バカリ・サーニャ

Bacary SAGNA
ポジション DF
国籍 フランス
生年月日 1983年02月14日(42歳)
利き足
身長 176cm
体重 72kg
ニュース 人気記事 クラブ

バカリ・サーニャのニュース一覧

▽現在フリーの元フランス代表DFバカリ・サーニャ(34)のベネヴェント入りが濃厚となっているようだ。『EUROSPORT』が伝えている。 ▽ユース時代を過ごしたオセールでプロキャリアをスタートさせたサーニャは、2007年夏にアーセナルに移籍。アーセナルでは、長年不動の右サイドバックとして活躍し、通算285試合に出 2018.02.03 17:09 Sat
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リーグ・アンのマルセイユが、昨夏から無所属となっている元フランス代表DFバカリ・サーニャと接触していると報じられている。マルセイユは今季、ベテランのパトリス・エブラがファンを蹴るという問題行動で解雇されたこともあり、左サイドバックの選手層が手薄に。ここ数試合は、右サイドバックが本職である日本代表DF酒井宏樹が左サイドで 2018.01.31 13:47 Wed
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▽昨季限りでマンチェスター・シティを退団して以降、フリーの状態が続くフランス代表DFバカリ・サーニャ(34)にトリノ行きの可能性が浮上している。イギリス『デイリー・メール』が伝えている。 ▽2014年にアーセナルからシティに加入したサーニャは、以降の在籍3年間で公式戦86試合に出場。アルゼンチン代表DFパブロ・サ 2017.09.03 14:39 Sun
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▽マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督が、サイドバックの補強のために1億1000万ポンド(約155億6000万円)を投入することを望んでいるようだ。イギリス『デイリー・スター』が報じた。 ▽シティは、2016-17シーズン限りでDFパブロ・サバロタ、DFバカリ・サーニャ、DFガエル・クリシのサイ 2017.06.25 13:47 Sun
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本田圭佑が世界選抜の同点弾演出にPK成功、ベンチには中田英寿氏! カカ、リバウド、フォルラン、ダビド・シルバら豪華レジェンド揃い踏み、ギグス&ルイス・ガルシアが躍動し香港選抜とPK戦決着

1日、ルナー・ニューイヤー・カップの世界選抜vs香港選抜が香港スタジアムで行われ、3-3で90分が終了。世界選抜がPK戦を6-5で制した。 旧正月を祝う香港で恒例の大会。今回は世界と香港のレジェンド選手が対峙し、世界選抜には元日本代表MF本田圭佑も参加。元日本代表MF中田英寿氏がベンチに座り、本田と言葉を交わす場面もあった。 世界選抜はGKペトル・チェフがゴールマウスに。ルシオ、アシュリー・コール、カフー、ライアン・ギグス、ポール・スコールズ、カカ、ダビド・シルバ、エデン・アザール、リバウド、ディエゴ・フォルランと豪華メンバーがピッチに立った。 世界選抜は27分、オーバーラップしたカフーの右クロスから香港選抜のオウンゴールを誘うが、オフサイドで得点は認められず。すると31分、香港選抜の右クロスからリー・ホン・リムが決め、世界選抜は先制点を許してしまう。 追いついたのは38分。スコールズが左サイドでボールを奪うと、アザールが左ポケットでキープ。外から上がったギグスがパスを受けると、中を見る視線のフェイントからゴール左隅に流し込む。 攻め入りながらも度々カウンターを浴びる世界選抜。42分にもピンチを迎えたが、GKチェフの2連続セーブで凌ぐ。 しかし前半アディショナルタイム、攻めあぐねた世界選抜はロングカウンターから再び失点。リー・ホン・リムが2点目を奪う。ここでGKチェフが痛めたようで、交代を要求しながら前半を終える。 後半は本田がピッチへ。他にはGKデイビッド・ジェームズ、ネマニャ・ヴィディッチ、ギャリー・ケイヒル、バカリ・サーニャ、ルイス・ガルシア、ジブリル・シセが登場する。 本田も右サイドからゲームメイクに絡んでいくが、攻勢で入った香港選抜が50分に追加点。味方との連携からゴール前へ抜け出したジュ・インジーがループシュートを選択すると、GKジェームズが弾ききれずネットが揺れる。 ハーフタイムで退いたフォルランやギグスが再登場するなか、52分には右サイドで仕掛けた本田がグラウンダーのクロス。味方には合わない。 57分、左CKからケイヒルのヘディングシュートで襲いかかるが、これは左ポストに直撃。2点ビハインドの世界選抜は徐々にギアを上げていく。 反撃の一撃は75分のルイス・ガルシア。左サイドでキープしたギグスのクロスに頭から飛び込み、叩き込んだ。 そのまま追いつきたい世界選抜は、本田がシュート。相手GKが飛び出したところ、右サイド深い位置から右足で狙ったが、枠は捉えられない。すると88分、本田が世界選抜に貴重な同点ゴールをもたらす。右サイドでのキープから左足でクロス。合わせたシセのヘディングシュートをGKが弾くと、ルイス・ガルシアがすかさず押し込んだ。 後半アディショナルタイムにはギグスのクロスにルイス・ガルシアが頭で合わせたが、逆転は叶わず。3-3で90分を終え、PK戦に持ち込まれた。 ともに成功させていき、先攻の世界選抜は3人目のルイス・ガルシアがパネンカ。失敗なしでサドンデスに入ると、世界選抜6人目は本田が務め、ゴール右に落ち着いて成功。すると、GKジェームズが香港選抜6人目のシュートをストップ。世界選抜がPK戦の末に勝利を手にした。 世界選抜 3-3(PK: 6-5) 香港選抜 【世界】 ライアン・ギグス(前38) ルイス・ガルシア(後30、後43) 【香港】 リー・ホン・リム(前31、前45+1) ジュ・インジー(後5) 2025.02.01 23:12 Sat
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「何かが私の頭の中で壊れた」サーニャがアーセナルを去った当時の想いを語る

元フランス代表DFのバカリ・サーニャは、アーセナルからマンチェスター・シティへ移籍した当時のことを振り返った。 特徴的なドレッドヘアーが印象的なサーニャは、フランス代表として65キャップを誇り、2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)と2014年のドイツW杯の2大会に出場している。 <div style="margin:0 auto; min-width:300px; "><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJhVUpXNkZNdSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div> サーニャは、2007年7月にオセールからアーセナルへ移籍。その後、7年にわたって所属したアーセナルを離れ、2014年7月にシティへフリーで移籍し、多くのグーナーに衝撃を与えていた。 現在は無所属であり、家族と共にカナダで生活をするサーニャは、当時の電撃移籍のキッカケについて『Goal』での独占インタビューで語り、元オランダ代表ロビン・ファン・ペルシ―のマンチェスター・ユナイテッド移籍がキッカケでクラブに疑問を持つようになったと明かした。 「動揺したのは、(セスク・)ファブレガスの時でもない。彼が移籍することは、前からわかっていた。(サミル・)ナスリの時でもない。ロビン(・ファン・ペルシ)の時だ。クラブからの声明のようなものだった。誰も理解できない方法で、飛ぶように去っていったんだ」 「彼は異なるタイプの選手だった。ピッチの上では動物であり、ゴールマシーンの様だった。彼が去ったとき、なぜアーセナルが彼をキープするために努力しなかったのか、理解できなかった」 「仮に多くの資金を費やす必要があったとしても、それは使ってほしかった。別の選手を獲得するにはお金を払わなければなかったのだからね。そして、何かを勝ち取りたい場合、その選手が適応するのに時間がかかる」 また、元カメルーン代表MFアレックス・ソングが同時期にバルセロナへと移籍したことも衝撃だったと語った。 「アレクサンドル・ソングの移籍も理解できなかった。2人は同時にチームを去った。そして、僕はフランスの新聞を読んで気づいたんだ。それは、僕を怒らせたね」 「その少しあと、『レキップ』のインタビューがあったんだ。そこで、僕の将来について問われたよ。自分の将来については何も話していなかったし、契約が終了するまであと1年しかなかった」 「個人的にも、チームが残留を求めるなら僕は残ったと思う。でも、彼らは僕を留めるために全てを尽くしたとは思えなかった。僕のことを追いかけることは期待していなかったけど、少なくとも僕に愛情を示し、僕が何も要求せずに6年間保っていた同じ契約の終了前に、1年間滞在したいと思わせるような気分にしてくれることを期待していた」 「でも、『レキップ』とのインタビューの後、チームは僕に話をしてきた。でも、それは自然な行動だとは思えなかったし、全く気持ちの良いものではなかったんだ。選手としても人間としても最善を尽くしていたし、2008年から2014年まで何も求めなかったので、傷ついたよ」 「新しい契約のためにクラブのドアをノックしたのではなく、アーセナルとの契約交渉を尊重しようとしたよ。ただ、結果として汚い方法での移籍になってしまった。気に入らなかったし、気分が良くなかった。このチームに抱いていた何かが、私の頭の中で壊れていくようだった」 一方、マンチェスター・シティは2008年にオーナーが現体制のシェイク・マンスール氏に変わり、大金をつぎ込んだチーム改革を行い始めた。 そんなシティへ、当時31歳での移籍となったサーニャは、トーゴ代表FWエマニュエル・アデバヨール(現オリンピア・アスンシオン)、元フランス代表DFガエル・クリシー(現イスタンブール・バシャクシェヒル、元フランス代表MFサミル・ナスリ(現アンデルレヒト)に続く、アーセナルから加入する選手となっていた。 しかし、それらの移籍は関係なく、あくまでも自分の意思で移籍を決めたという。 「皆が言うようなお金やタイトル狙いが目的じゃない。それどころか、私はアーセナルというチームにいられることに満足していたんだ」 「でも、頭の中はどこかに行き、動揺していた。ファンの皆にも、「残ってほしい」と言われていたのは知っているよ。ただ、当時はクラブに対しての苛立ちから、残るという選択はできなかったんだ」 「僕はいくつかの素晴らしい瞬間を味わい、難しい時期を過ごした。良いシーズンも、平凡なシーズンもあった。でも、その間はネガティブなことよりも、ポジティブなことをしていたと思うし、何も求めていなかった」 「だから、もう少しリスペクトされることを期待して、決心したんだ。彼らがやって来て、どのように助けになるかを言われたけど、僕は遅すぎたよと言ったんだ」 2019年にプレーしたMLS(メジャーリーグ・サッカー)のモントリオール・インパクトを退団して、現在フリーの身となったサーニャだが、新型コロナウイルス(COVID-19)での中断が解除され次第、再びプレーする可能性はある。 2020年1月の移籍市場ではヨーロッパへ戻る可能性もあったが、現在はカナダでの市民権を申請しており、モントリオールに留まることを決めていた。 2020.03.31 18:03 Tue
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熱きノースロンドン・ダービー、最強のベストイレブンは!?【アーセナル編】

6日、今シーズン最初の”ノースロンドン・ダービー”が行われる。トッテナム・ホットスパースタジアムで行われるプレミアリーグ第11節は、結果が出ずに14位に沈むアーセナルが首位のトッテナムの本拠地に乗り込むという構図だ。 過去にはアーセナルをトッテナムが上回ることができない時代が長らく続き、ノースロンドンの覇権は完全にアーセナルが握っていたものの、徐々にトッテナムが成績でも追いつき、近年では完全にトッテナムが上回る構図に変わった。 <div id="cws_ad">◆2019-20 ノースロンドン・ダービー<div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJTeDZPVFpEUyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> そこで、今回は歴代の“ノースロンドン・ダービー”におけるベストイレブンを選出。トッテナム、アーセナルに分けた歴代のベストイレブン(プレミアリーグ開幕後の1992年以降の選手が対象)と寸評を併せて激闘の歴史を振り返る。 通算成績では77勝51分け59敗とアーセナルが大きく勝ち越している一方で、直近10試合の戦績は2勝5分け3敗と負け越しており、ここ4年のプレミアリーグではトッテナムよりも下位でフィニッシュするなど、立場が変わってきている。 その分、1999年11月から2008年1月まではダービーでトッテナムに勝利を許さないなど、クラブの黄金期にはライバルを圧倒。当時の主力らが名を連ねてた。 ◆アーセナルベストイレブン GK イェンス・レーマン(ドイツ/2003-2008,2011) ダービー成績:8試合出場 通算8試合のノースロンドン・ダービーに出場し4勝4分けの無敗。チャンピオンズリーグ853分無失点の記録も持つ守護神。 DF バカリ・サニャ(フランス/2007-2014) ダービー成績:13試合出場1ゴール3アシスト アーセン・ヴェンゲル監督からの信頼も厚かったサニャ。2011年10月のダービーではトッテナムDFブノワ・アスー=エコト氏のチャージを受け右足の腓骨を骨折している。 トニー・アダムス(イングランド/1983-2002) ダービー成績:14試合出場1ゴール 元コートジポワール代表DFのコロ・トゥーレ氏の存在も捨てきれなかったが、「ミスター・アーセナル」とまで呼ばれたアダムス氏を選出。ダービー通算14試合で1ゴールを記録。FAカップでも3試合に出場しいずれも準決勝で対戦。1992-93シーズンでは決勝ゴールを記録していた。 ソル・キャンベル(イングランド/2001-2006,2010) ダービー成績:8試合出場 2001年にトッテナムからフリーでアーセナルへと加入。スパーズサポーターからの大きな反感を買い。2003-04シーズンにアーセナルが当時のトッテナムの本拠地ホワイト・ハート・レーンで優勝を決めた時には、優勝セレモニーには参加しなかった。 アシュリー・コール(イングランド/1999-2006) ダービー成績:8試合出場 当時は世界最高の左サイドバックとの呼び声も高かったコール氏。アーセナルとチェルシーの左サイドバックとして長年トッテナムを苦しめ、両チーム通算で対スパーズ戦12勝11分け2敗。アーセナルでは6勝3分け無敗。 MF セオ・ウォルコット(イングランド/2006-2018) ダービー成績:13試合出場4ゴール4アシスト 2000年代後半からアーセナルの右サイドを担った快速アタッカー。2014年1月のダービーでは、負傷してストレッチャーで運ばれる際に、スタンドに向かって当時のスコア「2-0(でアーセナルの勝ち)」のジェスチャーを行い、トッテナムサポーターの怒りを買った。 パトリック・ヴィエラ(フランス/1996-2005) ダービー成績:16試合出場4ゴール4アシスト 2003-04シーズン無敗優勝立役者の一人。アーセナル時代にはカップ戦を含みトッテナムと17回対戦し5ゴール4アシストをマーク。ピレス氏同様に、トッテナムはキャリアを通して最もゴールを決めた相手だ。 トマシュ・ロシツキ(チェコ/2006-2016) ダービー成績:11試合出場2ゴール チェコが生んだ天才司令塔。ケガによる欠場も多かったものの、自身が先発出場したトッテナム戦ではわずか1敗。通算でも3ゴール1アシストとゴールにつながる結果を残している。 ロベール・ピレス(フランス/2000-2006) ダービー成績:11試合出場8ゴール1アシスト MFながらプレミアリーグにおけるノースロンドン・ダービー史上3位の通算8ゴールをマーク。トッテナムはピレスがキャリアを通して最もゴールを決めた相手だ。 FW ティエリ・アンリ(フランス/1999-2007,2012) ダービー成績:10試合5ゴール1アシスト 言わずもがなアーセナルの大エース。アンリ氏がアーセナルに在籍したのが1999年から2007年。アーセナルがトッテナム相手に全く負けなかったのが1999年11月から2008年1月なのは偶然ではないはずだ。 ロビン・ファン・ペルシ(オランダ/2004-2012) ダービー成績:14試合5ゴール4アシスト 元イングランド代表FWイアン・ライト氏との二択だったが、ファン・ペルシ氏を選出。5ゴール4アシストと多くのゴールに絡んだ活躍を評価しての選出となった。 2020.12.06 22:15 Sun

バカリ・サーニャの移籍履歴

移籍日 移籍元 移籍先 種類
2020年1月1日 モントリオール 引退 -
2018年8月8日 ベネヴェント モントリオール 完全移籍
2018年2月3日 無所属 ベネヴェント 完全移籍
2017年7月1日 マンチェスター・C 無所属 -
2014年7月1日 アーセナル マンチェスター・C 完全移籍
2007年7月12日 オセール アーセナル 完全移籍
2004年7月1日 AJオセールB オセール 完全移籍
2001年7月1日 AJオセールU19 AJオセールB 完全移籍
1997年7月1日 AJオセールU19 完全移籍