小笠原満男

Mitsuo OGASAWARA
ポジション MF
国籍 日本
生年月日 1979年04月05日(46歳)
利き足
身長 173cm
体重 72kg
ニュース 人気記事 クラブ

小笠原満男のニュース一覧

鹿島アントラーズOBでCRO(クラブ・リレーション・オフィサー)を務める中田浩二氏が、退団するMF永木亮太を労った。 永木は2016年に湘南ベルマーレから鹿島へ加入。中田氏が着用していた背番号「6」を受け継いだ。 鹿島でも、中心選手として活躍し、公式戦240試合出場6ゴール25アシストを記録。J1やAFCチ 2021.12.28 20:05 Tue
Xfacebook
鹿島アントラーズのレジェンドが集結した。 今シーズンの明治安田生命J1リーグでは開幕から躓き、アントニオ・カルロス・ザーゴ監督を解任。相馬直樹監督の下でチーム立て直しを図ると、昨シーズン同様に順位を上げていき、残り1節を残して4位に浮上している。 その鹿島だが、テクニカル・ディレクター(TD)を務めるクラブ 2021.12.01 12:48 Wed
Xfacebook
「(出場可能選手枠が)22人に広がったという話を聞いた時、非常に嬉しかったですし、ケガ人が出なければ試合に出ることができないバックアップメンバーとは違って、大枠ではありますけど、試合に出る可能性が出てきたというだけで自分のモチベーションは高い。ポジションにこだわらず、どこであれ最善を尽くす気持ちでいます」 こう語 2021.07.16 22:00 Fri
Xfacebook
東京オリンピックに向けた事前合宿に臨んでいるU-24日本代表。DF町田浩樹(鹿島アントラーズ)がオンラインのメディア取材に応じた。 6月22日に18名のメンバーが発表された東京オリンピック代表。しかし、IOC(国際オリンピック委員会)が登録選手数を18名から22名に変更することを正式に決定。バックアップメンバー4 2021.07.06 18:36 Tue
Xfacebook
14日、鹿島アントラーズの新監督に就任した相馬直樹監督がオンラインでのメディア取材に応じた。 鹿島は14日、昨シーズンから指揮を執るアントニオ・カルロス・ザーゴ監督を成績不振により解任。コーチを務めていた相馬監督が昇格する形となった。 昨シーズンは開幕4連敗から始まるも、シーズンを5位で終えていた鹿島。今季 2021.04.14 22:20 Wed
Xfacebook

小笠原満男の人気記事ランキング

1

【引退会見①】アントラーズ愛溢れるMF小笠原満男の願い「タイトルを獲り続けるチームであって欲しい」、引退試合は「やりたくない(笑)」

▽28日、2018シーズン限りで現役引退を発表した鹿島アントラーズの元日本代表MF小笠原満男(39)の引退会見が行われた。 ▽1998年に大船渡高校から鹿島に入団した小笠原は1年目にJリーグデビュー。2年目以降は出場機会を増やしてき、その後はレギュラーとしてプレーした。 ▽引退会見には、多くの報道陣が駆けつけ、小笠原は長年プレーした本拠地の県立カシマサッカースタジアムで引退への思いや、鹿島アントラーズへの愛を語った。 ◆MF小笠原満男(鹿島アントラーズ) ──現役を引退すると決めた理由と今の心境は 「辞めると決断した最大の理由としては、今シーズン1年を振り返ってみて、なかなか試合に出る機会が少なくなり、ピッチの上でチームを勝たせることができなくなってきたということです」 「今の心境としてはサッカーが大好きだし、アントラーズが大好きだし、まだまだサッカーをやりたいという気持ちがあるっていうのが正直な気持ちですけれども、チームが好きだからこそ、このチームがさらに強くなっていくためには、自分が出場するより、もっとこれから若い選手、これからの選手にピッチに立って欲しいと思ったのも一つです」 「それが今後アントラーズが強くなるために必要なことだと思ったので、自分は身を引くときかなと思い決断しました」 ──たくさんの試合に出て、たくさんのタイトルを獲得されましたが、思い出に残っている試合は 「このチームで数多くのタイトルを獲得させていただきましたし、すごく良い思いもさせてもらいましたが、自分の中では良い思い出よりも悔しい思い出の方が多くて、自分のせいで負けた試合も沢山ありますし、あと一歩で獲れなかったタイトルも数多くあるので、そっちの思い出の方が強いです」 「だから、来シーズンいるアントラーズの選手たちには、タイトルを獲り続けるチームであって欲しいし、常に勝利を目指して数多くのタイトルを積み重ねて欲しいなと思います」 ──今後の活動予定とファン・サポーターへ 「今後については、鹿島アントラーズにここまで育ててもらったので、これからは自分が恩返しして行きたい気持ちが強くなりました。具体的なことはこれから話をさせてもらいますが、アントラーズが強くなるために、もっともっと成長していくために、そこの力になれることを自分なりに見つけたいと思います」 「これまで応援していただいたサポーターの皆さんには感謝の気持ちしかないですし、良い時も悪い時も鹿島アントラーズ、または自分を応援してくれて、その声援のおかげでここまでやってこれました。すごく感謝していますし、これからも鹿島アントラーズを応援していって欲しいなと思います」 ──鹿島アントラーズに入って長い時間を過ごしましたが、選手として成長する上でチームはどのような存在だったか 「本当に多くのことを学ばせていただきましたし、まずはジーコからの教えで、『このチームは常にタイトルを獲らなくてはいけない』と言われ続けて、そのために24時間サッカーのことを考え、練習で100%やり、試合につなげ、勝利を目指せということが一番教わったことです」 「あとは、いざ自分が辞めると決めた時に感じたことは、これまで色々なものを築いてきたクラブスタッフ、OBの方が、最後までこのチームでやり遂げた姿を見てきたので、自分もそれをすべきだと思いました。だからこそ、このクラブは強くあり続けると思うので、その伝統は受け継いでいってもらいたいと思います」 ──引退を決めた時期、チームメイトやスタッフへどう伝えたか 「日付がいつというのはないですが、自分の思いとしてはピッチでプレーしたい、勝ちたいという思いが強いので、それができなくなってきた時には身を引くというのは、だいぶ前から決めていたことです。今シーズンの1年を振り返った時に、その時がきたなという感じです。ここというのはないですが、前から決めていたことではありました」 「選手、スタッフの皆さんにはシーズン途中に伝えるべきだったのかもしれませんが、自分としては最後の最後までやって、全てを終えてからみんなに報告したくて、クラブ・ワールドカップの3位決定戦のリーベル・プレート戦が終わった後に、クラブスタッフと選手の皆さんに挨拶させてもらいました」 ──ジーコさんにはどのタイミングで引退を伝えたか 「ジーコにも一番最後に伝えようと思っていましたが、ブラジルに帰国する飛行機の都合で、リーベル戦の試合前に伝えました」 「嬉しかったのは、『自分がここまでやってきたこと、そして最後までやり遂げたことに拍手を送りたい』と言われたことはすごく嬉しかったです」 「今後の相談をした時に、アントラーズに恩返しがしたいと言ったら、ジーコも『そうすべきだ』と言ってくれて、今後はジーコからも色々と学びたいと思いますし、ジーコがここまで積み上げて来たものを引き継いで、アントラーズのために色々なことをやってみたいなと思っています」 ──クラブへの恩返しということですが、将来的に監督になりたいという思いは 「ずっと選手として突っ走って来たので、今すぐ何かをやりたいというのはまだないです。具体的な話はこれからチームの方とさせてもらえたらなと思っています」 ──クラブが悲願としていたアジア制覇を成し遂げました。タイトルを獲った時に昌子源選手からトロフィーを渡されていましたが、その時の心境は 「本当に悲願のACLタイトルを獲れて素直に嬉しく思います。みなさん美談にしてくれますが、恥ずかしくて本当に嫌でした。本音としてはピッチに立って貢献したかったというのがあったので、ちょっと恥ずかしかったです」 ──今のアントラーズの若い選手に身につけて欲しいことなどは 「本当にタイトルを獲り続けるチームであって欲しいですし、クラブ・ワールドカップで負けた悔しさが最後に残ったので、ああいったところで勝って欲しいです」 「そのためには練習の質、熱というものを上げていかなければと思います。そのために何をすべきかを整理して、自分は違った立場で還元していければと思います。とにかく、タイトルを獲り続けるチームであって欲しいので、そこに向けてみんなで頑張ってもらいたいなと思います」 ──今後の具体的なことはこれからという話だが、イメージとして指導者やフロントなどどの方向に進むのか 「自分にはこれといった武器がないので、色々なものを見て、どの道に進みたいかを整理したいと思います。選手をやめて、それ以外のことは素人なので、まずは色々なものを見て勉強したいという思いがあります」 「何をやるというのは、自分の気持ちだけで決められるものではないので、クラブに相談させてもらいながらですけど、まずは色々な勉強をしたいという思いです。(指導者のライセンスは?)持ってないです」 ──今後、引退試合やファン・サポーターと触れ合う機会はあるのか 「その辺については、自分の意向でどうなるものではないので、クラブと話しながらどうするのがいいのかを相談させてもらいたいなと思いますが、個人的に引退試合はやりたくないです(笑)」 「あまり人前に出て目立つのは嫌なので、やるのなら自分は真剣勝負がしたいので、個人の思いとしてはそういったことはしたくないです」 2018.12.28 18:10 Fri
2

2020年引退の内田篤人、曽ヶ端準、野沢拓也が「アントラーズ功労賞」を受賞…通算21人

鹿島アントラーズは9日、2020シーズンで現役を引退した曽ヶ端準氏、野沢拓也氏、内田篤人氏の3名にアントラーズ功労賞を授与することを発表した。授賞者は合計21人目となった。 曽ヶ端氏は、鹿島ユースから1998年にトップチーム昇格。小笠原満男氏、中田浩二氏、本山雅志氏らと同期入団となった。 2001年に正守護神となると、その後は長年鹿島のゴールを守り、J1通算533試合に出場。7度のリーグ優勝など多くのタイトル獲得に貢献。現在は、GKアシスタントコーチを務めている。 野沢氏は、1999年に鹿島ユースから昇格。高いキックの技術と天才的なゲームメイク力でチームの主軸に定着した。 その後、ヴィッセル神戸やベガルタ仙台、オーストラリアのウーロンゴン・ウルブスでプレー。キャリア最後は関西サッカーリーグ1部のFCティアモ枚方でプレーしていた。 内田氏は、清水東高校から2006年に鹿島に入団。クラブ史上初となる高卒ルーキーの開幕スタメン起用。右サイドバックとして君臨すると、その後にはシャルケへと渡りここでもファンに愛される選手となる。 その後、ウニオン・ベルリンを経て、2018年に鹿島に復帰。しかし、ケガの影響もあり、2020年で現役をしていた。日本代表通算74試合2得点。現在は日本サッカー協会(JFA)のロールモデルコーチを務めている。 アントラーズ功労賞は、クラブの発展に寄与した人物をたたえるため2008年に制定されたもの。功労賞受賞者はカシマサッカーミュージアム内にある「アントラーズ殿堂」に掲額される。 ◆過去の受賞者(五十音順) 秋田豊 新井場徹 アルシンド 内田篤人 オズワルド・オリヴェイラ 黒崎久志 ジーコ ジョルジーニョ 相馬直樹 曽ヶ端準 ダニー石尾 トニーニョ・セレーゾ 中田浩二 名良橋晃 野沢拓也 長谷川祥之 ビスマルク 本田泰人 宮本征勝 柳沢敦 2022.06.09 15:40 Thu
3

「最初が鹿島アントラーズで良かった」鹿島で始めたプロキャリアの幕を閉じる興梠慎三、18歳時の決断振り返る「本当に良い選択をした」

現役引退を表明した浦和レッズの元日本代表FW興梠慎三(38)が、古巣の鹿島アントラーズについて語った。 プロ入りは2005年で、鵬翔高校から鹿島アントラーズに入団した興梠。1年目から出番を得ると、鹿島のエースへと成長し、2013年に浦和へ完全移籍するまでチームをけん引した。 鹿島では在籍8年で通算283試合出場71得点を記録。2007年から2009年までJ1を3連覇、リーグカップ連覇も経験し、天皇杯でも2度優勝している。 31日に引退会見を実施した興梠は、鹿島に加わった18歳当時を回想。あえて厳しい環境に身を置いて自分を磨くため、名手揃いのチームを選んだと振り返っている。 「高校を卒業して、鹿島アントラーズに行きました。何チームかオファーはありました。本当に悩んで、1つ上の先輩である増田誓志という存在がいて、その人が鹿島にいたので、同じポジションで1つ上の先輩と同じチームに行くということに、本当にこれでいいのかなとずっと思っていました」 「でも、その当時の鹿島はすごく強くて、当時いた小笠原満男さん、本山(雅志)さん、曽ヶ端(準)さん、中田浩二さん。凄いメンツがいる中で一緒に練習できる。今すぐ試合に出たいという気持ちもありましたけど、そういう人たちと一緒に練習することで自分自身が成長するんじゃないかと思って鹿島を選びました」 「自分自身、今考えれば最初が鹿島アントラーズで良かったなと思っています。だからこそ18歳の自分に伝えることがあるとすれば、鹿島アントラーズを選んで良かったなと。それがなければ、浦和レッズに出会うこともなかったと思いますし、本当に良い選択をしたなと言ってあげたいです」 また、「自分が活躍しなくても、自分が犠牲になってチームが勝てればいいという思いでここまで来ました」と述べた興梠。このスタイルを貫くことになったきっかけは、背番号「13」を受け継いだ元日本代表FWだったと明かした。 「一番は身近で一緒にプレーしてきた柳沢敦さんの存在が大きかったと思います。直接指導を受けたわけではないですが、2年間一緒に鹿島でやりました。ヤナさんも個人で打開するというよりは、味方、周りを上手く使ってプレーしていました」 「ヤナさんが言っていたのは、自分がセンタリングが上がった時にニアで潰れても、ファーの空いたスペースで味方が決めてくれれば、チームの力になると。自分が動けばどこかが空くから、そのスペースを味方が上手く使ってくれれば、自分の仕事がちゃんとできているというのを聞いたことがあります」 「若い自分にとっては、結果しか求めてきていなかった自分として、その言葉はそこまで刺さらなかったですが、改めて日が経つにつれて、どういうFWであるべきかを考えたときに、ヤナさんの言葉が自分の中ですごくマッチして、こういうプレースタイルになろうと思ったのが、鹿島からレッズに来るぐらいの時にそういうプレースタイルで行こうと決めました。柳沢敦さんのプレーはすごく参考になりましたし、本当に感謝しています」 2024.07.31 20:24 Wed
4

2024年はJ1・12試合出場1得点。17歳の若き点取屋は鬼木新体制の鹿島で分厚いFW陣にどう食い込むか?/徳田誉(鹿島アントラーズ)【新しい景色へ導く期待の選手/vol.57】

1月12日に行われた2025年鹿島アントラーズ新体制発表会。それに先駆けて午前に行われたユースとのトレーニングマッチでいきなりハットトリックを達成したのが、今季正式にトップ昇格を果たした徳田誉だ。 「チームとしてつながりを持った攻撃や技術のところは言われていて、それを出せたシーンはチャンスになっていましたけど、もっともっと増やして開幕を迎えられればと思います」と今季は34番をつけることになった17歳の点取屋は目をギラつかせた。 2024年はチャヴリッチの長期離脱、夏に欧州から戻ってきた田川亨介のコンディションが上がり切らなかったこともあり、徳田がジョーカー一番手と位置づけられた時期もあった。J1は12試合に出場。優勝争いに踏みとどまれるかどうかが懸かっていた9月のサンフレッチェ広島戦では起死回生の同点弾をゲット。存在感を強烈にアピールした。 「あのシーン含めて手ごたえをつかんだ部分もありましたけど、もっともっとゴールだったり、チームに貢献できるところはあった。シーズン1点というのは満足できないですし、出場時間が短いという言い訳もできない。もっと自分に厳しくして、結果を求めてやっていく必要があると思います」と本人は野心に満ち溢れているのだ。 公式戦に出た2024年の1年間で、確実に進化を遂げたのは間違いない。屈強なDFとのマッチアップや駆け引き、ボールをタメて起点を作るプレーなども十分通用していた印象だ。 「体の使い方だったりボールの隠し方という部分はすごく意識させられたところ。中後(雅喜=現コーチ)さん、羽田(憲司=現U-20日本代表コーチ)さん、(鈴木)優磨君にも求められていたし、自分なりに出せたこともあったかなと思います」と本人も自信を口にする。 そういった部分を研ぎ澄ませていき、得点数をアップさせていけば、レオ・セアラが加わった分厚いFW陣の中でも一定の地位を築けるのではないか。彼の伸びしろは無限大なのだ。 「鹿島の未来を背負う選手」との呼び声も高い徳田。彼は今、宮崎キャンプで徹底的に自分を追い込んでいるが、2月15日の開幕・湘南ベルマーレ戦の前に、AFC・U-20アジアカップ(中国)メンバー入りという重要なハードルがある。まずはそれをクリアしなければならないのだ。 船越優蔵監督率いるU-20日本代表はこの大会でベスト4に入り、9月のU-20ワールドカップ(W杯=チリ)の出場権を手にすることが絶対条件だ。徳田自身は昨年9月の1次予選(キルギス)は選外だっただけに、今年は中国・チリの両方とも主力の1人として参戦し、世界から熱視線を浴びることができれば理想的なのである。 実際、2017年大会(韓国)直後に堂安律(フライブルク)、2019年大会(ポーランド)直後に菅原由勢(サウサンプトン)と中村敬斗(スタッド・ランス)、2023年大会(アルゼンチン)直後に佐野航大(NECナイメンヘン)が欧州移籍を果たしたように、U-20W杯は「世界への登竜門」となっている。徳田の世代は2つ上の後藤啓介(アンデルレヒト)、同期の道脇豊(ベフェレン)、高岡伶颯(日章学園高→サウサンプトン)がすでに海外クラブの扉を叩いており、彼自身も「いずれは自分も外に出たい」という思いは少なからずあるだろう。 だからこそ、まず2月の中国大会に行き、戻って鹿島でコンスタントにプレー。レオ・セアラや鈴木優磨、チャヴリッチらからそれぞれのよさを盗み、自分なりの得点スタイルを確立させたうえで、チリに行くというのがベストな流れ。鹿島の分厚いFW陣に食い込めれば、U-20W杯での活躍は確実と言っていい。その先に欧州への道も見えてくるはずだ。 自身が「憧れの選手」と公言するユース時代の恩師・柳沢敦トップコーチも、かつてはU-20など年代別代表と鹿島を掛け持ちし、両方で目覚ましい実績を残していた。もちろん徳田はその時代をリアルタイムでは知らないだろうが、周囲は「同じように2つのチームで異彩を放ってほしい」と願っているに違いない。 その恩師から今季、引き続き指導を受けられることになったのは朗報。本人も再タッグ結成を嬉しく感じているという。 「柳沢さんや小笠原満男(アカデミー・テクニカル・アドバイザー)さんからは『練習試合だろうが何だろうが、結果が一番大事。勝たなければ意味がない』と言われています」と話していたが、それこそが鹿島のDNAに他ならない。勝利と結果に強くこだわり、それをピッチ上で表現し、グングン成長していけば、輝かしい20代が現実のものとなる。 偉大な先人たちの系譜を継ぐべく、今季の徳田には強烈なインパクトを残してほしいものである。 文・元川悦子 2025.01.14 20:00 Tue
5

引退の鹿島GK曽ヶ端準がライバルGKクォン・スンテを語る「出会えなければここまでやれなかった」、台頭のGK沖悠哉らにも言及

27日、2020シーズン限りで現役を引退する鹿島アントラーズのGK曽ヶ端準(41)が引退会見を実施した。 地元の鹿嶋市出身で、鹿島ユース出身の曽ヶ端は、1998年にトップチームに昇格。小笠原満男、中田浩二、本山雅志らと同期入団だった曽ヶ端だが、当初は出場機会を得られなかった。 その後、2001年に正守護神のGK高桑大二朗に代わってレギュラーの座を奪うと、2017年まで正守護神の座を守り、2008年2014年までの7シーズンはフル出場を果たしていた。 今シーズンは明治安田J1で1試合、YBCルヴァンカップ1試合の出場に終わっていた。 来シーズンからはアシスタントGKコーチに就任する曽ヶ端は、今季台頭したGK沖悠哉(21)や元韓国代表GKクォン・スンテ(36)、GK山田大樹(18)、そして明治大学からの来季加入内定が発表されているGK早川友基(22)について言及した。 「沖だけに限らないですが、またシーズンが変わって、今年レギュラーをとって迎える新たなシーズンという難しさも、もちろんあると思います」 「(クォン・)スンテに関してもレギュラーを奪われて、ここからまたレギュラーを取り返すという気持ちが、また自分自身を成長させてくれると思います」 「山田も今年1年目ですけどチャンスをもらって、その中で良いプレーだったり、チームの結果として勝ちが取れなかったりという中で、チャンスをもらえたこと、少なかったですが、来シーズンに向けてチャンスをモノにできるように良いライバル関係でチームでやってほしいです。このまま引き下がる選手ではないと思います」 「大学から早川選手が入ってきて、1年目のプロの難しさはあると思いますが、自分の良さを出してほしいですし、刺激しあって、GKのチームとして良い結果を残せるようにみんなで戦っていければと思います」 特に、クォン・スンテは、全北現代モータースでAFCチャンピオンズリーグ(ACL)を連覇するなど実績を誇り、加入した2017年には一時レギュラーに。しかし、曽ヶ端がポジションを取り返す結果となった。 2018年以降はポジションを明け渡すこととなったが、ここまで現役を続けられたのもクォン・スンテのおかげだったと語った。 「僕が36、37の歳の2017年に来てから、僕自身もう1度レギュラーを取り返そうとか、負けたくないという気持ちを強く持ちました」 「そこで自分自身ももう1回モチベーションであったり、自分自身の成長を感じられる日々だったので、その辺りのライバルというか、そういった選手がいた、30代後半で出会えたことは幸せですし、出会えなければここまでやれなかったと思います」 今後は、鹿島でプレーするGKを育てていく立場になる曽ヶ端。求めるGK像については「現役の時も言っていましたが、チームを勝たせられる選手を多く育成できればと思います。そのためには、簡単な技術練習というのも大事ですし、実戦も大事です」とコメントした。 ポイントについては「人それぞれ課題は違うと思いますが、どれという訳ではなく、全体のレベルアップは必要だと思いますし、手助けできればと思います」と語り、「キャッチ1つ取っても完璧はあり得ないですし、そこをどれだけ上達して完璧に近づいていくかは、現役中のみんなの課題だと思います。それはキャッチだけではなく、全てのプレーだと思います」と語り、全ての能力を高める指導をしたいとした。 23年間チームに身を捧げた曽ヶ端。その大事さについては「海外移籍というのは僕らがプロになりたての頃よりは多くなっていますし、色々なルール変更でしやすくなっていると思います」と語り、「そういう向上心は大事だと思いますが、契約しているチームに対する愛情であったり、そのチームのためにプレーするということは僕自身すごく大事だと思います」とコメント。「そういうところも僕自身は在籍する選手には伝えていきたいと思いますし、そういう選手が数多く出てきてくれることを願っています」と語り、自身のように鹿島にキャリアを捧げる選手が出て欲しいと語った。 また、地元の子供たちに向けても「僕自身、地元茨城、鹿島というプロチームに入れた幸せを感じています」とし、「身近に素晴らしいチームがあるので、コロナで難しい状況はありますが、スタジアムに来て、身近に感じてモチベーションにしてサッカーをしてもらいたいと思います」と語り、自身が歩んだ道をこれからの子供たちに託したいと語った。 2020.12.27 16:12 Sun

小笠原満男の移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2019年1月1日 鹿島 引退 -
2007年6月30日 メッシーナ 鹿島 レンタル移籍終了
2006年8月1日 鹿島 メッシーナ レンタル移籍
1998年1月1日 鹿島 完全移籍