フランチェスコ・トッティ

Francesco TOTTI
ポジション FW
国籍 イタリア
生年月日 1976年09月27日(48歳)
利き足
身長 180cm
体重 82kg
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フランチェスコ・トッティのニュース一覧

ローマのイタリア代表MFロレンツォ・ペッレグリーニが、開幕直後の監督交代、自身に対するロマニスタからの批判に対して率直な思いを語った。イタリア『スカイ・スポルト』が伝えている。 今夏の移籍市場では積極補強を敢行したものの、セリエA開幕4試合で未勝利と低調なスタートを切ったローマは、クラブ首脳陣との確執も伝えられた 2024.10.03 08:15 Thu
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ローマのレジェンドである元イタリア代表FWのフランチェスコ・トッティ氏が、古巣に対して包み隠さぬ思いを語っている。イタリア『Il Messaggero』が伝えている。 クラブ歴代最多の公式戦786試合に出場し307ゴールを挙げるなど、28年間もの長きに渡ってローマ一筋のキャリアを歩んだトッティ氏。しかし、2019 2024.09.12 17:45 Thu
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ローマに所属するポーランド代表MFニコラ・ザレフスキ(22)のガラタサライ移籍が濃厚となった。 移籍市場に精通するニコロ・スキラ氏などイタリアの複数メディアによると、ローマとガラタサライはアドオンを含めた1000万ユーロ(約15億7000万円)程度の移籍金で合意に至ったという。 さらに、ザレフスキは元チーム 2024.09.11 07:00 Wed
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ローマに加入したドイツ代表DFマッツ・フンメルスが新天地での意気込みを語った。 これまでドルトムントとバイエルン、ドイツ代表で主力を担った百戦錬磨のセンターバック。昨シーズン限りでドルトムントを退団した中、今夏の去就に注目が集まった35歳はおよそ15クラブの公式オファーを固辞したなか、新天地にローマを選択した。 2024.09.08 09:10 Sun
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クリスティアン・トッティ(18)が新天地を1カ月あまりで退団へ。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 フランチェスコ・トッティ氏の長男、クリスティアン・トッティ18歳。父がイタリア代表の一員としてドイツW杯を制す前夜、2005年11月に生を受け、幼少期から注目を集めてきた。 父と同じくローマの下部組 2024.08.02 22:05 Fri
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「僕がここに…クレイジーだ」美男子コルパーニがSNSで知ったイタリア代表初選出の喜び語る「鳥肌が…」

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メッシとローマのレジェンド2人…モウリーニョが共闘願った選手明かす 「常に望んでいた」

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ローマとサッスオーロがヴォルパート&ミッソーリの新たな交渉を設定

ローマとサッスオーロが、U-21イタリア代表MFクリスティアン・ヴォルパート(19)と、U-19イタリア代表DFフィリッポ・ミッソーリ(19)の若手2選手の移籍を巡る新たな交渉を行うようだ。 サッスオーロは以前からMFロレンツォ・ペッレグリーニや、MFダビデ・フラッテージというイタリア代表選手を含め、ローマのプリマヴェーラ育ちの若手選手を獲得し、チームの主力に育て上げてきた。 そういった中、ネロヴェルディが新たに獲得に動いているのが、ヴォルパートとミッソーリという2人の有望株だ。 移籍市場に精通するジャーナリストのニコロ・スキラ氏によると、ローマとサッスオーロはミラノで2選手の完全移籍に関する新たな会談を設定。移籍金1200万ユーロ(約18億8000万円)+将来のリセール時のキャピタルゲインの数十%の支払いという条件で交渉を進めていくことになるようだ。 オーストラリア出身も2020年1月からローマの下部組織でプレーするヴォルパートは、187cmの左利きの攻撃的MF。クラブレジェンドであるフランチェスコ・トッティ氏が経営するエージェンシーに在籍する逸材は、今シーズンの公式戦11試合に出場し、1ゴール1アシストを記録。 先のカタール・ワールドカップに向けてオーストリア代表から招集がかかったものの、イタリアでのA代表デビューを目標とするため、招集を辞退したことでも話題を集めた。 一方、ローマ生まれローマ育ちの生粋のローマっ子であるミッソーリは、182cmの右サイドバック。クレバーさとリーダーシップに優れるDFは、ローマのアカデミーとイタリアの世代別代表でカピターノを任されたエリートで、昨シーズンのカンファレンスリーグでファーストチームデビュー。今シーズン終盤のインテル戦でセリエAデビューを飾ると、以降のボローニャ戦、フィオレンティーナ戦ではいずれもスタメン出場していた。 2023.06.27 17:01 Tue
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モウリーニョ解任のローマに“レジェンド”デ・ロッシが帰還! 監督就任に「この感動は言葉では言い表せない」

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中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える

元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed