
コロンビア
COLOMBIA国名 |
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ホームタウン | ボゴタ |
愛称 | ロス・カフェテロス |
【FIFAワールドカップ】
出場回数:5回
・2014年:ベスト8
・1998年:グループステージ敗退
・1994年:グループステージ敗退
・1990年:ベスト16
・1962年:グループステージ敗退
出場回数:5回
・2014年:ベスト8
・1998年:グループステージ敗退
・1994年:グループステージ敗退
・1990年:ベスト16
・1962年:グループステージ敗退
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コロンビアのニュース一覧
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1
懸賞金は730万円、誘拐されて未だ安否不明のルイス・ディアスの父はベネズエラにいる可能性も…国も動き出す大規模捜査に
母国コロンビアで両親が誘拐されたリバプールのコロンビア代表FWルイス・ディアス。コロンビア政府は大規模な軍事捜査を行うことを発表した。イギリス『インデペンデント』が伝えた。 リバプールでプレーするルイス・ディアスには衝撃のニュースが飛び込むことに。28日、コロンビア北部のバランカスで父のルイス・マヌエル・ディアスさんと母のシレニス・マルランダさんがガソリンスタンドで車を止められ、バイクに乗った武装集団に誘拐された。 母のマルランダさんは、28日の夜に警察によって救出されたものの、父のルイス・マヌエル・ディアスさんは未だに安否が不明だという。 ルイス・ディアスは29日に行われたノッティンガム・フォレスト戦のメンバー外に。ゴールを決めたポルトガル代表FWジオゴ・ジョタはゴールそルイス・ディアスに捧げ、ユルゲン・クロップ監督は寄り添うことを明かした。 コロンビアの内務大臣は北部の山岳地帯に100人以上の軍隊を派遣。また、隣国のベネズエラ当局にも国境警備隊の増員を求めたという。 また、軍隊はバリケードを設置し、自動車小隊を展開。ヘリコプターや飛行機などから上空からも捜索するという。 コロンビアでは誘拐事件が頻発している中、フランシスコ・バルボサ司法長官は29日にベネズエラまで連れて行かれている可能性があると発言した。 「我々はある時点でベネズエラにいる可能性があるという情報を持っている。もし彼が国境を越えてベネズエラにいるとしたら、我々は(コロンビアの)グスタボ・ペトロ大統領にルイス・ディアスの父親の解放に協力してくれるように頼まなければならない」 なお、コロンビアの国家警察は、彼の救出につながる情報に対して4万8500ドル(約740万円)の懸賞金をかけることを発表している。 <span class="paragraph-title">【写真】誘拐されてしまったルイス・ディアスの両親</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Sources close to Luis Díaz confirm that his mother Cilenis Marulanda has been rescued by the police.<br><br>The operation now continues to free his father, kidnapped earlier today. <a href="https://t.co/LNAtKNi2dz">pic.twitter.com/LNAtKNi2dz</a></p>— Fabrizio Romano (@FabrizioRomano) <a href="https://twitter.com/FabrizioRomano/status/1718432431055773872?ref_src=twsrc%5Etfw">October 29, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.10.30 21:55 Mon2
メッシを怒らせ「踊れよ、さぁ!」と煽られたミナが心境語る「あの時は2人とも国を代表して戦っていた」
エバートンに所属するコロンビア代表DFジェリー・ミナが、コパ・アメリカ2021でのアルゼンチン代表FWリオネル・メッシとの関係について明かした。スペイン『マルカ』が伝えている。 6日行われたコパ・アメリカ2021準決勝、アルゼンチン代表vsコロンビア代表の一戦は、1-1で90分を終え、勝負はPK戦に突入。GKエミリアーノ・マルティネスが3本のPKをストップする大活躍で、アルゼンチンが2大会ぶりの決勝進出を決めていた。 ミナは3人目のキッカーを務めたものの、PKをストップされていたが、ハーフウェイラインに戻っていく最中、元チームメイトのメッシから「今すぐ踊れ!踊れよ、さぁ!」と物凄い剣幕で煽られていた。 その理由の1つとして、コロンビアが準々決勝でメッシの友人、FWルイス・スアレスを有するウルグアイ代表と対戦した際、PK戦の最中にミナらはダンスを披露。これがメッシの逆鱗に触れたものと考えられている。 普段は比較的冷静なメッシがこのように感情をあらわにすることは珍しいが、ミナがこの件について言及。サッカーの一部だと理解を示した。 「レオとの間に起こったことはいつでも起こり得ることであり、サッカーの一部だ。人生には転機があり、あの時のリベンジを果たす機会が訪れるだろう。でも僕は、彼が素晴らしい人間だと知っているから落ち着いているよ」 「彼とはバルセロナで出会い、その時の彼のサポートには感謝している。僕は彼を常にリスペクトしている。ただ、あの時は2人とも国を代表して戦っていたんだ。代表チームには命を懸けているし、ピッチで起こったことはそこに置いておくべきだ、だからこれ以上は何もないよ」 なお、試合後にはメッシがインスタグラムでミナのフォローを外したことも明らかになっており、想像以上に激怒していることがうかがえる。 <span class="paragraph-title">【動画】メッシがPK失敗の元同僚に怒声を浴びせる!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="es" dir="ltr">Copa América | <a href="https://twitter.com/hashtag/Radioestadio?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#Radioestadio</a><br><br>El detalle de los penaltis del Argentina - Colombia!! <br><br>Falla Yerry Mina el penalti y Messi le grita.. “Bailar, bailar ahora”<br><br> <a href="https://t.co/tjGcR8TP7c">pic.twitter.com/tjGcR8TP7c</a></p>— Radioestadio (@Radioestadio) <a href="https://twitter.com/Radioestadio/status/1412659173024800768?ref_src=twsrc%5Etfw">July 7, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.07.21 07:35 Wed3
コロンビア女子の新星18歳カイセド、卵巣がん乗り越え直近全世代の女子W杯でゴールの偉業
コロンビア女子代表FWリンダ・カイセド(18)は今大会注目プレーヤーの1人だ。 コロンビアは25日、オーストラリア&ニュージーランド女子ワールドカップ(W杯)グループHの第1節で韓国女子代表とシドニー・フットボール・スタジアムで対戦。2-0で勝利を収めた。 カタリーナ・ウスメのPKで30分に先制したコロンビア。カイセドも39分、中盤から長い距離を持ち運んでのドリブルゴールで追加点を挙げた。 2022年8月、当時17歳だったカイセドはコスタリカでのU-20W杯に飛び級で出場。チームはベスト8にとどまったが、カイセド自身は2ゴールを挙げた。 さらに、同年10月にインドで行われたU-17女子W杯にも出場。4ゴールを挙げてシルバーボールを獲得するなどチームを牽引し、コロンビアを男女通じて初のFIFA主催国際大会の決勝へと導いていた。 活躍が目に留まり、2月には母国のデポルティーボ・カリからスペインのレアル・マドリーに移籍。すでにリーガFで得点も決めている。 1年も経たずして全世代の女子W杯で得点を挙げるという偉業を成し遂げたカイセド。順風満帆に見える18歳だが、15歳の時には卵巣がんとの診断を受け、プレー継続が危ぶまれた。 『AP通信』は「手術を受けることになったときのことを覚えています。その時は本当に暗い気持ちになりました、もうトップレベルでのサッカーはできないと思ったから」との、W杯前の彼女の言葉を紹介している。 大病を克服し、大舞台に立つカイセドはまた「(同じように苦しむ人が)そこから抜け出し、克服できるよという模範になれれば」ともコメント。その言葉通り、世界最高峰の舞台でもゴールを決め、多くの人に勇気を与えた。 初戦白星のコロンビアは、30日に2度の優勝を誇るドイツ女子代表と、8月3日に初出場のモロッコ女子代表と対戦する。 「私はいつだって自分の国と代表チームのためにプレーし続けています。なので、ゴールを決めることができてうれしいです」 コロンビア希望の星はさらにゴールを積み重ね、過去最高成績となるベスト16の先へとチームを導けるだろうか。 <span class="paragraph-title">【動画】コロンビアの新星カイセド、女子W杯での初ゴール!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="YJu79W7kyAw";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.07.26 15:25 Wed4
オスピナ、妹と結婚した義弟ハメスへの渾身のアシストを振り返る「ハメスは妹の心を掴んでいたが、僕が家族を説得する必要があった」
▽アーセナルに所属するコロンビア代表GKダビド・オスピナが、自身の妹と結婚したレアル・マドリーのコロンビア代表MFハメス・ロドリゲスへの渾身のアシストを振り返っている。アメリカ『フォックス・スポーツ』が伝えている。 ▽サッカー界ではよく知られた話であるが、オスピナの妹でバレーボール選手のダニエラさんは、2010年に兄の代表の同僚であるハメスと結婚した。だが、19歳と比較的若い年齢での結婚に関して、オスピナ家の人々は快く思っておらず、オスピナは可愛い妹と代表の後輩の結婚実現のために、一肌脱いでいたことを明かした。 ▽オスピナの説明によると、2人の出会いは2008年で、その当時ハメスは17歳でダニエラさんは16歳だったという。常々、オスピナの母親はサッカー選手との結婚を認めないと語っており、家族は2人の交際に強く反対していたようだ。また、早くにアルゼンチンリーグに移籍していたハメスのことを当時のオスピナはよく知らなかったが、妹からの切実な頼みを受けて、家族の説得という難しいアシストを行ったようだ。 「家族はハメスとの結婚を反対していた。だから、僕が仲裁役に入る必要があったんだ。特に、年配の家族や親戚は反対していたから、説得は一苦労だったよ」 「また、彼にはウチの家族とうまくやれるようにコーチングする必要もあった。ハメスは妹の心を完全に掴んでいたけど、結婚に向けては僕が家族を説得する必要があったんだ」 ▽普段はゴールを守ることを生業とするオスピナだが、妹とハメスの結婚というゴールをアシストできたことに少なからず満足感を覚えているようだ。 2016.11.09 02:06 Wed5
メルカドのレイトタックルに激怒のハメス「くそったれ」と発言後、レフェリーにも暴言か?
▽コロンビア代表MFハメス・ロドリゲスが、15日に行われたロシア・ワールドカップ南米予選のアルゼンチン代表戦で、相手選手の悪質なプレーに激怒して罵声を浴びせていたようだ。スペイン『マルカ』が報じた。 ▽アルゼンチンのホームで行われた一戦は、11分にFWリオネル・メッシのFK弾で先制したアルゼンチンがその後も2得点を加えて3-0と快勝した。 ▽フル出場を果たしたハメス・ロドリゲスは、この試合でDFガブリエル・メルカドのレイトタックルを受けて激昂。『マルカ』によればハメス・ロドリゲスは「くそったれ」との言葉を浴びせて、両者は口論に発展した。 ▽スタンドのアルゼンチンサポーターは「弱虫」とハメス・ロドリゲスの態度にチャントで応戦。するとハメス・ロドリゲスの怒りは試合後も収まらず、ロッカーへと向かう通路では、レフェリーのロディ・ザンブラーノ氏に異議を唱えた。 ▽『マルカTV』ではこの時の様子を捉えた映像として、鬼の形相となったハメス・ロドリゲスがレフェリーに詰め寄っている場面を流している。同『メディア』によると、この執拗な意義は警告処分に値するだろうとし、仮にそうなればハメス・ロドリゲスは2度目の警告となり退場処分となるようだ。そのため、次節のボリビア代表戦には出場できない可能性がある。 2016.11.17 11:31 Thuコロンビアの選手一覧
1 | GK |
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ダビド・オスピナ | |||||||
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1988年08月31日(36歳) | 180cm | 77kg |
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0 |
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0 |
12 | GK |
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カミーロ・バルガス | |||||||
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1989年03月09日(36歳) | 180cm | 87kg |
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0 |
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0 |
22 | GK |
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ホセ・ヘルナンド・クアドラード | |||||||
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1985年06月01日(39歳) | 181cm | 80kg |
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0 |
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0 |
2 | DF |
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クリスティアン・サパタ | |||||||
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1986年09月30日(38歳) | 180cm | 84kg |
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0 |
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0 |
3 | DF |
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オスカル・ムリージョ | |||||||
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1988年04月18日(37歳) | 183cm | 79kg |
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0 |
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0 |
4 | DF |
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サンティアゴ・アリアス | |||||||
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1992年01月13日(33歳) | 170cm | 67kg |
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0 |
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0 |
13 | DF |
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ジェリー・ミナ | |||||||
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1994年09月23日(30歳) | 195cm |
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0 |
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0 |
17 | DF |
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ホアン・モヒカ | |||||||
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1992年08月21日(32歳) | 179cm |
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0 |
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0 |
18 | DF |
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ファリド・ディアス | |||||||
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1983年07月20日(41歳) | 170cm | 72kg |
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0 |
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0 |
23 | DF |
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ダビンソン・サンチェス | |||||||
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1996年06月12日(28歳) | 187cm |
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0 |
5 | MF |
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ウィルマル・バリオス | |||||||
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1993年10月16日(31歳) | 179cm | 70kg |
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0 |
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6 | MF |
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カルロス・サンチェス・モレノ | |||||||
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1986年02月06日(39歳) | 182cm | 82kg |
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0 |
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8 | MF |
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アベル・エンリケ・アギラール “アベル・アギラール” | |||||||
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1985年01月06日(40歳) | 185cm | 84kg |
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0 |
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10 | MF |
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ハメス・ロドリゲス | |||||||
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1991年07月12日(33歳) | 180cm |
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0 |
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11 | MF |
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フアン・クアドラード | |||||||
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1988年05月26日(36歳) | 170cm |
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0 |
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0 |
15 | MF |
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マテウス・ウリベ | |||||||
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1991年03月21日(34歳) | 182cm |
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0 |
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0 |
16 | MF |
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ジェフェルソン・レルマ | |||||||
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1994年10月25日(30歳) | 175cm | 70kg |
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0 |
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0 |
20 | MF |
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フアン・キンテロ | |||||||
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1995年03月23日(30歳) | 186cm | 76kg |
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0 |
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7 | FW |
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カルロス・バッカ | |||||||
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1986年09月08日(38歳) | 180cm | 62kg |
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9 | FW |
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ラダメル・ファルカオ | |||||||
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1986年02月10日(39歳) | 177cm | 72kg |
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0 |
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14 | FW |
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ルイス・ムリエル | |||||||
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1991年04月16日(34歳) | 170cm | 72kg |
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0 |
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0 |
19 | FW |
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ミゲル・ボルハ | |||||||
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1993年01月26日(32歳) | 183cm | 74kg |
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0 |
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0 |
21 | FW |
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ホセ・イスキエルド | |||||||
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1992年07月07日(32歳) | 176cm | 70kg |
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監督 |
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ホセ・ペケルマン | ||||||||
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1949年09月03日(75歳) |
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