名波浩

Hiroshi NANAMI
ポジション 監督
国籍 日本
生年月日 1972年11月28日(52歳)
利き足
身長
体重
ニュース 人気記事 クラブ 監督データ

名波浩のニュース一覧

松本山雅FCは22日、FW榎本樹(21)、MF稲福卓(19)、GK神田渉馬(19)との契約更新を発表した。 榎本は前橋育英高校から松本へ2019年に入団。ザスパクサツ群馬への期限付き移籍も経験している。 今シーズンは全く出番がなかった中、名波浩監督就任後の第30節でリーグ戦初出場。その後は全試合に出場し、明 2021.12.22 11:59 Wed
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松本山雅FCは8日、名波浩監督(49)との契約更新を発表した。 現役時代はジュビロ磐田やセレッソ大阪、東京ヴェルディでプレーした他、セリエAのヴェネツィアでプレーした名波監督。日本代表としても1998年のフランス・ワールドカップに出場するなど活躍した。 引退後は、ジュビロ磐田で2014年9月から2019年6 2021.12.08 15:43 Wed
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Jリーグは5日、YBCルヴァンカップ「ニューヒーロー賞」の第3回投票途中集計結果を発表した。 10月6日と10日にプライムステージの準決勝が開催される今シーズンのYBCルヴァンカップ。浦和レッズ、FC東京、名古屋グランパス、セレッソ大阪の4チームが勝ち上がっている。 「ニューヒーロー賞」は各試合において最も 2021.10.05 17:20 Tue
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Jリーグは30日、YBCルヴァンカップ「ニューヒーロー賞」の第2回投票途中集計結果を発表した。 9月1日と5日にプライムステージの準々決勝が開催される今シーズンのYBCルヴァンカップ。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)参加組も参戦する。 「ニューヒーロー賞」は各試合において最も活躍が顕著であった21歳以下 2021.08.30 19:42 Mon
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スイスのグラスホッパーは8日、サンフレッチェ広島の日本代表MF川辺駿(25)の加入を正式発表した。契約期間は2024年6月30日までの3年契約となる。 なお、川辺はすでにメディカルチェックを通過し、チームに合流しているとのことだ。 広島の下部組織で育った川辺は、2013年に2種登録されると、2014年のトッ 2021.07.08 22:50 Thu
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日本代表のニュース一覧

日本代表を離脱したMF守田英正(スポルティングCP)だが、大きなケガではなかったようだ。ポルトガル『O Jogo』が伝えた。 2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選に臨んでいる日本。20日に行われたバーレーン代表戦では2-0で勝利を収め、8大会連続8度目のW杯出場が決定。また、史上最速での決定に加え 2025.03.24 12:40 Mon
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日本代表は25日、2026北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選兼2027アジアカップ予選の第8戦でサウジアラビア代表と対戦する。 この記事では、サッカー日本代表の試合日程・キックオフ時間・テレビ放送予定・視聴方法をまとめた。 ■日本代表vsサウジアラビア代表 試合日程・キックオフ時間 最終予選の 2025.03.23 12:00 Sun
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日本サッカー協会(JFA)は22日、日本代表からFW上田綺世(フェイエノールト)、MF守田英正(スポルティングCP)が離脱することを発表した。なお、追加招集はない。 上田、守田の両選手は、20日に行われた2026年北中米ワールドカップ(W杯)アジア最終予選のバーレーン代表戦に先発出場。守田はハーフタイム、上田は後 2025.03.22 16:53 Sat
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20日、北中米W杯アジア最終予選を戦った日本。埼玉スタジアム2002でバーレーン代表と対戦し、鎌田大地、久保建英のゴールで2-0で勝利を収め、8大会連続8度目のW杯出場が決定。3試合を残しての決定は史上最速であり、開催国以外では世界最速での出場決定となった。 一夜明けた21日、日本サッカー協会(JFA)は報告会見 2025.03.22 15:30 Sat
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日本代表は3月20日、埼玉スタジアムでバーレーンを2-0で下し、8大会連続となるW杯出場を決めた。予選を突破してW杯出場を決めた最初の国であり、予選3試合を残しての出場決定も過去最速だった。 とはいえ、今回の快挙はグループ分けに恵まれた部分も大きいだろう。ライバルと目されたオーストラリアとサウジアラビアは「過去最 2025.03.22 14:00 Sat
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1

日本代表が初めて感じた世界の壁、ストライカーが認める“9番”ガブリエル・バティストゥータ

遡る事22年前──1998年の6月は日本サッカーが初めて世界を知った1カ月だった。 “ジョホールバル”の歓喜で初めてワールドカップの出場権を獲得した日本代表。プロリーグがスタートしてから初めて実感した世界のサッカーは、次元の違うものだった。 当時から攻撃力に秀でていた南米の雄・アルゼンチン代表がワールドカップ初戦の相手。日本はディフェンシブな布陣で臨んだが、一瞬の隙を突かれてやられた。 前半28分、クリアミスを拾われるとパスを繋がれる。現在はアトレティコ・マドリーで指揮を執るディエゴ・シメオネからの縦パスが入ったところで当時の10番・名波浩がアリエル・オルテガのスルーしたボールに対応できないと、これが絶妙なパスとなってしまい、そのままゴールを許してしまった。 日本代表のワールドカップの歴史に最初に名を刻んだ男。それが、アルゼンチン代表のエース、ガブリエル・バティストゥータだった。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆日本を沈めた“バティゴール” </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> フィオレンティーナでキャリアの全盛期を過ごしていたバティストゥータは、エースとして日本戦に先発出場。FWクラウディオ・ロペス、FWアリエル・オルテガとともに日本ゴールを脅かしていた。 そして日本に少し疲れが見え始めた28分にゴールを奪う。 名波が対応をミスしたボールを受けたバティストゥータは、飛び出してきたGK川口能活の上を通す冷静沈着なチップキックでゴールを決めた。 ゴール前でのこの落ち着きは、今の日本にも必要な要素。意図しないこぼれ球であったが、しっかりと胸トラップでコントロールし、名波のプレッシャー、川口の飛び出しにも冷静に対処した。まさに、ストライカーらしいゴールだった。 <div id="cws_ad">◆日本を沈めた“バティゴール” も!バティストゥータのゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJzTmlYUDBZeSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201028_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆フィレンツェの英雄</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1988年に母国のニューウェルズ・オールドボーイズにてプロデビューを果たしたバティストゥータは、リーベル・プレートを経て加入したボカ・ジュニアーズで才能を一気に開花させる。 ここでの活躍からセリエAの強豪チームの1つであったフィオレンティーナへ加入。ロベルト・バッジョ氏の後釜としての加入だった彼に不信感を抱く者もいたが、デビュー戦となった1991年9月1日のユベントス戦でいきなりゴールを記録。その後も得点を量産し、フィオレンティーナの旗手としてチームを牽引し続けた。 1992-93シーズンにフィオレンティーナがまさかのセリエBに降格した際には、誰もがチームを離れる事を予想したが、バティストゥータはチームに残留。1年でのセリエA復帰に貢献するだけでなく、1994-95シーズンには26ゴールを挙げて得点王も獲得している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ローマで日本代表戦士と共に悲願のスクデット</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> しかし、フィオレンティーナでは本人の夢であるスクデット獲得には至らず、その夢を果たすため2000-01シーズンにローマへ電撃移籍。シーズン途中にケガでの離脱がありながら20得点を挙げる活躍を見せ、移籍1年目、そしてイタリア10年目にして祈願のスクデットを獲得した。 このシーズンは、前年の途中にペルージャから加入していた元日本代表MF中田英寿もローマに所属。フランチェスコ・トッティとのポジション争いもある中で、中田もスクデット獲得に貢献。1998年のフランスW杯で敵として黒星をつけた男と、2年後にはチームメイトになっていたのだから、中田の凄さも計り知れないところだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ストライカーから認められる “ストライカー”</div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Batistuta_20201028_4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> その後もローマでプレーしたバティストゥータだが、2002-03シーズン途中、ローマにて出場機会を失いつつあった彼はインテルへレンタル移籍。母国の後輩であり、ケガで離脱していたFWエルナン・クレスポの穴埋めと期待されたが、12試合で2ゴールと期待された結果を残せず。翌シーズンにはカタールのアル・アラビへと完全移籍。2005年3月に現役を退いた。 アルゼンチンに収まらず、1990年代最高のストライカーの1人であったバティストゥータだが、その姿は現代で活躍するストライカーたちの目にも焼き付いている。 ウルグアイが誇る現代屈指のストライカーであるFWルイス・スアレス(アトレティコ・マドリー)は、バティストゥータの同胞フアン・パブロ・ソリンとのインタビューでその強烈な憧れを明かしている。 「子供の頃からアイドルだったということを伝えたい。あなたは私が今まで見たサッカー選手の中で最も偉大な存在だった。子供の頃から真似してみたけど、だからこそ憧れてしまう。あなたは私にとってアイドルです」 さらには、ウルグアイ代表でスアレスの相棒であるFWエディンソン・カバーニ(マンチェスター・ユナイテッド)もバティストゥータに憧れを抱いた1人だ。 「昔から憧れているストライカーを1人選ばなければならないのなら、バティストゥータを選ぶよ。フィオレンティーナの9番を背負った彼は最強だった。9番は特別な数字で得点を挙げる人間を表す。よく似合っていた」 破壊的な右足とヘディングに高い決定力を備え、どこからでもゴールを貪欲に狙う姿勢。最もゴールにこだわり、ゴールを決めてきたバティストゥータこそ、"9番”の象徴であり、“ストライカー”の神髄と呼べる存在だった。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>日本代表を沈める“バティゴール”を決めた1990年代最高のストライカーの一人であるバティストゥータが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />さらに日本戦にもフル出場していたMFファン・セバスティアン・ベロンとDFハビエル・サネッティも同時に登場している。『サカつくRTW』で“バティゴール”を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.10.30 15:30 Fri
2

横浜FMの山根陸が「ニューヒーロー賞」を受賞!クラブ史上3人目の受賞者に「大変光栄に思うと同時に驚きも」

Jリーグは25日、2024Jリーグ YBCルヴァンカップ「ニューヒーロー賞」に横浜F・マリノスのMF山根陸(21)が受賞したことを発表した。 横浜FMはプライムラウンドの準決勝で名古屋グランパスに敗れて敗退したものの、山根は3試合に出場。ニューヒーロー賞世代では唯一スターティングメンバーとしてプレーし、準々決勝ではフル出場でチームのベスト4入りに貢献していた。 横浜F・マリノスの選手がニューヒーロー賞を受賞するのは、2013年の齋藤学、2018年の遠藤渓太に次いで3人目となる。 なお、山根には賞金50万円と、クリスタルオーナメント、ヤマザキビスケット社製品1年分が贈呈される。 山根は今回の受賞に際しコメントしている。 「ルヴァンカップ ニューヒーロー賞に選出していただき、大変光栄に思うと同時に驚きもあります。常日頃からともにプレーしているチームメイトをはじめ、監督、コーチングスタッフ、ファン・サポーター、そして横浜F・マリノスに関わるすべての方々の支えに感謝しています。ここから先もレベルや価値をもっと高められるよう日々、上を目指してやっていきたいと思います」 <h3>◆歴代ニューヒーロー賞受賞者</h3> 1996年 名波浩(23/ジュビロ磐田)、斉藤俊秀(23/清水エスパルス) 1997年:三浦淳宏(22/横浜フリューゲルス) 1998年:高原直泰(18/ジュビロ磐田) 1999年:佐藤由紀彦(22/FC東京) 2000年:鈴木隆行(23/鹿島アントラーズ) 2001年:曽ケ端準(21/鹿島アントラーズ) 2002年:坪井慶介(22/浦和レッズ) 2003年:田中達也(20/浦和レッズ) 2004年:長谷部誠(20/浦和レッズ) 2005年:阿部勇樹(23/ジェフユナイテッド千葉) 2006年:谷口博之(20/川崎フロンターレ) 2007年:安田理大(19/ガンバ大阪) 2008年:金崎夢生(19/大分トリニータ) 2009年:米本拓司(18/FC東京) 2010年:高萩洋次郎(23/サンフレッチェ広島) 2011年:原口元気(20/浦和レッズ) 2012年:石毛秀樹(17/清水エスパルス) 2013年:齋藤学(22/横浜F・マリノス) 2014年:宇佐美貴史(21/ガンバ大阪) 2015年:赤﨑秀平(23_鹿島アントラーズ) 2016年:井手口陽介(19/ガンバ大阪) 2017年:西村拓真(20/ベガルタ仙台) 2018年:遠藤渓太(20/横浜F・マリノス) 2019年:中村敬斗(18/ガンバ大阪) 2020年:瀬古歩夢(20/セレッソ大阪) 2021年:鈴木彩艶(19/浦和レッズ) 2022年:北野颯太(18/セレッソ大阪) 2023年:早川隼平(17/浦和レッズ) 2024年:山根陸(21/横浜F・マリノス) 2024.10.25 13:05 Fri
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J3で再出発の松本がFW榎本樹、MF稲福卓、GK神田渉馬の若手3選手と契約更新

松本山雅FCは22日、FW榎本樹(21)、MF稲福卓(19)、GK神田渉馬(19)との契約更新を発表した。 榎本は前橋育英高校から松本へ2019年に入団。ザスパクサツ群馬への期限付き移籍も経験している。 今シーズンは全く出番がなかった中、名波浩監督就任後の第30節でリーグ戦初出場。その後は全試合に出場し、明治安田生命J2リーグで13試合に出場。その第30節ツエーゲン金沢戦ではプロ初ゴールを記録し、合計3得点を記録した。 稲福は松本の下部組織から今季昇格。明治安田J2で1試合に出場。最終節のV・ファーレン長崎戦でデビューを果たしていた。 神田も松本の下部組織から今季昇格。出番はなかった。 2021.12.22 11:59 Wed
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日本代表のコーチに名波浩、前田遼一が就任で合意…共に日本代表でも実績

日本サッカー協会(JFA)は17日、日本代表のコーチに名波浩氏(50)、前田遼一氏(41)が就任することで合意したことを発表した。 カタール・ワールドカップ(W杯)では、“新しい景色”としてベスト8を目指して戦ったものの、結果はベスト16。ただ、グループステージではドイツ代表、スペイン代表に逆転勝利を収めるなど、世界を驚かせた。 その結果を受け、森保一監督は日本代表史上初となるW杯後も指揮を執ることが決定。2026年のW杯を目指して行くこととなった。 ただ、横内昭展コーチがジュビロ磐田、上野優作コーチがFC岐阜の監督に就任。コーチ陣の再編が必要となっていた。 名波氏は現役時代にジュビロ磐田やセレッソ大阪、東京ヴェルディでプレー。セリエAのヴェネツィアでもプレー経験があり、日本代表では背番号10を背負い、1998年のフランスW杯にも出場していた。 J1通算314試合34得点、セリエAで24試合1得点を記録。日本代表としても67試合で9得点を記録していた。 引退後は、磐田と松本山雅FCで監督も務めていた。 前田氏は現役時代に磐田、FC東京、岐阜でプレー。日本代表としても活躍した。J1通算429試合154得点を記録し、2度得点王も受賞。日本代表でも33試合10得点を記録した。 なお、引退後は磐田のU-18コーチ、そして2022年はU-18で監督を務めていた。 2023.01.17 14:20 Tue
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「ナガトモ、ナカタ…」来日インテルの選手がセリエAでプレーした日本人選手を回答!思い出せずに嘆いた選手は誰?

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名波浩の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2009年1月1日 磐田 引退 -
2007年12月31日 東京V 磐田 レンタル移籍終了
2007年1月1日 磐田 東京V レンタル移籍
2006年12月1日 C大阪 磐田 レンタル移籍終了
2006年8月1日 磐田 C大阪 レンタル移籍
1999年12月31日 AC Venezia 1907 磐田 レンタル移籍終了
1998年7月1日 磐田 AC Venezia 1907 レンタル移籍
1995年1月1日 磐田 完全移籍

名波浩の監督履歴

就任日 退任日 チーム 種類
2023年2月1日 日本 コーチ
2021年6月21日 2023年1月31日 松本 監督
2014年9月25日 2019年6月30日 磐田 監督

名波浩の今季成績

北中米W杯アジア最終予選 0 0 0 0 0 0
国際親善試合 0 0 0 0 0 0
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選 0 0 0 0 0 0
アジアカップ2023 決勝トーナメント 0 0 0 0 0 0
アジアカップ2023 グループD 0 0 0 0 0 0
合計 0 0 0 0 0 0

名波浩の出場試合

北中米W杯アジア最終予選
第1節 2024-09-05 vs 中国代表 ベンチ外
7 - 0
第2節 2024-09-10 vs バーレーン代表 ベンチ外
0 - 5
第3節 2024-10-10 vs サウジアラビア代表 ベンチ外
0 - 2
第4節 2024-10-15 vs オーストラリア代表 ベンチ外
1 - 1
第5節 2024-11-15 vs インドネシア代表 ベンチ外
0 - 4
第6節 2024-11-19 vs 中国代表 ベンチ外
1 - 3
第7節 2025-03-20 vs バーレーン代表 ベンチ外
2 - 0
第8節 2025-03-25 vs サウジアラビア代表 ベンチ外
0 - 0
国際親善試合
2024-01-01 vs タイ代表 ベンチ外
5 - 0
2026北中米ワールドカップ アジア2次予選
第1節 2023-11-16 vs ミャンマー代表 ベンチ外
5 - 0
第2節 2023-11-21 vs シリア代表 ベンチ外
0 - 5
第3節 2024-03-21 vs 北朝鮮代表 ベンチ外
1 - 0
第4節 2024-03-26 vs 北朝鮮代表 ベンチ外
0 - 3
第5節 2024-06-06 vs ミャンマー代表 ベンチ外
0 - 5
第6節 2024-06-11 vs シリア代表 ベンチ外
5 - 0
アジアカップ2023 決勝トーナメント
ラウンド16 2024-01-31 vs バーレーン ベンチ外
1 - 3
準々決勝 2024-02-03 vs イラン ベンチ外
2 - 1
アジアカップ2023 グループD
第1節 2024-01-14 vs ベトナム ベンチ外
4 - 2
第2節 2024-01-19 vs イラク ベンチ外
2 - 1
第3節 2024-01-24 vs インドネシア ベンチ外
3 - 1