モウリーニョがユーロの展望を語る「イタリアはベスト4に入るだろう」
2021.06.05 21:43 Sat
先日ローマの監督に就任したジョゼ・モウリーニョがユーロ2020についての展望をイタリア『スカイ・スポーツ』で語った。
いよいよ6月11日に開幕が迫るユーロ2020。新型コロナウイルスの影響で開催が1年遅れたものの、60周年を迎える4年に一度の祭典の火蓋が間もなく切って落とされる。
ポルトガル人監督は、その初戦を飾るイタリア代表について言及。来季から指揮するローマの選手を中心に見るとしつつ、「ベスト4には入るだろう」と、優勝候補の一角に挙げた。
「ロベルト・マンチーニ監督は、世界のトップリーグで20年間指導してきた経験豊富な監督であり、すでにこれまでの試合でその実力を示してきた。イタリアには才能のある選手がいて、戦術的な知識も優れている。様々なスタイルでプレーできるが、マンチーニ監督は彼らの特徴を消すことなく、攻撃的な要素を加えている。イタリアの弱点を見つけるのは難しく、ベスト4に入るだろう」
また、今シーズン途中まで指揮を執っていた地でもあるイングランド代表についても絶賛し、優勝を目指す義務があると述べた。
2018年のワールドカップ王者であるフランス代表や、同大会で3位に入ったベルギー代表にも大きなチャンスがあると予想したモウリーニョ監督は、母国であるポルトガル代表にも大きな期待を寄せている。
「世界最高のセンターバックであるルベン・ディアスがペペの隣で素晴らしいプレーをしてくれるだろう。また、豪華な攻撃陣がいる点でもアドバンテージを得ている。もちろん、クリスティアーノ・ロナウドはもう子供ではないが、再びユーロで優勝するためには何でもするはずだ。手強いグループに入ったが、彼が立ち止まらなければ最後までやり遂げられる」
一方、スペインについては称賛しつつも「スペインは技術的にはとても優れているが、トップレベルのストライカーがいない。強豪だが、決勝戦まで進むとは思わない」と、少し厳しい意見を寄せた。
いよいよ6月11日に開幕が迫るユーロ2020。新型コロナウイルスの影響で開催が1年遅れたものの、60周年を迎える4年に一度の祭典の火蓋が間もなく切って落とされる。
ポルトガル人監督は、その初戦を飾るイタリア代表について言及。来季から指揮するローマの選手を中心に見るとしつつ、「ベスト4には入るだろう」と、優勝候補の一角に挙げた。
また、今シーズン途中まで指揮を執っていた地でもあるイングランド代表についても絶賛し、優勝を目指す義務があると述べた。
「(イングランドは)素晴らしいチームだ。右サイドバックを見ても分かるように、多くの選択肢があるため、ガレス・サウスゲイト監督が全員の納得を得るのは難しいだろう。監督の立場からすると非常に難易度の高いチームの1つでプレッシャーも大きいが、今大会は優勝するために努力しなければならない」
2018年のワールドカップ王者であるフランス代表や、同大会で3位に入ったベルギー代表にも大きなチャンスがあると予想したモウリーニョ監督は、母国であるポルトガル代表にも大きな期待を寄せている。
「世界最高のセンターバックであるルベン・ディアスがペペの隣で素晴らしいプレーをしてくれるだろう。また、豪華な攻撃陣がいる点でもアドバンテージを得ている。もちろん、クリスティアーノ・ロナウドはもう子供ではないが、再びユーロで優勝するためには何でもするはずだ。手強いグループに入ったが、彼が立ち止まらなければ最後までやり遂げられる」
一方、スペインについては称賛しつつも「スペインは技術的にはとても優れているが、トップレベルのストライカーがいない。強豪だが、決勝戦まで進むとは思わない」と、少し厳しい意見を寄せた。
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