ラモス瑠偉
Ruy RAMOS
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
日本
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| 生年月日 | 1957年02月09日(68歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | 181cm |
| 体重 | 71kg |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
ラモス瑠偉のニュース一覧
東京ヴェルディのニュース一覧
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1
城福トーキョーの逆襲/六川亨の日本サッカーの歩み
Jリーグは12月3日に全日程を終了し、残すは9日の天皇杯決勝だけとなった。すでに各カテゴリーの優勝チームは決定し、J1リーグの得点王には大迫勇也とアンデルソン・ロペスが初の栄誉に輝いた。 そんな23年シーズンでとりわけ印象深いのが、“オリジナル10"によるJ1昇格プレーオフだった。結果は東京Vが16年ぶりにJ1の舞台へ復活を果たした。監督に就任して2シーズン目での快挙に、城福浩監督の招聘は“吉"と出たわけだ。 城福監督の手腕を一言で表すなら「過去の呪縛からの解放」がふさわしい。 読売クラブ、ヴェルディ川崎と続いた伝統で、個人技主体のブラジルスタイルがクラブのアイデンティティとして守られてきた。確かに選手個々の個人技はしっかりしているし、戦術眼も高い。J2リーグで結果を残せず中位に低迷しても、試合内容で圧倒されることはなかった。高い技術があるからこそ、毎年のように主力選手は他チームに引き抜かれていた。 J元年の松木安太郎氏に始まり、小見幸隆氏、ラモス瑠偉氏、柱谷哲二氏、永井秀樹氏ら歴代監督もクラブのOBが多かったため、伝統を変えることは難しかったのだろう。過去の栄光を知っているだけに、路線の変更には抵抗があったはずだ。 そんな伝統を城福監督は2シーズン半でまったく違うチームに作り替えた。城福監督自身、2016年にFC東京の監督に再就任したときは、「人もボールも動く」ムービングフットボールを提唱した。いわゆるポゼッションスタイルである。 しかし16年はACLプレーオフで駒野友一とハ・デソンが負傷離脱すると、その後は中島翔哉も負傷するなど難しい舵取りになった。当時はJ1リーグとACLに加えて、U-23チームがJ3リーグに参戦するなど超過密日程のため、選手のフィジカルはコンディションを調整することがやっとだった。ACLはラウンド16で上海上港にアウェーゴールで敗れ、城福監督も解任された。 しかし昨シーズン、東京Vの監督に就任すると、敵の陣内ではパスをつないでペナルティエリア内への侵入を図るものの、基本は前線からのハイプレス、ハイラインでボールを奪ってのショートカウンターにチームを作り替えた。これはいまのサッカー界のトレンドに沿った、正攻法と言ってもいいだろう。なぜなら神戸や町田も同じスタイルで今シーズンは結果を残したし、昨年のカタールW杯でもアルゼンチンが3度目の世界王者に輝いている。 そんな城福監督が、プレーオフ決勝後の記者会見でヴェルディからオファーがあった際に一度は断ったエピソードを紹介した。 「冬にヴェルディから話をいただいて、断りました。自分がヴェルディに行けるわけないだろうと。おそらく結果が出なければ、あそこ(FC東京)から来たからだろうと言われるのは覚悟していました」 この言葉を聞いて不思議に思った記者もいたのではないだろうか。実は、FC東京関係者の東京Vに対するライバル意識には半端ないものがある。東京Vのクラブハウスで取材していても、FC東京に対するライバル意識はまるで感じられないが、FC東京のクラブハウスへ取材に行く際に、グリーンの持ち物(シューズやジャケットなど)はNGという暗黙の了解がある。それだけ強烈に東京Vを意識している。 城福監督は、そうした因縁も含め、自身の退路を断つ意味でも覚悟を決めて監督に就任したのではないだろうか。そして「夏にもう1度(オファーを)頂いた時には、東京ダービーを再現させれば、Jリーグがもう一度盛り上がると思いました。自分はこのクラブがJ1に上がれば必ずキラーコンテンツになる。このヴェルディがもう1度日本一を争えるチームになるというのは、こんなに素敵なストーリーはないのかなと思っています」と監督を引き受けた理由を明かした。 来シーズンは16年ぶりにJ1で東京ダービーが復活する。さらに町田も加わるので、3チームそれぞれのダービーは何というネーミングになるのか(東京Vと町田は東京クラッシック)。こちらも来シーズンの楽しみの1つと言える。 2023.12.04 21:45 Mon2
プロABC契約の撤廃を歓迎/六川亨の日本サッカー見聞録
今週はうれしいニュースと残念なニュースが交錯した。 まず、うれしいニュースは24日のJリーグ理事会でプロ選手の「ABC契約」が26年2月から撤廃されることだ。正直、時代に即しているとは言い難い契約がずいぶん長く踏襲されてきた。それがやっと撤廃されることが決まった。 この「プロ選手のABC契約」、導入されたのは1999年のことだった。高卒、大卒にかかわらず、日本人選手はまずプロC契約からスタートする。その際の年俸は460万円で(新卒サラリーマンの月給38万円は当時の物価からすればそれなりの高給だったが、プロとして誇れる数字ではないだろう)、出場試合数に応じてB契約、A契約と更新することができた。 この「プロABC契約」を導入したのは川淵三郎チェアマンだった。当時のJリーグには年俸の上限がなく、それこそJリーグ開幕前は選手の引き抜きを防ぐため、ラモス瑠偉や三浦知良、都並敏史、柱谷哲二、北澤豪、武田修宏ら元&現代表を擁するヴェルディ川崎(現東京V)などは“億”という年俸を選手に用意したと言われている。 当然、高卒や大卒の有望選手にも高額のオファーが提示されるようになる。いきなりヨーロッパのクラブに行っても契約できる時代ではない。まずは「Jリーグでプロになる」のがサッカー選手にとって“憧れ”の時代であり、高額な年俸はきわめて魅力的だった。 ただ、そうした栄華も長くは続かない。95年を境にJリーグブームは下り坂を迎え、日本経済のバブルも弾けた。そして97年、Jリーグバブルの頃は「会社の利益が税金で取られるくらいなら選手に還元する」という方針だった清水が経営難に陥り、運営母体だったテレビ静岡が経営から撤退。その後、関係者の努力により地元企業の新スポンサーが短期の約束だったが今日まで支援を続け、いま現在も清水をサポートしている。 清水に限らず、佐藤工業(フリューゲルスのスポンサー)やフジタ工業(ベルマーレ平塚のスポンサー)などゼネコンは業績不振に直面し、V川崎やジェフ市原(現ジェフ千葉)も観客動員に苦しんだ。そして98年10月、横浜フリューゲルスがJリーグから消滅し、窮余の策として横浜マリノスと合併することが電撃的に決まった。さらに11月にはJリーグの隆盛の一翼に担ってきたV川崎から、親会社である読売新聞とグループ企業が撤退することが正式に決まった。日本が初めてW杯に出場したにもかかわらず、だ。 翌99年、危機に直面したJリーグは「身の丈にあった経営」(川淵チェアマン)を提唱していたが、さらに選手の初年度の年俸に「ABC契約」という制限を加えたのに加え、1チームのプロ保有選手を25人に絞り、各クラブには経営状況を開示・報告するよう求めた。これは現在も受け継がれていて、クラブの健全経営の礎ともなっている。 ただし「ABC契約」は施行から四半世紀が過ぎている。その間に多くの選手が海外へ流出し、高卒や大卒で直接海外のリーグへチャレンジする選手も増えてきた。もはや“形骸化”したルールと言っていいだろう。撤廃は自然の流れであり、JFAでの選手登録は「プロ」か「アマチュア」の2種類、プロ選手の最低基本年俸は1200万円、新天地での生活のための支度金(引っ越しなどの費用)は500万円(独身、妻帯者を問わず)で一律化された。 やっと「時代が追いついてきたな」というのが正直な感想でもある。これには長年に渡る日本プロサッカー選手会(JPFA)の働きかけも大きかったのだろう。ただ、導入が26年からというのが気になるところ。会見で野々村芳和チェアマンは「J60クラブのヒアリングは終わっている」としてJ3クラブにとっても負担にならない金額であることを強調していた。たぶんJFLや大学・高校などJFAとの調整もあるのだろう。こちらは一日も早い導入を実現してほしいと願わずにはいられない。 そして残念なニュースは、WEリーグの新理事から女性理事が大幅に減少したことだ。こちらについては機会を改めて私見を述べたいと思っている。 2024.09.27 22:00 Friラモス瑠偉の移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 1997年12月1日 |
東京V |
引退 |
- |
| 1997年7月1日 |
京都 |
東京V |
完全移籍 |
| 1996年7月1日 |
読売クラブ |
京都 |
完全移籍 |
| 1977年1月1日 |
|
読売クラブ |
- |
ラモス瑠偉の監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2020年2月10日 |
東京V |
スポーツ・ディレクター |
| 2018年1月1日 | 2020年2月9日 |
不明 |
- |
| 2014年2月1日 | 2016年7月22日 |
岐阜 |
監督 |
| 2006年2月1日 | 2008年1月31日 |
東京V |
監督 |
| 2005年9月13日 | 2006年1月31日 |
柏 |
アシスタントコーチ |
| 2003年2月1日 | 2004年1月31日 |
琉球 |
監督 |
| 2001年5月1日 | 2002年10月30日 |
沖縄かりゆし |
監督 |
ラモス瑠偉の今季成績
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勝
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分
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負
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| 明治安田J1リーグ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| YBCルヴァンカップ2025 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 合計 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
ラモス瑠偉の出場試合
| 明治安田J1リーグ |
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| 第1節 | 2025-02-16 |
|
vs |
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清水エスパルス | ベンチ外 |
|
H
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| 第2節 | 2025-02-22 |
|
vs |
|
鹿島アントラーズ | ベンチ外 |
|
A
|
| 第3節 | 2025-02-26 |
|
vs |
|
FC町田ゼルビア | ベンチ外 |
|
A
|
| 第4節 | 2025-03-02 |
|
vs |
|
ガンバ大阪 | ベンチ外 |
|
H
|
| 第5節 | 2025-03-08 |
|
vs |
|
アルビレックス新潟 | ベンチ外 |
|
A
|
| 第6節 | 2025-03-15 |
|
vs |
|
名古屋グランパス | ベンチ外 |
|
H
|
| 第7節 | 2025-03-29 |
|
vs |
|
柏レイソル | ベンチ外 |
|
A
|
| 第8節 | 2025-04-02 |
|
vs |
|
FC東京 | ベンチ外 |
|
H
|
| 第9節 | 2025-04-05 |
|
vs |
|
横浜F・マリノス | ベンチ外 |
|
A
|
| 第10節 | 2025-04-12 |
|
vs |
|
ヴィッセル神戸 | ベンチ外 |
|
H
|
| 第11節 | 2025-04-20 |
|
vs |
|
川崎フロンターレ | ベンチ外 |
|
A
|
| 第12節 | 2025-04-25 |
|
vs |
|
セレッソ大阪 | ベンチ外 |
|
H
|
| 第13節 | 2025-04-29 |
|
vs |
|
ファジアーノ岡山 | ベンチ外 |
|
A
|
| 第14節 | 2025-05-03 |
|
vs |
|
浦和レッズ | ベンチ外 |
|
A
|
| 第15節 | 2025-05-06 |
|
vs |
|
横浜FC | ベンチ外 |
|
H
|
| 第16節 | 2025-05-11 |
|
vs |
|
湘南ベルマーレ | ベンチ外 |
|
H
|
| 第17節 | 2025-05-17 |
|
vs |
|
サンフレッチェ広島 | ベンチ外 |
|
A
|
| YBCルヴァンカップ2025 |
|
|
|||
| 1回戦 | 2025-03-20 |
|
vs |
|
AC長野パルセイロ | ベンチ外 |
|
A
|
| 2回戦 | 2025-04-16 |
|
vs |
|
ブラウブリッツ秋田 | ベンチ外 |
|
A
|

日本
京都
読売クラブ
岐阜
柏
琉球
沖縄かりゆし