土壇場AT弾でドローに持ち込んだレバークーゼンが欧州無敗新記録樹立で決勝へ! ローマは一時追いつくも2季連続決勝逃す…【EL】
2024.05.10 06:12 Fri
ヨーロッパリーグ(EL)準決勝2ndレグ、レバークーゼンvsローマが9日にバイ・アレーナで行われ、2-2のドローに終わった。この結果、2戦合計4-2としたレバークーゼンの決勝進出が決まった。
先週にローマのホームで行われた1stレグはヴィルツ、アンドリッヒのゴールによってアウェイのレバークーゼンが2-0で先勝した。
昨季、敗戦を喫したオリンピコで快勝を収め大きなアドバンテージを手にしてホームに帰還したレバークーゼン。先週末のリーグ戦では積極的にターンオーバーを敢行した中、フランクフルトに5-1の圧勝。1963年~65年にベンフィカが記録したヨーロッパの公式戦無敗記録に並ぶ48試合無敗で、今回の大一番を迎えた。シャビ・アロンソ監督は前回対戦から先発3人を変更。スタニシッチ、アンドリッヒ、ヴィルツに代えてパラシオス、フロジェク、ホフマンを起用した。
一方、ホームで先勝を許して2シーズン連続ファイナル進出に暗雲たれ込めるローマ。先週末に行われたリーグ戦ではターンオーバーに早めのタイミングでの選手交代と今回の大一番を意識した中、ユベントスと1-1のドロー。勝利で弾みをつけられずも、上々のパフォーマンスを見せた。2017-18シーズンのチャンピオンズリーグ準々決勝のバルセロナ戦での“オリンピコの奇跡”の再現を期すデ・ロッシ監督は前回対戦から先発3人を変更。カルスドルプ、スモーリング、ディバラに代えてエンディカ、アンヘリーニョ、アズムンを起用。[4-3-3]から[3-5-2]へ布陣を変えてきた。
アンヘリーニョとスピナッツォーラが3バックの左とウイングバックの位置で盛んに役割を入れ替える変則的な布陣で臨んだローマがアグレッシブな入りを見せる。開始4分にはペッレグリーニのラストパスに抜け出したルカクがボックス内でGKと一対一のビッグチャンスを迎えるが、ここはGKコヴァルの好守に遭う。
この直後にはクリスタンテの右クロスからペッレグリーニのヘディングシュートで決定機を作ったローマだったが、アクシデントが発生。筋肉系のトラブルでプレー続行不可能となったスピナッツォーラを下げてザレフスキをスクランブル投入した。
前半半ばを過ぎると、試合は完全にホームチームペースに。前回対戦同様に右サイドのフリンポンが圧倒的なスピードで違いを生み始めると、左右の攻撃バランスが改善。ハーフコートゲームを展開する中、セットプレーからパラシオスの左ポスト直撃のシュートやフリンポンのミドルシュートで先制点に迫る。
以降もボックス内でのアドリ、フロジェクの連続シュートでゴールに迫るも、GKスヴィラールの驚異的な連続セーブに阻まれてゴールをこじ開けられないレバークーゼン。これに対して、耐えに耐えてきたローマがワンチャンスを活かして先制に成功した。
41分、アンヘリーニョの左サイドからのアーリークロスにボックス内で反応したアズムンがDFターに引き倒されてPKを獲得。これをキッカーのパレデスが豪快に中央へ蹴り込み、43分の先制点とした。これで一気に息を吹き返したローマは、保有元相手に牙を剥くアズムンを起点に際どいシーンを続けて作り出したが、2戦合計スコアでタイに戻すまでには至らず。
互いに選手交代なしで臨んだ後半はレバークーゼンが押し込む入りとなったが、49分にはローマのクリスタンテがボックス内で最初の枠内シュートを記録する。
以降は一進一退の攻防が続く中、ローマはよりスムーズに攻撃を仕掛けると、アズムン、エル・シャーラウィと鋭いミドルシュートでGKコヴァルにファインセーブを強いる。これに対してレバークーゼンも鋭いロングカウンターから58分にホフマン、61分にはショートカウンターからフロジェクとこちらも決定的なシュートを放つが、いずれもローマ守護神のビッグセーブに遭う。
すると、前半同様にその守護神の再三の好守で流れを引き寄せたアウェイチームがゴールをこじ開ける。63分、ローマの右CKの場面でクロスがボックス内のフロジェクの右手に直撃。オンフィールド・レビューの結果、ローマにこの試合2本目のPKが与えられる。これをキッカーのパレデスが今度は左下隅に突き刺した。
2戦合計2-2のイーブンに戻ったことで、ローマは足が攣ったアズムンに代えて中盤のボーヴェを投入。攻守のバランスを整えて逆転を目指す形に。対するレバークーゼンは勝ち越しゴールを奪うため、フロジェクを下げて古巣対戦のシックを最前線に投入した。
その後はレバークーゼンペースで進むも、ローマの堅い守備をこじ開けられない状況が続く。そういった中、80分過ぎに両ベンチが動く。シャビ・アロンソ監督はホフマンを下げて切り札のヴィルツを、ローマは疲労困憊のアンヘリーニョ、ペッレグリーニを下げてスモーリング、エイブラハムを同時投入すると、思わぬ形でスコアが動く。
82分、レバークーゼンの右CKの場面でキッカーのグリマルドが左足インスウィングの鋭いクロスを入れると、前に出てクリアを試みたGKスヴィラールが味方との交錯で触れずにファーに流れたボールがDFマンチーニに当たって大きくコースが変わると、これがゴールネットに吸い込まれた。
思わぬ形のオウンゴールによってレバークーゼンが2戦合計スコアで一歩前に出た中、試合は最終盤の攻防に。ここから前がかる相手のパワープレーを撥ね返すべく両ウイングバックを下げてスタニシッチ、コスヌのセンターバック2人を投入すると、結果的に逃げ切り策かに思われたこの交代が欧州公式戦無敗記録新記録樹立をもたらす。
7分が加えられた後半アディショナルタイムの土壇場の97分、相手陣内右サイドでジャカのスルーパスに反応したスタニシッチがボックス内に侵入。深い切り返しでDFをかわした後、絶妙な左足のグラウンダーシュートをゴール左下隅に突き刺す。
そして、決勝進出へダメ押しとなったこのゴールは同時に無敗記録維持に繋がる劇的なゴールとなり、試合はこのままタイムアップ。この結果、ローマに昨季リベンジを果たしたレバークーゼンが今季無敗を「49」に更新し、欧州公式戦無敗新記録を樹立。23日にダブリンで行われるEL初の決勝ではアタランタと対戦する。
先週にローマのホームで行われた1stレグはヴィルツ、アンドリッヒのゴールによってアウェイのレバークーゼンが2-0で先勝した。
昨季、敗戦を喫したオリンピコで快勝を収め大きなアドバンテージを手にしてホームに帰還したレバークーゼン。先週末のリーグ戦では積極的にターンオーバーを敢行した中、フランクフルトに5-1の圧勝。1963年~65年にベンフィカが記録したヨーロッパの公式戦無敗記録に並ぶ48試合無敗で、今回の大一番を迎えた。シャビ・アロンソ監督は前回対戦から先発3人を変更。スタニシッチ、アンドリッヒ、ヴィルツに代えてパラシオス、フロジェク、ホフマンを起用した。
アンヘリーニョとスピナッツォーラが3バックの左とウイングバックの位置で盛んに役割を入れ替える変則的な布陣で臨んだローマがアグレッシブな入りを見せる。開始4分にはペッレグリーニのラストパスに抜け出したルカクがボックス内でGKと一対一のビッグチャンスを迎えるが、ここはGKコヴァルの好守に遭う。
立ち上がりこそ相手の変則的な戦いに手を焼いたが、すぐさまアジャストしたレバークーゼンはボールを握りながら左のグリマルド、フロジェクを起点に押し込んでいく。16分にはパラシオスがボックス中央で際どいシュートを放つが、これはGKスヴィラールの好守に阻まれる。
この直後にはクリスタンテの右クロスからペッレグリーニのヘディングシュートで決定機を作ったローマだったが、アクシデントが発生。筋肉系のトラブルでプレー続行不可能となったスピナッツォーラを下げてザレフスキをスクランブル投入した。
前半半ばを過ぎると、試合は完全にホームチームペースに。前回対戦同様に右サイドのフリンポンが圧倒的なスピードで違いを生み始めると、左右の攻撃バランスが改善。ハーフコートゲームを展開する中、セットプレーからパラシオスの左ポスト直撃のシュートやフリンポンのミドルシュートで先制点に迫る。
以降もボックス内でのアドリ、フロジェクの連続シュートでゴールに迫るも、GKスヴィラールの驚異的な連続セーブに阻まれてゴールをこじ開けられないレバークーゼン。これに対して、耐えに耐えてきたローマがワンチャンスを活かして先制に成功した。
41分、アンヘリーニョの左サイドからのアーリークロスにボックス内で反応したアズムンがDFターに引き倒されてPKを獲得。これをキッカーのパレデスが豪快に中央へ蹴り込み、43分の先制点とした。これで一気に息を吹き返したローマは、保有元相手に牙を剥くアズムンを起点に際どいシーンを続けて作り出したが、2戦合計スコアでタイに戻すまでには至らず。
互いに選手交代なしで臨んだ後半はレバークーゼンが押し込む入りとなったが、49分にはローマのクリスタンテがボックス内で最初の枠内シュートを記録する。
以降は一進一退の攻防が続く中、ローマはよりスムーズに攻撃を仕掛けると、アズムン、エル・シャーラウィと鋭いミドルシュートでGKコヴァルにファインセーブを強いる。これに対してレバークーゼンも鋭いロングカウンターから58分にホフマン、61分にはショートカウンターからフロジェクとこちらも決定的なシュートを放つが、いずれもローマ守護神のビッグセーブに遭う。
すると、前半同様にその守護神の再三の好守で流れを引き寄せたアウェイチームがゴールをこじ開ける。63分、ローマの右CKの場面でクロスがボックス内のフロジェクの右手に直撃。オンフィールド・レビューの結果、ローマにこの試合2本目のPKが与えられる。これをキッカーのパレデスが今度は左下隅に突き刺した。
2戦合計2-2のイーブンに戻ったことで、ローマは足が攣ったアズムンに代えて中盤のボーヴェを投入。攻守のバランスを整えて逆転を目指す形に。対するレバークーゼンは勝ち越しゴールを奪うため、フロジェクを下げて古巣対戦のシックを最前線に投入した。
その後はレバークーゼンペースで進むも、ローマの堅い守備をこじ開けられない状況が続く。そういった中、80分過ぎに両ベンチが動く。シャビ・アロンソ監督はホフマンを下げて切り札のヴィルツを、ローマは疲労困憊のアンヘリーニョ、ペッレグリーニを下げてスモーリング、エイブラハムを同時投入すると、思わぬ形でスコアが動く。
82分、レバークーゼンの右CKの場面でキッカーのグリマルドが左足インスウィングの鋭いクロスを入れると、前に出てクリアを試みたGKスヴィラールが味方との交錯で触れずにファーに流れたボールがDFマンチーニに当たって大きくコースが変わると、これがゴールネットに吸い込まれた。
思わぬ形のオウンゴールによってレバークーゼンが2戦合計スコアで一歩前に出た中、試合は最終盤の攻防に。ここから前がかる相手のパワープレーを撥ね返すべく両ウイングバックを下げてスタニシッチ、コスヌのセンターバック2人を投入すると、結果的に逃げ切り策かに思われたこの交代が欧州公式戦無敗記録新記録樹立をもたらす。
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