ジェラール・ウリエ Gerard HOULLIER

ポジション 監督
国籍 フランス
生年月日 1947年09月03日(76歳)
利き足
身長
体重
ニュース
ニュース一覧

好調アーセナルを辛口のキャラガー氏も称賛 「ファンがチームを気に入っているように感じる」

リバプールのレジェンドである元イングランド代表DFのジェイミー・キャラガー氏が、アーセナルを称賛した。イギリス『リバプール・エコー』が伝えている。 今夏にイングランド代表DFベン・ホワイト、日本代表DF冨安健洋、イングランド代表GKアーロン・ラムズデールら即戦力を獲得したアーセナルは、プレミアリーグで開幕3連敗と最悪なスタートを切ったものの、そこからの8試合で6勝2分けと復調。現在はリーグ3連勝中で順位も5位まで浮上しており、20日に行われる第12節ではリバプールとのビッグマッチが控えている。 これまでアーセナルに対して辛辣な批判も多かったキャラガー氏だが、ポッドキャスト『Wrighty’s House』に出演した際、現在のチームを称賛。チームがファンからの支持を受けていると語った。 「私が解説者となって以降、アーセナルは本当に厳しい時代を送っていた。だから、(批判を繰り返してきた)私はおそらくアーセナルのサポーターにとって人気のある男ではないだろうね」 「私がアーセナルに興奮を覚えるのは初めてだ。今の彼らには、何かがある。アーセナルが今後2、3年でリーグ戦やチャンピオンズリーグ(CL)を制覇するにはより多くが必要だと思うが、FAカップやEFLカップであればどうだろうね」 「アーセナルの過去の実績は知っているから、彼らがそれ以上を望むのはわかる。とはいえ、今はベン・ホワイトのような選手が入ってくるチームがあり、これからも何か応援したくなることが起こるかもしれない。今はアーセナルのファンがチームを気に入っているように感じるね」 また、キャラガー氏は現在のアーセナルが多くの若手選手を起用している点に言及。かつて自身が若手としてプレーしていた頃のリバプールと被るとコメントしている。 「今のアーセナルはジェラール・ウリエがポール・インス、フィル・バブ、ジェイソン・マカティア、ロビー・ファウラーを切ったときのリバプールを少し思い出すよ」 「その後、私やダニー(・マーフィー)、スティーブン・ジェラード、マイケル・オーウェン、ヨン・アルネ・リーセ、そして数人の外国人選手が加わり、若いチームが形成されていった。そのチームではリーグやCLを勝ち取れなかったが、それでもいくつかのトロフィーを獲得できたね」 「自分のキャリアを振り返ってみても、あの時のチームが一番好きなんだ。仲間たちと一緒にプレーすることに勝るものはないと思うからね。私は、あの時のチームにいた選手を仲間だと思っていた」 2021.11.18 11:05 Thu

かつてリバプールやオセールでプレーしたル・タレクが現役引退…松井&瀬戸とも共演

かつてリバプールやル・マン、オセールなどでプレーしたフランス人FWアントニー・ル・タレク(36)が現役を引退することになった。所属するアヌシーFCが19日に発表した。 今シーズン限りでスパイクを脱ぎ、来シーズンから指導者としてアヌシーのユースチームの仕事に関わることになったル・タレクは、自身の決断について以下のように説明している。 「この決定を下すのは非常に困難だった。1カ月半ほど考えたよ。これまでも自分のキャリアを振り返ってきた。その中で、いつ辞めるかを知っておく必要があると思っていたんだ。そして、今こそ僕にとって適切な時期だと思っているよ」 2001年に従兄弟のFWフロラン・シナマ=ポンゴルと共にU-17フランス代表の主力としてFIFA U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)の優勝に貢献したル・タレクは、2001年に故ジェラール・ウリエ氏の誘いを受けて、リバプールと契約。 古巣ル・アーヴルからレンタルバックした2003-04シーズンには公式戦23試合に出場したが、以降はイングランド屈指の名門で思うように出場機会を得ることができず。サンダーランドやソショーなどへの武者修行を繰り返し、2007–08シーズンにレンタル加入したル・マンでは元日本代表MF松井大輔とも共演した。 その後、オセールやヴァランシエンヌといった国内クラブ、アトロミトス(ギリシャ)、アストラ(ルーマニア)といった国外クラブを渡り歩いた。なお、アストラではMF瀬戸貴幸とも一緒にプレーしていた。 そして、2019年から直近までプレーしていたフランス3部のアヌシーで現役を引退することになった。 2021.05.20 00:16 Thu

誰もを魅了した唯一無二の“ミドルシュート”、レッズの“象徴”スティーブン・ジェラード

2019-20シーズンのプレミアリーグを圧倒的な強さで制し、30年ぶりのトップリーグ優勝を果たしたリバプール。ユルゲン・クロップ監督の下で悲願を達成し、2018-19シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)優勝と共に、ファン・サポーターは喜びに明け暮れた。 ディフェンディングチャンピオンとして臨んでいる2020-21シーズンのプレミアリーグでは、24試合を消化し勝ち点40の6位に位置。昨シーズン見せた圧倒的な強さはそこにはなく、らしさが見て取れない。 もちろん、そこには様々な要因があるのは広く知られたこと。1つは、守備の要であったオランダ代表DFヴィルヒル・ファン・ダイクを含めたセンターバックが相次いで負傷したこと。2つ目は、チーム全体として精彩を欠いていることだ。これは、昨シーズンから続く連戦による蓄積された疲労に加え、代わりの選手がなかなか見つからないというところが影響していると考えられる。 クロップ監督によって作られた現在のリバプールは、個々の能力の高さもありながら、やはりチームとして、1つの集団として機能した時に絶大な強さを発揮する。一方で、その中核を担う選手が力を発揮できなければ、必然的にチーム力は落ちてしまうのも仕方のないことだろう。 しかし、敢えて言うならば、強烈な“タレント”が不足しているとも言える。例を挙げるなら、クラブのレジェンドであるスティーブン・ジェラードのような存在だ。 <span class="paragraph-title">◆若き頃から見せていた勝負強さ</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/20210224gerrard_tw2.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 幼少の頃からリバプールのアカデミーで育ったジェラードは、1998-99シーズンの11月にファーストチームでデビュー。18歳でデビューした当時は、右サイドバックとしてプレーしていた。 その後は、セントラルミッドフィルダーとしてプレーすると、3年目の2000-01シーズンからレギュラーに定着。ジェラール・ウリエ監督の下でFAカップ、リーグカップ、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)のカップ戦三冠を達成していた。 このシーズンは、リーグカップ決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦、そしてUEFAカップのアラベス戦でゴールを決めており、この頃から大舞台での勝負強さを発揮していた。 2003-04シーズン途中からチームのキャプテンを務めると、一気に中心選手としての才能が開花。2004-05シーズンは、チャンピオンズリーグのグループステージで敗退の危機にあった中、最終節のオリンピアコス戦で試合終了間際に衝撃のミドルシュートを決めて突破を決めると、このシーズンは決勝にまでチームは勝ち上がり、“イスタンブールの奇跡”と呼ばれるミランとの激闘を制して優勝を達成。この決勝でも逆転につながるゴールを決めていた。 チームの精神的支柱でもあったジェラードが持つ勝負強さは、何度となく救うことになった。 <span class="paragraph-title">◆誰もを魅了するミドルシュート</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2021/20210224gerrard_tw3.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> クラブキャリアではリバプールとロサンゼルス・ギャラクシーで191ゴールを記録、イングランド代表としても21ゴールを記録しているジェラード。そのジェラードの代名詞といえば、やはり“ミドルシュート”だろう。 右足から放たれる強烈な一撃は、打った瞬間に入る予感すらさせるもの。その軌道の美しさもさることながら、シュートスピードは驚くべきものがある。 スピードあるミドルシュートは“弾丸ミドル”という表現がピッタリであり、地を這うような軌道は圧巻そのものだった。 前述した通り勝負強さにも繋がるところだが、ジェラードのゴールはチームの窮地を救うものが多く、試合の終盤で劣勢な状況でも何か起こるのではという予感さえあった。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJqMXBzNXlFaCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 例えば2004-05シーズンのミドルスブラ戦では、ハーフウェイライン付近からのフィードを受けたジェラードがトラップ。コースが空いているのを見ると、中央やや右寄りの距離のあるポジションから右足一閃。ゴール左上に強烈なミドルシュートが突き刺さっていった。 ミドルシュートというよりはロングシュートに近いが、あのポジションから右足を振り抜くという判断も、ミドルシュートが得意なジェラードならではかもしれない。 その他、前述の2004-05シーズンのチャンピオンズリーグのオリンピアコス戦。あと1点が必要な状況で、ボックス手前でルーズボールに反応したジェラードが右足を振り抜くと、高速シュートが右隅に決まった。 このように最大の武器であったミドルシュートで多くのピンチを救ったことで、ファン・サポーターからも一層愛される存在となっていったジェラード。似たようなミドルシュートを打てる現役選手はほとんどおらず、唯一無二の存在だったとも言える。まさに、サッカー史に残るレジェンドと言って良いだろう。 <div id="cws_ad"><hr>弾丸ミドルでおなじみのスティーブン・ジェラードが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>イングランドで、そしてリバプールでもチームメイトだったマイケル・オーウェンも同時に登場している。『サカつくRTW』でワンダーボーイのゴールを観たい方は是非一度チェックしよう。</div> 2021.02.25 19:40 Thu

「困難な時期に、リバプールの運命を変えた人」クロップが他界のウリエ氏を悼む

リバプールのユルゲン・クロップ監督が14日未明に他界したジェラール・ウリエ氏を悼んだ。クラブ公式サイトが伝えている。 26歳の時に英語教師からサッカー界に飛び込んだウリエ氏は、パリ・サンジェルマン(PSG)などで指揮を執った後、1998年にリバプールの監督に就任。2000-01シーズンにはFAカップ、ワージントンカップ(EFLカップ)、UEFAカップのカップトレブルを達成している。 また、ウリエ氏は当時、ユースに所属した元イングランド代表MFのスティーブン・ジェラード氏(現レンジャーズ監督)をトップチームに抜擢。2003年にはまだ23歳だったジェラードをキャプテンに任命する思い切った決断により、その後のクラブの栄光に大きな貢献を果たした。 そんなウリエ氏の他界に対して、クロップ監督も公式サイトでコメントを発表。「本当に、本当に悲しい日だ」と語り、クラブのレジェンドの死を悼んでいる。 「私は当初、ジェラール(・ウリエ)のことをよく知らなかったんだ。でも、何度か会った数少ない瞬間に、彼は私と特別な関係を築いてくれた」 「彼は真のリバプールのレジェンドであり、真の監督界のレジェンドだ。偉大な監督でありながら、そばにいると本当に温かい気持ちにさせてくれる人だったよ。我々全員にとって大きな損失であり、本当に悲しい日だ」 「私がリバプールに到着したとき、最初に受け取ったメッセージの1つがジェラールからだった。彼が他のクラブで成功していたことは知っているが、ジェラールの表現を借りるなら、リバプールは彼のクラブ、真のクラブであり、他のどのクラブよりも繋がりを感じていたんじゃないかな」 「ジェラールは私がリバプールに来た初日から本当にサポートしてくれた。大きな試合、大きな敗北、大きな勝利の後には、いつもメッセージが届いていたんだ。『あれは正しかった、あれは間違っていた、私は状況をちゃんとわかっている』などと言ってくれたよ」 「彼は本当に、本当に優しい人だった。とても寂しいよ。この瞬間に言える唯一の良いことは、彼がここで決して忘れられないということだ」 また、クロップ監督はウリエ氏がリバプールの旧練習場だったメルウッドの再開発に深く携わっていたことにも言及。タイトル獲得だけでなく、こうした貢献も忘れないでほしいと語っている。 「ジェラールはメルウッドの再建に大きな影響力を持っていた。当時のメルウッドは本当に近代的な場所で、それは彼のおかげだった」 「もちろん、リバプールのファンは彼がトロフィーをもたらしてくれたことを覚えているだろう。ただ、私は彼がこのクラブのために全力を尽くし、困難な時期にクラブの運命を変えた男として、覚えていてもらいたいと願っているよ」 2020.12.15 11:08 Tue

リバプールやPSGを指揮した名将・ウリエ氏が73歳で他界…リバプールでカップ3冠を達成

かつてリバプールやパリ・サンジェルマンを指揮したジェラール・ウリエ氏が他界した。73歳だった。 フランス『RMCスポーツ』によると、ウリエ氏は14日の未明に息を引き取ったとのことだ。 フランス出身のウリエ氏は、プロとしてプレーしていなかったなか、26歳で英語教師からサッカー監督になったという異色の経歴。1982年にRCランスの監督に就任すると、チームをUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)へと導くと、1985年に就任したパリ・サンジェルマンではその年にリーグ優勝を果たす。 1988年にフランス代表のアシスタントコーチに就任。ミシェル・プラティニ氏、アンリ・ミシェル氏の下でアシスタントコーチを務めると、1992年7月に監督に就任。その後、U-18フランス代表、U-20フランス代表の監督を歴任した。 1998年にはリバプールの監督に就任すると、2000-01シーズンはFAカップ、ワージントンカップ(EFLカップ)、UEFAカップのカップトレブルを達成。在職中に心臓病で倒れ生死を彷徨ったが復帰していた。 その後はリヨン、アストン・ビラで監督を務めると、2012年7月からレッドブルグループのグローバル・スポーツディレクターとして活躍していた。 2020.12.14 19:50 Mon
もっと見る>