ペレ氏が重病説を否定、「日曜日はプレーしない」と冗談も

2021.09.02 08:25 Thu
Getty Images
ペレ氏が自身の重病説を否定した。ブラジル『LANCE』によると、ペレ氏はサンパウロの病院を訪れ、その情報が原因となり大きな騒ぎになっていたという。

ペレ氏は8月31日に、自身のインスタグラムを更新。「みんな、私は意識を失ってなどいない。とても健康だ。 パンデミックのために行けていなかった定期検査に行ってきた。 来週の日曜日はプレーしないことを言っておいてください!」と冗談を交えながら無事を報告している。
イギリス『スカイ・スポーツ』によるとペレ氏の代理人が31日に退院すると明かしたそうだ。

80歳のペレ氏は2019年に重度の尿路感染症で入院。2020年にはうつ病とも報じられたが、ゲルト・ミュラー氏のへの追悼メッセージやマンチェスター・ユナイテッド復帰が決まったC・ロナウドへのメッセージなど、SNSでは活発な姿を見せており、10月には81歳を迎える。
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