玉田圭司
Keiji TAMADAポジション | FW |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1980年04月11日(44歳) |
利き足 | 左 |
身長 | 173cm |
体重 | 68kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ |
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「まさに死闘ってカンジ」歴史に残るバーレーンとの4-3の激闘!2004年大会プレイバックに反響「このゴールで中澤佑二に惚れた」
31日、日本代表はアジアカップ2023のラウンド16でバーレーン代表と対戦する。 過去の対戦成績は日本の8勝2敗となっているが、アジアカップの舞台で最後に対戦したのは2004年の中国大会での準決勝。記憶に残る激闘だった。 MF小野伸二、FW高原直泰ら当時の主力選手が欠場していた当時の日本は、開催国の中国サポーターにブーイングを浴びせられながらも決勝トーナメントに進出すると、準々決勝ではPK戦途中でのサイド変更とGK川口能活の神がかり的なセーブが印象深いヨルダン代表戦に勝利し、準決勝でバーレーンと対戦した。 しかし、バーレーン戦では開始6分に先制ゴールを許すと、40分にはMF遠藤保仁が不可解な判定で一発退場。日本はビハインドの状況で数的不利を負ってしまった。 数的不利の状況でもMF中田浩二とFW玉田圭司のゴールで逆転した日本だったが、その後2失点。2-3と1点ビハインドで試合終盤を迎えた。 それでも日本は最後まで諦めず。DFも攻めあがって同点ゴールを狙うと、90分にDF中澤佑二が値千金の同点ゴール。不屈の精神で同点に追いつくと、延長前半には玉田の独走ゴールが決まり、4-3で激闘を制していた。 なんとか決勝に進出した日本は、決勝で中国代表を撃破。見事に大会連覇を成し遂げていた。 久しぶりの対戦を前に『DAZN』は当時の試合映像をプレイバック。SNS上のファンも「このゴールで中澤佑二に惚れた」、「バーレーン戦といえばこの試合よな」、「痺れたね、玉田」、「まさに「死闘」ってカンジだった!」、「2004の大会は激熱だった」と当時を思い返している。 ベスト8を懸けた一戦は、31日の20時30分にキックオフ。『DAZN』で視聴が可能だ。 <span class="paragraph-title">【動画】当時の記憶が蘇る!2004年大会でのバーレーンとの激闘ハイライト</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">/<br>「バーレーンvs日本」<br>過去対戦をプレイバック<br>\<br><br>アジアカップ2004年大会で起きた<br>奇跡の大逆転劇<br><br><a href="https://twitter.com/hashtag/AFC%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#AFCアジアカップ</a> ラウンド16<br>バーレーン×日本<br>1/31(水)20:30(19:45配信開始)<br><a href="https://twitter.com/hashtag/DAZN?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#DAZN</a> 独占配信<br>出演:水沼貴史/小野伸二/佐藤寿人/下田恒幸/桑原学 <a href="https://t.co/x7Sals8iKu">pic.twitter.com/x7Sals8iKu</a></p>— DAZN Japan (@DAZN_JPN) <a href="https://twitter.com/DAZN_JPN/status/1752609401201189348?ref_src=twsrc%5Etfw">January 31, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.31 18:45 Wed2
新理事会と残念だった西尾隆矢の報復/六川亨の日本サッカー見聞録
JFA(日本サッカー協会)は4月18日、宮本恒靖JFA新会長と新理事による最初の理事会(年度的には第6回)を開催した。既報のとおり技術委員長には影山雅永氏(JFAテクニカルダイレクター)が就任し、新たに各種部会が設置され、代表チームの強化を担当する技術委員会強化部会の部会長には山本昌邦氏(ナショナルチームダイレクター)が就任。ユース育成部会の部会長にはU-18日本代表監督で、解説者の城彰二氏の弟の城和憲氏が就任した。 理事会後の記者会見に臨んだ湯川和之専務理事は、かつては読売クラブの選手で、90年代初めにJFAへ転出。日本代表のマネジャーとしてチームに帯同し、日本の成長を見守ってきた。宮本会長とは97年のワールドユース(現U-20W杯)で選手とマネジャーという間柄。「今日はカジュアルな形での理事会が行われた」と変化を報告しつつ、「新理事にはサッカー界の説明をしました。今まで当り前のことが当り前にできない」と、半数近くが初めてJFAの理事になったことで、サッカー界の現状説明に時間を費やしたことも明かした。 また7月13日(土)には能登半島地震復興支援マッチとして、金沢のゴーゴーカレースタジアムでなでしこジャパンの壮行試合が開催されることも報告された。対戦相手やキックオフ時間などの詳細は未定となっている。 理事会の報告はここまでで、影山技術委員長はドーハへ行っていないとのことだが、U-23アジアカップの初戦、中国戦に関してはCB西尾隆矢のレッドカードに触れないわけにはいかないだろう。いくら相手に背後から身体をぶつけられたからといって、エルボーでの報復は問答無用で一発退場だ。ましてVARがあるのだから、どんな言い訳も通用しない。 大事な初戦、それも開始17分と早い時間帯での軽率なプレーは非難されても仕方がない。まして今大会のグループリーグは中2日の連戦だ。できればターンオーバーで戦いたかったところ、初戦から日本は総力戦による“緊急事態”に追い込まれた。本来ならDF陣のリーダーにならなければいけない西尾だけに、あまりに軽率なプレーは今後の起用にも影響するかもしれない。 森保一監督はカタールのアジアカップで失点を重ねながらもガマン強くGK鈴木彩艶を起用し続けた。果たして大岩剛監督は“汚名返上”の機会を西尾に与えるのかどうか。出場停止が何試合になるかわからないものの、こちらも注目である。 今回の西尾とは違うケースだが、04年に中国で開催されたアジアカップの準決勝、バーレーン戦で遠藤保仁が不運なレッドカードで退場処分になったことがある。パスを出して前線へ走り出した遠藤に、背後からバーレーンの選手が近寄ってきた。遠藤の振った腕が偶然にもバーレーン選手の顔に当たると、オーバーに倒れ込む。すると主審は遠藤にレッドカードを出したのだった。 当時はVARなどない。そしてカードが出てしまえば取り消しようがない。0-1とリード許し、さらに10人になった日本だが、中田浩二と中澤佑二、玉田圭司の2ゴールで4-3の大逆転を演じた。 当時もいまも、日本を相手にどうやったら少しでも有利な状況に持ち込めるか各国は必死に研究しているだろう。まずは挑発に乗らないこと。そして今回のケースでは、主審は見ていなくてもぶつかられたら西尾は倒れてもよかった。ただ、Jリーグでそうしたプレーは推奨されていないし、日本人のメンタリティーからしても相手を欺くようなプレーはやりにくい。 となれば、やはり相手の挑発には乗らないことと、球離れを早くしてフィジカルコンタクトを避けるのが、体力の温存やケガの予防につながるのではないだろうか。明日のUAEもどんな罠を仕掛けてくるのか、油断のならない相手であることは間違いないだろう。 2024.04.19 17:00 Fri3
元代表も!J2・J3で今年40歳以上になるベテラン選手たち
7月4日のJ1再開に先駆け、27日に再開・開幕を迎えるJ2リーグとJ3リーグ。横浜FCのFW三浦知良を始め、J1に在籍する40歳以上のベテラン選手については以前の記事でご紹介したが、今回はJ2・J3に在籍し、今シーズン中に40歳以上になる選手をご紹介したい。 ▼J2リーグ GK本間幸司(水戸ホーリーホック) 1977年4月27日(43歳) J2リーグ通算:574試合出場 本間は1999年に浦和レッズから水戸へ加入。これまでJ2最多となる574試合に出場しているが、昨シーズンは公式戦での出場はなかった。今シーズンで水戸での生活が21年目となる。 DF山本英臣(ヴァンフォーレ甲府) 1980年6月26日(39歳) J2リーグ通算:264試合出場10得点 1999年にジェフユナイテッド千葉でプロキャリアをスタートさせた山本は、2003年に甲府へ加入。在籍17年目となった昨シーズンは明治安田生命J2リーグで16試合に出場し1得点を記録した。 FW玉田圭司(V・ファーレン長崎) 1980年4月11日(40歳) J2リーグ通算:120試合出場26得点 玉田は、柏レイソルや名古屋グランパス、セレッソ大阪でプレーし、昨シーズンから長崎でプレー。明治安田生命J2リーグで35試合に出場し7得点を記録していた。 MF小野伸二(FC琉球) 1979年9月27日(40歳) J2リーグ通算:72試合9得点 日本代表として58試合6ゴールの成績を誇る小野は、浦和レッズ、フェイエノールト、ボーフム、清水エスパルス、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズを渡り歩き、2014年に北海道コンサドーレ札幌入り。昨年8月から琉球へ加わり、明治安田生命J2リーグ9試合に出場した。 ▼J3 FW安彦考真(Y.S.C.C.横浜) 1978年2月1日(42歳) J3リーグ通算:8試合出場0得点 神奈川県出身の安彦は、ブラジルのグレミオ・マリンガでプロ契約を結ぶもケガの影響で退団を強いられて現役を一度引退。その後は、大宮アルディージャの通訳やサッカー教室のコーチを務めていたが、2018年3月に水戸と正式契約に至り、40歳のオールドルーキーとして注目を浴びた。2019年にYS横浜へ移籍すると、開幕戦でJリーグ最年長初出場記録となる41歳1カ月9日でデビューを果たすなど、明治安田生命J3リーグに8試合出場した。 MF稲本潤一(SC相模原) 1979年9月18日(40歳) J3リーグ通算:9試合1得点 稲本は、ガンバ大阪の下部組織出身。G大阪の他、アーセナル、フルアム、WBA、カーディフ、ガラタサライ、フランクフルト、スタッド・レンヌ、川崎フロンターレ、北海道コンサドーレ札幌でプレーした。 世界各国でプレーした稲本は、2019シーズンから相模原に加入。明治安田生命J3リーグで9試合に出場し1得点を記録していた。 MF伊東輝悦(アスルクラロ沼津) 1974年8月31日(45歳) J3リーグ通算:14試合0得点 プロ28年目となる伊東は、長きに渡り清水エスパルスで活躍。2009年にはJ1史上初となる450試合出場を達成した。2010年に18年間プレーした清水からヴァンフォーレ甲府に移籍すると、2011年に500試合出場を達成。その後、AC長野パルセイロ、ブラウブリッツ秋田でのプレーを経て2017年に秋田から沼津に加入。2年間はリーグ戦出場はなかったが、昨シーズンは明治安田生命J3リーグに1試合出場した。 FW中山雅史(アスルクラロ沼津) 1967年9月23日(52歳) J3リーグ通算:0試合0得点 かつてジュビロ磐田のエースストライカーとして一時代を築き上げ、日本代表としても1998年のフランス大会から2大会連続でワールドカップ(W杯)を経験するなど通算53試合21得点を誇る中山。コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)を経て、2015年途中から沼津に所属している。なお、中山は沼津に加入して以来、いまだ出場なし。今シーズンは2012年の札幌時代ぶりとなるプレーが期待される。 MF橋本英郎(FC今治) 1979年5月21日(41歳) J3リーグ通算:19試合1得点 ガンバ大阪でプロキャリアをスタートした橋本はヴィッセル神戸、セレッソ大阪、AC長野パルセイロ東京ヴェルディでのプレーを経て、2019年に大阪府立天王寺高等学校の先輩である岡田武史氏が代表を務める今治へ移籍。今季は2016シーズン以来のJ3の舞台でプレーする。 2020.06.24 10:45 Wed4
日本代表の“11番”と言えば?新たな“キング”は生まれるか
11月11日は「ポッキー&プリッツの日」として有名だが、サッカーが11人同士で戦うことから、「サッカーの日」としても知られている。 そこで今回は日本代表の「11」番にフォーカス。近年の日本代表で背負った選手たちを紹介したい。 背番号「11」はもともと左ウイングのポジションに与えられていた番号で、現代サッカーにおいても攻撃的な選手が着用していることが多い。横浜FCの元日本代表FW三浦知良も「11」を長年着用している。 <div id="cws_ad">◆今から31年前、コリチーバ時代の三浦知良のプレー集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJ6dmY0SERPaSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> “キング・カズ”は日本代表でも背番号「11」を着用。日本の「11」番と言えば真っ先に名前が挙がる選手だ。 カズの次に「11」番を着用したのは小野伸二だ。小野は1998年に行われたフランス・ワールドカップ(W杯)でもこの番号を背負っていた。まさかのメンバー外となったカズの番号を当時18歳の小野が背負うことは当時大きな話題となった。 その後は呂比須ワグナー、三浦淳寛、中山雅史、鈴木隆行が背負い、2002年の日韓W杯では鈴木が日本代表の背番号「11」を背負った。 それからは松井大輔、黒部光昭、一度鈴木隆行に戻った後に巻誠一郎が着用。2006年のドイツW杯では巻が日本の「11」番だった。 「11」番の入れ替わりは激しく、佐藤寿人、播戸竜二、玉田圭司、前田遼一、ハーフナー・マイク、原口元気、柿谷曜一朗、豊田陽平といったフォワードたちが背負ってきたが、中々日本代表での結果には恵まれていない。 直近のロシアW杯での宇佐美貴史や、2019年のアジアカップで「11」番を背負った北川航也らも、ゴールという結果を出せなかった一人だ。 今年10月の国際親善試合では、堂安律がこれまでの「21」番ではなく「11」番を背負ったものの、11月のオーストリア遠征ではクラブ事情により代表不参加が決定している。 今後、堂安が背番号「11」を自らの番号とする活躍を見せるのか。それとも別の“キング”が誕生することになるのか。日本代表の「11」番に注目していきたい。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad">◆“キング・カズ”以降の日本代表「11」番<br />三浦知良:~1997-98<br />小野伸二:1997/98<br />呂比須ワグナー:1998/99-99/00<br />三浦淳寛:1999/2000<br />中山雅史:2000/01<br />鈴木隆行:2001/02-04/05<br />松井大輔:2002/03<br />黒部光昭:2003/04<br />巻誠一郎:2005/06<br />佐藤寿人:2007/08<br />播戸竜二:2007/08-09/10<br />玉田圭司:2008/09-10/11<br />宮市亮:2011/12<br />清武弘嗣:2011/12<br />藤本淳吾:2011/12<br />前田遼一:2011/12<br />ハーフナー・マイク:2011/12-13/14<br />原口元気:2013/14<br />柿谷曜一朗:2014/15<br />豊田陽平:2014/15<br />宇佐美貴史:2014/15-17/18<br />齋藤学:2016/17<br />久保裕也:2017/18<br />乾貴士:2017/18<br />小林悠:2017/18<br />北川航也:2018/19<br />三好康児:2019/20<br />永井謙佑:2019/20<br />田川亨介:2019/20<br />堂安律:2020/21</div> 2020.11.11 19:05 Wed玉田圭司の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2022年2月1日 | 長崎 | 引退 | - |
2019年1月5日 | 名古屋 | 長崎 | 完全移籍 |
2017年1月6日 | C大阪 | 名古屋 | 完全移籍 |
2015年1月6日 | 名古屋 | C大阪 | 完全移籍 |
2006年1月19日 | 柏 | 名古屋 | 完全移籍 |
2000年2月4日 | ミラソウFC | 柏 | レンタル移籍終了 |
1999年12月6日 | 柏 | ミラソウFC | レンタル移籍 |
1999年1月1日 | 柏 | 完全移籍 |