | - | 1 | vs |
![]() |
浦和レッズ |
第4節 | 2025年3月1日 | A |
![]() |
1 | - | 1 | vs |
![]() |
横浜F・マリノス |
第5節 | 2025年3月8日 | A |
![]() |
0 | - | 0 | vs |
![]() |
FC東京 |
第6節 | 2025年3月16日 | H |
![]() |
1 | - | 2 | vs |
![]() |
ヴィッセル神戸 |
YBCルヴァンカップ2025
1回戦 | 2025年3月20日 | A |
![]() |
0 | - | 1 | vs |
![]() |
ツエーゲン金沢 |
明治安田J1リーグ
第7節 | 2025年3月29日 | A |
![]() |
3 | - | 0 | vs |
![]() |
清水エスパルス |
第8節 | 2025年4月2日 | A |
![]() |
2 | - | 0 | vs |
![]() |
川崎フロンターレ |
第9節 | 2025年4月6日 | H |
![]() |
2 | - | 1 | vs |
![]() |
名古屋グランパス |
YBCルヴァンカップ2025
2回戦 | 2025年4月9日 | A |
![]() |
1 | - | 2 | vs |
![]() |
V・ファーレン長崎 |
明治安田J1リーグ
第10節 | 2025年4月12日 | A |
![]() |
2 | - | 0 | vs |
![]() |
京都サンガF.C. |
第11節 | 2025年4月20日 | H |
![]() |
0 | - | 1 | vs |
![]() |
柏レイソル |
第12節 | 2025年4月25日 | A |
![]() |
0 | - | 1 | vs |
![]() |
FC町田ゼルビア |
第13節 | 2025年4月29日 | H |
![]() |
0 | - | 0 | vs |
![]() |
アビスパ福岡 |
第14節 | 2025年5月3日 | A |
![]() |
4 | - | 0 | vs |
![]() |
ガンバ大阪 |
第15節 | 2025年5月7日 | H |
![]() |
0 | - | 1 | vs |
![]() |
サンフレッチェ広島 |
第16節 | 2025年5月11日 | A |
![]() |
0 | - | 2 | vs |
![]() |
東京ヴェルディ |
第17節 | 2025年5月17日 | H |
![]() |
0 | - | 1 | vs |
![]() |
横浜FC |
YBCルヴァンカップ2025
3回戦 | 2025年5月21日 | H | 19:00 | vs |
![]() |
FC東京 |
明治安田J1リーグ
第18節 | 2025年5月25日 | A | 14:00 | vs |
![]() |
アルビレックス新潟 |
第19節 | 2025年6月1日 | H | 15:00 | vs |
![]() |
ファジアーノ岡山 |
第20節 | 2025年6月14日 | H | 17:30 | vs |
![]() |
FC町田ゼルビア |
第22節 | 2025年6月28日 | H | 19:00 | vs |
![]() |
横浜F・マリノス |
第23節 | 2025年7月5日 | A | 19:00 | vs |
![]() |
ヴィッセル神戸 |
第24節 | 2025年7月19日 | H | 19:00 | vs |
![]() |
セレッソ大阪 |
第21節 | 2025年7月23日 | A | 19:30 | vs |
![]() |
浦和レッズ |
第25節 | 2025年8月10日 | A | 19:00 | vs |
![]() |
柏レイソル |
第26節 | 2025年8月16日 | H | 19:00 | vs |
![]() |
FC東京 |
第27節 | 2025年8月23日 | A | 19:00 | vs |
![]() |
ファジアーノ岡山 |
第28節 | 2025年8月31日 | H | 19:00 | vs |
![]() |
ガンバ大阪 |
第29節 | 2025年9月13日 | A | vs |
![]() |
鹿島アントラーズ |
第30節 | 2025年9月20日 | A | vs |
![]() |
名古屋グランパス |
第31節 | 2025年9月23日 | H | vs |
![]() |
川崎フロンターレ |
第32節 | 2025年9月27日 | A | vs |
![]() |
横浜FC |
第33節 | 2025年10月3日 | H | vs |
![]() |
東京ヴェルディ |
第34節 | 2025年10月18日 | H | vs |
![]() |
京都サンガF.C. |
第35節 | 2025年10月25日 | A | vs |
![]() |
アビスパ福岡 |
第36節 | 2025年11月8日 | H | vs |
![]() |
アルビレックス新潟 |
第37節 | 2025年11月30日 | H | vs |
![]() |
清水エスパルス |
第38節 | 2025年12月6日 | A | vs |
![]() |
サンフレッチェ広島 |