ペレ氏が重病説を否定、「日曜日はプレーしない」と冗談も

2021.09.02 08:25 Thu
Getty Images
ペレ氏が自身の重病説を否定した。ブラジル『LANCE』によると、ペレ氏はサンパウロの病院を訪れ、その情報が原因となり大きな騒ぎになっていたという。

ペレ氏は8月31日に、自身のインスタグラムを更新。「みんな、私は意識を失ってなどいない。とても健康だ。 パンデミックのために行けていなかった定期検査に行ってきた。 来週の日曜日はプレーしないことを言っておいてください!」と冗談を交えながら無事を報告している。
イギリス『スカイ・スポーツ』によるとペレ氏の代理人が31日に退院すると明かしたそうだ。

80歳のペレ氏は2019年に重度の尿路感染症で入院。2020年にはうつ病とも報じられたが、ゲルト・ミュラー氏のへの追悼メッセージやマンチェスター・ユナイテッド復帰が決まったC・ロナウドへのメッセージなど、SNSでは活発な姿を見せており、10月には81歳を迎える。
1 2

ペレの関連記事

昨日3月7日は、ブラジル代表FWネイマールにとって記念すべき日だ。ブラジル『グローボ』が伝えている。 誉高きセレソンのエースにして、中東サウジアラビアでプレーするネイマール。母国のサントスでプロデビュー後、バルセロナ、パリ・サンジェルマン(PSG)を経て、アル・ヒラルに所属する。 これらを振り返ると、サント 2024.03.08 12:50 Fri
低迷するブラジル代表。宿敵アルゼンチンにさえその惨状を嘆く声がある。 11日、U-23ブラジル代表がパリ五輪南米最終予選最終節でU-23アルゼンチン代表に敗れ、2004年アテネ大会以来となる20年ぶりの予選敗退に。リオデジャネイロ、東京に続く3大会連続金メダルの夢が潰えた。 いくら五輪がA代表のワールドカッ 2024.02.13 16:10 Tue
サントスは30日、川崎フロンターレを退団したブラジル人MFジョアン・シミッチ(30)の獲得を発表した。契約期間は2024年12月31日までで、1年間の延長オプションが付随している。 2019年にポルトガルのリオ・アヴェから名古屋グランパスに完全移籍しJリーグ入りしたシミッチは、2021年から川崎Fでプレー。今シー 2023.12.31 06:00 Sun
来シーズンからレアル・マドリーでプレーするブラジル代表FWエンドリッキが新天地を訪れて話題を呼んでいる。 パウメイラスで育ち、新たな新星として大きな注目を集めるエンドリッキ。16歳の時点ですでにマドリーを契約を果たすと、チームのリーグ連覇に貢献するなどその才能を遺憾なく発揮していた。 ブラジル代表にも招集さ 2023.12.18 13:57 Mon
サッカーの王様・ペレやネイマールなどブラジルを代表する選手たちを輩出している名門・サントスが、史上初の2部降格の悲劇となった。 2023シーズンのカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル1部)は、7日に最終節が行われてレギュラーシーズンが終了。名門・サントスは不調が続くと、最終節でフォルタレザに1-2で敗 2023.12.07 17:45 Thu

ペレの人気記事ランキング

1

“サッカーの神様”と呼ばれたジーコ、W杯での輝きと苦しみ

サッカー界に数多く存在してきたスター選手。その中でも、異名を持つ選手はそこまで多くない。 際たるものは"サッカーの王様"と呼ばれたキング・ペレ。ブラジルの英雄であり、ワールドカップ(W杯)で3度も優勝を経験しているレジェンド中のレジェンドだ。そして、そのペレにも例えられ"白いペレ"と呼ばれ、"サッカーの神様"として知られているのが、ジーコだ。 日本でも住友金属、鹿島アントラーズとプレーし、その後に日本代表監督を務めたことからも、知らない人はいないほどの知名度だろう。サッカー界でも指折りの偉大なレジェンドだ。 <span class="paragraph-subtitle">◆実力も世界でトップの1人</span> ジーコは愛称であり、本名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ」、172cmと大きくない身体でありながら、ゴールやパスでチームに貢献した。 18歳でブラジルの名門・フラメンゴでファーストチームに昇格した。元々は体が小さく、線も細かったために、あまり期待はされていなかったが、その才能を高く評価され、体を鍛えることでチャンスを手にした。 フラメンゴでは12年プレーし4度のリーグ優勝を経験。その後ウディネーゼに移籍しセリエAでプレー。フラメンゴに戻ると、38歳で来日。Jリーグ2年目の1994年に41歳で現役を引退した。 クラブチームでも偉大な成績を残し、Jリーグでは初年度の開幕戦で圧巻のハットトリックを記録。これはJリーグ史上初のハットトリックであり、相手の名古屋グランパスには元イングランド代表FWのギャリー・リネカーがいた。リネカーも大きな注目の的となったが、神様の前ではただの脇役になってしまったのだ。 <span class="paragraph-subtitle">◆ワールドカップでの輝きと挫折</span> そのジーコは、当然ブラジル代表でも輝いた。W杯には1978年、1982年、1986年と3大会連続で出場。残念ながら、ブラジル代表にジュール・リメ杯(W杯のトロフィー)をもたらすことはできなかったが、運のなさもあった。 初めてのW杯となった1978年のアルゼンチン大会。初戦のスウェーデン代表戦では、試合終了間際にCKからゴールを決めたが、取り消しに。シュートを打つ前に笛が吹かれたという、今では考えられない状況で試合が終わることとなった。 ただ、ジーコはあまり出場機会を得られず、さらに大会中に負傷。チームも決勝にたどり着けずに終わっていた。 その4年後の1982年、スペイン大会ではソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとの「黄金のカルテット」と呼ばれる中盤を形成。巧みなパスワーク、そして圧倒的な攻撃力で優勝候補となっていた。 ジーコも4年前の悔しさを晴らそうと、1次リーグで3ゴールを挙げる活躍。2次リーグもアルゼンチン戦で1ゴール2アシスト、イタリア戦でもアシストを記録したが、チームは敗退。結果は伴わなかったが、この時のブラジル代表のパフォーマンスは世界で称賛され、「ブラジルサッカー史上最も魅了したチーム」とも称えられている。 そして3度目となる1986年のメキシコ大会だったが、今度は大会前にケガ。ヒザを負傷した状態で臨み、チームに貢献できず。"サッカーの神様"に本当の神様は微笑むことはなかった。 <span class="paragraph-subtitle">◆監督としてもW杯では悔しい思い</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/zico20221124_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Image<hr></div> サッカー王国ブラジルにおいても、数多のスター選手の中でトップクラスの評価を受けるジーコ。選手としてW杯では良い思い出はないが、監督としても苦い思いをした。 現役時代の「黄金のカルテット」は、日本代表でも実現。中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一が大きな注目を集めた。 しかし、W杯では稲本や小野はベンチに座ることに。日本代表として個々の能力や特徴が突出した選手が多く集まっていたが、逆に一体感をチームに作り上げることができず、1分け2敗で敗退。監督としても、W杯で結果を残せず、クラブチームはその他の代表戦とは異なり、ジーコにとっては苦い思い出となってしまった。 それでも、ジーコが現役時代に見せた華やかなプレー、そしてクラブチームで残した功績は数知れず。日本でもギリギリでJリーグ入りを果たし、オリジナル10となった鹿島に対し、常勝軍団となるべく改革したのはジーコ本人。それは、今でも"ジーコ・スピリット"として、鹿島の中で生き続けている。"サッカーの神様"と呼ばれる選手は、この先に生まれることはないのかも知れない。 <span class="paragraph-title">【動画】現役時代の“神様”ジーコの輝き、圧巻プレー集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJMSTU2Vm9ZNSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> ブラジル代表で活躍し、Jリーグでも活躍した"サッカーの神様"ジーコが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場! 現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。 <a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/5uev4c53" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/sega20221124.jpg" style="max-width:100%;"></div></a> 2022.11.24 21:00 Thu
2

ゲルト・ミュラー氏逝去に追悼メッセージ…レヴァンドフスキやトーマス・ミュラー、そしてペレ氏も

かつて元西ドイツ代表やバイエルンなどで活躍したゲルト・ミュラー氏の逝去を受けて、各方面から追悼のメッセージが届けられている。 ゲルト・ミュラーは1963年にTSVネルトリンゲンでプロデビュー後、1964年からバイエルンでプレーした伝説的点取り屋。“爆撃機”の愛称でも親しまれ、現フットボール界でも名が度々あがるレジェンドだが、15日早朝に75歳で他界した。 昨季にゲルト・ミュラー氏が持つブンデスリーガ1シーズンの最多得点数を更新したバイエルンのポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキはドイツ『ビルト』でコメントした。 「マイスター、あなたはいつも僕に特段のインスピレーションを与えてくれている。あなたの伝説的な功績は僕らフットボーラーにとって、常に挑戦的なものだ。僕らの手本となってくれ、ありがとう」 また、バイエルンのドイツ代表FWトーマス・ミュラーも自身のSNSでレジェンドの功績を偲び、哀悼の意を表した。 「親愛なるゲルト、あなたに直接、お目にかかれて光栄だった。ストライカーのコーチとして、若い頃のあなたから多くのことを学ばせてもらった」 「あなたとの個人的な出会いは別として、僕らバイエルンとドイツ代表チームのためにしたあなたの功績はいくら評価してもしきれない」 「あなたという目標がなければ、今の僕らは存在しえない。全てに感謝するとともに、最後に最も大事なメッセージを送る」 「あなたはセンセーショナルで良い人でした!!」 そして、元ブラジル代表FWで同じくフットボール界のレジェンドであるペレ氏も自身のインスタグラムで別れを惜しんだ。 「今日という日はこのスポーツを愛するすべての人にとって悲しい日となった。ゲルドのような輝かしいスターが亡くなり、心を痛めないわけがない」 「彼はフットボールを愛するすべての人にとって、紛れもないアイドル。ドイツのフットボールを次のレベルに引き上げるリーダーだった」 「彼は私が見たなかで最高のストライカーのひとりであり、素晴らしい人間でもあった。彼の名前は永遠に忘れられない」 「私はここにすべての愛情を伝え、神があなたの家族や友人の心を慰めてくれることを願っている」 <span class="paragraph-title">【動画】“爆撃機”ゲルト・ミュラー、現役時代のゴール集!</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJJcGFxbnRnbyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script>屋。“爆撃機”の愛称でも親しまれ、現フットボール界でも名が度々あがるレジェンドだが、15日早朝に75歳で他界した。 昨季にG・ミュラー氏が持つブンデスリーガ1シーズンの最多得点数を更新したバイエルンのポーランド代表FWロベルト・レヴァンドフスキはドイツ『ビルト』でコメントした。 「マイスター、あなたはいつも僕に特段のインスピレーションを与えてくれている。あなたの伝説的な功績は僕らフットボーラーにとって、常に挑戦的なものだ。僕らの手本となってくれ、ありがとう」 また、バイエルンのドイツ代表FWトーマス・ミュラーも自身のSNSでレジェンドの功績を偲び、哀悼の意を表した。 「親愛なるゲルト、あなたに直接、お目にかかれて光栄だった。ストライカーのコーチとして、若い頃のあなたから多くのことを学ばせてもらった」 「あなたとの個人的な出会いは別として、僕らバイエルンとドイツ代表チームのためにしたあなたの功績はいくら評価してもしきれない」 「あなたという目標がなければ、今の僕らは存在しえない。全てに感謝するとともに、最後に最も大事なメッセージを送る」 「あなたはセンセーショナルで良い人でした!!」 そして、元ブラジル代表FWで同じくフットボール界のレジェンドであるペレ氏も自身のインスタグラムで別れを惜しんだ。 「今日という日はこのスポーツを愛するすべての人にとって悲しい日となった。ゲルドのような輝かしいスターが亡くなり、心を痛めないわけがない」 「彼はフットボールを愛するすべての人にとって、紛れもないアイドル。ドイツのフットボールを次のレベルに引き上げるリーダーだった」 「彼は私が見たなかで最高のストライカーのひとりであり、素晴らしい人間でもあった。彼の名前は永遠に忘れられない」 「私はここにすべての愛情を伝え、神があなたの家族や友人の心を慰めてくれることを願っている」 <span class="paragraph-title">【動画】“爆撃機”ゲルト・ミュラー、現役時代のゴール集!</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJJcGFxbnRnbyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.08.16 15:15 Mon
3

サントス、ペレ氏の背番号「10」を永久欠番に?

サントスの背番号「10」は永遠に元ブラジル代表のFWペレ氏のものになるかもしれない。ブラジル『グローボ』が伝えている。 ワールドカップ(W杯)を3度の優勝を誇るブラジル史上最高のレジェンドであるペレ氏。フットボール界でも歴史に残る偉人として崇められるが、12月29日に闘病の末に82年の生涯に幕を閉じた。 そんなペレ氏が大きな功績を残したのがデビュー以来、プロキャリアの大半を過ごしたサントス。クラブに数多のトロフィーをもたらしたうえ、個人としても公式戦438試合に出場して474ゴールを記録した。 ペレ氏の死去を受け、サントスのアンドレス・ルエダ会長はブラジル『Radio BandNews』のインタビューに応対。長年にわたって着用しており、“サッカーの王様”のトレードマークだった背番号「10」を永久欠番にしたいとの意向を語った。 「私はずっと永久欠番化に賛成しており、素晴らしい敬意の示し方だと思う。なぜ今まで決まらなかったのかと疑問に感じる」 「フロントの判断が分かれるということは理解している。だから、今すぐに行うべき事ではないだろう。以前は他の選手が変わらず10番を背負うことこそが敬意の表し方だと考えていたクラブの役員も多くいた」 「この要望を取締役会に提出する。少なくとも決定があるまでは、管理上の措置として背番号10の着用は停止することにする」 ペレ氏はブラジル代表でも背番号「10」を着用。手にした数々の栄光や圧倒的なスター性から、いつしかその番号自体も特別な意味を持ち、今日ではサッカーにおけるエースナンバーとして扱われている。 <span class="paragraph-title">【動画】ペレ氏、サントス時代の衝撃プレー集</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiIwenVCNm5LUyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2023.01.01 12:06 Sun
4

ネイマールがプロデビューから15年…輝かしかったサントス時代

昨日3月7日は、ブラジル代表FWネイマールにとって記念すべき日だ。ブラジル『グローボ』が伝えている。 誉高きセレソンのエースにして、中東サウジアラビアでプレーするネイマール。母国のサントスでプロデビュー後、バルセロナ、パリ・サンジェルマン(PSG)を経て、アル・ヒラルに所属する。 これらを振り返ると、サントスで通算136得点、バルセロナで通算118得点、PSGで通算72得点、ブラジル代表で通算79得点をマーク。今季加入のアル・ヒラルでは前十字じん帯断裂の影響によりまだ1得点、ピッチ外でのゴシップも年々増えるお騒がせ男だが、積み上げてきたゴール数は素晴らしい。 そんなネイマールがキャリアの第一歩を踏み出したのが、2009年3月7日。当時17歳の青年は、サンパウロ州選手権のオエステ戦で59分に途中出場してプロデビュー。続く3月15日のモジミリン戦で2試合目にしてプロ初得点を記録した。 この2試合を皮切りにサントス通算225試合で136得点。バルセロナへの移籍前に“ペレ時代”以降のクラブ最多得点者となり、19歳となった2011年にはエースとしてチームを南米王者に導き、そして2013年夏、バルセロナへと送り出された。 リオネル・メッシ、ルイス・スアレスとMSNトリオを構成したバルセロナでチャンピオンズリーグ(CL)優勝を経験しているネイマールだが、「圧倒的にキラキラしていた時期は?」と問われれば、やはりサントス時代かもしれない。 <span class="paragraph-title">【動画】サントス時代の19歳ネイマールが披露したプスカシュ賞ゴール</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Nine years ago today, Neymar scored this Puskas award winning goal for Santos <br><br>(via <a href="https://twitter.com/SantosFC?ref_src=twsrc%5Etfw">@SantosFC</a>)<a href="https://t.co/NGsOHxtmSu">pic.twitter.com/NGsOHxtmSu</a></p>&mdash; ESPN FC (@ESPNFC) <a href="https://twitter.com/ESPNFC/status/1287739473187540994?ref_src=twsrc%5Etfw">July 27, 2020</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.03.08 12:50 Fri
5

ディエゴ・マラドーナ氏が急逝…先月60歳の誕生日を迎えたフットボール界の巨星墜つ

フットボール界のレジェンドであるディエゴ・マラドーナ氏(60)が25日に急逝した。『ロイター通信』など世界各国の主要メディアが伝えている。 先月30日に60歳の誕生日を迎えたばかりのマラドーナ氏は、今月2日にサナトリオ・イペンサ・ラ・プラタ病院へ緊急入院。精密検査の結果、脳に硬膜下血腫が見つかったため、3日に緊急手術を受けていた。その後は状態が安定し、同11日に退院していた。 <div id="cws_ad">◆全盛期のマラドーナがナポリで見せたスーパーゴール集<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJRQkZwNEVQayIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> しかし、『ロイター通信』によると、マラドーナ氏は25日、ブエノスアイレス郊外の自宅で心停止を起こし、その後死亡が確認されたという。 アルヘンティノス・ジュニアーズでプロキャリアをスタートしたマラドーナ氏は、ボカ・ジュニアーズ、バルセロナ、ナポリ、セビージャ、ニューウェルズ・オールドボーイズを渡り歩き、1997年に古巣ボカで現役を引退。 現役引退後はアルゼンチン代表やアル・ワスル(UAE)やドラドス・デ・シナロア(メキシコ)、直近は母国のヒムナシア・ラ・プラタの指揮官を歴任。 卓越した左足の技術、創造性、得点感覚を武器に、クラブキャリアにおいてはナポリで2度のセリエA優勝、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)などのタイトルを獲得。 また、アルゼンチン代表では通算91試合に出場し、34ゴールを記録。準々決勝のイングランド代表戦での“神の手”ゴール、5人抜きのドリブルがハイライトとなった1986年メキシコ・ワールドカップ(W杯)では優勝に導く圧巻の活躍を披露。 また、多くの個人賞を総なめにし、ブラジル、オランダのレジェンドであるペレ氏やヨハン・クライフ氏らと並び、歴代最高の選手として常に候補に挙がるなど、フットボール界のレジェンド中のレジェンドとの評価を確立していた。 2020.11.26 02:00 Thu

NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly