元カノがバロテッリのDNA検査要求を「最大の屈辱」と非難も、今は「良い関係」と語る

2021.11.02 05:35 Tue
Getty Images
トルコのアダナ・デミルスポルに所属する元イタリア代表FWマリオ・バロテッリとかつて交際していたラファエラ・フィーコさんが、バロテッリから受けた屈辱的な仕打ちについて告白した。イタリア『コリエレ・デッロ・スポルト』が伝えている。
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2人は、バロテッリがマンチェスター・シティに在籍していた2010年頃に交際。その後は
局を迎えたものの、2012年7月にラファエラさんが妊娠を発表。一方のバロテッリは認知せず、ラファエラさんにDNA鑑定を要求するなど一時的に泥沼へと発展していた。ラファエラさんは、2012年12月に娘のピアちゃんが誕生していたが、バロテッリが認知したのは、DNA鑑定の結果が出た2014年12月。イタリアのテレビ番組に出演したラファエラさんは、当時の心境について語った。
「私を最も傷つけたのは、ピアが彼の娘であることを知っていたにもかかわらず、彼が私にDNA検査を求めたことです。それは女性が人生で苦しむ最大の屈辱だと思いますし、私を傷つけました」

一方で、現在のバロテッリとは娘のピアちゃんとともに良い関係を築いていることを明かした。
「二人の関係は良好で、マリオは彼女を溺愛しています。二人は愛し合っている、一目見ただけで十分です。正しいバランスを見つけられて幸せです。マリオとはまるで兄と妹のように、最初の頃の衝突を乗り越えて良い関係が築けています」

なお、ラファエラさんは現在別の男性と婚約しているとのことだ。



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